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【マーゴ】世界のブランド品は、全て「マーゴ」のブランドです!

世界をお金で支配している「マーゴ」は、洋服のブランドも、腕時計のブランドも、宝石のブランドも、バックや靴のブランドも、サングラスのブランドの全て持っているので、「日本人が買うブランド品」は全てマーゴの収入になっていることを子供達にも教えてあげて無駄遣いをやめさせて下さい。

「日本人のブランド嗜好」は世界で笑われているのをご存知でしょうか?

イギリスもフランスもアメリカも、「お金持ちが持つブランド」と「貧乏人が持つブランド」は違います。

昭和の日本人の価値観には「分相応」という言葉があり、貧乏人が高価なブランド持つことを「恥ずかしいと思う価値観」がありました。

その理由は、例えばイギリスの若い女性はお金がないので、仕方なく破れたG-パンでも履き潰すまで使い、親や祖父母からもらった高価なものを大事に子供達がファッションに取り入れているので、日本人とは全く違います。

どちらかと言えば、「昔の日本の価値観」に世界は近いのですが、日本のファッション雑誌を見ても海外の高価なものばかりを売りたいメーカーが広告を占めていますので、女性は無理して貯金を崩してでも、「借金」をしてでも高価なものを見栄を張って買いますが、世界の人たちはそんな無駄な買い物はしません。

 

世界のほとんどの国は、お金持ちの「富裕層」と「貧乏人」は全く違う価値観なので、着ているものは全て違いますし、付き合いもしません。

イギリスに「マーゴ」と一緒に街で買い物をした時に、ブランドショップにいる人間は「富裕層」しかいませんので、日本のバブルの時のように、お金持ちの農協旅行ツアーのように、普段は、「モンペと割烹着」を着ている女がいくらブランド品を着ていても、ブランドショップに入ることすら許されません。

これはハワイにあるブランドショップでも同じでした。

 

イラリアでもフランスでもヨーロッパのブランドも、アメリカのブランドも「日本人の買い物客」は嫌がります。

その理由は、お店に入って店員に許可も得ずに、スーパーマーケットの食べ物と同じように勝手に商品に触れる」のでとても嫌がります。

「日本人の価値観」で言えば、「1億円も持っているならお金持ち」と思いますが、世界の価値観は日本と100倍違います。

世界のお金持ちは「最低100億円」で、それ以下の人間は「貧乏人」と呼ばれます。

だから、マーゴの人身売買の返済額は100億円で最低なのです。

 

世界のVIPの収入は全員「100億円以上」と公開されていますが、それは「最低の金持ち」として扱われるので、みんな「株の投資」をしたり、自分のブランド会社を立ち上げて300億円から1000億円くらいは稼いでいます。

 

日本人は安月給でも、周りの人と比べて高い安いを考える民族なので、「世界の価値観」で物の価値を見ないので、高いブランド品を持っていても他の物は安物なので、それは「分相応」ではありません。

その結果、借金をしたり、サラ金に手を出す若者も多いし、貯金もしないバカが増えているのが、今の日本です。

大東亜戦争で負けてから戦後79年経ちましたが、一般庶民の価値観はお金がないのに「見栄をはる女性」が多い結果、戦後の貯金額は一気に減っていますし、若い世代はほとんど貯金をしていませんので「国の預金」は減り続けています。

 

それは「親がバブルで贅沢」を覚えたので、お金の使い方が荒い親を見て育った子供たちは「我慢する」ことを親から学んでいません。

でも、戦争を知っている祖父母はしっかり貯金を持っていますが、息子も娘の「親の金」を当てにするし、孫もお金がもらえる時だけ祖父母に会いに行くので、親子揃って「親の金」をむしり取る人たちばかりなので、日本全体の貯金額は一気に「団塊世代ジュニア」から減りつづけています。

これは「日本の純資産」が減っていることになるので、いくら平和で戦争が終わっても、「貧乏人」が増えることは確実です。

まだ10代や20代の女性ならいくらでも囲ってくれるお金持ちの男がいるでしょうが、「団塊世代ジュニア」は40代以上なので、誰かのお金をもらうことしか考えいないため、きっと戦争が終われば一気に孤独死をするか、実家に戻る人が増えると思います。

 

 

これは実際に会った体験ですが、アメリカでAmwayが持っているの四つ星ホテルの「Amwayグランドプラザホテル」に泊まった時、日本人の男性が「フランス製のヴィトン」のスーツケースを持ってフロントにやってきました。

すると、フロントの男性は「ご主人はどこにいますか?」と聞かれて、日本人男性は「自分だ!」と怒っていました。

何度、聞いても「俺がご主人で、このカバンはお礼のものだ!」と英語で言い張ったので、拳銃を持った警備の男二人に腕を掴まれて、外へ追い出されそうになりましたが、私たちは「Amwayのメンバー」なので、私たちのために日本人のアメリカAmwayスタッフがついてくれたので、その怒りまくっている男性にフロントに聞かれた理由を説明しましたが、理解できずに他のホテルに行きました。

 

あとで日本人スタッフが説明してくれましたが、「よくいるんですよ。日本人の「にわか金持ち」が一点豪華主義で持ってきたブランドバックを見せて金持ちだと言い張りますが、日本の金持ちとアメリカの金持ちは100倍違うので、警備員に言い張るとすぐに撃ち殺されるので、殺されないといいですけどね?」と教えてくれました。

アムウェイは世界の100以上の国と地域でビジネスを展開しています。 世界での売上高は88億ドル、ディストリビューター数は世界で300万組以上にのぼります。

イギリスもフランスもドイツもイタリアもアメリカも、「ブランド品の鞄」を持っている人は、着ているものは全て「一流ブランド品」なので、「一点豪華主義は日本だけの価値観」なので、とても恥ずかしい思いをしますので海外に行く人はご注意下さい。

今、日本には中国のお金持ちもやってきていますが、中国のお金持ちも同じで、日本の価値観とは100倍違うので、よく「相手の服装や靴や持ち物」をよく見て対応して下さい。

今は中国の貧乏人も日本に来ていますが、中国の貧乏人は一番安い「船」で来ますので、ヨドバシカメラやドン・キホーテで大量買いしています。

中国人も世界のお金持ちも、「ブランドショップ」にしか行かないので、安物やディスカウントストアは絶対に行きません。

常に、一人に一人が接客してくれるサービスがあるお店でしか買い物をしません。

 

私が20代の頃、両親が「中国の万里の長城」へ農協ツアーで旅行に行く時に、飛行機の隣の席にいた「中国人男性」と仲良くなり、年賀状のやり取りをしていたほど親やお年寄りを大事にする国なので、今の日本とは全く違います。

その男性は、「中国の公務員」だったのですが、日中国交のおかげで日本に来て「日本の素晴らしさ」を体験して中国に技術を広める役目で来ていた帰りの飛行機で、偶然、両親の隣に座った男性でした。

その男性の名前は、羅毅(ら・ぎ)と言いますが、私よりも若い男でしたが、礼儀正しく日本語はペラペラだったので両親もとても仲良くなりました。

30代になってそのことを思い出して本人に電話してみると、「今度、妻と日本に行くので会いましょう」ということになり、札幌で会いました。

奥さんはモデルみたいに綺麗な女性ですが、上から足元までブランド品だったので、「何の仕事をしているのか?」と聞くと、「あなたのお母さんに会ったあと、中国の役人をしていましたが日本語が得意なので、日本の会社の社長の通訳を頼まれて一緒にいろんな場所をご案内しました。

家族の話やいろんなことを聞かれたので、なぜかを聞いてみると、その日本人男性は「株式会社東海の新田富夫社長」で、あの、100円ライターの「チルチルミチル」で有名になった社長だったのです。

 

株式会社東海(とうかい、英: TOKAI Co.,Ltd)は、東京都新宿区西新宿[1]に本社を置く日本の大手ライターメーカーである[2]。同社ウェブサイト上では、名称の曖昧さを回避するためか、英語表記である読み方の「東海コーポレーション(TOKAI CORPORATION)」というサブネームを用いることがある[3]。JASDAQ(現在の東京証券取引所スタンダード市場)に上場していた。

いわゆる「100円ライター」と呼ばれる使い捨てライター(ディスポーザブルライター)のほか、チャッカマン、Scripto、カセットコンロやカセットボンベ(コン郎)、筆記用具などの事務用品の供給を行なっている[4][5]。100円ライター(使い捨てライター)の元祖[6]、草分け的存在[7]、先駆的企業[8]と評された。

1972年(昭和47年)7月、新田富夫により東海精器として設立[6][9]。1975年(昭和50年)に使い捨ての100円ライターを考案し、「チルチルミチル」の商品名で発売開始した[6][9]。1976年(昭和51年)には香港に子会社として香港東海精器を設立[10]。1977年(昭和52年)にはイトマンと業務提携し[11]、国内販売会社「伊藤萬トミック」を設立[12]、資金援助や資材供給などを行った後1985年(昭和60年)頃に提携解消した[11]。1981年(昭和56年)5月に福島県二本松市の誘致企業として子会社東北東海を設立、福島工場を稼働[13]。1984年(昭和59年)に新田富夫の実兄が経営する東海樹脂と合併、現社名となる[4]。1991年(平成3年)には人件費の高騰により、100円ライターの価格が120円に値上げされた[14]

使い切りライターの専門メーカーとして発展し、1990年代前半には国内シェア7割、海外シェア5割を誇っていたが[8]、簡単な構造であったが故に東南アジア製や中国製の安価な製品が流入したことや円高の影響により業績が悪化し、1992年(平成4年)には赤字に転落、1994年(平成6年)5月に倒産[6][8]。負債総額は約722億円にのぼった[8]

1997年(平成9年)10月に伊藤忠燃料(現・伊藤忠エネクス)により株式が取得され再建された後[15]、2005年(平成17年)3月にアメリカ合衆国のライター販売企業キャリコ(Calico)を傘下に持つ投資会社ミングマネジメント(Ming Management LLC)に売却されて現在に至る[6][7][16]

現在も禁煙の広まりによるライターの需要減少や、安価な中国製の流入により苦戦を強いられているとされる[6][7]。1995年(平成7年)7月には広東省仏山市に佛山東海精器を設立、工場を稼働させたが[10]、今後は福島工場に生産を集約するとしている[6]

 

新田富夫社長が中国に行った目的は「中国に工場」を出したくて現地を見に行ったのですが、あまりに「羅毅」の対応が素晴らしいので、役人をやめて「ライターの工場長にならないか?」と話を持ちかけられたそうで、私はやった方がいいよとアドバイスしました。

中国で公務員になるには、「家族に中国共産党の幹部」がいないとなれませんので聞いてみると、祖父が「中国共産党の幹部」だと教えてくれて携帯電話の番号を交換しました。

私が1989年に中国へ外務省の仕事で行く前に、外務省の「母の1枚の年賀状」を頼りに電話しただけですが、「羅毅」とはとても仲良くなり、「いつか中国の家族にも合わせたい」と言ってくれたので、中国で外務省の仕事が終わったあと、羅毅に電話してご両親に挨拶して日本のお土産を渡したので、家に入れてくれて羅毅の家族と一緒に夕飯をご馳走してもらいました。

「今回は何の用事できたのか?」と聞かれたので、外務省の仕事のことと、「鄧小平主席」のことを話した途端、家族全員が「家をすぐ出ていってくれ!!」と怒られました。

 

あとで羅毅に電話で聞くと、

「鄧小平主席」は中国軍と政治家をまとめて中国を平和にしてくれた唯一の人なので、どんな中国人も「鄧小平主席のことを悪くいうことはいないので、そんな偉い人なら「私たちは身分」が違うので、もし、誰かにバレたら殺される、と怖がっていたことを教えてくれました。

「鄧小平主席の娘の鄧林とセックスして子供がいる」なんて言えませんし、私の家族にも誰にも言ってません。

 

「吉岡一門のご先祖の力」がすごいと思ったのは、この「羅毅」との体験をした「株式会社東海の新田富夫社長」が「札幌の社長会」にやってきたので、自分の体験談を話すと泣いてしまいました。

私の事業の成功は、「全て吉岡一門のご先祖の力」で成功させてもらっていたことにやっと気づけましたと、泣き崩れてしまいました。

つまり、皆さんが問題視している中国人にもちゃんとした「文化も教育」もあるし、「身分の違いをわかる民族」なのに、今の日本人は「士農工商」から大事なことを学ぼうとせもしませんので、「身分の違い」が平和に必要なことだと理解していません。

江戸時代まで「士農工商」だった理由は、貧乏人の「小作や第三国人」を守るための制度だったことを正しく理解して下さい。

 

世界で1億円保持者は「貧乏人」として扱われます。

「100億円」でやっと「最低の金持ち」です。

私は世界の誰よりも「資産」を持っている「吉岡一門の頭領」ですが、父が「小作」になったので子供の頃の食生活は「小作以下」でしたが、「武士の手習い」は習ったし、幼稚園は寺子屋だったので、世界のどこの国に行っても恥をかいたことはありません。

他人の見本となる「所作」が、「武士の手習い所作」なのです。

令和天皇徳仁(なるひと)と秋篠宮文仁と食事しても、二人に所作を教えたほど、「正しい礼儀作法」を知っていますが、それを「他人」にいちいち言いません。私に関係ない人が恥をかくのは、自分と親と子供だからです。

食事をすると、「全て相手の家のレベル」がわかりますので、私の吉岡家では、庶民の家でご飯をいただくことを「吉岡一門は禁止」されています。

父親が席に座る前に、子供にご飯を食べさせることは絶対にあり得ませんし、全ての優先を「子供」にして座っている席を見ただけで、その家のレベルがわかりますので呆れてしまいます。

「所作も知らない可哀想な家に生まれたんだね」、と思うだけで、一流は一流の所作を「普通」にするものです。

そんなことも学ぼうともしない「団塊世代ジュニア」に価値観をとやかく言われると頭に来るのは当然なので、もう、マナーを知らない「貧乏人」と付き合うことはしませんので、自分が「どのレベルの人間」なのかをよく考えて人との対応を考えて下さい。

こういうことを言いたくなったので、「地球創生SNS」の人たちにも「個人的に会った人たち」にも黙っていましたが、「男を立てられない女」は死んだほうがいいと思います。

これからの「新しい日本」になると、きっと家に戻って恥ずかしい家族同士で寄り添って生きるしかないと思いますので、これが最後のアドバイスになると思います。

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