吉岡一門の頭領は「事務次官」と「警察庁長官」と「最高裁判所長官」と「宮内庁長官」と「消防庁長官」と「文部省長官」を兼任してました。
「吉岡一門の頭領」は2000年以上前から天皇家を守る為に「武士の務め」を果たしながら、「人の物を盗んだり騙す悪人」を処罰する為に腕を磨いた「武士のトップ」ですので、「国家公務員の最高の権限と責任の証」が「頭領」にだけ引き継がれていました。
それが、「国家公務員のトップ」の役職の「事務次官」という役職です。
私はさらに、安倍晋三首相が亡くなる前に「首相と同じ権限を持つ内閣府の特別上級国家公務員」に任命されたので、普段どおりの生活しながら「国の仕事を手伝う約束」をしたので、「官僚」や「国家公務員」を解雇任命できる権限を与えられた人間」ですし、「防衛省の特別統合幕僚長の権限」も復活しています。
もともと吉岡一門の頭領が「警察庁長官」と「最高裁判所長官」も兼務していた理由は、罪を犯した悪人を自分の判断で「一振りで首を落とす役目と権限」を持っていたのが武士であり、そのトップの人間が「吉岡一門の南朝の頭領」なのです。
ですので、南朝の天皇家の菊花紋が入った「江戸時代初期の十手(じゅって)」を1971年の「頭領交代式」で吉岡家の祖母から頂き自分の手で握りましたが、「御用!御用!」と声が聞こえるような品物ですので「ある場所」に隠してありますので、書類が無くても「天皇家」は認めている資格です。
さらに、「吉岡一門の統領」が天皇家を支える「宮内庁長官の役目」もしていた理由は、天皇家が百済から日本に入った時に戦いを避けるために天皇を守る役目を自ら選んで「裏」になったので、天皇家の菊花紋が入った「十手」を天皇家から頂いたことにより、「宮内庁や神社庁」に文句を言えるのは当然なのです。
私の父・吉岡忠も、「昭和天皇」が崩御されて「平成天皇(上皇天皇)」に交代する時に「宮内庁長官」として新しい天皇が即位する儀式に参加し、天皇が一人で行う「四方拝」を「吉岡一門の頭領の祈りで支える役目」をしていました。
「四方拝」を見守る「女性だけの皇室の部屋」で「新しい天皇」を認める「烏帽子」を被せる役目もしていたので、「天皇陛下と全く同じ烏帽子」が家にもありましたが、「全て吉岡一門の頭領」が自分のお金で「新しい烏帽子」を作って「新しい天皇」に差し上げることで正式に「天皇任命」になるそうです。
ちなみに、「平成天皇(上皇天皇明仁)」は 「1933年12月23日 生まれ」の現在 90歳ですが、私の父は「1929年9月24日生まれ」で4つ年上の兄で兄弟でした。
2012年1月6日に83歳で父・吉岡忠は亡くなりましたが、平成天皇(上皇天皇明仁)は「吉岡忠の弟」であり、どちらも「祖父の吉岡西蔵」の子種です。
私の父の葬儀は「母と兄の願い」で親しい人だけでやることになりましたが、「死亡届」を市役所に持っていくと、あっという間に日本中に父が亡くなった噂が広がり、「お通夜」に来たのは約1500人以上、「告別式」に来たのは約2500人以上もいました。
それでも参加できない人たちが毎日、芦別市常磐町の実家の仏壇に手を合わせに訪れたほど「前頭領の吉岡忠」という人間は有名な人でした。
問題は、500名定員のお寺の本堂に650名以上の参列者が集まったのに、さらにどんどん人が増えて入れなくなった人たちが「お寺の入り口」にたくさんの人が並んで行列になり、道路の両側にもたくさん喪服を着た人が並んでいたので、「葬儀委員長」に私が呼ばれたので、お寺の中は兄と母に任せて、私が外にいる人たちに代表で挨拶することになりました。
北海道知事の高橋はるみさんは、富山県富山市出身で1976年に通商産業省(現:経済産業省)だったので、私に個人的に会いたいと言われたので道庁に行き挨拶にきましたが、その時に「国土交通省の30年分の予算を北海道で使い切りたい」と言ったので、釧路港や函館港や苫小牧港や室蘭港の湾岸工事や、二級河川を一級河川にする工事に伴い、道路の幅員5mの両側の講演や柵などの工事を無償で行いましたので、お礼をしても仕切れないと言った女性でした。
当然、2007年〜2015年まで知事になる間、日本全国の歴代首相たちと全ての政党のバックアップさせたのでお礼しても仕切れないと500万円ほど香典を持ってきましたが、5万円だけ頂いてお帰り願いました。
それ以外にも、北海道出身の各政党の国会議員全てと、北海道中の市議会議員や町会議員もたくさん列席して高額な香典を持ってきたので一律5万円にしましたが、全員が黒塗りの高級車で来たので道路が行き来できずパトカーがたくさん来て交通整理をしてくれたほどでした。
安倍晋三首相と麻生太郎元首相からも電話があり、飛行機の手配をしてるが告別式にしか出れないと言われましたので「参列するのはご遠慮下さい。できれば弔電だけでお願いします。このことは各政党の代表に伝えて下さい。」とお願いしたのに、勝手に来る国会議員もたくさんいたので一人一人に事情を話してお帰り頂きました。
日本中の歴代の首相たちからの弔電が届いたので、お通夜に読み上げる順番を決めていると、次々に電報が届いたので私が弔電の順番を決める役目をしましたが、森 喜朗首相、小泉 純一郎首相、福田 康夫首相、麻生 太郎首相、鳩山 由紀夫首相、菅 直人首相、野田 佳彦首相と歴代の首相が続いたので、「安倍晋三首相と麻生太郎首相」だけ読み上げました。
母と兄は山ほど来た弔電の意味が分からず、「間違って届いたんじゃないか?」と言っていたほどの壮大な葬儀になったので私はとてもありがたかったので全員にお礼のお手紙を出しました。
母と兄や周りの人には、誰も私が「国の仕事」をしていたことは全く言っていないし、「特別上級国家公務員」だったことも、「防衛省の特別統合幕僚長」だったことも、歴代の首相や全ての政党の国会議員たちと知り合いだったことも一切、話してないので、私が一人で外へ出てご挨拶したことで「正式に父の葬儀のお礼」とさせて頂き、順次、お帰り願いました。
吉岡一門の頭領は、本当は「首相」か「官房長官」をやるべき人間なのですが、いつも吉岡一門の頭領は「国会議員は人を騙すので嫌いだ」と言う理由で、毎回、辞退し続けていましたし、私も12歳で「お前、官房長官をやるか?」と父に聞かれましたが辞退しました。
「国民を守る役目」を自ら天皇に申し出た吉岡一門の頭領の仕事は、「消防庁長官の役目」と、おコメを作る「一般社団法人 全国農業協同組合中央会(農協)代表理事会長」の資格も持っていましたので、正式な「長官交代式」に父は参加していましたが、私は全て辞退して父に「代理主席」をお願いしていました。。
「令和天皇徳仁」と「秋篠宮文人」は私の弟ですので、二人に会った時にも「吉岡学さんが天皇になればいいのに」と言われましたが、「そんな面倒な役目は今の通りお前がやれ!」と徳仁に言いましたが、「もし日本が壊れて新しい日本になったら天皇になって下さいね」と言うほど「令和天皇徳仁」は頭のいい弟ですし、秋篠宮文人も「それがいい」と言ってましたが、先に「秋篠宮文人」に天皇をさせてからにしようと思っています。
「令和天皇徳仁」と「秋篠宮文人」の二人とも私の父・吉岡忠の息子であり「私の弟」なので、「ここまで日本をボロボロにした「北朝の人間」を全員成敗したあとならやってやる!」と伝えて硬い握手をしました。
2024年8月12日にマーゴに「戦争」を仕掛けられたあとの日本は「国会議員が2/3以上」いないと国会は開けないし、「内閣の人間も2/3以上」いない場合は「首相の一任」と決まっているし、きっと、岸田文雄首相はどこかに逃げていなくなると思うので、新政府の準備はできています。
新しい日本の新政府を立ち上げて、私が「総理大臣」と「防衛省統幕」と「日銀総裁」の3つを兼ねて仕事をしないといけないので、とても忙しくなるのです。
全ての法律も変えますし、税金も、補助金も優遇処置も見直しますので、その素案を今、考えている最中です。
1945年8月15日に日本が騙されて負けた「大東亜戦争」の件は、もうアメリカ大統領にも、世界の国々の国王と首相たちにも話しはついていますので、日本に新しい「国連組織」も作ります。
地球の未来はこの日本から変わりますし、北海道から世界は変わります。