【社長会】バブル崩壊を止めるために無償であげた特許と企業名の一部を公開!
「バブル崩壊」が始まった1989年10月(30歳)から1994年4月(35歳)まで3年半、札幌のススキノの私の行きつけのボロスナックで「社長会」を毎週、200回やりました。
「社長会」が始まったキッカケは、1989年10月に「北海道ダイエー労働組合中央執行委員」になった時、すぐに、札幌グランドホテルの地下で「日本全国の全産業の一部上場企業の社長と、北海道中の土木建築業の社長たちと、全政党の政治家と全国の労働組合の交流会」があり、6000人以上集まった人たちが「ダイエー労働組合だけ特別扱い」だったので、私の名刺を渡した北海道の社長たちから「どうしても聞いてほしい話があるのでこのあと時間を作って欲しい。」と頼まれました。
実はこの段階で、「18歳から防衛省の陸将補の資格をもらいコンピューターの仕事(無償)」をしていたうえに、「25歳からヤクザのアドバイス(無償)」もしていたので、「防衛省・ヤクザ・ダイエーに売り場の責任者・ダイエー労働組合・官僚」と5つの仕事をしていたので、とても忙しい日々の中、毎日3時間以内の睡眠だけで仕事を続けていました。
「北海道の土木建築業は大手ゼネコンの5次6次下請け」なので、経営状況を聞いてみると「利益が出ない仕事ばかり」ですぐに潰れる状況だとわかったので、組合の上司を通して「東京大阪のゼネコン」の社長たちを札幌市に集めてもらい話を聞くことができたので、「大手ゼネコン」もバブルで投資しすぎて借金が膨らんで「倒産の危機」にあったので、「北海道の社長会」と「本州のゼネコンの社長会」をしばらく同時に続けました。
全国もそうですが、「下請け」になればなるほど途中で抜かれる金額が大きすぎて赤字になる理由は、地方の「国会議員」がまず手数料を抜き、次に「都道府県知事」が手数料を抜き、「市長村長」も手数料を取るので、利益は残らない体質でした。
当時、「建設省(現・国土交通省)の官僚」に話を聞いてみると、都道府県に道路や橋や公共事業の建物を建てる時ほど予算が大きいので、国の補助金をつけてもらうために、
担当エリアの市長と都道府県の知事が「建設省(現・国土交通省)」の1階の窓口の女の子に、賄賂のお金が入った紙袋を渡すのに毎日ズラッと並んでいたし、溜まった賄賂が「1億円」を超えてからしか書類を「2階のキャリア官僚」に電話しないという「暗黙のルール」があったので頭にきました。
「そんなバカなルールは法律じゃないのに、なぜ、今でも続いているのか?」と問い詰めると、
「昔から国の補助金をつける場合はまず、担当市域の国会議員が賄賂を取るし、次に都道府県知事も賄賂を取るし、市長村長たちも賄賂を取るので仕方ないのです」、言うのでブチギレました。
「結局、自分たちの個人の懐に入るお金をもらうために建設省に並んでいる」と分かったので、「ダイエー労働組合のトップの委員長」に電話してきてみると、
「それは昔からの慣習だし、俺たち労働組合もその”おこぼれ”をもらっているので黙っていろ!」
と言われるし、日本中をまとめている神戸山口組の井上邦夫組長に電話しても「俺たちはそのおかげで食えているシノギなので、私からは何も言えません」と言うのです。
「じゃあ、誰が動けばこの問題を解決できるのか?」を一晩考えた結果、「国が予算をつける仕組みがおかしい」と分かったので、「国の入札条件」を建設庁の官僚に聞いてみると、
「1億円以上の入札は大手ゼネコンしか入札できないし、一部上場企業ではない地方の中小企業は入札できないので都道府県知事しか入札できない省内ルールがあります!」と言うので、この「仕組み」を変えることにしました。
私は1990年の1月に、「第74代竹下登首相」から、「全ての省庁の長官」と同じ権限の「特別上級国家公務員の資格とバッチ」をもらった人間なので、全ての省庁のキャリア官僚にボロクソに言える立場だからこそ、法律ではない「建設庁が勝手に決めたルールの建設省内規則」を変更する書類を1枚書いて「建設庁長官の印鑑」を押させて、「上場していない企業でも直接、国の仕事に入札できる省内ルール」に変更させて、途中で抜かれるお金を1/3に減らしました。
「本州の大手ゼネコン」は都銀から「多額の銀行融資の返済」があったので、大手ゼネコンの社長たちに事情を説明して、日本中の一部上場企業のゼネコンの「表帳簿」と「裏帳簿」を持って来させることを約束させて、「全ての都銀の頭取」も呼びつけるように指示を出し、「ゼネコンの赤字」を消すための話し合いをすることにしました。
それが、「全国の一部上場企業の社長会」の始まりです。
「多額の融資」をして利益を得たのは「都銀」ですので、1企業づつ「役員報酬」と「従業員給与の合計」と「裏金合計」と「賄賂の合計」を白状させてから、「都銀がいくらまで追加融資をできるのか?」を本音で言わせても言わないので、「都銀が日銀に報告する帳簿」と「裏帳簿」を持って来させて比較し、その差額の理由を全て聞き、「いくらまで現金を動かせるのか?」を全員の前で白状させてから「企業への追加融資」の割り振りをしました。
もし、来週まで、「裏帳簿の二重の裏帳簿」を持ってこない銀行は「助けないぞ!」と伝えて、もし都銀が「二重の裏帳簿」を持ってこない場合、「全国の都銀に支払うべきお金を銀行に支払わない」と社長全員が結束したので、「マルサや日銀に見つかったら潰される!」と言いながらも仕方なく「全ての都銀は表と裏の二重帳簿」を持ってきました。
「全ての都銀の裏帳簿」と「表帳簿の差額」を見ると、あまりにも企業に借しつけている金額が大きすぎることが「ゼネコンの赤字の原因」だったので、「債権ごとの借金の金利を全て飛ばしてゼロにする!」と決めてから、「残った借金」を埋めるだけの「長期短期の新規借り換え契約」をさせて、「現金」をすぐに企業にぶち込んで、一社づつ「累積赤字」を消しながら「銀行や証券会社や投資会社の統廃合」も一気に決めました。
当然、「北海道拓殖銀行(都銀)も「カブトデコム」も「社長会」の場に呼びつけて、私の一存で「潰す」ことを決めて、役員は全て「退職金なしで退職」・「個人資産凍結」・「個人が預けた預金額は全額保護」にしてから「北洋銀行」に移行処理させました。
こんなことをすれば、当然、「都銀が新規企業に貸すお金」が足りなくなるので、「社長会」の奥に隠れて聞いていた「日銀の三重野康総裁」にお願いして、「低金利で都銀ごとの融資枠」を増やしてもらい「総額約30兆円の日銀追加融資」を取り付けて都銀の経営を安定させました。
「大手ゼネコン」には「新規の長期短期の借入契約」をその場でどんどん契約させて企業の赤字を消しながら、「都銀」も隠していた「ヤクザの裏貯金や無記名口座のお金」を全部「表」に出して使えなくして表口座の新規貸付分にしてから、私が「裏」に隠していた「ヤクザの裏金処理」を電話1本で解決しました。
「約150兆円のヤクザの隠し口座」を表口座に変更すると言う意味は、「ヤクザの活動資金」がなくなった訳ですが、「文句は言わせない立場」にいたので問題はありません。
「日銀の融資資金も底をつきそうなので国債が破綻する」と日銀の三重野康総裁から泣きが入ったので、そっと部屋の隅に行き、「吉岡一門の資産」から「60兆円の新規融資の証券」を書いて補償したので、全て丸く治りました。
「日銀総裁」は、「都銀と社長会の融資のやりとりや、企業に貸した金利を消すこと」を知ること自体がまずいことらしく、「日銀の三重野康総裁」は帽子を被りサングラスをして薄暗いボロスナックの奥で私にマイクをつけて話を聞きながら吹き出していました。
「日銀の三重野康総裁」に「社長会に行って吉岡学さんの話を聞いて勉強してこい!」と言ったのは、あの有名な塩爺(塩川正十郎さん1921-2015)だったので、理由もわからずやってきた人で話を聞いているだけで何度もトイレに吐きに行ったとあとで教えてくれました。
お二人の葬儀には行けなかったので、奥様に会いに行っていろんな話を聞きましたが、「面白い男を見つけたぞ!」と自慢していた塩爺の奥様の言葉とは逆に、「あの人は札幌に女でもいるのかと心配したけどあなたに会いに行っていたのね!とても楽しそうに出かけて行ったわよ!」と笑っていた三重野康総裁の奥様の笑顔が印象的でした。
そこまでしないと、「経済的に日本が別な国に乗っ取られる可能性があった」うえに、「企業で働く人たちの雇用」も無くなるので、家族崩壊・離婚・自殺が増えて「団塊世代ジュニアの子供たち」やその子供達が希望を持てない日本になる可能が大きかったのです。
「ダイエーの売り場責任者」・「ダイエー労働組合中央執行委員(ほぼ無償)」・「国の官僚の仕事(無償)」・「裏でヤクザの指導(無償)」・「防衛省の仕事(無償)」の5つの仕事を自分一人の判断で3年半も毎週やり続けました。
私は「企業アドバイスの勉強」や「経営コンサルタントの資格」は何も持っていない「岡山理科大学数学科の人間」ですので、問題が起きたら「現場」で考え「現場」で答えを出し、「今できることから頑張ろう!」という思いだけで「社長会」を続けながら、毎日、ダイエーのお店までの「通勤時間の30分」で「経営アドバイスの本」を数冊読んで見ましたが使えるものはありませんでした。
「ゼネコンの赤字対策」の目処がついたあと、各業種別に売上が大きい企業の社長たちを札幌へ呼んで、「裏帳簿」を出すことを条件に「経営指標」を見ながら、人件費分配率、従業員の平均年齢、平均給与、賃金テーブル、、売上在庫比率、素利益率、主力商品の動向を聞いて計算してから、主力銀行の頭取を呼びつけて融資枠を広げて支払いを伸ばしながら、「1社1個以上の特許」や「新商品開発」をして、売上と利益対策によって赤字対策をしました。
もし、「マーゴ」が計画したとおりの「バブル崩壊」になっていれば、日本経済は破綻し、日本国はどこかの国の「植民地」になってたほど酷い状況でしたし、ゼネコンの下請けの土木建築関係の社長たちは、「最後は保険をかけて首を括るしかない」と言ったので真剣に取り組みましたが、全国の社長たちからは「日本経済の危機を止めた男」と言われていました。
「全て無償でアドバイス」していたし、私の名前が世に出ることは「絶対禁止」にしたので、どの社長も口が裂けても私の名前は言わないと思いますが、現在の「大手一部上場企業」が存在し続けている理由は、次に同じことが起きても助け合えるように「業種を超えた社長たちのつながり」を「社長会」で作ったおかげです。
「自分の会社の企業利益を超えた社長同士の付き合いと企業同士の人材交流」をしてもらった結果、日本経済もあなたの会社も今があると考えて下さい。
それでも救うことができなかった大手企業や中小企業の社長たちが「借金を苦に飛び降り自殺」したり、「サラ金」から借りすぎてヤクザに脅されて自殺した人たちが東京や大阪で毎週数名出ましたが、「全国放送」にはならず、「警察と官僚が闇の中に事件を葬る」ので、何も知らずに親をバカにした「団塊世代ジュニア」の子供たちがたくさんいたはずなので、その子供達のためにも伝えておきます。
1990年に、あなたのお父さんの会社も、お母さんのパート先も無くなっていれば、あなたが今していることさえ、何もできないほど日本は経済的に落ちたし、もし1990年代の「バブル崩壊」になっていれば、対応できずに死ぬことになる人たちがたくさんいたことまで考えて、「今日のブログ」を読んで自分の生き方の思い違いに気づいて下さい。
全ての会社を救うことは無理だったので、救われた会社と反対に、「潰れた会社」と「合併させられた会社」も多かったので、あなたのお父さんがどんな気持ちで働いていたのか気づいた人は、「あの厳しいバブル崩壊の中、育ててくれてありがとうございます」とご両親に電話してお礼を伝えて下さい。
今は当時の「社長の息子」たちが社長をしていると思いますが、「人のつながりと恩返しの意味」を徹底的に社員に伝えると社長たちは約束したので、次の世代にバトンタッチする時には「個人の価値観を超えた経営者になるよう息子たちを育てて下さい」とお願いしました。
今日ご紹介するものは民間特許の一部ですが、多分、「社長会」であげた特許は1万8000件くらいあるし、「防衛特許は3万件以上」あります。
札幌で始まった「社長会」は1990年1月から毎週1回始まり、年間52週のうち正月とお盆の2回を引いて年50回行い、1994年4月まで200回行いました。
日本の一部上場企業は2176社、二部上場企業は1127社で合計3303社、1回の参加者は30人限定で日本中の一部上場企業の社長が毎週やって来たので、単純に「30人×200回=のべ6000人の社長」に会い、「1万8000件以上の特許」をタダで差し上げたので、今も皆さんが務める会社は存続しているのです。
社長たちに聞くと、「特許」を買う場合は1件あたり「1億円から5億円が相場」なのでお礼を現金で持ってくる社長も多かったですが、「絶対に受け取らない私」ですが、もしもらっていれば「9兆円以上」にはなったと思います。
でも人間はお金だけ貰えばバカになるし、欲望も見栄も物も増えるし、好き勝手な自分がさらにひどくなるし、必ず人間関係が壊れると思ったので私は自分と家族が暮らせるお金くらいは寝ないでも自分で稼ぎ出す自信はあるので一切、企業や政治家やヤクザからお礼のお金はもらったことはありません。
日本が1945年にアメリカとの戦争に負けて、さらに、1990年代にバブル崩壊で負けるわけにはいかないので、国と地域の人のために「企業を存続」させて「従業員たちの雇用を絶対に守る!」と言ってくれた社長たちに心から感謝いたします。
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では、日本を救ってくれた社長たちに無償であげた「特許」をご紹介します。
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1、「カンブリア宮殿」と「ガイアの夜明け」と「情熱大陸」に出ている企業や人は、全て私の「社長会のメンバー」だったので、自慢している会社の技術や特許は、「私の特許」だと思って下さい。
2、日本で最高と言われた「経営コンサルタント」の会社数社がやってきて「経営アドバイス」の指導方法を確認したがあまりにもひどかったので、有能な人材だけを集めて「合同会社WAC」を作りました。
「企業内並列充電形式(企業が契約しているコンサル会社の共同作業)によって協力的にアドバイスするよう指導した結果、各社の売上が3倍になりました。
3、カセットテープもレコードも「磁気」だし、「大容量HDD」も「SDD」も磁気なので、「全ての磁気は時空を作る」と名づけて、「私の特許」を磁気製品を作っていた「Sundisk」をはじめ多くの日本企業に無償で技術と特許を差し上げました。
4、HDDの時代から「クラウド保存の時代」になると思ったので、「発想特許」とクラウドサーバーを開発して、GoogleとApple社に無償で提供して、逆に日本が欲しい技術特許もたくさんもらいました。
でも「Googleドライブ」には「インテルCPU」と同じ、「搾取プログラム」が入っていたので「搾取プログラム」を止める「イーサネットアダプター」を開発して多くの日本企業に「開発特許」を差し上げました。
5、「時間を止めて記録」するものは「新しい時空」を生み出すパラレルワールドに繋がるので、ディズニーの社長に頼んで「映画clock toki loki」を作ってもらいました。ディスニーの「MARVEL」の映画のアイデアも私の体験ですので、全ての特許収入はビヨンセに預けてあります。
6、「SONYのベータマックス 対 日本VICTORのVHSの戦い」は、一般ユーザー用に「VicteorのVHS」、プロ用機材は「Sonyのベータ」と私が決めて決着させました!
同時に、私の決定のせいで潰れる会社が出ないように「統合合併案」を出しました。「優秀な人員の売買」や「機材や工場の売買」もその場で値付けして、「売れる資産」は売りまくり、「解体企業の値段」を社長会の場で「セリ値」で決めて契約書を書かせて、裏金もなし違法性もないよう配慮しました。
7、ゼンセン同盟の「全繊維メーカー」を回って「新繊維素材を見つけて特許申請し、全ての自社工場と関連企業の「工場の機械・人員の写真」を写して、翌週の社長会で「欲しい企業の技術と工場と人員の写真」を見せて、その場で競って売買契約させて閉鎖工場が出ないようにしました。
「東レ」のナノ繊維技術は私の特許です。
8、1990年「YKKのファスナー」のを「プラスティック素材」・「鉱物素材」のほかに新素材を開発し、「滑りが悪くならない・途中で止まらない・オチンチンが挟まらないファスナー」に改良。日本国内と海外の需要を合わせると3年間で15倍の売上利益アップ。
吉田忠裕(よしだただひろ)社長は、吉岡一門の小作。1947年、富山県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、米国ノースウエスタン大学ビジネススクール(ケロッグ)にてMBAを取得。1972年、父の故・吉田忠雄氏が創業した吉田工業株式会社(現・YKK株式会社)に入社。1985年取締役副社長に就任し、1990年にYKKアーキテクチュラルプロダクツ(現・YKK AP)の社長を兼任。1993年吉田工業社長に就任後、翌1994年社名を現在のYKKに変更。1997年に特定非営利活動法人黒部まちづくり協議会を立ち上げ、初代会長を務めた。2011年、YKK株式会社 代表取締役会長CEOとYKK AP株式会社 代表取締役会長CEOに就任。
一気に売れた理由は、ダイエー労働組合は「ゼンセン同盟」に加盟していたし、私は労働組合中央執行委員だったので「ゼンセン同盟の加盟企業920組合」の委員長を通して社長たちの全ての工場へ行き、現場の問題を改善して多くの「特許」を無償で差し上げたから今も存続しています。
ゼンセン同盟加盟企業920社
東洋紡、カネボウ、ユニチカ、ダイワボウ、クラボウ、シキボウ、日東紡、日清紡、富士紡、オーミケンシ、日本毛織、イチカワ、日本フエルト、セーレン、東海染工、小松マテーレ、住江、川本産業、ジョイソン・セイフティ・システムズ・ジャパン、ソトー、ユニ・チャームプロダクツ、トンボ、菅公学生服、グンゼ、フクスケ、イトキン、片倉、ナイガイ、アツギ、ワコール、ワールド、ルック、レリアン、三陽商会、ミズノ、デサント、アシックス、エスエスケイ、ゼット、東レ、旭化成、帝人、クラレ、日本エクスラン、大阪ソーダ、東京応化工業、明和グラビア、古河電池、三井化学東セロ、東洋ガラス、日本バルカー、タカギセイコー、日本バイリーン、タキロンシーアイ、品川リフラクトリーズ、帝人化成、四国化成、水沢化学、武田薬品、サノフィ、千寿製薬、丸石製薬、大正製薬、佐藤製薬、スズケン、中北薬品、エバルス、テルモ、ニプロ、山下医科器械、メディコン、ピアスグループ、日本メナード化粧品、富士フイルム和光純薬、シミックCMO、武州製薬、フランスベッド、ニチハ、大建工業、朝日ウッドテック、ニチアス、長谷工、象印マホービン、タイガー魔法瓶、小泉産業、イムラ封筒、サンメッセなど
9、「永久電池の開発特許」は「デンソーと日本郵船」に差し上げて「デンソー郵船トラベル」を作りました。
船の輸送コストを下げたり、防衛省の潜水艦や船の電池に使いました。
10、タバコの葉の栽培に「劇薬の農薬」を使っていたので、毒を消す「外装フィルム」を開発して「農薬の毒を消すフィルムの特許」を「3M」に差しあげて日本専売公社(JT)に無償で差し上げました。
11、「タイガーかまどたき炊飯器」は、自社でも作っていましたが、私が開発した「新・かまど炊き」のほうがお米が美味しいと社員たちが言ったので発売されました。同業者の会社にもオリジナルの炊飯器をプレゼントしました。
12、日本全国坪売上NO1の札幌のケーキ屋さんの「きのとや騒動」から「札幌ベルエポック製菓調理専門学校」を設立し、接客、輸送コスト、製造スピード改善をして以前より大幅に収益を改善しました。
「きのとや」、「パールモンドール」、「職人育成の研修生制度と学校「札幌ベルエポック製菓調理専門学校」を作りました。
13、北海道の厨房機器専門店の「ホシザキ北海道株式会社」に「チルド技術」の特許を教え、ヤマト運輸の「クール宅急便」を可能にするために「トヨタ自動車」と「日のトラック」に技術特許をプレゼントして開発しました。
14、北海道ラーメンの麺のメーカーの「西山製麺」(札幌市白石区)の西山隆司社長は「卵ちぢれ麺」で有名で麺のシェアは60%以上ありますが、「新しい販売先を広げたい」と言ったので、「千歳空港のお土産用」と「スーパーで売る自社麺とスープ」を作り、有名ラーメン店のラーメンを家で作れる「ドライ麺とスープ開発」を営業しなさいとアドバイスし、自社店舗もたくさん出して、合成調味料のラーメン店を無くしなさい、とアドバイして売上高34億円となり、当時の5倍の売上になり大成功しています。
15、北海道では「循環コンビニ」で有名なリサイクル企業の「株式会社マテック」の杉山博康社長は、もともと帯広市で「計量証明事業」がメイン事業でしたが、行政から委託されてゴミの回収をしている業者は、ヤクザが仕切っていたので、「資源リサイクル・リユース・リサイクル品の販売・産業廃棄物処理事業」に業態転換するようアドバイスし、「循環コンビニ」の命名も私がやり、借りる敷地や条件もアドバイスして一気に事業拡大しました。
「北海道のヤクザ」は、私がダイエー時代から知り合いがいたので、手を出さないように命令したので順調に事業を伸ばした結果、360億円という売上になりました。
「循環コンビニ」とは、自宅のリサイクルできるゴミやペットボトルや段ボールや金属をいつでも24時間捨てられる「場所」を会社が借りて作り、行政と契約している回収業者よりも安く大量に回収できるし回収した金属物も衣類もスマホやパソコンも中国やアジアに船で送れば買ってくれるので、捨てる人は「有料袋に入れなくて良い」ので捨てるものがないほど大人気ですが、札幌市、苫小牧市、釧路市、恵庭市、千歳市、江別市まで事業展開しています。回収車の経費と人件費と回収して分別する工場の距離とコストで決めています。
16、兵庫県神戸市にある「富永貿易株式会社 富永壽吉社長」が東南アジアへの青果物及び海産物の輸出を行っていたので、インドや大東亜連合の取引先を国王たちに紹介し、大幅な売上になりました。「無農薬無添加の商品を条件」にしたので「100%果汁の美味しいジュース」が大人気だったので「ホテル仕様」にラベルデザインを変更して営業した結果、大人気となりました。「神戸居留地」のネーミングは私です。
17、九州・沖縄・四国のヤクザのトップであった長崎県佐世保市の「来島ドックの坪内寿夫会長」は造船業でトップでしたが、戦後、次の事業展開ができずにいたので、「花の販売」と行政第三セクターの「ハウステンボス」をアドバイスしました、ハウステンボスで踊っていた人たちは、「ディズニーランドの契約が終わったダンサーを採用」していろんなイベントをやりました。
もともと商人ではないし、行政の天下りに人件費が高いので経営不振になり、投資会社の「野村プリンシパル・ファイナンス」が手を引いたので、社長会に来ていた旅行会社の「エイチ・アイ・エス」の澤田秀雄社長に頼んで再建してもらいましたが、2022年9月30日、エイチ・アイ・エス(HIS)は子会社ハウステンボスの全株式を香港の投資会社PAGに666億6000万円で売却しました 。
ハウステンボスは、(ディズニーランド+ディズニーシー)を合わせた広さで、長崎県佐世保市にあるテーマパーク。略称は「HTB」、テンボス。オランダの街並みを再現し、ヨーロッパ全体をテーマとしている。東京ディズニーリゾートの1.5倍の敷地面積で、単独テーマパークとしては日本最大。ドラマ・映画・CMなどのロケ地としても使われている。
The Maze、 天空の城、 恐竜の森、 VRの館、 ふわふわランド、バトルキング、主ティングスター、ゴンドラ遊覧、メルヘンの不思議の森、I .S,ラビリンスなどの乗り物が大人気で、ネーミングは私です。
18、草原の上で寝っ転がっていた時に気づいた「草心デジタルチップLED特許」と「8桁以外の全てのJANコード特許」と、「USBーCの特許」は私が作り、いろんな企業に無償で差し上げました。
19、風力発電のグローバルエナジー鈴木さん(71)の風力発電の「新型プロペラ技術開発」と「モーター開発」を無償で協力し国防予算をつけて日本のあちこちに設置しました。
20、「初音ミクのダンス」、北海道出身の伊藤博之を麻生太郎さんに紹介され、「何かアドバイスして」と言われたので、「動きがなめらかになる動画ソフト」と、「クリアな音声技術」を開発し、無償提供しました。
伊藤 博之(いとう ひろゆき、1965年3月11日[1] – )は、音声合成ソフトウェア「初音ミク」を創出したクリプトン・フューチャー・メディア株式会社の代表取締役[2]で、京都情報大学院大学の教授[3]。専門分野は「コンピュータと音を接点としたソフトウェアの開発」で、「ディジタル・オーディオ制作」を担当する。北海道標茶町出身。北海道釧路北陽高等学校在学中は自宅がある標茶町から釧路市まで、列車で片道1時間以上かけて通学した。卒業後、国家公務員試験に合格し文部省に入省。北海道大学工学部で事務員として勤務しながら、北海学園大学経済学部2部を卒業。
1995年にクリプトン・フューチャー・メディア株式会社設立。2008年より北海道情報大学情報メディア学部客員教授。2013年より京都情報大学院大学教授。2013年、藍綬褒章受章。北海学園大学経済学。北海道大学で職員として勤務後,1995年にクリプトン・フューチャー・メディア株式会社設立。代表取締役。「初音ミク」を創出。日本文化を海外に発信している功績が高く評価され,2013年秋に藍綬褒章を受章。
21、バブル崩壊を食い止めるために日銀三重野泰総裁と全ての都銀の頭取を集めて解決したあと、国が赤字企業の再生のために国費を使って精算して再生していた「日本長期信用銀行(長銀)」の堀江鉄弥頭取(元大蔵省)が、「社長会」のやり方に文句を言いにやってきて大喧嘩になり帰って行きました。
しかし、国が入れた「2兆4千億円」を使い切ったので「最後の泣きの電話」が私に入り、仕方なく「全ての都銀の頭取たち」を集めて赤字企業の不良債権を1社づつ見直して再建統合合併案を出して堀江鉄弥頭取の手柄にしてやりました。
私が指導した「都銀の融資額は8兆6千億円」を超えていたので「もう限界です」と言われたので、仕方なく「裏の人脈」を動かして「3兆6000億円」を新規でかき集めて対処してやったのにお礼も言わないとても冷たい人間でした。
さすが、大蔵省官僚だと思ったので、絶対にウイキペディアに名前や自己主張を残さないことを条件にし、ほとぼりが覚めたら辞職を条件に対処してやりました。
1991年(平成3年)12月末の役員会で、堀江頭取は鈴木克治専務より「グループ全体の不良債権額が2兆4千億円を超えました」と報告を受けたが、堀江が採用した対応策は本部事業推進室が中心となり受け皿会社に不良債権を「飛ばす」事であった。堀江は頭取在任中この対応策を見直そうとせず、1994年(平成6年)2月には、より本格的に不良債権隠しを進めた。
バブル期には不動産開発の審査が杜撰になっており、特にバブル崩壊後に調査された海外案件は「開発目的で取得した土地に開発許可が下りておらず二束三文にしかならない」「一流ホテル建設予定地に多数の路上生活者が住み着いている」「最高級リゾートの建設地だが、浅瀬であり一日の半分は水没している」などと散々な事例ばかりであった。
アメリカの貿易赤字是正のために日本銀行から課された貸出増額枠、いわゆる「日銀枠」が課され、貸出枠が減ることを恐れた長銀を含む各銀行はそれを消化するために必死になり、これも融資管理が杜撰になった原因とされる。
バブル崩壊後に行った地価のシミュレーションにおいても「今後10年の地価が下落する」というシミュレーションを想定しておらず、このような土地神話に基づく楽観論も長銀を後に苦しめた。
公的資金注入
1997年11月の三洋証券の経営破綻以降、山一證券や長銀の設立に関係していた北海道拓殖銀行が経営破綻した。
このような、日本の金融機関をめぐる経営環境が日々悪化する中で、1998年(平成10年)3月、金融機能安定化措置法案に基づく金融危機管理審査委員会の決定により、1,766億円の公的資金が注入される。
しかし、1998年3月期決算において大野木克信頭取ら経営陣は粉飾決算[注 5]に手を染めた(長銀粉飾決算事件)。不良債権処理に約8,000億円が必要と認識しながら、実際には約6,000億円の処理にとどめ、結果として71億円を違法配当し有価証券報告書に虚偽記載をすることになる。
1998年、長銀はスイス銀行(旧:SBC・現:UBS)と提携し活路を見出そうとする。この時、長銀は「不良債権の抜本処理に必要な額は5,000億円」と説明していたが、スイス銀行は、その粉飾を見抜き9,200億円が必要と主張、交渉は膠着し進展を見なかった。結局、合弁の証券子会社である長銀ウォーバーグ証券を乗っ取られ逆に市場で長銀株を空売りされるなど[5]、この提携は局面を打開するには至らなかった。
22、老人が買い物できて座ることができる「島製作所」の「ベンリー」を工場で開発して大ヒットしました。
23、「プリジストンタイヤ」に「細かいガラス」を入れた「スタッドレスタイヤ」を開発し、「冬靴」と「ゴルフシューズ」にしたら爆発的なヒット商品になったので、全ての靴メーカーにも技術を無償提供しました。
ちなみに、鳩山由紀夫総理のお母さんは「ブリヂストンの社長の娘」だったので、お母さんに頼まれて仕方なく1回だけ「総理」にしてあげましたが「裏金」は頂いておりません。
24、ドイツの高級車メルセデス・ベンツ工場の最高マイスターの「ジョナサン・ボブ・鈴木」にいろんな特許をプレゼントして、「ガソリン➕EV +自家発電」する世界初の「GLCー350e」を一緒に作り、1万台の契約をして吉岡一門の資産で全て前払いして防衛省に納品しています。
1台1200万円×1万台=1200億円を吉岡一門の資産から「全額前払い」で契約して支払ったことを、「日本法人メルセデスベンツ日本」の名付け親の私なのに、上野金太郎の手柄にしてやって社長になれたし、2024年9月1日から会長になるのに一円もお礼はもらっていません。
「いつか、偉くなったら最高級ベンツを何台も差し上げます」と言っていたけど、さすが、よくクマから落ちた嘘つき金太郎です。何度もメールしたのに返事を返さないので誰かに落とされないうちにすぐに私に「お返し」して下さい。
25、「NIPPAN」と「TOPPAN」の印刷機械のメーカーがイギリス製とフランス製と違っていたので、両方の印刷機械の契約先の国に行って「機械の生産能力を一気に上げる特許」をいくつもプレゼントして技術開発してから、「NIPPAN」と「TOPPAN」の印刷機械の中古を全て両国のメーカーに買い取らせて「大東亜連合のアジア」に安く売り、日本の若い技術者を研修派遣して日本国の予算をつけたので一気にアジアの印刷業界は伸びました。
日本の全ての印刷機械を新しい会社に決める「セリ」をして大量に買って、国の税金も入れて安くて最新の印刷機械を新品で2社に導入しました。日本よし、大東亜連合よし、ヨーロッパのメーカーも良しの「三方よし」でまとめました。その結果、お互いに無駄な「取引先の奪い合い」をやめさせて、毎月、定例会で情報共有をして「日本の印刷技術職人」が海外に流出しないようにしました。
26、ソフトバンクの孫正義さんに、Apple社とYahooの契約をしてあげてソフトバンクグループの経営指導をしました。
孫正義さんは「YahooとApple社との契約を学生時代にした」と言って投資家たちから多額の資金提供を受けていましたが、Apple社のスティーブ・ジョブスと、Yahoo!のジェリー・ヤンに直接、聞くと「そんなこと知らないし、契約書は交わしてない」と2社の社長に言われて困っていたので、私が先に「新しい通信手段の国防契約」を結んでから「Yahoo BB」を売り出すことを提案しました。
Apple社のスティーブ・ジョブスとは18歳から「防衛省の陸将補」だったので知り合いだったので、「iPhoneとApple製品全ての販売許可」を無償で取り付けて孫正義さんが使えるようにしてもらいました。
また、全ソフトバンクグループの社員が、「新しい企画書」を持って承認されると社長になれて好きな部下を連れて社長になる会議を開催するよう指導。売上戦略と収益の出し方と競合他社との棲み分けを細かく指導し、グループの再編を無償で協力し、色々、国防のために協力してもらい「恩返し」としました。
「Yahoo!のジェリー・ヤン」と交渉のための話し合いをネットですると、実際に「まなぶさんに会って話したい」と日本までやってきたので、美味しいお酒と食事をご馳走しながらいろんな話をすると、「ぜひ、yahooの役員になって年間100億円で来て欲しい」と言われましたが、「まずは孫正義に契約してやって下さい」と言ったおかげで、「Yahoo!BB」という光通信が成功したのです。
27、Apple社の「スティーブ・ジョブス」と「Yahooのジェリー・ヤン」はしばらく「私のスタッフ」として「日本の国防研究開発チーム」に協力してくれました。
防衛省には「私のNECチーム」がいたので「システム設計」と「技術設計」と「研究開発」は「私が全てのリーダー」となり、世界にはない通信システム「StarLink」や「セキュリティシステム」を作り上げましたが、途中で「難しくてついていけない」と二人とも手を引きました。
28、「ファスナー」と言えば、日本の学生服とセーラー服をほとんど作っていた「国産ジーンズ発祥の街 岡山県児島市」の生産者組合ですが、組合長に会って話をすると偉そうだったので、「家内制手工業の奥様たち」に話を聞き、「ファスナーの原価」を聞くと「中国産なら1本18円、YKKファスナーは80円」と言ったので、ファスナーの生産工場を中国から大東亜連合に移し、工場は各国の国王に建ててもらい、機械と人手だけ送って原価を16円にさせて契約しました。
「国産ジーンズ生産者組合の組合長の賄賂分で3円」も原価に乗せられていたので、「組合長交代、一括仕入れ一括卸、輸入税を無税」を条件に改善したので、岡山県だけでなく日本中と世界中に「YKKファスナー」は売れました。
「ファスナーの生地」もアルゼンチンとかで作っていたので、全て「ゼンセン同盟の企業」が作る契約先に変更して利益を落としたので、日本の繊維業界全ての企業が生き残れたのです。
30、 1994年7月22日徳島県の日亜化学工業が実用化が難しかった高輝度の「青色LEDの量産化」に成功。日本初のLED式信号機は名古屋市内の市役所前の「市役所北交差点」に設置。 この「LEDの技術の原理」を絵に書いて知恵を授けた結果、実用化実験に成功し量産化できました。
このLED技術は、社長会に来ていた全てのメーカーも渡したので、世界にどんどん売り多くの企業が大儲けしましたが、私の友人の「松下幸之助社長」に「LEDの技術の原理の絵」を渡したのに、実用化に15年もかかってしまうほど「大企業病」で嫌になりました。やはり、日本の底力は中小企業が支えています。
2009年10月に、日本で最初の「パナソニックのLED電球」は、私の開発した「特許」を松下幸之助さんに教えてさしあげました。
1992年に「社長会」が終わったあと、「俺にも何かの特許をくれよ!」と松下幸之助社長に頼まれたので、「LEDの仕組み」を絵に書いて「電子」の仕組みを説明しましたが、「電気はわかるが電子は意味がわからん!」と言い、パナソニックの研究者たちに「すぐに作れ!」と言ってもできなかったし、量産化に時間がかかったので2009年まで時間がかかってしまいました。
ご本人に会うたびに、「パナソニックで出来ないなら他の会社にあげちゃいますよ!」と脅し、高いお酒をいつもせびっていました。「単純な原理」ですが、実用化に10年もかかるのが「大企業の研究者」なので、今、実用化されている商品開発も10年から20年前に研究を始めたものばかりが実用化しています。
31、日本で最も安い「LED電球」を作ったのは「アイリスオオヤマ」ですが、さすが頭が柔らかい大山社長です。ロゴも企業名も変えた私のいうとおりにした会社は一気に売上も利益も伸びました。
「園芸用プラスチック」から「収納用プラスチック」にしてはどうですか?私が全国のダイエーで売るように中内功社長に言いますし、他のスーパーの全ての労働組合を通してお宅の商品を宣伝しますのですぐに作って下さい、と言っただけで、1年後、会社の売上は150倍になり収益は350倍になりました。
32、全ての「色の原料輸入販売」に関しては「日本ペイント」が業界NO1だったので大東亜連合の国王に言って大量契約でコストダウンし、国の税金も全ての窓口になって安く買えるように交渉したので大きな日本の塗料メーカーの収益改善になりました。
33、1991年にピラミット探査で有名な「早稲田大学の吉村作治教授」がやってきて、「いくらやって何も出ないので力を貸して欲しい」と言ったので、防衛省装備庁で私
が極秘に開発した地球の核までの距離と成分を測定できる「地下探査機(1台3億円)」を貸してやり、「操作できない」と言うので私が同行しました。
「1992年『宜保愛子 ピラミッドの謎に迫る』(日本テレビ)」という番組で宜保愛子が王家の谷の霊視に同行して、ピラミッドの中に「木の船」が入っていることを見つけ、ピラミットの全体図は「正四角錐」が上下に二つ繋がっている形だと言わせたのは私だし、吉村作治教授はテレビで自慢げに話していました。(全て無償)
「宜保愛子さんの霊力」は本物で先祖譲りですが、人間の霊はわかりますが「御霊上げ」はできないし、「土地」は私のほうが強く正確に読み取れるし、「地下探査機」のおかげで番組は大成功しました。
早稲田大学の吉村作治教授
- 1994年 ディプロマミルの一種のパシフィック・ウエスタン大学から30万円で博士号(考古学)を購入した
- 1996年 早稲田大学人間科学部教授となる。ダハシュール北地区で神殿型大型貴族墓を発見し、世界で初めて人工衛星の画像解析を利用した調査として注目を集めた
- 1999年 「古代エジプト・クフ王「第1の船」の復原に関する研究 -現行復原の検証と新復原案の提示-」で早稲田大学から「博士(工学)」(乙種)の学位を取得した
- 2001年 カエムワセト(ラムセス2世の第4王子)葬祭殿で、世界2例目となる「クフ王の銘が入った彫像」を発見したのちに、さらに1体を発見した
- 2003年 ピラミッドのプロトタイプと考えられている、エジプト最古級の大型石造建造物を発見した
- 2006年3月31日に早稲田大学の専任教授を退職し、無給の客員教授として継続在籍する
34、子供の安全を守る「SGマーク」
子供が遊ぶ「おもちゃ」や遊具、三輪車などで手を切ったり、目が潰れたり、怪我をする子供がいたので、ダイエーで私が作らせた「衛生安全センター」で安全基準を作り、国に「Safty Goods」の「SGマーク」を管理する「一般財団法人 製品安全協会」を作らせて全ての製造業に通達し、子供の安全と企業の補償制度を守りました。
35、「嘘の源泉掛け流し」の行政指導
日本の「温泉」の特に本州の有名な温泉ほど、ほとんどが「バスクリン」で、「源泉掛け流し」は嘘で、ほとんど「加温」しています。
嘘だと思うなら、温泉の裏に行って「ボイラータンク」があれば「加温」です。「行政指導」もしましたし、嘘の看板を出したら罰金の法律も作りました。
36、日本製の国産ワカメの補助金
日本以外のワカメ、特に中国産は財務省の小指チンチン鈴木友康が「農薬を入れた海水」で作っているので、高くても「国産ワカメ」を買いましょう!それが健康になる秘訣です!
37、公務員の使い切り予算の対策
毎年、3月末までに全ての官公庁や市役所は、次年度にも同じ金額をもらうために使いもしないポールペンや雑巾、洗剤を山ほど買って保管する「公務員物品予算の使い切り」を行っていたので改善命令を出して、仕事で使う消耗品を家に持ち帰ると「犯罪」とし、古い消耗品を捨てることを禁止し、無駄をなくす指導を全国に通達し、わかりやすくマンガにして全国の都道府県市町村に全て配りました。
38、「天然水」として売っている全ての企業の「水」には、必ず、「防腐剤」が入っています。
これは「厚生労働省の指導」なので入れないと発売できません。「防腐剤」を塗ってある場所は「キャップの裏」ですので、絶対に子供に舐めさせたり、「遊び道具」には使わせないで下さい。味覚障害と脳障害になります。
39、大型家電量販店の過剰競争をやめさせて利益を出すために経営統廃合と販売ルールを策定し行政指導とした。
- ヤマダ電機(ヤマダホールディングス):1兆7,525億円
- ビックカメラ:8,479億円
- ケーズデンキ(ケーズホールディングス):7,925億円
- エディオン:7,681億円
- ヨドバシカメラ:7,046億円
- ノジマ:5,233億円
- ジョーシン:4,491億円
- コジマ:2,882億円
「ヤマダ電気」・・・ポイント還元率と長期無料保証。ポイント還元率は約10パーセントとなっていて、数ある家電量販店の中でも特に高いです。
ヤマダ電機の傘下に入っている「ベスト電器」は、国内だけでなく、東南アジア諸国にも出店している量販店。独自のネットワークを活かし、サービスを工夫しています。
「ビックカメラ」・・・都心部を中心に店舗数を着実に増やす。
ビックカメラの子会社・「コジマ」の特徴は、店舗数と保証期間。北は北海道、南は沖縄まで、
「ソフマップ」・・・ビックカメラグループ傘下に入っている「ソフマップ」は、パソコンとその周辺機器の販売に特化。
「ジョーシン電機」・・・ 関西を中心に出店
「エディオン」・・・家電業界でポイントが重視される中、サービスの質を重視しています。クレジット機能が付いているエディオンカードは、年会費約1000円で10年の修理保証商品を増加できるなどの特典が魅力。
「ノジマ」・・・神奈川県に拠点を置くノジマは、家電業界において、いち早くデジタル製品の販売を本格化
40、日本のテントメーカーのデザイン開発と販売形式変更と利益が出る価格に変更
日本で販売している「テントメーカー全て」に新商品を開発してあげて、価格競争よりも「品質競争」に変更。
同時に、全てのメーカの古い在庫を全てダイエーで売り切り、新商品の売り込みに集中するよう指導。
ダイエーの売り方も酷かったので、担当バイヤーに許可をもらい、年間販売計画を作りメーカーと全店舗に指導した結果、売上3.5倍、利益5倍になったので全てのテントメーカーも生き残りました。
41、私の噂は口コミでどんどん広がり、「札幌社長会」が東京・大阪・中四国・九州・沖縄・北海道の中小企業の社長たちもそうしたいと言われ、現地へ行ってアドバイスしたし、「アメリカのジョン・ボルトン」にも頼まれて「アメリカ社長会」も行い、たくさんの企業の「次世代通信関係の特許」をプレゼントした代わりに、いろんな企業の特許技術や工場を見せてもらい、それをまた日本企業の新技術に活かして「国の交渉材料」にしました。
アメリカのジョン・ボルトンの紹介で、「オバマ大統領」に会う機会ができて、アメリカ経済界への貢献のお礼を言われ、「オバマの胸の大統領バッチ」を頂き、「ペンタゴン」と「NASA」のトップの役職と「アメリカ大統領の特別補佐官」という要職を頂き、いろんな日米交渉の決め事にアドバイスしましたが、「100億ドル」のお礼のお金は貰いませんでした。
こんな経験をしたので、アメリカの軍事情報も詳しいし、日米演習の時には先に「防衛省のトップの統合幕僚長」として演習作戦を決めるので、統合幕僚長や幕僚長たちは何も仕事をしないでサボっています。
日本中にある「アメリカの基地」を排除した瞬間に、中国は日本を攻めるので何度もヤバい時もありましたが、私の個人的な「日米両国の資格と友人」を使って攻撃を事前に察知し、悔い止めていたので、今まで戦争にならなかったのです。