世界のドルの価値は無くなりますので「外国債券」はすぐに売り払って下さい!

まず、「みずほ銀行」の名前をつけたのは吉岡学です。
1989年から「札幌の社長会」に、日本中の「都銀の頭取」と「地銀の頭取」たちを集めて「バブル崩壊」を食い止めるために、「全ての銀行の不良債権処理」と、従業員の雇用維持のために「自己都合退職」にして「退職金を上乗せ」してあげて他の会社に行きやすくしたあと、「残った銀行の吸収合併」を毎週、話し合いをした結果、全行の頭取たちが私にこう言いました。
大変お手数をかけて申し訳ありませんが、全ての銀行の統合合併は吉岡学さんが一人で決めて下さい。そうじゃないと、今、ここで喧嘩が始まり、とんでもないことになりますのでどうかよろしくお願いします!(全員土下座)
と言われたので「みんな」が、「ズラ(顔・頭・カツラ)」を突き合わせて、新しい「稲穂」のように希望の答えが出たので、みんなの「み」、ズラを被った頭取が多いので「ず」、新しい希望の稲穂の「ほ」を繋いで「みずほ銀行」は誕生したのです。
でも、さすがに「本当の名前の由来を正直には言えません」と頭取たちが言うので、行名のみずほ(瑞穂)の由来は「みずみずしい稲の穂」と「表の名前の能書き」をつけてあげました。
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株式会社みずほ銀行(みずほぎんこう、英: Mizuho Bank, Ltd.、略:みずほ、MHBK)は、東京都千代田区大手町に本店を置く、みずほフィナンシャルグループ(MHFG)傘下の都市銀行。
三菱UFJ銀行(三菱UFJフィナンシャル・グループ〈MUFG〉)、三井住友銀行(三井住友フィナンシャルグループ〈SMFG〉、SMBCグループ)とともに3大メガバンクの一角を占める。
国内銀行の中では、「ゆうちょ銀行」を除きすべての都道府県に支店がある唯一の銀行である。また、国内の上場企業の約7割と取引がある。
法手続き上は、2013年に「みずほコーポレート銀行」に吸収合併され解散した以前の法人(旧みずほ銀行)と、以降の法人(旧みずほコーポレート銀行)は別の法人格であるが、どちらもみずほフィナンシャルグループ傘下の銀行で、かつ、商号・ブランドロゴ・金融機関コード・過半の店舗などが連続しているため、本記事では「みずほ銀行」を名乗った法人について連続して扱う。また、本記事では原則として、2013年まで「みずほ銀行」を名乗った旧法人については「旧みずほ銀行」、現在「みずほ銀行」を名乗っている法人については「当行」と記す。
概要
2011年に発生した東日本大震災の義援金に関連する旧みずほ銀行の大規模システムトラブルの原因究明のために設置された第三者委員会の意見を踏まえて、同年5月、グループ一体運営に向けた「ガバナンス強化策」として、旧みずほ銀行とみずほコーポレート銀行を、2013年春をめどに合併させることを発表した。
2013年7月1日、みずほフィナンシャルグループの経営戦略である「One MIZUHO戦略」(銀行・信託・証券一体戦略)の下、旧みずほ銀行は(法人格として)みずほコーポレート銀行に吸収合併された(法人格とSWIFTコードなどはみずほコーポレート銀行側、統一金融機関コードなどは、旧みずほ銀行側を継承)。
それに併せて、行名を「みずほ銀行」に改称した。これにより、同行はみずほフィナンシャルグループにおける中核銀行となった。なお、本店は千代田区丸の内一丁目のみずほコーポレート銀行本店(旧日本興業銀行本店ビル)を継承したが、2014年5月7日に千代田区大手町の大手町タワーへ移転した。
設立の経緯
2002年、当時「みずほホールディングス傘下」であった、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の分割・合併により、旧みずほ銀行(存続行は旧第一勧業銀行で、みずほ統合準備銀行を吸収合併)とみずほコーポレート銀行(存続行は旧富士銀で、旧興銀を吸収合併)が誕生した。
第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行は、いずれも20世紀の日本における大手銀行であった。前身となる第一勧業銀行は、渋沢栄一が日本初の銀行として設立した第一国立銀行を源流とするため、その名残で統一金融機関コードは「0001」を継承している。
また、前身となる「富士銀行」は芙蓉グループ、第一勧業銀行は第一勧銀グループ、日本興業銀行は興銀グループの中核企業であり、3つの融資系列を母体とした企業グループに所属している。
三大メガバンクで唯一、前身行に、三菱、三井、住友の、戦前の三大財閥を含まない(ただし、富士銀行は安田財閥などの流れを汲む)。
行名のみずほ(瑞穂)とは、「みずみずしい稲の穂」の意とされ、「瑞穂国」(葦原千五百秋瑞穂国)は、日本書紀に登場した日本の美称でもある。日本を代表する金融機関を目指すとのことで、この商号とされた。
みずほコーポレート銀行と旧みずほ銀行の合併後の当行は、みずほコーポレート銀行の法人格、および富士銀行の前身である「安田銀行」が、系列10行と大合併をするために準備会社として設立した保善銀行の法人格を引き継いだものとなっていたため、1923年5月7日を設立年月日としている。(旧みずほ銀行は、法人格としては旧第一勧業銀行を引き継いだものとなっていたため、日本勧業銀行の設立年月日である1897年6月7日を設立年月日としていた。)
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日本中の巨大銀行の統廃合をするには、「不良債権企業」の金額と取引先の企業の一覧表を見ながら「黒、白、グレー」の3つに分けたあと、「外国債権」を扱える銀行同士に手を組ませて「外国の銀行」を潰す具体策と、「行員の平均給与」の一覧表を見ながら個人的に残したい人間3名だけを指名してもらい、「優秀な行員の売り買い」を決定する話し合いが続きました。
私が参考にさせもらったことは、「日銀の三重野康総裁」に「岩戸景気(1958年(昭和33年)7月~1961年)を聞きながら、どこの銀行を潰してどことどこを統廃合するのか一人で決める「基準」を作りました。
日銀の三重野康総裁は、「大蔵省がきっと文句を言うと思うのですが、大丈夫ですか?」と言うので、その場で「官僚」と「長官」と「大蔵大臣」に文句を言えないように脅したので、平和的に解決できました。
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日本中の銀行の全てのお金を一気に動かすには、全ての銀行のお金を出資してくれている「三井、三菱、住友の財閥が何と言うか怖いです!」と頭取たちが言うので、その場でそれぞれの「財閥のトップ」に電話してもらい、私が3つの財閥のトップにこう言いました。
初めまして!武士の吉岡一門の最後の頭領の吉岡学です。
いま札幌で日本の全ての財閥が出資しているお金を一気に動かして「バブル崩壊を止める話し合い」をしているので、今すぐ札幌まで三人揃って来て下さい!
どうせ、高級なプライベートジェット機で来ると思うので1時間以内でお願いします!!!以上」
でも、実際に来たのは「三つの財閥の社長」を呼んだはずなのに「長男たち」が集まったので、すぐに父親に電話すると、こう言いました。
吉岡一門の頭領には絶対に会いたくないし、会ったら殺されるとわかっています!
だからすいませんが、殺すなら息子を殺して下さい!
と言って電話で三人が嘘泣きしたので、代わりに態度が悪いボンボン長男たちにボロクソ文句を言ってから「数兆円単位」で日本中の銀行にお金を現金で運ぶ指示を出して一気に「銀行の赤字」を消し去りました。
事前に、三井、住友、三菱の「隠し資産」をマルサの課長に調べてもらっていたので、もし「嘘偽り」を言えば殺されることを知っている人たちが「三井、住友、三菱の財閥」です。
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私になぜ、そんなことができるかと言うと、
日本の財閥は「全て吉岡一門の資産」をタダでお金という「名目財産」にして庶民に高く貸している「金貸業」なので、ヤクザ経営の「サラ金」と同じだからこそ、
「吉岡一門の頭領が今までタダで貸した分を一気に請求するけどいいのかな?」
と電話で財閥のトップに言っただけで、すぐに「数兆円単位」のお金が各銀行に現金で運ばれたおかげで「銀行の名目上の借金」は一気に消えました。
「アメリカ」から仕掛けられた「バブル」だとわかったので、アメリカの銀行も3つ潰して「アメリカのFRB(連邦準備制度)」に文句を言わせないように三重野康総裁が上手にやりくりしてくれました。
ちなみに、「三和グループ」は、もともと「三つの財閥」でもないし、よそから来た「流れもの」なので、お金だけ出させてから、
「一生、財閥だとは、口にするなよ!
もし、口にしたらお前たちの一族の首を一気にはねるからな!」
と約束させたので、「三和グループ」に名前を変えたのです。
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全ての銀行の不良債権処理が終わった最後の最後に残った「ゆうちょ銀行」にも借金が山ほどあったので、これも「三つの財閥と三和の隠し金」をたくさん注ぎ込んで消してから、取締役兼代表執行役社長の増田寬也(ますだひろや)にこう電話しました。
吉岡)あのさあ、ダイエー労働組合の中央執行委員で官僚の吉岡学だけと名前は聞いているよね?
今ね、ゆうちょ銀行の不良債権処理を札幌で日本中の銀行の頭取と日銀の三重野康総裁と話し合っているんだけど、いつも思うんだけど「ゆうちょ銀行」に行くと、奥で年を取った親父たちが競馬の勝ち負けを話しているし、ウロチョロして若い女の子の体を触っているけど、あれでいいのかな?
もともと「国営の人間」が「民営化」になったはずなのに、「民営の銀行」よりタチが悪いわ。
俺が思うに、できれば他の銀行みたいに正面には若い女の子を置いて、お客様から見える場所には50代以上の親父はいらないので、すぐにクビにするか、早期退職に持ち込んで下さい。
「郵政未民営化」を叫んだ小泉純一郎総理は、森喜郎元首相の派閥を裏切ったので、命を狙われていたのを俺が裏から手を回して止めたので、もし、すぐに私の言うとおりにできないなら「ゆうちょ銀行」に「全ての銀行の不良債権」をくっつけて一気に潰すけどいいのかな?
できればさ、笑顔が可愛い若い女の子だけ一番前に座らせて、40歳過ぎのお局さんたちも一緒にやめてもらって下さい。
邪魔なんだよね、あのババアたち!
若い娘をいびるババアたちは、絶対にお客様に見える場所に出すなよ!!!裏で郵便物でも数えてろって!!
それが「ゆうちょ銀行」を助ける条件なので安いものでしょ!!
ねえ、建設省でたっぷり裏金をもらったのに、さらに「天下り」でたっぷり給料をもらっている取締役兼代表執行役社長の増田寬也(ますだひろや)さん!
あなたも、早々に辞めて下さいね!
そうじゃないと、すぐに「ヒットマン」を送るので覚悟しておいてね!!!
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こんな優しい会話をしたおかげ、「全て吉岡さんにお任せします」と言わせたので、ゆうちょ銀行の窓口には若い女の子が多いのです!
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<日本の財閥の名前の由来>
三井財閥・・・「三つの井戸を見つけた」と嘘を言って周りにいた「第三国人」を集めて山を掘らせていろんな「鉱物」を売った一族で、もともとは「第三国人」。だから、今も日本中で「あらゆる鉱物」を掘り続けて「吉岡一門の資産(日本の資産)」を増やしてくれています。
三菱財閥・・・もともとは真言宗の貧乏な坊主が、お祝いに出された「菱型」のお菓子を「3つ」かっぱらってきて、「三井」と一緒に住んだ一族。
「三菱のルーツ」は瀬戸内海で海賊をしていた「村上水軍」の流れの一族なので、全員が「かっぱらい一族」。
創業家の「岩崎家」は岩の先に住んでいた第三国人に「吉岡一門の頭領」が与えた苗字です。

武士の船を襲う「海賊」の村上水軍の様子

この変なマークは、「重要文化財」と三菱は勝手に言っていますが、このマークの意味は「月夜の日に船の上に何も獲物がない状態」を表したもので、第三国人の「貧乏の旗印」と吉岡一門の資料には記録されています。
住友財閥・・・「三井」と「三菱」の第三国人が人を騙してうまく生きていたので、「俺の家族も一緒に住ませてくれよ!」と言って近づいてきた「第三国人」が「住友」で、他の奴が入れないように「3つの菱餅を重ねて柵で囲んだ」ので、「家紋」もその形にした「第三国人」の貧乏一族で、ゆすりたかりの一族として有名です。
「三つの財閥」は全て「日本のヤクザ」と繋がっていますが、私のほうが「日本のヤクザのつながりは太い」ので、何があっても私には手を出せないので「日本の財閥」は全て私の言いなりなのです。
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1990年に、日本全国の銀行の借金をきれいに消したあと、三つの財閥のお父さんたちにこう電話しました。
「多分、30年前後にもまた日本に「バブル」を仕掛けられて経済危機になると思うし、もしかすると「戦争」に巻き込まれるかもしれないので、そうなったら皆さんの息子や孫や娘たちの車に「金塊」をたくさん積み込んで俺のサポートに来させて下さい!!
どうせ、「長男は財産分与権」があるので手元に置きたいと思うので、バックアップ要因の「次男」や、どこにも使い物にならない「バカ娘」を北海道へ送って下さい!
「人身御供(ひとみごくう)にでもするかもしれないけど、いいですよね!じゃあ、よろしくお願いします!」
と言ったので、2024年7月13日に私が言ったとおり、札幌市内の乗馬クラブに世界最高の高級車に乗ったボンボンとお嬢さんたちが集まったのです。
「片道切符」だとは知らないと思いますが・・・。
ちなみに、今、世界で最高に価値がある「鉱物」は「レアメタル」で、「第一レアメタルの特許」は外国に取られていたので、「第二レアメタル」と「第三レアメタル」を発見した特許は私個人が持っているし、吉岡一門が持っている世界中の吉岡一門の場所で今も「鉱物」を掘り続けているのは「三井財閥」なので、死ぬまで「無償」でどんどん採掘して「吉岡一門の資産」を増やしてくれています。それくらいは、安いものだと思います。
「日本の資産」は「吉岡一門の資産」の裏支えがあってこその「日本国の資産」なのだとご理解下さい。世界の最後はレアメタルの取り合いになるので絶対に勝てる量を確保しています。
私が見つけた「三種類のレアメタル」を使って「防衛装備庁」で最高の武器やレーダーもたくさん作って配備したので、世界のどの国の「攻撃システム」でもレーダーでも「日本の防衛システム」には敵いませんし、「マーゴ軍のNATO軍」の武器でも敵いません。
「防衛装備庁」で開発したものは全部「私の国防特許」で作っていますし、世界のほとんどの土地はもともと「吉岡一門のもの」なので、「吉岡一門の資産の運用益」で国を守るのは当然なので、私はお金は一円ももらってはいませんので、今は「しがない年金暮らしの人間」です。
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1990年当時に、「30年後の次のバブルを止める方法を気づいた」ので、実務的なことは「日銀の三重野康総裁」に託しましたが、まもなく「世界のドル基準」は一気に崩壊して昔のように「1ドル360円の日本円基準」にもどると予言しておきます!
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もう、「マーゴ」との戦いは始まっていますが、何度も言うように「外国債権の価値」は無くなりますし、「外国株」も吹き飛びますし、「金相場」は一気に下がりますし、世界経済も一気に吹き飛ぶので、
「日本円」を銀行から下ろして家で保管して下さい!と教えたはずです。
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皆さんのバカ息子やバカ娘に言っておいて欲しいのですが、どんな災難が起きても「借金だけは残る」ように「国の仕組み」はできていますので、甘い考えはやめさせて下さい。
東日本大地震の時を思い出せばわかるはずです。
「バブル崩壊」になっても「借金」は消えませんし、国の税金で「未払い」のものは一生、家族が払うことになるので「貯金をしなさい。小遣い帳をつけなさい。」と言い続けてきたのです。
将来のことを何も考えないで好き勝手に生きて、「貯金」もないうえに「借金」だけあるバカな「団塊世代ジュニア」は、これから「生きる場所はない」と思って覚悟して下さい。
母親と同じように、お金を稼ぎそうな男と結婚するか、子供を産むか、誰かの女になって「飯炊きババア」として生きるかしか道はありませんよ!
それもできないバカは、「死ぬまで親の金」をせびって生きるので、親御さんたちも早く決断したほうがいいですよ!
自衛隊に入れるか?北海道の農家の嫁になるか?残された道はそれくらいかな?
「精子がない男」は小作と同じように「重労働専門」ですので、早く精液検査をして自分の生きる道を見つけて下さい。
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「8月12日のマーごとの戦争」に勝って大きな波を乗り越えたあとに必要なのは、「円の紙幣だけになる」と伝えておきます!
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日銀植田和男総裁の記者会見:円安リスクに配慮した慎重な発言に受け答え
6月14日の金融政策決定会合で日本銀行は、次回会合で「国債買い入れ減額」の具体的な計画を発表することを決めた(コラム「日本銀行は次回会合で国債買い入れ減額計画を決定:日本銀行の円安恐怖症」(2024年6月14日)。その後に開かれた記者会見で総裁は、想定問答に沿ったかなり慎重な受け答えに終始したとの印象がある。
前回4月の決定会合では、記者会見での総裁発言が、円安を容認するものと受け止められ、その後1ドル160円まで進む円安のきっかけとなった。その結果、政府と日本銀行の間に軋轢が生じた、とも報じられている。今回はそうした失敗を繰り返さないように、慎重に言葉を選んだ「総裁の答弁」が目立った。
前回の記者会見では、円安が物価に与える影響が大きくない、との総裁の説明が、物価高が消費者に与える影響を軽視しているとの批判を生み、また円安を容認しているとの市場の見方につながった。
前回と同じ轍は踏まず
今回の記者会見で総裁は、「為替は経済、物価に影響を与える」、「為替が物価により影響を与えやすくなっている」など、前回の説明を事実上修正した。さらに、「円安は金融政策運営上重要」であるとし、円安をけん制する姿勢を明確にしたのである。
今回の決定会合では、事前に予想されていた国債買い入れ減額の具体策の発表が次回会合に先送りされたことを受けて、会合終了後に1円程度円安が進んだ。総裁記者会見での円安けん制的な発言は事前にある程度想定されていたこともあり、為替を大きく動かす要因とはならなかったが、少なくとも前回会合後のように、総裁会見で円安が加速するという事態は回避された。前回と同じ轍は踏まなかったのである。
今回、国債買い入れ減額の具体策決定を次回に持ち越したことについて「時間稼ぎ」との指摘も聞かれたが、政策を小出しにすることで、円安のけん制効果を持続させる狙いもあったのではないか。
国債買い入れ減額は予見可能性と柔軟性のバランスを考慮し「相応規模」
記者会見での記者の質問の多くは、本日の決定会合で決まった、次回会合での長期国債買い入れ計画に集中した。今後1~2年程度の具体的計画を決定するが、これは1~2年で減額プロセスを完了することを意味するのではなく、予見可能性を重視して、1~2年の方針についてまず決定し、市場に示す狙いであると総裁は説明した。
他方、長期金利が大きく上昇する場合等を想定し、減額計画を開始した後にも、買入額を調整する柔軟性を残すとし、予見可能性と柔軟性のバランスが重要である、と説明した。
ただし、減額を始めるからには僅かな規模ではなく「相応の規模」で実施すると総裁は説明している。事前には、現行の月間6兆円規模の買い入れペースから5兆円規模への減額が予想されていたが、これを上回る減額規模となる可能性が高そうだ。5月については定例オペでの買い入れ額の削減により、月間購入額は4.5兆円まで減少している。7月に決まる減額のペースは、月間3兆円~4兆円程度となるだろうか。
フローの目標は意外
ところで、国債買い入れ減額計画での目標は、国債の残高削減のペースではなく、国債の購入額、つまりフローの目標とすると総裁は明らかにした。これは意外であった。
日本銀行の国債買い入れ・保有政策が国債の需給の変化を通じて長期金利に作用し、経済・物価に影響を与えるのは、フローの買い入れ額ではなくストックの保有額の変化によって決まると考えるのが自然であるからだ。
日本銀行が保有する国債の償還額が日々変化するなかで、買入額に目標を設定すると、残高削減ペースはその償還額の変化によって安定しなくなってしまう。これは、政策効果の予見可能性という観点から問題ではないか。
量的緩和策は終わらせない?
また総裁は、「超過準備ゼロが望ましいという前提では考えていない」と発言したことも意外であった。これは、国債買い入れ減額を進める中でも、長期国債を相応規模で保有を続け、超過準備を維持する考えを示している。これは、「量的緩和策」を終わらせないことを意味するのである。
日本銀行が2000年代に実施した前回の「量的緩和策」の効果については、経済・物価への影響は不明確であるが、超過準備を維持すること、つまり銀行に高水準の流動性を供給することが銀行の流動性リスクを低下させ、金融システムの安定に貢献した、との評価がなされた。しかし当時とは異なり、現在では金融システムは安定している。
金融政策を経済・物価に対して中立的にするのであれば、長期国債の保有額は大幅に削減し、超過準備の解消を目指すべきではないか。この点についての日本銀行の説明には疑問が残る。総裁は、最終的に適切な国債保有残高の水準は決め難い、と説明した。この説明で、国債保有残高の最終着地点についての市場の不確実性は大きく高まってしまったのではないか。
この2つの点において、日本銀行は先行する米連邦準備制度理事会(FRB)とは異なる独自のやり方で、バランスシート政策の正常化を進めようとしていると言える。
7月の国債買い入れ減額と追加利上げの同時決定はあるか?
記者会見では、「国債買い入れ減額計画の具体策決定を7月に先送りしたことで、同じ7月のタイミングで追加利上げが行われる可能性が下がった」との見方で円安が進んでいる、との記者の指摘があった。
総裁は、短期金利の引き上げは、2%の物価目標達成の確度の変化で決まるのに対して、国債買い入れ減額はそのような経済、物価動向を踏まえた金融政策決定ではないため、両者の決定は別々に行われるとした。そのうえで、7月に国債買い入れ減額計画の決定と追加利上げを同時に行うこともある、と説明したのである。
しかし実際には、大きな政策修正を同時に2つ実施することには、金融市場の安定の観点から相応のリスクがある。よほど追加利上げを急ぐ理由が生じない限り、次回7月の会合では、追加利上げは見送られると見ておきたい。追加利上げの時期は、最短で今年9月となるのではないか。
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ちなみに、「財務省」は「日銀」に対して一切、発言も意見も言える立場ではないのに、勝手に、日銀が為替相場を5兆円も動かしているような発言をしていますが、「ただの推測」ですので、「財務省の発言」は全て無視するようお願いします。
この情報は、日本銀行 三重野康総裁から直接、教えてもらったことなので「事実」です!