【財務省】安倍晋三総理を殺したのは財務省の鈴木友康です!
私が極秘で安倍晋三総理の「裏番頭」をするようになった最初のキッカケは、安倍晋三総理のお父さんの「安倍晋太郎さん」が、1977年11月に「内閣官房長官」に就任されて防衛省を慰問にきた時に、偶然、私が防衛省のコンピュータールームでパソコンの中身を入れ替える作業をしていた時でした。
当時の防衛省の栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)が、安倍晋太郎内閣官房長官を対応していましたが、予定にないのに、突然、「最新設備のコンピューターを見たい」と安倍晋太郎内閣官房長官が言い出したのでやむなく私が対応することになりました。
事前に、「今日は安倍晋太郎内閣官房長官が新任の挨拶で視察にこられるので隠れていて下さい。」と言われたのですが、狭いコンピュータールームなので、ドアの後ろに立っていたので見つかってしまいました。
1977年(昭和52年)11月 – 安倍晋太郎内閣官房長官に就任( – 1978年12月)
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「安倍晋太郎内閣官房長官」は、18歳の若い私を見て、「外人とのハーフにも見える君はどういう素性の人で、どうしてここで作業をしているのが言いなさい!」と声を荒げたので、栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)の許可を得て、「防衛省の極秘プロジェクト」の内容をお話ししました。
「安倍晋太郎内閣官房長官」は私の話を目線を外さず、しっかり目を見ながら最後まで人の話を聞く人だったので、この人は「心がまっすぐな人」だとすぐにわかりました。
人と会話をしている時に「目線を外す人」はやましいことをしている人か、それとも相手を利用しようとしている人なので、すぐにわかりますのでご注意下さい。
コンピューターの話を説明していたのに、私自身のことが気になったのか、
「どうして吉岡さんは北海道から岡山県まで出てきたのかね?」
と優しく聞かれたので、仕方なく、「吉岡一門」が明治時代に富山県から北海道芦別市常磐町に移住した理由と、「自分が最後の武士の吉岡一門の頭領」であることをお話ししました。すると目が変わり、
「吉岡さん、今度、一緒に食事をさせてもらえないかな?
私の嫁の父親の「岸信介」は、大東亜戦争の時に「アジアの植民地解放」に走り回ったのに、最後はアメリカにやられてしまったのでとても悔しい思いをしているんだ。
弟の「佐藤栄作」も同じ思いだったので、最後まで悔し涙を流していたんだ。
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それまでの日清戦争も、日露戦争も、第一次大戦も「日本の武士が一人いれば10人以上相手を斬り殺す」ので全て戦争には勝ったのに、「大東亜戦争」だけはなぜ負けたのか、私は納得がいかないんだ。
もし、そこのところを吉岡一門のご先祖から聞いていたら、詳しく教えてもらえないだろうか?
吉岡)はい、全て前頭領の父から詳しく聞いております。
大東亜戦争は「北朝の昭和天皇」が日本を裏切ってアメリカに軍事情報を流したので、「事前にアメリカにハワイの真珠湾を攻めるので貿易封鎖は解除しなさい」と電報を打ったのに、「そんなFAXは届いていない」とアメリカは嘘を言い、日本にハワイの真珠湾を攻撃させたことが「開戦のキッカケ」となったので、私の父は本当に頭に来て「昭和天皇だけは許せない!」といつも怒っておりました。
大東亜戦争では、父の兄も一人、「沖縄戦」で命を落としておりますし、私の母の父親は第一次大戦と大東亜戦争に二度、出兵して片足を取られた「傷痍軍人の岩渕安治陸軍中佐」ですが、祖父の兄弟も二人戦争で命を落としております。
ですので、私は日本国を守るための防衛省の仕事を無償で働かせてもらっていますが、岡山理科大学の学生の身分で「防衛省のコンピューターの責任者」になったことを面白くない人たちが多かったので、やむなく能力のない人たちを全て配置転換してもらいました。
一応、栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)の許可は頂いておりますが、私に「陸将補」の資格を与えたのは栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)ですので、もし、問題があれば私の資格を取り消して首にして下さい。私はそれでも結構ですし、守秘義務は守ります。
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栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)と安倍晋太郎官房長官が二人で話し合い、
「吉岡学さんは絶対に日本国に必要な人材なので許可をお願いします!」と栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)が何度も頭を下げたので、安倍晋太郎官房長官も「私の資格」を認めてくれました。
防衛省の統合幕僚議長の任命は「天皇陛下」から下されるものだし、「首相」も同じく「天皇陛下」が任命する役職なので、安倍晋太郎官房長官は笑いながら、
「第67代福田赳夫総理にでも聞いてみるか?」と言ったあと、
「あの人は物事を正しく判断できない人なので無理だから、官房長官の私が認めたら誰も文句は言えないので、吉岡学さん、どうか、国防のためにお力をお貸し下さい。」と頭を下げられたので恐縮しました。
そこでお二人に「お二人は北朝ですか?南朝ですか?」と質問させてもらったのですが、安倍晋太郎官房長官の出身は「北朝の東京都」ですし、岸信介首相も「裏切り者の山口県の長州藩」だったので、「吉岡一門の頭領命令に逆らって徳川幕府を倒した藩」だから悩みました。
「薩長連合」で手を組んだ「薩摩藩」も、もともとは「南朝」だったのに「土佐藩を脱藩した坂本龍馬」の口車に乗せられて「長州藩」と組んで江戸幕府を無血開城に導きましたが、どちらの藩も「吉岡一門に対しては義理を欠いてる藩」でしたので、一緒に食事をするべきかどうかを悩みました。
栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)の出身は神奈川県横浜市で「北朝」ですので、その日の食事のお誘いは「今日は忙しいので次回にお願いします」とお断りしました。
岡山県のアパートに戻ってから北海道にいる私の父に事情を説明して電話で聞いてみると、こう言われました。
父:「吉岡一門」はもともと「天皇家を裏から支える約束」はしているが、「表の世界」を動かしているのは「政治家と官僚たち」だから、お前が「吉岡一門の最後の頭領」として自分で判断しなさい。
「天皇家の揉め事」のせいで「北朝と南朝」に武士は分かれたが、「日本中の武士は全て吉岡一門の武士」なので、昔の頭領が北朝と南朝に均等に分けて、「両方の天皇家に知恵を授けて支えてあげなさい。そして、絶対に武士同士は殺しあうなよ!」と通達文を出したのに、それを裏切った人間たちに会うか会わないかはお前が自分で決めなさい。
それでもし、お前が殺されても俺は悲しまないからな!!!
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さすが、「前頭領の言葉」は重くのしかかりました。
芦別高校の卒業式の日でさえ、芦別市常磐町の実家で待ち構えたいた「北朝の残党」たちが私を仕留めて有名になりたいと「日本刀を持って勝負!」と挑んできたので、仕方なく12名全員を一人で切り殺し、山に埋めて第三国人の餌にしましたので、「また、人を切ることになるのか?」と迷うのは当然です。
岡山理科大学の入学式には父が参列してくれましたが、父が帰った翌日、父が連絡をしたようで「日本中の武士のトップの吉岡八人衆」のうちの5名が日本刀を持って下宿先までやって来ました。
「北海道だけは私が日本刀を持っていて警察に見つかっても誰も文句を言わないほど有名」でしたが、岡山県の下宿先に「日本刀」を隠せる場所もないのでいらないと断りましたし、岡山県の警察と揉めたくないので、そっと、大きなカッターを2つを買ってカバンに入れてから、安倍晋太郎官房長官と栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)の3人で東京の帝国ホテルで食事をしたことがあります。
安倍晋太郎官房長官は、人としては信用できるタイプの人ですが、「政治家と官僚だけは信用するな!」と父にも言われていたので、安倍晋太郎官房長官の言葉を聞き流していると、本気で頭を下げてこう言われました。
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吉岡学さん、きっと、俺はガンか何かの病気だと思うので、これだけはお願いしたい。
俺の息子の「安倍晋三」は、今、政治家になるための勉強をしているが、いつかは総理大臣にしてやりたいのだが、それまで私は生きていない気がする。
今、吉岡さんと話していてもやはり「裏切り者の北朝の人間の言葉は信用できない」と目が語っているので、これだけは何とかお願いしたい。
どうか、安倍晋三が政治で困った時は「吉岡一門頭領」の力をぜひ、お貸し願いたい。
これは、私だけでなく、義父の岸信介からもお願いいたします。
と、椅子からを降りて「絨毯に土下座」したので、言葉を飲みました。
一国を預かる「官房長官」が、18歳の私に土下座する意味はわかるからこそ、言葉を返すのはやめました。
隣にいた栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)も一緒に土下座したので、もう、従業員も周りのお客様たちも驚きの顔をしていましたが、
「私が口にする言葉には吉岡一門頭領のご先祖たちと日本中の武士の思いが乗っている」ので、話したくても口が開かなかったというのが真実です。
しばらく待っても立派な大人の二人が土下座したまま頭を上げないので、この言葉だけ言おうと思うと口は開きました。
これ以上、ここで土下座していると周りに迷惑なので、どうか、体を起こして立ち上がって下さい。
もし、そうしないのであれば、私が持ってきた太いカッターナイフでお二人の首を切り落とします。だから、すぐにお立ち下さい。
お二人が立ち上がったので一礼し他ので、「もう、私は失礼します」とだけ言って食事会場を出て岡山県に戻りました。
最後に安倍晋太郎官房長官に会えたのは、14年後の病院でした。
1991年10月からダイエー労働組合の仕事をしながら「外務省」と「防衛省の仕事」を手伝うようになったので、栗栖弘臣統合幕僚議長(陸将)からダイエーのお店に電話があり、
「もう二度と安倍晋太郎さんには会えないと思うので、ぜひ、病院へ行ってあげてご先祖の罪を許してあげて下さい。」と頼まれたからです。
ご家族だけの病室に入れてもらい、安倍晋太郎さんの手を握り、「過去の全てを許します」と言ったあと、安らかな顔になり息を引き取られました。
その場には息子の安倍晋三さんもいましたが、「葬儀には行けないと思うのでご家族で丁寧に弔ってあげて下さい」と軽い挨拶だけで病院をあとにしました。
1991年(平成3年)5月15日 – 安倍晋太郎官房長官死去
同年7月8日、安倍晋三は地元後援会拡大会長会議で、晋太郎の跡を継ぎ次期衆院選に立候補することを表明したあとに私に電話してきました。
「父の代わりですが、よろしくお願いします」とだけ言ってきたので、
「首相を目指せるようになったら、また、私を探して電話下さい。」とだけ言って電話を切りました。
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綺麗事では「首相」になれない世界なので、どこまで汚い政治の世界で生き残るかを官僚の仕事をしながら陰ながら見ていたし、「一度辞めた人間が二度も首相になれた人はいない」ので、私との安倍晋三さんとの思いを一番よく知っているのは「麻生太郎元総理」ですが、「お互いに知らないことにしておきましょう」と決めたのでもう会うことはないと思います。
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誰が「安倍晋三首相の暗殺命令」を出したのかというと、「財務省の小指チンチン鈴木友康」です。
安倍晋三総理の祖父にあたる「岸信介元首相の意思」を受け継ぐために、私が通い続けて太い信頼を作った「インドと大東亜連合」との繋がりを太くするために「裏」で動いてくれた安倍晋三首相を暗殺するために、鈴木友康は韓国の「洗脳集団」に依頼して実行犯を洗脳させて、周りにいた「警護のSP」にも金を渡して安倍晋三首相から離れたタイミングを見れば、「単独犯ではできない計画」だとすぐにわかります。
私は「首相のSPの部屋」にも入れてもらい「全ての警護マニュアル」を教えてもらった人間ですので、「首相のSP」の警護基準は「必ず四方に4名立ち、30cm以内で守る人の体に触れていることが最低の条件」ですので写真を見るだけで、SP全員が離れているので誰かが金を渡した計画的犯行だとわかります。
警察も裁判官もマスコミも「お金」をばら撒けばいくらでも言うことを聞く人間はいますので、これが今の日本の現状ですので、どうか、「財務省の小指チンチン鈴木友康」を見つけた人はすぐに警察に報告して下さい。
鈴木友康は、「公務員」でありながら「1993年から自分で会社を起こしています」ので、「公務員法違反」を永年続けていますし、売っている「盗聴傍受妨害技術」は私がプロたちに開発させて特許登録したものを名前を書き換えて盗んだものですので、いくらでも逮捕できる罪を持っていますので、かくまっている人も「殺人教唆」で捕まり同罪になりますので、鈴木友康を見つけ次第警察に通報して捜査協力をお願いします。
鈴木友康が社長の盗聴傍受機器の販売「ぷらっとホーム株式会社」
https://www.plathome.co.jp/message/
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これが、日本を動かしている官僚の実態です。鈴木友康以外の官僚も課長も長官も、すべてこのことを知りながら放置している理由は鈴木友康からお金をもらっているからです。
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私は3歳から毎日、朝昼晩1000回重い木刀を振り回し8歳で父に勝ったあとは、勝負を挑みにきた「北朝の武士たち」をたくさん斬り殺したので、ヒットマンやスパイを送り込むのはもう辞めて下さい。
国に仕事に関わるようになってからいろんな政党の政治家や、ダイエーの中内◯や、いろんなヤクザたちが「ヒットマン」を使って私を殺しにきましたし、自衛隊の退職者や現役警察官にも何度も命を狙われましたが、今、私や私の周りの人たちに手出しした人は、必ず、私を護衛している数百名の人たちに殺されますので手を出さないようにお願いします。
今まで私から刃物を向けたり拳銃で撃ったことは一度もありませんが、相手が攻撃してきた場合は遠慮なく相手を殺すまで必ずやり切る人間ですので、もう余計な手出しはおやめ下さい。
今まで他人事で生きてきた「日本国民の命の期限」はとっくに決まっていますので、問題が起きた時にどう対応するかは「個人の責任」ですので、私は皆さんに向けてとやかくは言いません。
皆さんは、どうせ世の中で起きたことを「他人事」と捉えているので、「かわいそうね」とか、「大変だわね」と口にはしますが、「何ひとつ、今の生活を変えようとはしない国民」なので、どうぞ、自分で選んだ責任は自分でとって下さい。
それでも私は「日本国と天皇を守り続けた吉岡一門の最後の頭領」なので、最後までこの日本を守ることになると思って覚悟していますが、地位も名誉もお金も望んだことは一度もありません。
だから、30歳の時から始めた「一部上場企業の社長会」のメンバーには、こうお願いしました。
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一部上場企業の社長会の最後の1500回で話した内容
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自分の子供にお金や資産を残したい成功した皆さんが持っている多額のお金や資産を「タダ」で息子や娘に渡すと、子供たちはろくなことに使わないので、ぜひ、そこまでお金を稼ぐためにどんな努力をしてきたかを学ばせるためにも、自分の息子や娘が大学を出たら、「社長会のメンバーの他の会社で社員として研修」させてサラリーマンの厳しさを徹底的に教えてあげて下さい。
そうしないと、必ず、30年後にインフレとバブルを起こされて日本経済をボロボロにする「マーゴおばちゃん」という日本女性が世界のお金を牛耳っているので、皆さんが子供たちに残したいお金や資産は一瞬でなくなることを覚悟して下さい。
さらに、30年後に起きると予想される「大地震と戦争が同時に起きたあとの対策」を想定して、私は防衛省の特別統合幕僚長としてできる準備はしたので、あとは生き残った国民に対して「新しい仕組み」を実行に移すだけだと思っていますが、「莫大な資金」が必要なのでご理解頂ける人たちは、どうか、大事な息子や娘に苦労させてあげて下さい。
「私の父も母も、苦労は買ってでもしろ!!」と子供の頃から教わったので、こうして皆さんの愚痴や不満にアドバイスしてきましたが、今日は「1500回の最後の日」なので、私の名前とやったことだけ忘れるために、この「記憶を消す薬」を飲んで下さい。
それが日本を守るためだし、自分の子供たちが日本を守るためにもなるので、最後の吉岡学のお願いですので、どうか聞き届けて一緒にこの薬を飲んで下さい。
今までこんな口が悪い私についてきて下さり、本当に、ありがとうございます。
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(45度の礼)
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「社長会」に来られたすべての社長たちを集めた最後の日に、私が言った言葉を聞いた社長たちは涙を流しながら「記憶を消す薬」を飲んでくれて、「吉岡学という人間は存在しなかったので、吉岡学という名前は忘れるぞ!」と最後に全員が飲んでくれました。
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私も日本国を守るためにいろんな「国防対策」をしたので、自白剤でも話さないように自分も薬を飲んで、ダイエーも辞めて自営業になり、何とかここまでやってこれました。
今まで本当にありがとうございます。