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【防衛省】日本の空を守る航空自衛隊員の実態と「東日本大地震のトモダチ作戦」の作戦命令

「戦争」が始まる前は「小競り合い」と呼ばれるいろんな方法で、「外国の敵機」が日本にやってきています。

最も多い攻撃は、日本の空域に侵入して、自衛隊の攻撃配備状況やレーダー位置を調査する海外の戦闘機が毎日、日本上空を飛んでいます。

最も多いのは「北海道と沖縄の上空」ですが、日本の航空自衛隊は領域から追い出すための「緊急発進スクランブル」が発令されます。

必ず、「1機の敵飛行機に対して、2機で追い出すルール」になったのも、「相手が弾を打ってきた証拠ビデオ」を残さないと「打ち返す許可」が降りないので「私が新ルール」を作りました。

それまでのルールだと、敵の戦闘機が弾を打ってきて日本の戦闘機に当たっても「弾を撃って良い許可」が出ないからです。

 

日本の戦闘機に弾が被弾して「墜落」してから初めて航空自衛隊のトップの「航空幕僚長」に報告が届きますが、多くの場合、「敵を撃ち返しても良い許可」は降りません。

空の上の戦闘機同士の戦いでは実際に弾を打つ前に、敵の飛行機に対してレーダービームを照射して、照準が合った「合図の音」が「ピー」と鳴るので、それで初めて敵は威嚇射撃をやめて撤退するか、「本気の攻撃(戦闘)」に変更するのです。

 

しかし、日本の法律をよく知っている外国の飛行機は、「レーダー照射」されても動きを変えず、悠々と日本全国の様子をビデオ撮影し続けていますし、それを止める方法が今の日本の法律にはないのです。

もし、同じことを日本が他の国の上空でやった場合、レーダー照射する前に地上から必ず、「領域侵犯」と判断された場合、即座に「対航空機撃墜命令」が出ますし、同時に、5機くらいの戦闘機がやってきて、思いっきりミサイルと50ミリ砲を打ち込まれて撃墜されます。

 

世界の軍隊では当然の「自国を守る攻撃」さえも、「日本の法律」ではやってはいけないことになっているため、今でも多くの自衛隊員が命を落として「訓練中の事故死扱い」になっているのが実情です。

 

国防とは、戦争を始める前に、「政治家同士の駆け引き」が最初にあるので、一人や二人の自衛隊員が死んでも、決して戦争にはなりませんし、飛行機が墜落して死亡しても、「練習中の事故」と報告されて終わります。

なぜ、そんな事態になるのかというと、「憲法」に書かれている条文が問題で、「法律の改正」と、自衛隊ではなく「軍隊」に名前を変えなければ、自国を守るためでさえ世界と対等には戦えない国だということを覚えておいて下さい。

 

「戦争の開戦宣言」をしないと戦争とは認められない

戦争(有事)になる時は、「開戦宣言」をどちらかの国の首相がしなければいけない「国際ルール」があるので、今のロシアとウクライナの戦いも「ロシアは戦争ではない」と言い張る理由を理解して下さい。

ロシアが「開戦宣言」をした場合、国連条約で決めた「世界安全基準条約」に基づいて世界のどの国もロシアに対して弾を打ち込んで良いという条文があるため、ロシアは最後まで「戦争ではない!」と言い張るのです。

だって、「国連の平和条約や軍事条約の条文」を作ったのは私だからです。

ロシアは「自国の領土が攻められたので自国の領土を守るために軍隊を動かしている」と言いますが、実際は「敵の民間人」がいる場所にドンドン爆弾を落とし続けてウクライナ軍が撤退するか「無条件降伏」するまでこの戦いを止める気はありません。だって「マーゴのWarGame」だし、プーチンは「マーゴの商品」なので勝手にやめるわけにはいかないのです。

 

どの国もロシアとは、政治上と軍事上の「信頼のホットライン」を持っていないのが実情です。

世界の首脳陣はいろんな角度でプーチンにコンタクトをとっていますが、全て「内戦」なので「戦争」ではないし、「お前の国に口を出される筋合いはない」とプーチンは言い張ります。

もし、安倍晋三首相が生きていたら、「世界で唯一プーチンと対等に話せる政治家」でしたが、「財務省の小指チンチン鈴木友康の命令」でSPを買収して交代させて、SPを安倍晋三首相から離れた時に手製拳銃を打ち込んだので全て計画的犯行ですが、警察も裏金をもらっているし政治家も裏金をもらっているので誰も本気の捜査などしません。

私が「日ソ安全保障条約」も結んだのに、「左寄りの国民」と政治家のせいで安倍晋三首相は殺されてしまい、マスコミも短期間で報道を止めてしまいました。

世界の首脳たちは「プーチン暗殺命令」を出していないので、しばらくこの戦争は続きますし、きっと、ヨーロッパの「小競り合い」が大きくなると思います。

 

日本人が死んでも対抗できないおかしな左寄りの法律の平和主義

「航空自衛隊の戦闘シーン」の話に戻りますが、航空幕僚長から「首相」に電話をする時の基準は、「自国の自衛隊員が3人以上死んだ事実がないと首相には電話しない」という「暗黙のルール」が防衛省にはあります。

「国家安全保障条約」というお題目を口にする左寄りの政治家たちは、自国の防衛については「国民が戦争反対」を叫んでいる言ってマスコミを利用すして、「日本は戦争をしたがっている」と嘘のデマも流してバカな国民の意識誘導をするので、自国を守る自衛隊員が何名死んでも事実を知ることはありませんし、実際の「日本の安全」は守られていない国なのです。

「法律」を変えるためには「政治家」になるしか道はありませんし、法案を通すには衆議院と参議院の過半数の人数を持っていないと法案は通らないので、国民がどれだけ真剣に訴えても日本のために戦っている「自衛隊員の命を守る法律はない」のが現状です。

 

 

10年以上、緊急発進(スクランブル)で外国の戦闘機を追い出した人の体験談

実際に、「スクランブル発進」で出撃した自衛隊員たちに聞いた話では、頼むから現場に実弾発射の権限がないと、隊員たちが何名死んでも俺たちは救われない!」と涙を流して訴えてきました。

 

「9G」が体にのしかかりながら戦う戦闘の厳しさ

「1G」は9.8m/sですので、体重60kgの人が戦闘機に乗って、急上昇、急降下した時の「9G」は、60kg×9G=540kgの重さが全身に乗った状態のまま敵機を撃ち落とさなければいけないのです。

肉体的にも精神的にも緊張状態が続くので、実際に戦闘できる年齢は40歳くらいと現場では判断されていますが、もし、戦争が始まったら一番最初に戦闘機に乗って「一番最初に死ぬ役目」だと本人たちも言っていました。

何人死ねば、俺たち戦闘機乗りの命は守ってもらえるのかと、本気で仲間の死を悔しんでいました。

 

実際に戦っている主翼戦闘機の違い

アメリカ軍の主要戦闘機は、「F-16」という最新兵器ですが、世界に輸出しているのは古い「F-15」しか売らない理由も考えればわかるはずです。

アメリカの主翼戦闘機「F-16」

OPERATION ENDURING FREEDOM — A F-16 Fighting Falcon from the 174th Fighter Wing, Syracuse, New York, soars over Afghanistan in support of Operation Enduring Freedom. (U.S. Air Force photo by Staff Sgt. Suzanne M. Jenkins) .

日本の主翼戦闘機「F-15」(1世代遅れ)

 

日本の経験を積んだパイロットの技術と判断力を持ってすれば、「必ず、F-15でもF-16には勝てる!」と言えるほど日本人の技術と精神性は世界でも認められていますが、「戦闘現場に弾を打って良い許可が無い」ため、いつも「戦闘訓練中の事故」で片付けられて死んでいく若者たちが減らないのです。

 

戦争をしないためにも「世界と同じレベルの軍隊」にしないと、日本は攻撃されても打ち返せない国なのです。

平和ボケしたみなさんが知らないところで毎年、日本人が毎年、国を守るために死んでいるのに「自衛隊員の命を守る法律」がないことをあなたも政治家たちも勉強しなさすぎです。

国防の軍事費の国家予算を獲得する国会の場で、左寄りのバカな政治家の発言を聞いていると、お前の息子が命をかけている自衛隊にいても、そんなバカな発言ができるのか!」と言ってやりたい気持ちで一杯です。

どうか、まともな政治家たちは政党の枠を超えて、まずは、日本を守るために働いている自衛隊を国防の「軍隊」と認める法律に変えてから、世界と同じ基準の「現場判断」できる法律の変更をお願いします。

 

緊急発進回数が激増している現状

現在、日本の空を守る緊急発進(スクランブル)の発進回数は、急激に増えていますが、それは、本気で日本をとりにきているロシアと中国、韓国、北朝鮮がそこにいるという意味なのです。

🔴航空自衛隊 スクランブル発進回数の実態

防衛省がまとめた2021年度の航空自衛隊機の緊急発進(スクランブル)回数は、1004回と1000回を超え、16年度の1168回に次ぐ2番目の多さとなった。20年度の725回から4割近くの大幅増になった。中国軍機の回数が722回と20年度の458回に比べ6割近く増え、大幅増の主因になっている。

 

日本国民はこういう自衛隊員一人一人が正しい情報を判断する「厳しい訓練」と「覚悟と責任」で守られますので、どうか、バカな左寄りの人たちの意見には賛同しないで自分の頭で考えて行動して下さい。

国の税金からお金をもらっている「公務員」たちは、有事の際には、「一番最初に戦わなければいけない立場」にいることも、どうぞ、お忘れなく!それが、「国家公務員法」で守られている人たちの「責任と義務」であることを私は主張します。

 

・・・・・・

 

皆さんが知らないところで私はいろんな指示を出していたのでご報告します。防衛省のお偉いさんたちは「国民に真実を伝えないほうが良い」と思って事実を隠しているので私が命令してたくさんの知り合いに真実の公開をしてもらいました。

・・・・・・

2011年3月11日14時46分 東日本大地震発生

まず、2011年3月11日に東日本大地震が起きた時、私の携帯に、「別班の通信班」から連絡が入り、アメリカ海兵隊のトップの「アメリカ海兵隊総司令官ジェームズ・F・エイモス」から「アメリカとして日本を助けたいが何をしたらいいのか指示を下さい」と連絡が入りました。

「ジェームズ・F・エイモス」は、創設以来、初の航空機搭乗員出身者の総司令官

吉岡)それはお前だけの判断か?それともアメリカ大統領のバラク・オバマの指示か?

 

ジェームス)これは私の判断で、「吉岡アメリカ合衆国国防長官」に連絡しています。

バラク・オバマ大統領から直々に任命された「初めての日本人」だし、私は一緒にF16戦闘機に乗って、あなたの操縦と本気さはわかったので「敵にはしたくない人」だからこそ、こうしてお電話させてもらっています!

日本の防衛省にも先ほど連絡しましたが、「日本のことは日本で解決します」と言うので手を出せません。

でも、私の上官であり、「友達の吉岡学さん」がいる日本を救うのに、上司の許可なんていらないと思います。だから、どうかご指示を下さい。

 

 

吉岡)ありがとうな。俺も防衛省に電話したが、俺の名前を言うとすぐに電話を切るバカばかりさ。「上官無視」なんて、即、クビにできるのに、アイツらには呆れるさ。

今、どこにいるんだ?太平洋艦隊は?

 

ジェームス)はい、現在、日本の福島まで1時間半で着ける場所にいます。

「大地震ニュース」を知った瞬間にもう「太平洋艦隊」は全て日本に向かっていますし、私の船が一番早いので何でもやりますのでご指示を下さい。

 

吉岡)わかった、まずは「人命救助」だが、現場をヘリで見に行った仲間の連絡では、「車が通行できない瓦礫の山」なので、戦車か装甲車で海側から車が通れるくらいの「道」を作ってくれ。

福島には原発がたくさんあるので被曝する可能性が高いので、離れた場所から上陸して車が通れる道を作ってくれ!

俺は、「陸上自衛隊の火箱幕僚長」に命令して現地に向かわせるが、「アメリカ海兵隊」は空から食糧や水を現地にヘリで落としてくれ。

避難場所には目印の「旗」を上げさせるのでその場所に荷物を投下してくれ!

荷物の投下が終わったら、仙台空港の復旧をしてくれ!

細かいことは、火箱幕僚長とやりとりして現場で判断してくれな!頼むぞ!

 

ジェームス)イエッサー!!ご指示通りにいたします!!

それと、アメリカ軍は、ひとつの作戦行動に必ず名前を付けるので、「吉岡アメリカ合衆国国防長官」が今回の作戦の名前をつけて下さい。

 

吉岡)お前と俺は友達だし、俺とオバマ大統領も友達さ。

それはつまり、「アメリカと日本は友達」という意味の作戦行動なので、「トモダチ作戦」でいいんじゃないか?

困った時は、お互い様さ!!

 

ジェームス)アメリカの言葉で、「A friend in need is a friend indeed(困ったときの友こそ真の友)」という言葉がありますが、その意味でいいでしょうか?

 

吉岡)OK!! Good Job!!あとは、よろしくな!!

 

 

2011年3月11日15時30分 福島近くの海にアメリカ太平洋艦隊の船が近づき、戦車と兵隊を乗せた水陸両用装甲車が20台突っ込む。

テレビカメラのヘリがたくさん飛んでいたので、カメラに映らないように「福島第一原発」と「福島第二原発」の間に上陸して、瓦礫の下に人がいないことを確認するために、戦車の先頭には海兵隊約200名が手で瓦礫を動かして「人がいないことを確認」して戦車を進めました。

 

▶️陸上自衛隊トップ、火箱幕僚長、辞任覚悟の出動命令

 

「トモダチ作戦」 震災10年目の真実(NHK)

2011年3月12日、東日本大震災の発生翌日。未曽有の大災害に見舞われた日本を支援するため、アメリカ軍が開始したのが「オペレーション・トモダチ」=「トモダチ作戦」だった。

兵士2万4000人が投入された「日米最大の作戦」は、どのように実行されたのか。その舞台裏を、関係者はきのうのことのように克明に語った。
(ワシントン支局記者 辻浩平)

「日米最大の作戦」

ペンタゴンの名で知られるアメリカ国防総省の巨大な建物の廊下には、いたるところに博物館さながらの歴史の資料が展示されている。

国防総省 廊下

日本にまつわるものも少なくないが、そのほとんどは太平洋戦争の「敵国」として描かれている。日本の全面降伏を確認した「降伏文書」の原本も。

その中に「同盟国」として日本が登場する展示がある。「トモダチ作戦」のパネルだ。

「トモダチ作戦」のパネル

説明書きには「2国間の最大の作戦だった」と記されている。

出動したアメリカ兵は、約2万4000人。航空機189機、艦船24隻が投入され、震災発生翌日から約1か月半にわたって救援活動や物資の輸送などにあたった。

調整役には「渦中の人物」

この大規模な作戦で欠かせなかったのが、日米両政府の連携だ。

アメリカ側でその調整にあたった1人が、ケビン・メア氏だ。

国務省の外交官として、日本で合わせて19年間勤務した日本通で、流ちょうな日本語を話す。

ケビン・メア氏

日本への深い理解を買われ、がれきの撤去から食料や物資の輸送、さらに福島第一原発への対応まで、日本からの多岐にわたる要請の調整にあたった。

記憶している人も多いかもしれないが、メア氏は国務省で対日政策を担う日本部長だった際に「沖縄はゆすりの名人」と発言したとされ、更迭された人物だ。

本人は発言を否定し、発災前日の2011年3月10日、みずからの発言が正確に伝えられていないとして、抗議の意志を込めて上司に辞職する旨を伝えていた。

その翌日に起きた、東日本大震災。

上司から「日米両国の調整役をするのは君しかいないだろう」と言われ、辞職を急きょ延期して任務にあたったのだった。

メア氏がいまも鮮明に覚えているのは、発災直後に行われた、ホワイトハウスや国防総省の担当者が出席する政府中枢の会議だ。

メア氏

「日本を助けるべきかどうかが議論になることは一切ありませんでした。震災支援が日米安全保障条約の対象になるか、法律の基盤があるかどうかなどということは話にも上らなかった。支援すべきだという前提で、日本をどうやって助けるかというところから議論は行われたのです」

直ちに検討されたのは、被災地に最も早く駆けつけられるアメリカ軍の部隊はどこにいるかだった。

シンガポールから急行した旗艦「ブルーリッジ」

アメリカ軍の動きは速かった。

シンガポールに寄港していたアメリカ海軍第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」は、救援物資を積み込み、発災の翌朝には、日本に向けて出港。

乗船していたジェフ・デイビス元大佐は、次のように振り返る。

ジェフ・デイビス元大佐

デイビス元大佐

「乗組員の多くは陸に上がっていたが、招集をかけるまでもなく、津波のニュースを聞いてみんなすぐに艦船に戻ってきた。自分たちも何かしなければならないという意識があったのです」

被災地の状況を把握するため、アメリカ軍は哨戒機や無人偵察機を飛ばして航空写真を撮影し、日本側に提供している。

ここでも同盟関係が力を発揮したという。

デイビス元大佐

「航空写真は画質や解像度が機密にあたるものもあり、通常、他国への提供には手続きが必要になります。ただ、日本とは同盟関係にあったので共有はスムーズに進みました」

拠点空港を5日間で復旧

「トモダチ作戦」の指揮をとることになったのは当時、太平洋艦隊司令官だったパトリック・ウォルシュ氏だった。

パトリック・ウォルシュ氏

発災時は、司令部があるハワイの真珠湾にいたウォルシュ氏。

当初、アメリカ地質調査所が出したマグニチュード9という数字を見て、計器が壊れていると思ったという。それほどの巨大地震は信じられなかったのだ。

ウォルシュ司令官は、司令部機能の一部を東京の横田基地に移し、みずからも横田に移動。

作戦を進めるうえで気にかけたのは、通常の指揮系統を見直すことだった。

ウォルシュ氏

「軍隊は、通常は上下関係がはっきりした組織です。しかし『トモダチ作戦』で私たちは、自衛隊を支援するという役割でした。彼らの求めること、必要としていることを成し遂げるという姿勢です。上下関係ではなく、自衛隊と情報を共有し、水平の関係で決定を下していきました」

作戦の象徴的な活動の1つが、仙台空港の復旧だった。

津波で冠水し、がれきに覆われ、復旧には数か月かかると見られていた。

仙台空港

ここに、沖縄駐留の海兵隊の特殊部隊が投入され、自衛隊と連携することで、発災5日後には重機などを積んだアメリカ軍の輸送機が着陸。

物資や人員を運ぶ拠点となる空港の再開に、アメリカ軍司令部でも大きな歓声が上がったという。

ウォルシュ氏は後日、避難所となっていた学校を訪れた際、握手を求めてきた地元の高齢女性が、その手をずっと離さなかったのが今でも忘れられないと振り返る。

「安全」か「同盟関係」か

「トモダチ作戦」が急ピッチで進む中、日米の調整にあたっていたメア氏は、別の問題に直面していた。

福島第一原発の事故による放射能への対応だった。

メア氏は、アメリカ政府内で当時、東京在住のアメリカ人9万人を退避させるかどうかが議論されていたと明かす。

原発が制御できているのか状況が分からない中、エネルギー省はコンピューターによる放射能拡散のシミュレーションを続けていた。

結果が出ていない段階で行われた会議では、万が一の場合を想定し、避難させるべきだという声が上がっていたという。

メア氏

「放射能レベルが高いと分かれば、すぐに避難させたでしょう。ただ、この時点ではシミュレーションの結果が出ていませんでした。その時点で判断して、結果的に必要なかったのに避難させたとなればアメリカ人は逃げ出したと思われ、日本から信頼されなくなります。日米同盟の基盤が崩れてしまうおそれがあったのです」

結局、会議ではメア氏などの「シミュレーションの結果を待つべき」という意見が通る。

その後、放射能レベルは問題ないことが確認されたとして避難は見送られたが、在日アメリカ人の安全と、日本との同盟関係がまさにてんびんにかけられていた瞬間だった。

自分より高位の政府関係者が集う会議で、臆せず発言するメア氏に、同僚が心配して声をかけると、笑ってこう答えたという。

「最悪クビになったって、私はすでに辞表を出している。何も恐れることはない」

その後、メア氏は日米両政府の調整にめどがついたとして、4月6日に退職している。

アメリカ兵による訴訟も

日米同盟の真価が発揮されたともされる「トモダチ作戦」。

だが、この作戦をめぐっては訴訟も起きている。

作戦に参加した空母「ロナルド・レーガン」の乗組員など少なくとも200人以上が、東京電力などに対し損害賠償や治療費などを求めて裁判を起こしているのだ。

空母「ロナルド・レーガン」

福島第一原発の保守管理などが不適切だったために事故が起き、被ばくによって健康被害を受けたというのがその理由だ。

弁護士によると、原告の元兵士の中には白血病や甲状腺の異常などの症状が出ているという。

原告の1人、スティーブ・シモンズ元中尉が取材に応じてくれた。

シモンズさんが乗艦していた空母は福島県沖およそ200キロの地点を通過し、三陸の沖合に展開。

物資を運ぶヘリコプターなどの洋上基地として、交通網を遮断された被災地に物資を運ぶために、欠かせない役割を果たした。

スティーブ・シモンズ元中尉

任務を終え、半年余りがたった2011年11月ごろから、シモンズさんは運転中に気を失ったり、高熱が出たりするようになる。

体重は10キロ以上減り、足の神経麻痺の症状も出始めた。その後、両足は切断を余儀なくされ、今は車いす生活を送っている。

16年間勤めたアメリカ海軍は、2014年に名誉除隊となった。

作戦に参加するまでは山登りやハイキングを楽しみ、ハードなトレーニングも軽くこなす体だっただけに、シモンズさんは作戦中に被ばくした可能性が原因だと考えている。

「もし同じ状況に置かれたら…」

シモンズさんにとって、人生が大きく変わったこの10年間は、どのようなものだったのか。

そう尋ねると、長い沈黙のあとにこう返ってきた。

シモンズさん

「どう表現していいのか分かりません。ありていに言えば、この10年間のほとんどは地獄のようでした。人生で最も苦しかった時期です。体の自由を失い、人生をかけて築いてきたキャリアも除隊して無になったのですから」

シモンズさん

「今もソーシャルメディアを見ることはほとんどありません。友人が活躍し、昇進しているのを目にすると、私はそこにいないのだと再確認してしまうからです。それはとてもつらいことです。(作戦に参加した)3月になると、いつもそのことが頭をよぎります。毎年3月は私にとって一番つらい時期です」

シモンズさんたちの被ばくの可能性と、健康被害の因果関係は証明されていない。

連邦裁判所は乗組員が起こした訴訟2件について、アメリカの裁判所が扱う事案ではないなどとして、請求を棄却している。

アメリカ国防総省は2014年に連邦議会に提出した報告書で「作戦に参加したすべての個人の推定被ばく量は非常に少なく、健康被害を引き起こす水準をはるかに下回っていた」として、健康被害との関係を否定している。

それでも、福島第一原発からの放射能で体の自由を奪われたと感じるシモンズさんに、私はこう尋ねた。

「トモダチ作戦に参加したことを後悔していますか」

返答はすぐだった。

シモンズさん

「答えはノーだ。もう一度あの時に戻れたとしても、同じことをするだろう。軍隊というのは、人生に大きな影響を及ぼしかねないリスクも背負うことになると承知のうえで、入隊するものだ。日本は同盟国、私に言わせれば兄弟同然だ。だからどんな状況であっても、もし同じ状況に置かれたら、同じことをするだろう。それが兵士というものだ」

感傷に浸るわけでもない、静かで淡々とした口調だった。

「トモダチ作戦」が残したもの

日本を取り巻く東アジアは、台頭する中国や核開発を続ける北朝鮮など、不安定な情勢が続いている。

「トモダチ作戦」の司令官を務めたウォルシュ氏は、作戦によって示された強固な日米同盟は、ほかの国々にも影響を与えたと指摘する。

ウォルシュ氏

「東日本大震災によって日米同盟は試され、両国は堂々と答えを出してみせた。アメリカが同盟国に対してどこまで支援するのか、日本がアメリカとの関係においてどれほどの地位を占めているのか、東アジアの国々ははっきりと理解したことでしょう」

在日アメリカ軍をめぐっては、沖縄の基地問題や駐留経費、それに兵士が起こす事件など、多くの課題を抱えている。

ただ「トモダチ作戦」に限って言えば「A friend in need is a friend indeed(困ったときの友こそ真の友)」ということわざを地で行く、心強い支援だった。

原発事故と地震・津波への対応を同時に迫られた東日本大震災。「関連死」を含めた死者と行方不明者は2万2000人を超え、戦後最大の危機だったと言われる。

私は震災後、岩手県に赴任し3年間、被災地取材に明け暮れた。現地で出会った人たちからは繰り返し、震災の風化への嘆きと警鐘を耳にした。

あの日から10年。

震災の記憶とともに、日本が最も助けを必要としたとき、覚悟を持って駆けつけた「トモダチ」の存在も、忘れてはならないと思う。

 

・・・・・

 

東日本大地震の時、菅直人首相が「首相官邸」に遅れた理由は、長野県の囲っていた女の家で寝ていたし、「携帯電話の電源もOFF」にしていたので、GPSで居場所を特定して、私の「別班部隊」が家を突き止めたので、家の鍵を開けて中に入り、菅直人首相をヘリで首相官邸まで送り届けましたが、そのあとも大変でした。

 

「総理を落ち着かせてくれ」現地本部長が見た福島第一

2011年3月11日、政府の現地対策本部長として、菅直人首相が福島に向かいました。 「あの日の夕方、東京・霞が関の経産省を副大臣車で出発しました。ところが、道路が混んでいて進まない。それで、市谷の防衛省でヘリコプターに乗り、大滝根山(福島県川内村)にある自衛隊基地に降りました。そこから車で移動し、事故対応の拠点のオフサイトセンター(福島県大熊町)に着いたのは12日午前0時ごろでした」

 

・・・・・

 

別班)吉岡隊長!菅直人首相がこれから現地へ行くと言っていますが、意味はないと思いますが、どうしますか?

 

吉岡)何!!!菅直人を俺の電話に出せ!!

乗せていくヘリコプターの無線と俺の携帯電話をリンクさせて、直接、俺の携帯で話ができるようにしろ!!!

防衛省の職員がヘリコプターの操縦をすると思うので、お前が殴って気絶させて、操縦を交代しろ!!!

 

菅直人首相)どうしたんですか?吉岡さん、お久しぶりです!!

 

吉岡)お前、バカじゃないのか?大地震が起きたその日に現地へ入るならまだしも、翌日のお昼に現地に入るなんて、現地の人も自衛隊員たちも邪魔になるだけだろう!!

せっかく、「民主党」から「立憲民主党」に移籍させて、裏金をたくさん渡して「首相」にしてやったのに、なんでそういう軽率な行動を取るのよ!!

本物のバカは、「鳩山 由紀夫」だけだと思ったが、お前も似たり寄ったりのバカなので、首相は一期で降ろすからな!!!いいよな?

現地に入ってもすぐに戻れよ!!!余計なことを言うなよ!!みんな惑わせるだけだかなら!!

 

菅直人首相)いつも電話でバカバカ言うので慣れましたが、今回だけは行かせて下さい。

普段は何もすることがないので、「今回のチャンス」を逃したら「良い仕事をした」と国民にイメージを作ることはできないので私は行きます。

「一期」しか首相ができないなら余計に名前を売っておかないと、あとで困るので行かせて下さい!!

 

吉岡)ふーん、そう言うならもういいわ。

もう、2度と助けてやらないからな。自分の周りの人は自分で守れよ!!

誰がお前を殺そうとしているのか知ってるが、俺が止めていたけどもう好きにさせるわ。

子供や奥さんが急に居なくなっても俺に文句をいうなよ!!じゃあな!

・・・・・

これが、私が「首相専用裏番頭」と呼ばれていた事実です!!!

・・・・・

 

自衛隊員の中にも「左寄りの幹部」がたくさんいたので、私は「防衛省の特別統合幕僚長(5つ星)」の人間として陸海空の幕僚長3人を集めていろんな命令を出しました。

まず、「自衛隊員の制服」ですが、昔から「海上自衛隊」だけ白い制服を着ていたので、「制服の製造原価」を調べてみると、「陸上自衛隊員の2.8倍のコスト」がかかっていたので国民の税金を無駄遣いしていたので変更しました。

吉岡)「正式な陸海空の自衛隊員が集まる場では「白い制服を着ることを禁止」するし、今後、新しい制服になる時は、「白い制服は製造しない」こととする。唯一、船の上で白い夏服を着ることは許す。」

海自)帽子くらいは白は残してもらえませんか?あの帽子にはとても深い意味があり、もし海に落ちた場合に見つけ易ための「白」なのでよろしいでしょうか?

吉岡)そうだな、それは必要だな。じゃあ、「帽子の白」は許そう。ただし、陸に上がった白い制服は着るなよ!!お前たち海自はいつも目立つことばかりやるし、「海自だけのファッションショー」も俺は好かん!!

海自)すいません、あれは子供達の夢なので、あれくらいは禁止しないで下さい!お願いします!!

吉岡)まあ、いいだろ。だから絶対に陸海空が揃う正式な場で着るなよ!国の予算が足りなくて、まだ古いものを着ているなんて言い訳したら、いつでもお前たちをクビにするからな!!!

 

昭和天皇が日本を裏切って「マーゴのWAR GAME」で日本が負けるほうに賭けて、勝手に「8月12日にポツダム宣言を受諾した」せいで、あと少しで「満州をロシアから取り戻せたのに中止命令」を陸軍大佐が出す羽目になりました。

この命令のせいで、後ろを向いて引き上げた日本陸軍兵士がたくさんロシア兵士に撃ち殺されて「ロシアのシベリア」に送られて抑留された事実を、日本国民に伝え残すために映画 日本の一番長い日」を作らせたので「アマゾンプライム」で見て下さい。私が大好きな「役所広司さん」に、またお願いしました。

当然ながら、本物の防衛省の四谷の「大本営地下壕跡」も撮影に使わせたし、地下壕から直接、外に出られる出入り口も開けて撮影させました。

昔は、この「大本営地下壕跡」の地下5階に「吉岡一門の伝承箱」を保管していたのでよく出入りするために「鍵」を持っていたので、正門を通らず「吉岡一門の資産」の日本刀やお宝を取りに行けましたが、財務省の裏切り者小指チンチン鈴木友康が勝手に「入館証」を作って防衛省内部を探し回ったので、別な場所に全て移動しました。

 

「京都御所」の中でも撮影させたし、「東京の皇居の扉」も開けて撮影したのでとてもリアルな映像です。

ポツダム宣言受諾の1日は、日本陸軍が命をかけて戦いを続けさせてくれと動きましたが、最後は陸軍大将が自分で腹を切り、先導した軍人たちも自決しました。

「本当は勝てた戦争だったのに、勝手に天皇が負けを認めたのが悔しいと私の祖父・岩渕安治も、吉岡の父もとても悔しがっていた戦争でした。

 

日本は決して一度も自分から戦争を仕掛けたことはないし、命をかけて日本を守ったことを正しく理解して下さい。

日本国旗は「日の丸」だけじゃなくて「日章旗」が「大東亜連合旗」だったからこそ、大東亜連合の植民地解放のために戦った戦争だったのです。

中国も大東亜戦争の途中までは日本軍と一緒に戦ったのに、途中からアメリカ側について日本を攻撃した国です。

中国の国民は「日本軍」に守られていたのに、これでもし9月9日の戦争で日本を攻撃したら、必ず、中国領土全てを吹き飛ばします。

正しい事実を自分で調べない愚かな人は、この映画の「事実」を見てから発言して下さい。

 

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