1. HOME
  2. 天無神人ブログ
  3. 【経済】バブル崩壊を止めた「社長会」
  4. <経済>日本の「バブル崩壊」を止めたのは、私と日銀 三重野康総裁です。

<経済>日本の「バブル崩壊」を止めたのは、私と日銀 三重野康総裁です。

1990年代の「バブル経済」を経験している70歳以上の人は、よくわかると思いますが、物価も上がり、給料も上がり、預金金利も上がった「バブル経済が永遠に続く」と思って莫大な借金をしてマンションをいくつも買った人や、あらゆる投資商品にお金を注ぎ込んで破綻した会社や個人もたくさんいましたが、実は、「日本のバブル崩壊の傷」を最低限に止めたのは、私と日銀 三重野康総裁です。

・・・・・・

<初めて話す吉岡学の体験談>

1990年代の私は、経済界で最も信用がある「東洋経済新報社」の筆頭取締役である「篠原勲取締役」と懇意にさせてもらっていたし、個人的にいつでも電話できて会える立場にいたので、政治家や経済評論家とは違う別な角度から「経済を考えるコツ」を教えてもらっていました。

日本の会社の経営状態を一番正確に知るための「バイブル」と呼ばれていたのが、東洋経済新報社の「会社 四季報」ですし、一部上場企業の社長室や政治家の部屋には必ず置いてある本が、「会社 四季報」です。

その「会社四季報」の編集長が篠原勲取締役で、日本の政治家たちが一番、恐れた人間で、ヤクザの組長以上に影響力を持っている人でした。

日本橋にある「東洋経済新報社」の最上階にある取締役フロアまで連れて行かれて、何冊も自分が書いた本を頂きましたが、さすが、記者から現場上がりで筆頭取締役までなった「昭和の経済」を支えてきた本気の人なので、お酒を飲みながらいろんなことを学ばせてもらいました。

「週刊 東洋経済の編集長」でもあった篠原勲さんは、政治家にも首相にもズバズバ本気で、ものが言える人間ですので、政治家で知らない人はいませんし、篠原勲さんに嫌われて記事にされて潰れた議員もたくさんいますので、経済界ではもっとも怖い人として有名でした。

・・・・・・・

有名な政治家や首相たちに「篠原勲さん」の名前を出すと、「本物の経済評論家だから、怖い!」と言っていましたし、ご本人は絶対にマスコミには出ないし、顔写真も撮らせない理由を聞いてみると、

「だって、吉岡さんは知ってると思いますが、テレビやラジオに出る経済評論家は、全員多額のお金をもらって特定の政党を褒めたり、テレビ局が書いた原稿を読むだけなので、僕の仕事ではありません。もし、テレビに出る機会があるとするなら、吉岡さんと一緒に対談番組にでも出ましょうか?」

と大笑いしたほど仲よくさせて頂いていました。

 

1990年前後、私には日本経済を動かした「一流の経済人」の知り合いがたくさんいたのでご紹介しておきます。

私の父親より年上の・・・

1894年生まれの「パナソニックの松下幸之助社長」、

1922年生まれの「株式会社ダイエーの中内功社長」、

1924年生まれの「日銀 三重野康総裁」、

1942年生まれの「東洋経済新報社の篠原勲筆頭取締役」、

この四人が私の「経済ブレーン」ですので、必要な時はよく電話していろんなことを教えてもらっていました。

・・・・・

最も政局が不安定な時期に総理になった小泉純一郎首相を経済面で支えた「竹中平蔵さん」にも会って話したことがありますが、「吉岡さんの人脈には敵わないので、僕に聞きたいことなどあるとは思えません。逆に、僕が質問していいですか?」と言われ、「吉岡一門の頭領」について詳しくお答えしたほど頭の良い人でした。

・・・・・

特に、面白い社長は、1906年生まれの本田宗一郎社長でした。紹介してくれたのは、松下幸之助さんですが、「あいつは奇想天外な人間なので面白いぞ!」と電話してくれました。

東京のホンダの本社の社長室に行くと、「俺は滅多に本社に来ない人間だが、松下幸之助さんの紹介とあれば、どんな奴かわからんが、本社で会うしかないだろ。」と言うのでいろんな質問をさせてもらいましたが、

「お前は面白い男だなあ。俺と一緒に車を作らんか?」

と私に興味を持ってくれた仲だし、「今週末、荒川のテストコースに来い!」と言われたので行ってみると、ホンダの新車のテストコースの現場で「F-1車」を運転させてもらったほど、仲良くさせてもらいました。

・・・・・・・

新車のテストコースに「F-1車」を持ち込んで遊ぼうとしていた本田総一郎社長は、「おい、吉岡、これ、乗ってみないか?」と聞かれたので、「はい、私は暴走族じゃない”一人走り屋”なので、日産のスカイラインをバリバリ毎日、全開で乗りまくっていますので乗れると思います。」

「お前、日産のファンかよ!ホンダの車に乗れよ!車ならいくらでもプレゼントするぞ!」

「いやあ、社長!気持ちは嬉しいんですが、ホンダでカッコ良くて早い車は無いじゃないですか?」

「お前、言いにくい本当のことをズバズバ言う男だなあ。気に入った!でも、悔しいから絶対にお前が乗りたくなる車を作ってやるから、まずはこのF-1に乗れよ!」

 

そう言って、無理やり、社員の反対を押し切って作った車が「ホンダ NSーX」です。

2790万円もするので、タダではくれませんでしたが・・・。

まじに、ホンダの「F-1車」がコースに運ばれてきて、「自分で好きに走ってみろ!エンジンがぶっ壊れてもいいから思いっきり吹かせよ!そうじゃないと止まるからな!」

・・・・・・

レースジャケットを着せてもらい、専用のヘルメットとレースシューズを付けて乗り込むと、ほぼ地面と水平で顔だけ前が見える姿勢なので、F-1ドライバーはすごいと思いました。

エンジンをかけてもらい、普通の車のようにゆっくりアクセルを踏むと、燃料ガスの噴射量が多いのでエンストしてしまい、エンジン清掃をしてからもう一度、乗せてもらってテストコースを1周まわりました。

・・・・・

普通にアクセルをふかしながら1周コースを走ったので止まろうと思っていると、ピットで本田宗一郎社長が手を振って、「もう1週だ!」と叫んでいるので、スピードに乗ったまま長い直線コースをベタ踏みしてカーブに突っ込みながら、「ヒールアンドトウ」でブレーキとアクセルを同時に踏みながら、次次とカーブに突っ込みながらどんなに激しくハンドルを切ってもブレない「F-1タイヤ」の凄さに感動しました。

本気でアクセル全開で突っ込みながら大小のカーブを走り続けると、最後に直線コースが見えたので「最後だ!」と思ってスピードを落とさずに思いっきりベタ踏みしてピット前を通過すると、本田宗一郎社長が「ゆっくり走ってもう1周しろ!」と叫んでいるので、楽しく大カーブに突っ込み、もう1周しました。

まだ回転数が高かったようで、ピットの前で止まろうとすると、専門のドライバーが走り寄ってきて、「軽くアクセルを踏みながら交代して下さい」と車に飛び乗ってきたので、4点シートベルトを外して車から飛び降りました。

歩いてピットの本田宗一郎さんの前に行くと、私のタイムレコードを見て、「お前、絶対に、初めてじゃないだろ!正直に白状しろ!俺よりタイムが早いなんて・・」と叫びますが、「初めてです!」と言い張りました。

じゃあ、俺の愛車のF−1で勝負だ」と、隠してあった本田宗一郎社長専用のF-1車と、もう一度、バトルしましたが、随分、差をつけて私が勝ってしまいました。

あの泣きそうな本田宗一郎社長の顔だけは忘れられません。

車を降りて、本田総一郎社長に「経営」のことを聞こうとすると、

「俺は数字は苦手だ!だから優秀なN02が経営をしているので、そのおかげで俺は好きな車いじりができるから、お前が聞きたい話は、俺のNO2と会って話を聞け!さあ、今日は、トコトン飲むぞ!」

と言われて、いつもの銀座の高級クラブで待ち合わせると、本田総一郎さんはNO2の藤沢武夫さんを呼び出したのに、お酒は弱いようですぐに寝てしまいました。

・・・・・・

銀座の最高のクラブでお会いした藤沢武夫さんは、「社長と二人で一緒に飲み会の席に座るのは久しぶりです」と自己紹介してくれました。

1910年生まれの藤沢武夫さんは本田宗一郎と共に本田技研工業(ホンダ)を世界的な大企業に育て上げた人で、「本田宗一郎の名参謀」と言われ、本田宗一郎は藤沢武夫に実印と会社経営の全権を委ねたほど信頼の関係でした。

・・・・・・

藤沢武夫さんは豪快な人で、一見、優しそうに見えますが、本気の時の目は、まるで「ヤクザの親分」みたいな人なのですぐに仲良くなりましたし、お酒の飲み方もすごいし、相手をベロベロに酔わせてから「本音」を聞くので、「労働組合で鍛えておいて良かった」と思ったほどですが、日本経済の裏表のいろんなヤバい話をたくさん教えてもらい勉強になった一人です。

・・・・・・

この写真は、初めて日銀総裁になった時にホームページに掲載した三重野康総裁の写真ですが、怖いイメージがあったので、

「あのう、日銀のホームページのあなたの写真も、テレビ映りも怖く見えるので、日本のお金をもっと上手に流すためにも、日銀の写真を変えるか、テレビに出た時に笑顔で話すようにして下さい。」

とアドバイスしたのも私ですが、「日銀のホームページは外注なので変えられないけど、なるべくテレビでは笑顔で話すように努力するよ」と言って下さいましたが、毎週、社長会で会うので、「この前の公定歩合変更のテレビの顔は引き攣っていましたね」、と大笑いした仲です。

 

・・・・・・

東洋経済新報社の篠原勲筆頭取締役は、どんなことがあっても顔写真を撮らせない理由は、「私は社会の裏の裏を知り尽くした人間なので、顔写真が出るとまずいんです。」と、笑いながら言う素敵な紳士でした。

・・・・・・・

パナソニックの松下幸之助社長は、お茶目で、面白くて、女性に人気があったし、亡くなるギリギリのベットの中から私に電話してきて、「松下幸之助記念志財団から300億円を契約金として払うし、年収100億円で俺の会社に来ないか!?ここに弁護士も秘書もいるので、お前がハイといえばすぐ契約書を作るぞ!」とか、私をパナソニックの会社に入れたくていろんな手を使う人でしたが、本当に、真っ直ぐに生きている人で大好きな人でした。

・・・・・・

私が14年間勤めた株式会社ダイエーの中内功社長は本当に熱くて単純で怒りっぽくてスネやすい人ですが、人懐っこいのと、「惚れた男には嘘を言わないのが信条だ」と言ってくれた言葉が嬉しい素敵な先輩でした。

・・・・・

藤沢武夫さんを含む六人の男たちが私を支えてくれたおかげでいろんな分野の裏表を学びましたし、全員、同じことを口にしていました。

・・・・・・・

こんなバカなアメリカが仕掛けた「バブル」にのった日本人もバカだが、このバカな人間を諭すのは、「吉岡学しかいない」ので、どうか、日本経済をこのまま潰さないように頑張ってくれ!

とエールを送られたので、労働組合を辞めてからも、国の仕事を無償で手伝い続けていた理由です。

・・・・・

この六人が銀座の高級クラブで「一度だけ」全員揃った時がありしたが、「経団連の会合みたいだなあ。」と笑っているし、「三船敏郎の七人の侍みたいだなあ」とも言われるし、「お前の人脈の広さにはつくづく参るわ。」と文句を言われるほど本音でお話しさせてもらいました。

・・・・・・・

あとから「竹中平蔵さん」も、六人が同時に集合しているのを銀座のママさんから聞いたようで慌てて飛んできて、「吉岡さん、どうして僕も誘ってくれなかったのですか?」と文句を言いながら、僕と六人の話を真剣に聞きながらたくさんメモをとっていました。

お酒が入ると、どの社長たちもどれくらい吉岡学が大好きかを競い合う話になったので、「自分の会社を潰してでも、俺は吉岡学に金を出すぞ!俺は100億は出すな!じゃあ、俺は1000億だすぞ!」とか言ってましたが、

「それじゃあ、皆さんの会社を潰さないで救った意味がないでしょ!」と大笑いして言い合える良き戦友たちでした。

・・・・・

・・・・・

・・・・・

本当は、この場に呼びたい政治家もいたのですが、社長たちは政治家の好き嫌いがハッキリしているので遠慮させてもらった政治家は、「田中角栄元首相」と、ハマコーこと「浜田幸一議員」です。

この二人の政治家は、裏表がなく、最も嫌なことでも本気でぶつけ合える人間だったし、特に、ハマコーさんに気に入られて、東京や札幌で何度もお会いしたので、「政治家を辞めて何をすればいいか?」を聞かれたので、「コテコテの汚いイメージの政治家を辞めるなら、イメチェンのために、テレビのトーク番組に出てあなたの面白さを庶民に伝えるべきだと思います。

あなたは人にどう思われても気にしない人だからこそ、きっと、庶民は、嘘の政治家の話よりも、ハマコーさんのように本音で政治を語れる人の言葉を聞きたいと思いますよ!」とアドバイスをしたのは私です。

「俺だって、ちょっとは人の反応は気になるが、お前ほど図太くないぞ!」と大笑いしたあと、「やっぱり、お前は田中角栄にあうべきだ!俺が直接、コンタクトをとってやる!と飲み屋からすぐに携帯で電話をかけてくれて、日時と場所を勝手に決めて電話を切りました。

 

「相手の都合は聞かなくていいんですか?」

「田中角栄は警察に捕まって保釈されて政治もできない暇人だから、俺のほうが忙しいんだから勝手に予定を決めるのは当然だろ!ところで吉岡さんは◯月◯日〇〇時の時間は空いているかね?」

・・・・・・

政治家たちがよく使う「月島」の最高級の料亭で二人で待っていると、ハマコーさんに電話が入り、「体調が悪くて行けない」と言った角栄さんの電話に、「お前また、女のところに入り浸っているんだろ!」と怒ったあと、電話を私によこして、直接、田中角栄元首相と30分ほど話しましたが、最後に、「日本の政治はお前に託す!」と言ったお言葉だけが心に残っています。

・・・・・・

横で聞いていたハマコーさんは、「お前、すごいなあ。1時間以上、電話で田中角栄と話した奴はいないぞ!奴は相手が首相だろうと誰だろうと、気に食わない時はすぐに電話を切る奴なんだぞ!お前、自慢していいわ!ところで何の話をしたのか聞かせてくれよ!」と言ってくれたのでお話ししました。

1時間以上も話したつもりはなかったんですが・・・。楽しい人でした、田中角栄さんは・・・。

・・・・・・

角栄さんと話した内容は、全ての政党のボスを集めた話し合いの席で、娘の田中真紀子とバトルしたことを話すと、「アイツは俺の真似をしているだけなので自分の意思がない奴で、頭も悪いしすまんなあ。」と詫びてくれたことを話しました。

・・・・・・

やはり、本気で素晴らしい人間は、「負け」を認めて詫びを一言、言える「潔さ」と、「本気で命をかけるものがあるか」どうかだと私は思います。

武士の頭領としてではなく、人間としてハマコーさんと田中角栄さんには感謝していたします。

・・・・・・・

昭和34年生まれ(1959年)の私が、なぜ、こういう素晴らしい人たちと関われるのかを考えてみると、きっと、二度、戦争へ行って右足を無くした祖父の「岩渕安治陸軍中将」のおかげと、天皇家を2000年以上、裏から支え続けている吉岡一門の子供達を12名も産んだ吉岡家の本家の祖母のおかげだと思って、いつも先祖に感謝しています。

・・・・・

皆さんも「困った時の神頼み」はやめて、「困った時は先祖祈り」をやれば、必ず、運気は開けますよ!

・・・・・・・

世界の先住民の信仰は、「先祖信仰と自然崇拝」しかなかったのに、そこに余計な「神の概念」を持ち込んで、人間を支配したことは歴史を調べればわかることですが、依存信仰、依存崇拝をやめない人たちのせいで、世界は「宗教戦争」に陥っているし、「国同士のお金の争い」に宗教を利用されているほどバカな世の中になっているのに、誰も変えようとしない人間が残念でたまりません。

こんな人間を救う価値があるのかをいつも自問自答しながら祈りをして自分のご先祖と対話している毎日です。

・・・・・・

この世で出会うすべての人との良いことも悪いことも、全ては「先祖」が出会わせてくれた「先祖のご縁」だと学んだ人は、きっと良い人生を送れるようになると思いますよ!

「正しいご先祖の向きあい方」を学びたい人は、「神仏心大学」の動画で学んで下さい。本気で本音で先祖と向き合って現実が変わった人たちはたくさんいますよ!

➡️地球創生 神仏心大学 / オンデマンド ページ

https://vimeo.com/tikyusousei/vod_pages

・・・・・・

2024年の今の私は、いまさら腐り切った日本経済や政治をどうこうしたいとは思いませんし、今、表に出ている人間で信用できる人間は一人もいません。

だからこそ、国民一人一人に語りかけるように、このブログを書いていますが、いつ、このブログを辞めるかもわかりません。

あまりにも私の信頼を裏切る人間が多すぎて心が疲れたので、自分で記憶を消す薬を飲んでも死ねない人間ですが、過去の記憶を取り戻した今の私は、今までの「貸し」を全て回収してから、自分が本当にやりたいことを北海道でやり遂げて、日本と世界を変えようと思っています。

あとは、私のブログを読んでいる人たちが、若い世代の「お母さんたち」を育て上げることしかないので、「おばあちゃんたちの知恵」に期待しています。

・・・・・・・

今の日本経済は、「ズブの素人」を騙す誘惑の言葉に乗って、ビットコインや、FXや、NISAや、株に手を出している人たちが増えていますが、バブルの始まりと同じような匂いがするので、きっと、またアメリカと中国の悪い奴らが組んで、日本国民の貯金を失わせて借金をさせる計画だと思いますので、親は必ず子供達の貯金額と、ローン残高と、お金の使い方を定期的にチェックして下さい。

 

「自分の自由」ばかりを主張する子供たちに教えるべきことは、「自由には責任が伴うものだし、子供の犯した失敗を背負うのも親の責任だからこそ、あんたの家族の貯金もローンも把握しておく必要があるんだよ」と言い切るのも親の責任です。

 

「あるわけもない自由・平等・平和」を学校の教室に掲げさせたGHQの教育破壊の結果が、今の若い世代の価値観だからこそ、親が教えるべきことは「責任」です。

・・・・・

「言葉よりも行動」が先だし、他人がすることを見て覚える癖をつけないと、どこの会社に行っても使い物にはならないうえに、自分の子供の教育の違いを家族や周りの親と本気で話せる人がいない結果が、今の日本教育の問題です。

・・・・・

お金が欲しいなら、体を使って汗水流して働きなさい!

お金を一番に考えて生きる人間になると、ろくな人間にはならないよ!と教えてくれた母親に感謝しています。

・・・・・・

「経済」を中心に大きく成長したアメリカは「小学校で株の投資」を教え、実際に子供のお金で投資させますが、その条件は、「親が子供の資産管理ができること」が条件です。

・・・・・・

幾つになっても「子供は親の責任」ですので、子供の借金を返しているバカな親と同じ人間にならないでくださいね!

・・・・・・

「バブル崩壊」を食い止めるための最後の作戦は、私と三重野康総裁が中心となり、札幌の社長会メンバーに毎週150回以上、札幌までやって来た「吉岡学の社長会筆頭メンバー」が協力してくれた結果、都銀から6000億円の借入金を企業に貸し出したおかげで、下の図の「丸の部分」の時期に落ち込みを止めて持ち上げましたが、私が「社長会」を辞めたあと日本経済は落ち込んでしまいました。

でも、日銀 三重野総裁は、「もし、あの時、僕らが本気で止めなかったらもっと日本経済は落ち込んでいたし、時間が経てば経つほど多くの会社が潰れたので、吉岡さんの功績は大きいですよ!」と言ったあと、「さあ、吉岡さん。ボツボツ、日銀の顧問として年収10億円でお迎えしたいのですがいかがですか?」と聞かれましたが、「行くわけないでしょ!」と大笑いしたあと、「本気だったのに・・」と涙ぐんでくれる人でした。

・・・・・・

3年半、毎週、日本全国からやってきてくれた社長たちと「社長会1000回記念パーティ」をした日に、「本日で社長会は終了します!」と挨拶したあと、こう皆さんに挨拶しました。

 

「約3年半、毎週毎週、日本全国から私のやることを支えてくれたみなさんと別れるのは私も心苦しいですが、どうか、この「社長会の人の繋がり」を維持しながら、現場に戻っても会社の利益を超える人と人の繋がりで、日本経済を支えて下さることを心からお願い申し上げます。本当に、3年半、吉岡学の無理を聞いて下さり、ありがとうございます。」

・・・・・・

世界の食物自給率比較(日本最低)

さあ、国民の皆さん、これから大災害も起きますし、親や自分の老後の不安や、子供達の不安を解消するためにも、無駄使いをしないで毎月、コツコツ貯金をしながら、心も体も健康になる無農薬野菜とお米を作って日本の食物自給率を100%以上にしましょうね。

そのためには、「まず、あなたが自分で食べ物を作ること」ですので、どうか、よろしくお願いいたします。

アーカイブ

Translate »