「鬼滅の刃」の原作者の吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)に私の体験談を教えました。
昔、世界の支配者「マーゴ」に、私の子供の頃の体験談を全て話したことがあります。
私は母のお腹の中にいる頃から夫婦喧嘩を聞いていたので、生まれてすぐに「うるちゃい!うるちゃい!うるちゃい!うるちゃい」と叫ぶ子供でした。
100日目で10kgのお米を背負って歩くし言葉を話すので、近所の人は「天童かバケモノ」だと言われ、母は毎日泣いていました。
自分が他の外国の男とエッチして産んだことが悪いと思った母は、私を殺して次の子供を産めばいいと思ったそうですが、赤ちゃんの私を刃物や大きな石で殺そうとすると、ご先祖が「両親の体」を固めたり「私の体を固めたり」して守ってくれました。
それでも諦めない母は、「トリカブトの毒」を飲ませたり、「毒のネズミの尻尾」を食べさせたり、「毒蛇の毒」を飲ませたりしましたが、何をやっても死にませんでした。
真冬の1月に生まれた私は、0歳の秋に山の木に縛られて「動物の餌にでもなれ!」と放置されましたが、山の動物たちが近づいてきて私を舐めて暖かくしてくれるし、「クマのお母さん」はロープを口で解いて「クマの穴」で一冬過ごしたので、私の育ての親は「クマのお母さん」です。
山のクマの穴で1歳の誕生日を迎えて、春になると両親が私が生きているかを見にきて、「おい!まだ生きているぞ!」とクマの穴で寝ている私を見つけて、まだ冷たい川の水で「クマの匂いが臭い」と怒られて、ビンタをされ続けましたが、いつも度が過ぎるので、ご先祖が母の体を固めてくれるのでグーで殴られることは無くなりました。
母乳も少ししかくれない母なので、飼っていた山羊のオッパイを飲んだり、いろんな動物のオッパイを飲ませてもらいましたが、また冬になると山にロープで縛られて放置されました。
1歳、2歳、3歳と真冬の山のクマの穴で誕生日を迎えたので、普通の誕生日に何をするかは知りでした。
4歳上の兄が「弟はどこにいるの?」を聞くと、吉岡総本家と野花南お爺ちゃんの家で、「次男は丁稚奉公見習い」をするものなんだと理解させて、私は3歳までは兄の記憶がほとんどありませんでした。
「三つ子の魂100まで」の言葉のとおり、一生、忘れられない体験ですが、父は3歳から毎日朝昼晩、「腕振り剣術訓練」をさせるので、日「本刀で相手を斬る時に1cmでも長く手を伸ばせば相手を切り殺せる」と言われて訓練しました。
3歳から8歳までの5年間、夏も冬も朝昼晩、「腕振り訓練」をした結果、8歳で父との真剣勝負で3本私が勝ったので、私が次の「吉岡一門の頭領」に決まりました。
小学校にはほとんど行かせてもらえなかったので、自分で兄の古い教科書で勉強したので、ともて早く書いたある意味を記憶するようになったし、霊視で時間を遡り、真実を直接、相手に聞ける応力もあったので、嘘の教科書の社会科は大嫌いでした。
小学中学高校までも、同じようにいつも私の食事だけ別だし、毒がたくさん入れたものばかり食べさせるので、自分で納屋のお米をかじり、水を飲んで我慢しました。
小学1年生から私が料理と掃除と動物の世話係になったので、私の味方は動物たちなので、人間よりも小津仏が大好きです。
ここまでの体験談を話したことが、「鬼滅の刃」という漫画になり大ヒットしました。
「鬼滅の刃」で注目が集まった 【稀血】は本当に存在するのか!?
しかし、若者たちの世代では「稀血」といえば、近年大ヒットした「鬼滅の刃」です。
注)原作者の吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)に「マーゴ」に会わされて「私の体験談」を話した結果、漫画なって大ヒットしましたが、「原作料の半分は私の権利だからもらって!」とマーゴに言われましたが、吾峠呼世晴に全部あげました。
「鬼滅の刃」は、鬼との戦いを描いた作品ですが、人間を食らって生きる「鬼」たちの大好物が“稀血の人間”なのです。
この「鬼」とは、人間の肉を食べる愛好家の「カニバリズム」の人たちのことで、鬼のボスはマーゴのことです。