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【外務省】インドのナレンドラ・モディ首相に教えた「無農薬農業」

1989年10月の30歳の時に「外務省の官僚」の仕事でインドや大東亜連合諸国に通い続けた理由は、アジアの植民地開放のために一緒に戦った日清戦争・日露戦争・第一次大戦の仲間である「環太平洋大東亜連合」とは「外務省の人間は誰も交渉できない」と全員が言ったので私がやることに決めました。

 

その理由は、大東亜戦争(第二次大戦)に、「昭和天皇がマーゴのWarGame(戦争ゲーム)」に参加していたことを知っていたし、事前に日本軍が送った電報や電話を受信していないとアメリカが嘘をつき、「日本軍に真珠湾を攻撃させた」ことを外務省の官僚たちは知っていたからです。

 

その先頭に立ったのは、「吉岡一門の頭領の命令」に逆らって「南朝」を裏切り「北朝」と手を組んだ「長州藩」だと言うことも知っていました。

呆れてモノが言えないほど頭に来ましたが、中国と韓国とインドの国交を一人で復活させて和親条約を結んだ実績を持っていたので、そのあとの「外務省官僚」たちは私の言いなりでした。

 

最初の頃は、インドは「イギリス支配」が強く残っていたので手足を奪われていて発展することができなかった理由が、イギリスにとってインドは食べ物を作らせるためと「欲しい鉱物」を採掘させるだけの「植民地」として扱っていることがわかりました。

 

ですので、「インドのナレンドラ・モディ首相」に何が必要かを聞いた時、「中国製のすぐ壊れる自動車ではなく日本車が欲しいです」と言ったので、「社長会」でアドバイスして大幅な損失を消したお礼に、無償で「日産自動車のリコールトラック」を修理して150台をでインドへ船で運んでくれることになりました。

「ガソリン」も必要なので日本領土であるイラン国の国王に私が電話して、イランから直接、インドのムンバイ港へ無償で「ガソリン」を送り届けてくれました。

「イラン」は、第一次大戦まで「日本領土」だったし、つまり、「吉岡一門の領土」なので、私が電話するとイラン国王が電話に出て日本語で、「今のイランがあるのは吉岡一門のおかげなので、ほんの少しですがタンカーにガソリンをいっぱい積んでインドまで送りますのでご安心下さい」と言ってくれたのでさすが「ご先祖の徳」はこうやって助けてくれるモノだと手を合わせました。

 

・・・・・・・

日産のダットサントラックとイランのガソリンがインドへ着いたとモディ首相がお礼の電話のあと、「車が壊れた時に修理する会社があると嬉しいです」と言ったので、SUZUKI自動車の「鈴木修社長」に電話して「鈴木自動車の修理工場をインドに作る許可を出すし、同時に庶民が乗れる安い車も作って売る製造販売の許可も出すので頑張って下さい」と私が連絡したおかげで、SUZUKI自動車は一気にインドでNO1のシェアと売上も利益も出したのに鈴木社長は一切、私にお礼はありませんでした。

 

さすが、第三国人出身の嘘つきな「鈴木一族」です。

従業員にもケチで有名で評判が悪い「鈴木修社長」

 

さらにモディ首相に「他に要望はありますか?」と聞いてみると、「インドが自立できるコツを教えて欲しい」と言われたので、「イギリスにわからないように体に良い農業を始めてインドの食物自給率を上げましょう!」と提案して私が農業指導をすることになりました。

「ナレンドラ・モディ首相」は私より9歳年上ですが、インドで最も古い国王でもあるので、インドの全てを支配できる力と財力を持っていますが、全ての資産をイギリス政府が抑えているので「自由貿易」はできない状態でした。

お金も力もあるのにアメリカの言いなりになっている日本の政治家や官僚たちと同じだと思い、必死に考えた結果、自分が協力できることだからこそ、

インドで「無農薬農業」を始めることにしたのです。

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私の父は「武士の吉岡一門の頭領」なのに、自ら「小作」になって小さい田んぼで「無農薬農業」を始めた第一人者ですので、北海道では「無農薬農業の父」と呼ばれた人ですので、父親に相談してみました。

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(父親との対話)

インドに、「無農薬農業でコメ」を作りたいってか?

でも、インドは「赤土」じゃないのか?

「赤土」には栄養がある微生物はいないので、いい野菜はできないし、お米は絶対にできないぞ!

畑なら何とかできると思うので、お前も子供の頃に手伝わせて作った「堆肥」をまず作りなさい。

「堆肥」を発酵させて「微生物」を増やしてから、その微生物で畑の野菜を作り、残った野菜の葉や根っこをまた「堆肥」に入れる作業を繰り返せば、赤土も黒くなる微生物ができるので、やってみろ!

 

じゃあ、「黒土」があればお米はできるわけ?

 

「コメ農業」はな、そんなに簡単じゃないさ。

「黒土」の中にいる微生物の数と種類がわかれば、どんな肥料を加えればいいかわかるので、インドから「山にある黒土」を送ってもらいなさい。

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すぐに、インド北部の山側にある「黒土」と山から湧き出ている水を汲んで、北海道芦別市常磐町の実家に送って調べてもらいました。

父の知り合いには、「北大の微生物研究者」もいるし、「北海道農業試験場」にもたくさん研究者の知り合いがいるので、すぐに調べてくれて、データと共に父からアドバイスの電話が来ました。

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おい、この「黒土」は使えるぞ!

ただな、ちょっと足りない微生物があるので、「動物性の微生物」を加えなさい。

お前の小学生の頃に作らせた「堆肥」の作り方を覚えているか?

あの「堆肥」の手順の通りに作って堆肥を赤土に巻けば、コメもできる土になるぞ!頑張れよ!

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父親の知恵と経験に、心から感謝した瞬間でした。

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翌月、インドへ一人で行き、山側の黒土の現場に入ると水捌けが悪くぬかるんでいた土地だったので、まずは、「土の中の水を抜く方法」を考えました。

傾斜地だからこそできたことですが、山側の柔らかい土に太い竹の中を突っ込んでから「竹のフシ」に固い鉄の棒を突っ込んで穴を開けると水が流れる「口」ができます。

その太い竹を何本もぬかるんだ山の土に「ダリットの子供たち」とその親たちと一緒にみんなで打ち込むと、チョロチョロと水が流れてきました。

インドで「ダリット」という階級は「食用人種」と呼ばれていて、最も低俗な人間として家畜同様に扱われて、ガンジス川のすぐそばにたくさん裸で住んでいますが、王族たちは定期的にダリットの子供たちを食べるので、王族の家のそばには「食用のダリットが住む穴」があったので、その子供たちと親に畑作業を手伝ってもらいました。

「ダリット」とは、近年「不可触民」のかわりに自称したりその支持者たちによって普及するようになった言葉で、「壊されし者たち」あるいは「抑圧されし人々」という意味である。

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山の水が「竹」を伝って出てきたので、その水を口に含んでみると「飲めるレベル」だったので、小学生の教科書に載っていた「不純物を取り除く方法」を実際にやってみて、「汚れた水を濾過する装置」を手作りし、「ダリットたちの飲料水」にしました。この装置は「小学生の理科の教科書」に出ている実験なので常識です。

 

山の表面にあるの水分がどんどん出てくると水量が落ちたので、「山の中の土地の水も抜くぞ!」と全員でどんどん竹を突っ込んで水捌けをよくすると、その「水を飲みたい」という子供達が噂を広めてあちこちの「ダリットの子供達」が集まってきました。

もともとは死体を捨てたり、着るものを選択するガンジス川の水を飲んでいた子供たちなので、汚れていない透明な水を最初は怖がっていましたが、勇気がある子供が一口飲んでうまい!と叫ぶと、自分の親たちにも教えたおかげでたくさんの親子が集まりました。

ぬかるんだ土地の水を乾かす手振りを必死にして理解してもらい、山の土を掘り起こすクワもスコップもなかったので、折れた木の枝を上手にカッターで削ってクワにしたり、曲がった木をスコップにして大人たちに湿った土を「あぜ道」にする作業をしてもらいました。

最初、インドの山には「人間を襲う動物もたくさんいる」と言われていたので誰も近づきませんでしたが、私が「山の動物たち」に向けて祈りをしてから、「狼の遠吠え」をすると「狼の種族と同じ動物」の声が聞こえたので、山の全ての動物たちは一切、人間を襲わなくなりました。

その代わり、「山の動物たちの食べ物」が必要なので、モディ首相の家で調理した野菜の残りや、野菜の屑や果物の皮をたくさん山側にお供えして、子供達にも「祈り」を教えたので、私がいない時でも農作業をする親子が襲われることは一度もありませんでした。

やっと、水が引いた土が出てきたので、山から少し離れた黒土の場所に「田んぼ」を作り、その下に飲める「水場」も作り、またその下に「田んぼ」を作り、飲める「水場」を順番に作ると周りの村人たちは自分で田んぼの横に土を盛り上げて器用に「住める家」を土で作り始めました

本来、「ダリット」は土に穴を掘って家族で住んでいますので、自分が見たものを器用に土だけで家を作る姿を見ていると、「同じ人間だ」とつくづく思いましたが、モディ首相には内緒でやっていたので見つからないことだけ祈りましたが、収穫した食べ物が美味しいと喜んでくれたので現場を見せて驚きながらも許してくれました。

インドの北側は気温が高いし乾燥しているのですぐに土が乾燥して「家」になりましたし、子供たちは飲める「安全な水」がいつもあることを「ダリットたちの家族」にとても喜んで感謝され、私を「神様」として崇めてくれて祈りのための「土の礼拝堂」も作ってくれていたので感動しました。

日本の祠(ほこら)と同じだと思い、「貧富の差に関係なく、感謝の心を教えると、人間が考えることは同じだ」と実感した体験でした。

 

問題は、「堆肥作り」でした。

「堆肥」をつくりるには、どうしても「牛のフン」が必要ですが、インドで信仰されているヒンズー教は、農耕作業の大切な働き手である牛を「神の使い」として神格化し崇拝していますし、 もちろん牛肉を食べることは絶対にタブーでした。

「牛を傷つけるぐらいなら自分が餓死したほうがまし」というほどの人たちばかりなので、「牛のフン」を手に入れるのが問題でした。

そこでナレンドラ・モディ首相に電話して、「牛は食べないし傷つけないから糞だけ貰って良いと命令を出して下さい!」とお願いすると、翌朝、村長に電話してくれました。

牛の神様は、フンについては問題ないと申しておる。だから、日本から来た吉岡学さんに「牛のフン」を提供しなさい。

このモディ国王のたった一言のおかげで、あちこちの牛のフンが集まり、素晴らしい堆肥があちこちにできました。ブタのフンも、ニワトリのフンも、人間の糞尿も全て同じ場所で管理をして、堆肥の上にばら撒いて乾かしながら水をかけると「発酵」が始まりました。

「自然界の菌」と「動物の菌」は違う微生物なので、この二つを合わせると「自然発酵」が始まり、冬でも暖かい場所になったので、田んぼの横に住んでいる人たちの暖房にもなりました。

インドの山側は全て、ナレンドラ・モディ首相の持ち物なので誰も入ることはないし、「イギリスの管理外地」だったので、そこで北海道のお米の種籾(たねもみ)や北海道の野菜の種を持って行って植えると、気温が高いのでどんどん成長して食べられるものがたくさんできました。

日本より面積あたりの収穫量は少ないですが、年に3回も4回も作れる気温なので、一気に美味しい無償薬のお米と野菜が作れるようになりました。

モディ国王の許しを得て、「ダリット」の上の階級の「ヴァイシャ(庶民)」も労働者に加えたので、「労働した人には収穫の1割」を渡し、残りの9割の食べ物はインドのカースト制度のトップの「バラモン(司祭)」と「クシャトリア(王侯・貴族)」の人たちに配ると大喜びされましたが、作ったのが「ヴァイシャ(庶民)とダリット」だとは内緒にしておきました。

●バラモン(司祭)
●クシャトリア(王侯・貴族)
●ヴァイシャ(庶民)
●シュードラ(隷属民)

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「カースト制度」という慣習を改善するには勇気が必要でしたが、ナレンドラ・モディ首相のおかげで一気に上流階級の人たちとも「無農薬の食べ物」を通して仲良くなり、私にもクシャトリア(王侯・貴族)の上流階級の称号をもらい、同時に、バラモン(司祭)の称号ももらいました。

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インド北部に、お米と野菜を広げた日本人として「土の教会」が建てられていたので、庶民たちは私を「日本から来た神様」だと手を合わせるようになり、照れました。

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この成功談を「環太平洋大東亜連合」の国王たちに自慢したナレンドラ・モディ首相のせいで、アジア諸国の多くの国に「農業指導」をしに行くことになり、「日本の無農薬農業のやり方」を教えながら健康に良い食べ物を食べると「病気が治り健康になる」という体験談が広がったので、イギリスが強制的に送ってきた医薬品を使わずに済んだし、昔から信じられていた「怪しい呪いの宗教」も広まらなくなりました。

インドのモディ国王は、私が行くたびにお礼の意味で「新しい妻だから抱いてくれ!」と、女性を提供して子供を作らせるので、「インド国内」だけでもクラスひとつ分の30人前後の子供達が生まれました。

数年後には、自分の子供だけで学校ができるくらいになりましたので、日本中の古くて余った義務教育の教科書を送ってもらい、インドや大東亜連合に送ったので、大東亜戦争前の日本教育をしてくれる親たちもたくさん増えました。

その結果、インドの最高ランクのバラモン(司祭)とクシャトリア(王侯・貴族)の資格を有する唯一の日本人となりました。

世界は今も「一夫多妻制」なのに、西洋諸国の嘘を信じて「一夫一婦制」に日本はしていますが、世界の実態をよく知っている私は、日本を昔のように「一夫多妻制」にすることで強い日本男児が育つし、国の男性の子供を産み育てる女性たちも結婚する喜びも得られるように「健康的な食糧」をたくさん作れるようにすれば、国家は必ず安泰になると本気で思ってインドとアジア諸国を必死に通っていろんなことを教えていたので「アジアの先生」と国王たちには呼ばれていました。

・・・・・・・

当時、日本に戻ってから安倍晋三首相に電話で報告すると、こう言われました。

・・・・・・

吉岡さん、あなたはもう日本の勲章や資格を国からあげられるレベルの人間ではないので、どうか、そのままインドに住んで日本との国交を深めて下さい。

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それはないでしょ!それは、「政治家の仕事」だから、私はインドには住みませんよ!

私はやっぱり「日本の土の香りがする野菜とお米」が大好きなので、また、インドとの関係で私が必要になった時は電話して下さい。

ナレンドラ・モディ首相には、あなたのことを大事にするように伝えておきましたのでよろしくお願い致ししますね。

伝統衣装が青空に映える インドの農業

 

こんな素晴らしい体験をしたので、日本に戻ってきても頑張れましたが、なんとこの大事な畑と田んぼを、

「財務省の鈴木友康がイギリス本国に密告」

したせいで、イギリス政府からモディ首相に電話が来て、

「今すぐ、食べ物を作っている人間を全て撃ち殺して、作った畑を焼き払いなさい」

と命令がきたとモディ首相は電話をくれましが、私の子供たちだけは確保してから「他の全ての労働者を全員撃ち殺しました」と電話で泣きながら教えてくれました。

でも、吉岡さんが作ってくれた野菜もお米も美味しいので、「ダリット」ではなく、王族のみんなで新しく畑と田んぼを作ることにしたのでこれで許して下さい。と言われました。

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もう、この電話を聞いた時、本当に「鈴木友康」を殺してやりたかったですが、あまりにも日本全体と世界に迷惑をかけている人間だし、世界の国々にも「金儲けのために人を殺す」ことを何とも思わない人間も多いので、「殺す前に全てを自白させて公開しよう」と思っていたので殺したい自分を抑えて我慢したのです。

でも、最後の最後まで私に嘘を言うし、どんどん悪行がエスカレートしていったので呆れましたが、「鈴木友康もバカ」ですが、その口車に乗ってお金をもらっている人間があまりに日本にも世界にも多すぎたので、「鈴木友康一人を殺しても問題は解決しない」と思ったので、私は自分にできることに集中して未来に起きることの全ての対策をしました。

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「日本国の官僚でも手を出せない場所」は、日本銀行、防衛省、首相官邸、天皇の4つだけですが、その全ての場所に私の信頼できる仲間がいたので、本気で日本を変えるための「最終計画」を実行に移す指示を出してから自分で「記憶を消す薬」を飲みました。

そうしないと、もし、自分が自白剤を飲まされるとまずいので、世界にいる大事な人たちを守るためにも、日本にいる信頼がおける人たちの命を守るためにも致死量を超える30ccを何本も飲み、記憶を思い出す時期を決めて一人で動けなくなりました。

それが、39歳の1998年から42歳の2000年までの「解脱の3年修行期間」だったので、意識だけで守護存在たちと対話し続ける3年間であらゆる存在と話をしました。

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ちなみに、国のどこの象徴の官僚や課長や長官でさえも、「衆議院会館」も「参議院会館」も「国会議事堂」にも勝手に出入りできない法律があるので、勝手に入ればすぐに逮捕されます。

この法律ができた理由は、「国会議委員と国の官僚の癒着を止めるための法律」ですが、実際に「衆議院会館」も「参議院会館」も「国会議事堂」に行ってみると、チョロチョロした官僚たちがいるのでまた、政治家たちに「裏金」を渡していると思ったくらい多いのが現実です。

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日本のどんな場所でも、警備をしている人間にお金を渡せばいくらでも入れるので、常に、どこにいても誰もが「裏金」をもらって働いているのが「国家公務員」だと思って下さい。

国家公務員の奥様たちは、その「裏金」で美味しいものを食べているし、「子供の裏口入学」にも裏金を使っているし、夫は他の女を囲っているし、奥様も他の男と遊んでいますが、それが「国家公務員の常識」でまかり通っているし、そういう人間たちが日本国家を動かしている「上級国家公務員(キャリア)」なのです。

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「安定的な収入が入る」からと「国家公務員」を勧めるお母さんやお父さんたちはよく考えて下さい。

どんなに良い子供でも「環境が悪い職場」に行けば、必ず、普通に賄賂や裏金をもらうようになるので、私が「新しい国」を作った時には「国家公務員法は廃止」にして、絶対に全ての仕事は「民間企業」でやらせて実績評価で首にします。

それに、「国会議員」も「都道府県議員」も「市町村議員」も全て廃止にして、有志が無償でやりことにしましょう。

 

日本に戦争や大地震があったとしても、生き残った人間たちと一緒に「日本の新国家建国」を密かに計画しています。

私の国に入れるのは「現預金資産が一億円以上」を持っている人だけにすると楽ですし、それと「鈴木という苗字の人」は、必ず人を騙すし嘘をつくので、全員出ていってもらいましょう!

五代前の戸籍謄本の証明書がないと「資格審査」さえできないことにもしましょう。

私が思ったことは、必ず実現します!!!

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