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戦後の仲間を守る田舎の生き方

戦後生まれの私の父の世代の人たちが、「田舎で身を守る方法」を子供の時に、いくつか教えてもらいました。

そのひとつに、「自分の身は、自分で守ること」、そして「自分の地域の仲間の命は何があっても守ること」だと教わりました。

実際に、「現場」を見て学ぶ機会が、幼稚園時代にありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

父と二人で家の前にいた時、道路側に数名の男たちが走ってきて、

「吉岡の!これから喧嘩だ、すぐ行くぞ!」

と父に声が掛かりましたが、父は私のことを考えて、

今日は行かん!いや!

今後も、二度とお前たちには手を貸さん!

と言い張りました。

すると、ガタイのでかい男の人が寄ってきて、

「いつも、お前が号令をかけて俺たちを招集するのに、もう喧嘩はしないのか?それでも、男か!!」

すると、父は、こう言いました。

俺はコイツ(私)のために、もう人に手をかけることはできないんだ。

コイツは、俺のやること全てを学んで、必ず、同じことをする人間なので、もう俺は人に手をかけることはやめた。

すまんけど、これを渡すから、喧嘩の役に立ててくれ!」

と、1mほどの「刀」を渡しました。

 

おい!これ!吉岡家の「刀」じゃないか!

いいのか!?

これは、お前の家の「家紋」もついている奴だぞ!

 

「そうだったな・・・、じゃあ、こうするわ!」

と言った後、手持ちのツカを器用に外して、刻んである吉岡家の家紋と文字を金ヤスリで削ってしまいました。

 

おい!、これは売れば、相当な金になるのに、いいのか?

 

俺はもう手は出せんが、この刀が俺の代わりなので、思う存分、相手を叩き切ってやれ!

さあ、ほら、持っていけ!!

本当は、自分が一番最初に殴り込みをかけたいはずなのに、父は私のために、喧嘩を我慢してくれました。

さらに農家のお父さんたちが10名ほど走って行ったので、何が起きたか聞いてみると・・・。

お前には嘘は言えんので言っておくが、俺たちの村の娘が隣町の男に犯されたんだそうだ。

俺はその子は知らんが、仲間の妹とあれば、やるしかないだろう。

女は子供を産む大事な体だから、バカでもチョンでも、女の命は、男が体をはって守ってやらなきゃいかんのさ

 

アマミカムイ

喧嘩して、どうするの?

その相手を殺すに決まっているさ。

悪いことをする奴は、必ず、また同じことをするからな!

アマミカムイ

どこに埋めるの?また、山の奥?

そうさ、毎回、殺すたびに山の奥に行くので、埋めるのも大変なんだ。

アマミカムイ

警察に捕まることはないの?

警察の親父は、俺たちの同級生の親父だから、酒を一升、持って行った時は「殺し合い」になるので、自分は酔っ払っていて知らなかったことにする「暗黙のルール」があるんだ。

だから、大丈夫だ!

アイツは、何があっても裏切らないので。

アマミカムイ

なぜ、そう言い切れるの?

昔、アイツの妹が手を出された時に、俺たちが手を貸して相手を半殺しにして、アイツの前に連れて行って詫びを入れさせたから、アイツは、俺たちには頭が上がらないんだ。

アマミカムイ

その手を出した人は、どうなったの?

多分、アイツが自分で殺して、自分で山に埋めたと思うな。

だからよ、暗くなったら、山には入るなよ!

殺された奴らの霊が出ると、仲間たちが言っていたからな!

 

昭和20年 終戦後の北海道の状況

大東亜戦争の終戦の年の昭和20年(1945年)の北海道芦別市は、「炭鉱」があったせいで、7万人以上にも人口が膨れ上がりましたが、その理由は、本州から逃げてきたゴロつきや犯罪者やヤクザ者たちに加えて、「第三国人」もたくさんいた時代なので、「自分たちの命を守るため」に必死な時代でした。

食べ物が無いのは誰も同じですから、米農家や野菜農家の納屋を襲って食べ物を奪いにくる輩が、たくさんいた時代です。

芦別市、赤平市、歌志内市、夕張市、三笠市、釧路市などの炭鉱町も同じ状況でした。

 

第三国人の解放命令

終戦後、すぐにGHQ指導で、「第三国人の解放命令」が政府から出たため、北海道中の道路や橋やダム工事に、「強制労働」をさせられていた「第三国人」たちは、一斉に、飯場の親分を殺したりした事件が、北海道や本州で起きました。

警察も軍隊もマスコミも「GHQ」に管理されていたため、この情報さえ一切、流されず、戦中、戦後の「昭和一桁生まれ」の人たちは、自分で自分の身を守ることができない人は、女・子供でも簡単に殺された時代です。

「ヤクザの世界」でも食べ物の奪い合いで殺し合いになり、本州で生きられなくなった人たちが大勢、北海道へ逃げ延びたため、多くの戸籍を持たない人たちが移住してきた時代でした。

北方領土から逃げ延びた人たち

もともと日本の領土であった、北方四島(歯舞島(ハボマイ)・国後島(クナシリ)・択捉島(エトロフ)・色丹島(シコタン)」で生まれて育った日本人たちは、終戦直前に、強制的にロシア兵に追われ、最後の船も爆弾で数隻、沈没させられて、最後の船に乗れた人たちは、お金も無く、財産もないため、北海道のいろんな場所の道路の脇や、山の奥に入って木を切り、ボロ家を作り勝手に住み着きました。

 

ロシアはいつも”ドサクサ”で国を奪う!

イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、中国軍の連合軍を押し返して勝ち得た「満洲」の領地を”ドサクサ”で奪ったのも「ロシア」です。

昭和天皇が終戦を宣言する数日前に奪われた「満洲」にいた日本人は、ロシア兵たちが捕虜として日本兵を極寒の地、「シベリア」に抑留されて、多くの日本人が死んだことも教科書から消えて忘れさられています。

歴史事実は、どんどん変えられていく!

 

戦後のGHQ指導目的は、「日本人の再教育」だったため、過去の歴史事実を全て消して、ありもしない「デッチアゲ」を学校を使って信じさせて、私たちの親たちを洗脳し、その子供たちは日本に対して「尊厳や感謝の心」を教わらないまま大人になっています。

では、誰がこれからの日本人を正しく導く「教育」をするのでしょうか?

宗教の前に必要なことは「精神を学ぶ心」

 

人間が誕生してからここまで進化できた理由は、「考える力」と、「助け合う心」があったからですが、世界で最後の戦争だったからこそ、「国連」もできて世界共通の「平和思想」を作ったのに、もう、国連でさえ、各国の指導はできません。

だからこそ、20年前から私は「精神と祈りの心」を教え続けているのです。

50年後、100年後、150年後に、日本人として恥ずかしくない精神性を育てなければ、この日本を本気で守ろうとする人たちがいなくなり、簡単に、他の国に侵略されてしまいます。

文化、芸術、歌謡、音楽、アート、映画、ニュースで「世界の一員」と思わせながらも、実は、「日本人の意識改革」をされていることに気づかない大人たちが多すぎます。

自分で考えて、正しい日本の歴史や、神仏の心を教える人たちが必要なのです。

一緒に、学びながら、「強く、たくましく、優しく」をスローガンに、一緒に未来の日本を支える子供たちを育てようではありませんか!

この言葉は、GHQが入る前に、学校の教室の前に貼ってあった文字なのです。

日本人として学ぶべき心の教科書は、「神仏心大学校」の動画で学べますので、どうぞ、自分で学んで子供や孫たちに教えて下さい。

 

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