【外務省】キャリア官僚の実態と「クイーン」のボーカリスト「フレディ・マーキュリー」との出会い
1989年10月の30歳の時に、「中国と韓国とインドの3つの国の外交」をまとめて翌年の1990年に「外務省の特別上級国家公務員(キャリア官僚)」になりましたので、交渉が揉めているいろんな国の外務省官僚から「手伝って欲しい」と言われて行く国の順番が決まり、最初に行ったイギリスの担当官僚との体験談を公開しましょう。
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「イギリス本国の官僚」に自己紹介をしてから「今の問題」を聞こうとすると、話もそこそこに「面白いところに行きましょう」と連れていたかれたお店に、イギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリスト「フレディ・マーキュリー(44)」がいました。
1946年9月5日生誕〜1991年11月24日没
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「イギリスの官僚」に連れて行かれたお店は「ホモパーティ」の会場だったので早く帰ろうと思っていると、「フレディ・マーキュリー」が歌い出し、「あれ?聞いたことがある声だ!」と思って聴き惚れていると、他のホモたちが絡んできたので1曲だけ聴いてお店を出ました。
お店を出たあと、イギリス担当の官僚に「さっき、歌っていたのはロックバンドのクイーンのリードボーカルのフレディ・マーキュリーですよ。知らないのですか?」と聞かされて、ショックを受けたことを思い出しました。
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吉岡)お前たちはいつもこんな遊びをするためにわざわざ国民の税金を使って高級なプライベートジェット機で世界を飛び回って遊んでいるのか!いつ、まともな仕事をするんだよ!!!と怒ると日本のキャリア官僚はこう言い返しました。
キャリア官僚)「僕らはただ相手国の官僚と仲良くなって一緒にたくさん遊んで、時期が来たら課長を呼んで一緒に遊びますので、「国のキャリア官僚の仕事」って、こういうものなんだとわかりました。
事務的な簡単な仕事は「キャリア(上級国家公務員)」じゃない「ただの官僚」がやるので、僕ら「キャリア官僚」は世界中の官僚たちと政治家と一緒にお酒を飲んで遊びまくり、時には女も抱いたり男に抱かれたり、シャブや覚醒剤をやるのが仕事なのでとてもしんどい仕事です。こんなことは家族には言えませんので、どうか、内緒にお願いします。
と言ったので、呆れました。他の外務省のキャリア官僚たち全員に同じ質問をしても、「全員同じです」と答えたほどいい加減な奴らばかりでした。
「親の金で東京大学を裏口入学」した人間ばかりだし、「上級国家公務員」の試験も「親が金を渡せばなれる資格」だし、全ての省庁のキャリア官僚たちに聞いても東京大学裏口入学は同じで呆れました。
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「キャリア官僚(上級国家公務員)」と呼ばれる20代、30代の「国家総合職」の平均年収は約650万円ですが、「出勤義務は一切なし」+「接待費は無制限に使い放題」+「領収書も必要無し」+「仕事の内容の報告義務もなし」なので、毎日のように海外や銀座の高級クラブを借り切って遊んでいます。
海外へ出ると、酒と女とドラッグをやりまくりますし、「現地妻」もたくさん囲って遊んでいますが、「全て必要経費」で落ちる「特権階級」の奴らです。
さらに、「外国との交渉」という名目で日本を出ていくたびに「数千万円から数億円の賄賂」をもらうことを「当然です」と言う奴らの税金は、財務省官僚が「全て無税にする仕組み」になっているし、国民を「バカ」としか呼ばない奴らですが、これが「日本のキャリア官僚の実態」です。
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最も問題なのは、「日本国のプライベートジェット機」に乗る時は「客室乗務員」たちが出入りするドアから自由に出入りできるし、一切、持ち物の中身をチェックされないので、世界中の外務省官僚たちと取引して「違法なシャブやドラックや拳銃」を日本に持ち込んで「ヤクザや芸能人」に売っている奴らです。
だから、日本のどの役者でも歌手でも売れている有名な女の子たちをいつでも呼びつけてお店の中でセックスして金をばら撒いているバカモノたちが、「日本のキャリア官僚」と呼ばれている人間です。
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「キャリア官僚だけの特権」は、まだたくさんあって、「警察は調査も手出しも一切しない」うえに、「酔っ払い運転」で人を跳ねて殺しても「全てお金で解決できる」ので、絶対に捕まりません。
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常時、日本国内でも「拳銃」を持っていることを許されているので「遊び」で人を撃ち殺したり、飲み屋で若い男たちに危ないドラックを飲ませて拳銃を渡して「コンビニ強盗」をさせることを「ゲーム」と呼んで遊んでいる奴らです。
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銀座や原宿の街を歩いている「素人の若い女」を捕まえてお金を見せびらかして「シャブ漬け」にしてフラフラにすることを「ご馳走」と呼び、「各省庁のキャリア官僚」たちを呼び出してお店の中でセックスしまくって「動画で撮影」しながら「中出し」して妊娠させて、堕胎のお金を渡してから「友達や警察にバラしたら家族にこの動画を公開するぞ!」と脅すことを「お楽しみの時間」と呼んで遊んでいる奴らです。
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文句を言う女は「ヤクザ」に売り飛ばして「シャブ付け」にするか、「アジアの人身売買ルート」に売り捌いて小金を稼いでいるのが、「上級国家公務員」と呼ばれる「特権階級」なので、「どの省庁のキャリア官僚」もヤクザにつながっているので、「シャブ」を売り捌いたり「拳銃」を売り捌いて、「アルバイト」して小銭を稼いで女に貢いでいるのが実態ですが、そんな現状を知らない母親たちは自分の息子を自慢しています。
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アメリカで15万円も出せば「上等な拳銃」を買えるので、その「拳銃」をたくさん買って密輸して「ヤクザ」に50万円から150万円で売り捌いていることを「当然だ」と言い張るのも「キャリア官僚のアルバイト」と呼ばれています。
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さらに、45歳前に退職する理由は、退職金を平均2500万円もらうし、「外務省官僚」なら海外と取引がある企業に「天下り」をして「平均年収5000万円」はもらっていますし、それ以外に「賄賂も年間1億円以上」もらうことを「自分たちの仕事です」と言うし、知り合いの官僚に電話1本で書類を作らせるので「法律も無視」するし、「警察もヤクザも思い通り」だし、本当に頭がおかしい人間ばかりが国を動かしているので呆れました。
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せめて私くらいまともな仕事をしようと頑張りましたが、「私が無償で国の仕事をしている」と知った時は全員が信じなかったのに、1ヶ月間で最もややこしい3つの国との国交を結んで一発で結果を出した人間だったので、1990年代は世界の国々に連れて行かれてあらゆる国と交渉して結果を出しました。
私の交渉の結果は、皆さんが海外旅行へ行く時に書かされる「ビザ(査証)」になっているのです。
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さらに、1990 年 6 月 1 日改正法の施行により,「定住者」の在留資格が創設され,日系3世までに就労可能な地位が与えられ,これによりブラジル,ペルー等の中南米諸国からの日系人の在留が増加したのは私の業績ですし、そうじゃないと本国に強制送還されるからです。
「フレディ・マーキュリー」が歌っている「ホモパーティ」の動画を見つけたので公開しておきます。
私は「クイーン」は特別興味はなかったですが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見た時と、「ライブエイド」を見て、「フレディ・マーキュリーの歌唱力には驚かされた一人です。
でも「自分はホモでドラックをいろいろやりすぎた」と本人が言っていましたし、「自分はエイズかもしれない」と言うので、「エイズ検査」も私の知り合いで検査した結果、「エイズ陽性」の結果が出たので親には内緒の約束のまま、1991年11月24日に亡くなりとても残念でした。
「エイズ」を広めたのは「マーゴ」ですので、マーゴの犠牲者と言えます。
▶️ライヴエイド – クイーン 1985 4K 高画質 高音質(1985)
私は10代の時から「女とホモ」によく言い寄られるし、普通に街中を歩いているだけで「チンピラ」が絡んでくる人間なので「対応方法」だけは身につけましたが、男より絶対に「若くて綺麗か可愛いくてナイスバディ女」が大好きな人間なのでお間違えないようお願いします。
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私は子供の頃から「音感」がずば抜けて耳が良いし、普通の人間が聞こえない「鳥や動物の声」も聞こえて会話できる「可聴範囲」を持っている人間だと専門家に調べてもらってわかりました。
私の音楽の好みは、子供の頃から「ベース音」がしっかりしていて「リズムテンポ」が良いロックミュージックやダンスミュージックが大好きだったので、岡山理科大学の大学生の頃はディスコにでよく一人で踊っていた人間ですが、女を引っ掛けるためではなくて、純粋に全身で汗をかくための「スポーツ」として一人で踊りまくっていたので、ビヨンセやマライヤ・キャリーの歌と踊りのアドバイスをしたので、マライヤ・キャリーに歌い方や曲が変わったのも私のアドバイスの結果です。
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私が海外へ行くたびに良い結果になるので、1990年の31歳の時に「アメリカとの交渉が揉めている」と官僚に頼まれたので「日本でアメリカの要人を接待」するためにゲストで呼んだ「歌手のマライヤ・キャリー(21)」と映画ロッキーで有名になった「シルベスター・スタローン(54)」です。
最高の演出をしたので無事に「日米和平交渉」を成功させた人間です。
ゲストの「マライヤ・キャリー(21)」が連れてきたのが「ビヨンセ(9歳)」だし、シルベスター・スタローン(54)が連れてきたのがイギリスの「トム・クルーズ(28)」だったので、アメリカ映画で売れたいと言った「トム」を日本とアメリカの映画会社に5社づつ契約をさせたのは私なので、それからはとても仲良くさせてもらいました。
2009年3月2日、私が50歳の時にBeyonceのお友達の「ジャネット・ジャクソン」に頼んで「マイケルジャクソン」と会わせてもらう電話をすると、「ネバーランドの僕の家においでよ」と連れて行かれて泊めてもらった時にも、マイケルと一緒にお酒を飲みながら一晩中、歌って踊りましたし、一緒にハモった私の声を聴いたマイケルが、「吉岡、僕のレーベルで歌手デビューしてよ!」と言われましたが有名になるのが嫌だったので断りました。
でもマイケルは、しつこく何度も「吉岡の声の質が他の歌手にはない声でとても綺麗で僕は大好きだし、絶対にヒットするのでお願い!」としつこく言われましたが、酔っ払っている最中に家にやってきた「ジャネット・ジャクソン」が二人の会話を動画で撮影し、私が一人で歌った録画ビデオを持っていますが、マーゴが邪魔する可能性があるのでお蔵入りにしてもらいました。
でも「マイケル」もしつこくて、「歌手デビューをしない代わりにウィ・アー・ザ・ワールド」に声だけ出て!」
頼まれたのでこっそり出演しましたが、「ウィ・アー・ザ・ワールド」に出ていた全ての歌手に文句を言われるほど「歌声が特別だから歌手でプロデビューしてほしい」と認められましたが全て断りました。
理由は、私が「表で有名」になると、必ず、日本刀を持っている人たちが「腕試し」でやってくるので戦うなら絶対に殺さないといけないからです。
「私は絶対に相手を数秒で殺せる訓練をしています」ので、絶対に刃物を持って向かって来ないで下さい。
いろんな人間に命を狙われるほど「私の存在」を都合が悪い人間が多いので、全てのVIPとの連絡先も捨てたし、一切、やり取りはしていませんので興味本位で連絡はしないで下さい。
そして、マイケル・ジャクソンを殺したのは主治医のコンラッド・マーレーですが、アメリカの刑務所まで行って、本人に直接、会って確認したところ、
「マーゴ」がどんなことをしても殺して!そうじゃないとあなたはたくさん借金をしてまだ返していないので家族と一緒に殺すわよ!」
と言われたので、やるしかなかったと言ってました。
マイケル・ジャクソン
2009年6月25日、マイケルが自宅にて心停止・呼吸停止状態に陥り、マイケルのボディーガードが救急隊に通報。 12時26分に救急隊が到着。 13時14分にカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) 付属病院へ救急搬送される。 約42分間に及ぶ蘇生活動を行うも、カリフォルニア時間14時26分に死亡が確認された。