【農林水産省】日本国民の未来のために「有機農業の補助金」を作りました!
私が昭和34年(1959年)に生まれた北海道芦別市常磐町の実家は、「父親が無農薬でお米と野菜」を作っていた時代ですので、味はさほどおいしくないお米ですが、父が体に良いものをいろいろ作って食べさせてくれました。
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父・吉岡忠(6男)は、12歳で日本全国の「吉岡一門の南朝の武士の頭領」を引き継ぎましたが、父親との真剣勝負に勝ったあと父親や母や兄弟を殺さなかったので「今の頭領は弱い奴」と全国の武士に評判になりながらも、24歳で北朝の家の母・榮子(20)と結婚し、次の時代を見据えて、自らの意思で「吉岡本家」を出て、「小作」になる決断をした人間です。
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「吉岡一門の頭領」になると、親も兄弟も親族でも口を出せないほど「全ての権限」を持っている人間になりますし、芦別市常磐町の家も土地も全ての財産も小作の土地も全て「頭領の管理下」に入りますし、日本国全ての山も土地も吉岡統領の持ち物になるのに、その全ての権利を捨てて「三反の田んぼと家」を親に借金して「小作」になった人間です。
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それほど、「吉岡一門の頭領の責務」が厳しい理由は、神武天皇の時代から「天皇家に子種」を入れ続けているのが「吉岡家の統領」ですので、南朝や北朝の皇族たちにも顔を出さないといけないし、国の行事があれば必ず、電話か電報が来るし、日本のお金のやりくりの承認を東京の日本銀行まで行って印鑑を押さないといけない立場の人間でした。
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それ以外にも、市役所と警察署と裁判所と消防署と義務教育の学校の責任も「吉岡一門の統領」が握っていたので、毎日のようにいろんな書類が送られてくるし、日本全国の武士たちから「苗字を管理する戸籍登録」の書状が届くので、朝一番に私が郵便受けを見にって、父宛の郵便物は隠しておき、あとで、墨を刷って小筆で返信文を一緒に書いてた小学生時代でしたが、母にも兄にも一切、このことを口にしてはいけないと言われ続けていました。
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その理由は8歳で私が「頭領」になった時に聞きましたが、「最後の吉岡一門の頭領」を自分の代で終わらせようと思っていたからです。
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しかし、私は3歳から木刀や日本刀を毎日朝昼晩の食事の前に3000回振り続けていたので、私が8歳になった1967年に38歳の父が日本刀を2本持ってきて「さあ、これで真剣勝負だ!」と言って睨み合いましたが、しばらく睨み合いのあと、最終的に私が眉間ギリギリに刀を押し付けて私が勝ったため、「俺の代で終われないのか・・・」と、父は一晩中、泣き続けていました。
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真剣勝負の日は、兄(12)が元服したお祝いに母(38)と二人で温泉へ行った日だったので、きっと、私を切り殺して全てを終わらせようと思っていたのだと思いますが、勝ってしまった私に翌朝から「頭領としての引き継ぎ」の大事な書き物を全て見せながら、「1回だけ見せるから全て覚えろ!」と言われ、書物を見て父の説明を聞きながら全てを暗記した翌日に全ての巻物や家紋が入った着物まで全て自分で焼き捨ってしまいました。
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1967年がどういう年だったか日本の出来事をこちらからご確認下さい。内閣総理大臣:佐藤栄作(自由民主党)https://ja.wikipedia.org/wiki/1967%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC
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1967年当時は、国や北海道や芦別市役所の行政ごとも、全て「父の許可の印鑑」がないとダメな時代でしたので、いろんな書類の束が送られてきましたが、「こんな雑務は次男坊の仕事だ」といつも兄には見せず、私が手伝ってハンコを押しました。
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私の兄は、1955年生まれで4歳離れているので、兄の子供の頃は食べ物もなく厳しい小作農家の手伝いをしたのが辛かったようで、「農家は絶対に継がない!」と言ったのに、父は「俺も子供の頃は同じだったが、年を食えば考え方も変わるものだから、いづれやってくれると信じている!」と言い続けていましたが、父が亡くなる前の正月(2012年1月6日永眠)に、兄が「俺は農家は絶対に継がないからな!」と言ったので、「次男坊の私が継いで誰かに作ってもらってもいいかな?」と言うと、父と兄は了承してくれたので、いづれ私は芦別地常磐町の田んぼを引き継ごうと思っています。
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父は「小作」になっても「日本人の子供たちの健康」を考えていた人だからこそ、私が30歳(1989年)の時から「内緒で国の仕事を手伝っているんだ」と父に教えると、61歳の父は、「前統領として俺も自分にできることをやる!」と決断して、「冬の出稼ぎに本州に行く!」と母に嘘を言って中国へ船で行き、日本にお米を伝えてくれた「中国の雲南省」までバスを乗り継いで行き、中国政府が農薬を送ってきている現状を確認してから「中国に来ているが、あまりに状況がひどいので春までには戻れないと母さんに伝えておいてくれ!」と私に電話をくれました。
母は泣きながらたった一人で馬を使って田んぼを耕したり、耕運機で深く掘ったりと辛い春の仕事をしていたので、私もなるべく実家に戻り母の仕事を手伝いに行きました。
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父は、中国雲南省の若者たちに「無農薬農業の指導」をして自立農業ができるように3年間も通い続けてくれた人間ですし、大東亜戦争が始まる前まで「中国は日本領土」だったので、年配者は誰でも日本語が話せたので言葉の苦労はしなかったが、鍬(くわ)や鎌(かま)やスコップがないので土の中の鉄分を集めて溶かして農具を作るまでが大変だったとあとで父が教えてくれました。
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中国まで行く旅費や滞在費や飲食代の全てのお金は、吉岡本家の祖母の「吉岡あや婆ちゃん」に「借金」して行ったそうですが、「吉岡一門は親子でも借金禁止」でしたが、さすが、吉岡あやばあちゃんは子供を厳しく育ててくれる心が強い人でした。
しかし、そんな「あや婆ちゃん」でも父の兄である本家の叔父は四男なのに名義上の「長男扱い」だったため、いつも農家の仕事を手伝わず、好き勝手に酒と女と博打に明け暮れていたし、「最後の頭領」の私がもらうはずの「本家の家と土地の権利書」を盗んで勝手に売り払ってしまったので国宝級の神社かと思うほどの大きな吉岡家のお屋敷は解体して全て無くなりました。
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1990年当時の中国は「旅行者」ならまだしも、日本人が勝手に中国へ行って「農業指導」をやって見つかると、必ず、誰かに撃ち殺される時代だったし、中国政府とは逆の「無農薬農業」をやれば、中国政府が雲南省の人たちと父を殺す可能性があると思ったので、毎日、祈るばかりでした。
しかし、外務省の仕事で国の仕事を最初に手伝った仕事が「中国との国交回復」だったし、「中国の鄧小平主席」が胸につけていた「中国共産党党首のバッチ」をご本人から頂いたので、父の身の安全のことを自分から鄧小平主席に電話してお願いしました。
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吉岡)先日は中国に食料が不足していると聞いていたので日本の余っているお米と野菜を送らせて頂きましたが、アメリカからの「食品の輸入条件」に農薬を一緒に買ってばら撒くことに決まっていると聞きましたが、日本にコメ農業を伝えてくれた「雲南省」には、今、私の父が雲南省で無農薬農業を自費で指導しているので、中国政府とトラブルが起きないように「雲南省」だけは農薬を使わせない農業をどうか、お許し下さい。
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鄧小平主席)「吉岡さん、大丈夫だよ。私の命にかけてもお父さんも守るし、雲南省の無農薬農業も守るから安心して下さい。」と1発でOKをくれました。
北海道に戻ってきた父は、「急に中国軍の兵士が数名やってきたので俺を撃ち殺しにきたのかと思って覚悟していると、そうじゃなくて、鄧小平主席の命令で俺の命を守れ!と指示が出たそうだが、お前の差し金だろ?」
と私がプレゼントした携帯で中国から電話をくれましたので、今も中国全土で「雲南省」だけは「無農薬農業」が盛んで、YOUTUBEでも公開されている動画は父が自分で写した動画を私が中国担当の外務省官僚に頼んで、「新華社(新華社通信)」にお願いしてくれてYOUTUBEにあげたものです。
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新華社(新華社通信)は、中国の国営通信社でありグローバルな影響力を持つ世界的な通信社で、 1931年に設立、北京に本社を置いています。2019年1月、IOC(International Olympic Committee)は、AP通信、ロイター通信、AFP通信に続く、 4社目の国際通信社に新華社を公認しました。新華社東京支局は1964年に設立され、2018年から日本語ニュースサービスが始まりました。 Xinhua Japaneseは政治、経済、社会、スポーツ、文化・伝統、観光・遺産、自然、科学・ITに関する中国のコンテンツだけでなく、日本や朝鮮など各国との交流、世界のニュースに関するビデオを提供しています
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父は、「中国だからまず最初に、無農薬のお茶を栽培したぞ!」と教えてくれて、美味しい無農薬のお茶を飲ませてくれました。
中国雲南省滞在レポート2015
また、次の年は、中国は「こんにゃく」を作る芋が育つ場所だとわかったので、「こんにゃく」で収入を得ることを教えたそうです。
コンニャク栽培で目指す豊かさ 雲南省富寧県
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半年もの間、中国へ行けば、女もきっとできると思ったので、「中国に父の子供はいないの?」と聞くと、笑顔で笑っていましたが、きっとこのYOUTUBEの男性は、父の子ではないかと思っています。だって、私が買ってあげた毛糸のベストを着ているのだもの・・・(^^)
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親子して「日本の農業の未来」を本気で考えていたので、私は「農林水産省」へ行って、まず、長官に会って、「北海道でコメ農家をしている南朝の吉岡一門の頭領だ!」と伝えると、宮沢喜一首相が農林水産大臣を兼任していたので、すぐに電話してくれてご本人と電話で話すと、
「これから宮澤改造内閣の柱になるテーマを探していたのでちょうどいい!」と言って下さり、農林水産省の次年度予算に、「有機農業を始める農家に補助金を出す法案」を通過してくれましたし、「北海道だけ特別な補助金」もつけてくれました。さすが、優秀な首相の仕事は早いです!!
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国と北海道につけた「有機農業の補助金予算」は、1回こっきりの「単年度予算」ではなく、永遠に続く「永久予算」にしたので、現在も、この「有機農業の補助金」は誰でも使えるようになっていますので本気で「有機農業」を取り組みたい若者にお伝え下さい。
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農林水産省 「有機農業推進総合対策事業の公募について」
https://www.maff.go.jp/j/supply/hozyo/nousan/220222_150_1.html
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しかし問題は、「農協と漁業組合はヤクザにお金が落ちる仕組み」があったので、知り合いを通して神戸最大のヤクザの組長にお願いしてみましたが、
「その収入はヤクザの大事なシノギ(仕事)なので勘弁して下さい」
と言うので、北海道だけでも何とかしたいと思って、北海道全体を占めているヤクザの親分に知人を通してお願いすると、
「農協のボスと、漁業組合長に話をして、それで両方のOKが出れば北海道の組にお金が落ちなくてもいいぞ!」
と言ってくれたので、空知地方の滝川支所の農協のボスと、釧路の漁業組合長に直談判しに行きました。
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空知地方の滝川支所の農協のボスは、お互いに先祖が本州を出て北海道に移住した同士だし、元々の先祖は「吉岡一門の小作」だったので、北海道を愛する気持ちは同じだと盛り上がりましたが、お金を請求しようとしたので「神戸の菱形の名刺」を見せると「俺は何もしないので自分で勝手にやって下さい」と言われました。
これで「承認」されたことになるので、北海道の横道知事と、宮沢喜一首相に直接、報告しに行き、
「問題なく、有機農法の商品は、安全に作れる運びとなりましたので、ご報告致します。」と、「北海道名物のわかさいも」を手土産に持って行くと、「好きなんだよね、これ!」と宮沢喜一首相はとても喜んで下さいました。
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ちなみに、洞爺湖のお土産品の「わかさいも本舗」の若狭健司社長は、「社長会のメンバー」だったので、売上も一定のまま伸びず、廃棄商品も毎日多いので、このままだと息子に会社を譲れないので会社を辞めるしかないと言ったので、現地の洞爺湖の製造工場に行ってみると、たくさん「わかさ芋」が捨てられていた理由が、「社長が防腐剤は入れたくない!」と言っていた真面目な人だったので、私が、「乾燥昆布のワカメを水に戻すと、昆布菌が防腐剤の代わりになるので芋は腐らないですよ!」と教えて実験すると成功したし、「昆布入りが美味しい」と評判になり、売上も利益も一気に130%に伸びました。
若狭健司社長は、昆布で成功すると、もっといろんなアイデアが欲しいと言うので、無償でいろんな新商品開発をしたし、集客イベントも一緒にたくさん企画したし、全国の皆さんがWEBSHOPで買えるサイトも作ったので、「宮沢喜一首相にお礼で持って行く」と言うと、大きな箱で「新商品の詰め合わせセット」を送ってくれましたが、宮沢喜一首相からはこんなお礼の電話がきました。
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「吉岡さん、あんな大きな重たい箱が送られてきたので、たっぷり現金が入っているかと思えば、美味しい「わかさいも」のお饅頭だったので、さすが、吉岡一門の頭領だね。気が利いたお礼をありがとうね!残りのお礼も待ってるからね!」
と喜んでくれましたが、残りのお礼(札束)は無いので送れませんでした。
わかさいも本舗 WEBSHOP https://www.wakasaimo.com/
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北海道中の農協のトップだった空知地方の滝川市の農業組合長にも事後報告をしに行くと、また昼間から酒を飲み始めて仲良くなると、こう言ってくれました。
組合長)俺たちの世代の農家たちに、急に「無農薬」に変えるのは無理だけど、若い息子世代で「無農薬」をやりたい奴らにはやらせるし、農協を通さず、ホクレンでも、ネットショップでも売っていいようにするから安心しろ!さ、吉岡学頭領、日本酒で乾杯だ!
と言われ、真昼間から日本酒をたくさん飲まされましたし、滝川市の大きな会館で農家の親父たちと息子たちの集会に呼ばれて「無農薬農業の必要性を話してくれ!」と言われたので、いかに今の時代の食べ物が体に悪い食品添加物と医療の薬に頼っているかを説明し、今、改善しないとアトピーで苦しむ子供達や子供を産めない夫婦が増えて、500万円もかかる不妊治療を受けないといけなくなるかを熱く語り、そのあと次の世代の子供達と大いに飲みました。
当時は事故さえ起こさなければ北海道警察も問題にしない時代でしたのでフラフラになりながら実家に戻りました。
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北海道の漁業組合長は、「釧路の漁業組合長」だったので、同じような時期にいろいろあって仲良くなった人なので、電話で話しただけで全て了解してくれました。
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まだ、「漁師の息子が100万円持ってやってきた! その1」を読んでいない人は、ぜひ、お読み下さい。とても面白い体験談ですよ!
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このように、北海道という土地に住む人たちは、もともと日本の本州でできなかったことをやるために移住した人たちがたくさんいるので、「北海道民」という言葉に対しての愛着は最高にあるし、「共通言語」と思えるくらい敵も味方もなく「お互いを大事に助け合う心」がある土地が北海道ですので、日本社会党の横路孝弘知事も、北海道で無農薬農業を広めるために協力すると喜んで言ってくれましたが、最終報告をしに行くと、「宮澤喜一首相に話が通っているなら、もう、抜ける金はないなあ・・・」と笑って握手してくれました。
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北海道の「道旗」は、開拓使が使用した北辰旗と、当時着想されていた七稜星 のイメージを現代的に表現したもので、地色の紺色は北の海や空を 意味し、星を囲む白は光輝と風雪を表し、七光星の赤は道民の不屈 のエネルギーを、またその光芒は未来への発展を象徴したものです。
と、北海道のホームページにありますが、実は、この「北辰旗」は吉岡一門の頭領が認めた「北辰一刀流」の旗だったものを私の父が知事に言って、北海道の旗にしたものですので、北朝が後から勝手に書いたものだけを信じるのは間違いだと思って下さい。
▶️「北辰一刀流」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%BE%B0%E4%B8%80%E5%88%80%E6%B5%81
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北海道有機農業推進計画(第4期) ~みどりの北海道 オーガニックアクションプラン~令和4年(2022 年)3月
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/5/5/8/3/9/2/6/_/oapall.pdf
2020年の北海道の耕地面積は約114万3,000haで、全国の農業耕地面積の4分の1近くを占めています。
また、農家1戸あたりの耕地面積は30.2ha(ヘクタール)と、都府県平均の13.7倍となっていますので、北海道が頑張って無農薬農業をやれば、日本国民に安全な食べ物が供給できると信じて頑張りました。
北海道のカロリーベースの食料自給率は、 216% (全国1位)で、 国産供給熱量に占める北海道の割合は約24%を占めます。
また多くの品目の生産量が全国1位となっており、 我が国の食料の安定供給に大きく貢献しています。
「農業経営体数(個人事業主)」は年々減少し、令和3年は約3万4千経営体と減っていますので、本気でやる気がある人たちは、北海道に移住して無農薬農業を広めて下さい。北海道中、農業をやる移住者をとても大事にして補助金も家も提供しています。
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田舎の人は、大学や就職で都会を目指す若者たちが多いですが、「都道府県別食物自給率」を見れば、大地震や流通がストップした時に全く食べ物がなく、奪い合いになるのが都会ですので、もう都会を目指すのはやめて、自分たちらしく田舎で楽しくて収益が出る「無農薬農業」をやって下さい。
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世界のお金持ちのVIPたちは、わざわざ「日本の無農薬食品」を探してネットショップで買っているのに、アホな貧乏人の日本人だけが化学肥料や農薬を使った食品を食べ続けているし、無知な親が自分の子供達に「食品添加物という毒」がたっぷり入ったお菓子や食べ物を食べさせているので、アジアの有色人種たちにも笑われていることを自覚して改善して下さい。
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本州の皆さんは、北海道の生産者たちが「都会に食べ物を送ることをやめる」とどうなるかを都会の人たちは特に考えた生き方に変えて下さい。
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ちなみに、30年以上前に、北海道の農協のトップと、漁業組合のトップたちと決めたことは、
最高に美味しい大きくて厚みのある開きホッケや脂が乗ったシャケや美味しい魚は、「東京の築地」や「大阪の大阪木津卸売市場」には絶対に卸さない!
と決めて北海道中の漁業組合長に通達文を出していますので、食べたい人は北海道へ来て食べて下さい。
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丹精込めて作った無農薬のお米や無農薬の野菜も本州には送らない」と決めて北海道中に通達文を出しています。
もし、安全な食べ物を手に入れたい人は、北海道の農家のネットショップを探して直接、購入して下さい。
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間違ってはいけないのは、北海道でもまだ4軒に1軒くらいしか、無農薬のお米や野菜を作っていないので、手にいれたい人は「北海道」というブランドだけ信じるではなく、生産者の顔が出ていて、減農薬とか無農薬と表示が出ているショップでお求め下さい。
Amazonや楽天では、手に入らないと思いますよ。
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味も匂いもわからず、音も記憶も鮮明でない人たちは、全員が、「食品添加物を食べすぎた結果」ですし、必ず、「若年生老人症」になり早死にすることが決まっていますので、まともな親なら無駄な洋服やブランドバックを買い続けることをやめて、子供や孫たちが次の子供を産めるように安全な食事から支えてあげて下さい。以上