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【国連】私が「国連事務総長」になった理由

私は1982年(23歳)から14年間、売上高1兆円を達成した日本一のスーパー「株式会社ダイエー」に入社して「日用品売り場」を経験し、1987年(28歳)で「苫小牧店の玩具売り場責任者」になった2年後に、「労働組合の元委員長」のゴリ押しで「ダイエー労働組合の中央執行委員」になりました。

同時に1989年10月から「無償で外務省の仕事」を手伝うことになりましたが、「元委員長の目的は国の裏金を鈴木友康と手を組んで盗むことが目的」だったようですが、外務省をうろついていた「明治大学生の鈴木友康」とはカニバリズム同好会の知り合いだったと後で知りました。

「小指チンチン鈴木友康」は、最初から年齢は誤魔化すし「自分は学生だけど官僚です!」と嘘をつくので思いっきりビンタしたあと、

「年上の男に嘘をつくなら、お前は絶対に信用しないし、されなくなるぞ!!性根を入れ替えて土下座しろ!!」

と言っても頭を下げないバカ男だったので、泣くまで何発もビンタしてから思いっきり蹴りを入れた男だったので最初から信用はしていませんでした。

「せっかく東京まで来てやったので、本物のキャリア官僚をここにすぐここに呼び出せ!!」

と「浜松町の隠れ料亭」に集まった東大卒のキャリア官僚たちと本気で話しましたが、キャリア官僚は「3回違う嘘を言う訓練」をしているのでさすがに我慢の限界が来たので全員ビンタしたので全員立ち上がり、殴る蹴るの喧嘩になりました。

6名全員、喧嘩に弱い奴ばかりだったのでボコボコにしてから外務省官僚の仕事の内容を詳しく聞いてみると、相手の国を騙して賄賂を取ることを仕事だと思っていたのでまた切れそうになりましたが、自分を押さえてこう言いました。

「国家公務員法に問われるようなことには一切、手を貸さないが、日本国のためになることなら協力してやるわ。何が困っているのかを詳しく正直に話せ!」と約束させてから言われたことを全部すぐにやって結果を出したので、まともな「一般官僚」たちからは信頼される先輩として応援されたので国の仕事もうまく結果を出せました。

でも、「外務省のキャリア官僚」たちは、「たかがスーパーの店員だから」と私を試すようにこう言いやがりました。

「今、日本国は、中国・韓国・ロシアと問題は山積みですが、一番問題なのはこれから大きく伸びる「インド」を世界が取り合っているので、まず「インド」へ交渉に行って下さい。

僕らが何度、交渉してもダメだったので、ダイエーのスーパーの店員がどこまでできるかお手並み拝見です。」

そう言うと、成田空港から2回乗り継ぎのHIS社の安いエコノミー往復航空券を渡されたので、週休2日制の休みに自分の有給休暇を足して5日間の予定でインドへ行きました。

 

インドと大東亜共栄圏復活劇

インドのモディ首相とのやりとりの報告は別なブログにいろいろ書きましたが、インドにも大東亜連合の国々にも「私の長男と次男」がいるので、「外務省」と「経済産業省」と「国土交通省」と「防衛省」の国家安全保障条約は全て私の名前でサインした契約書がデジタルチップで各省庁に保管してあります。

インドのモディ首相は「ロシアのプーチン」と仲良しだったので、電話で「いつか会いましょう」と話だけして、ロシア政府が落ち着いてから会いに行くことにしました。

 

 

インド モディ首相

 

一番最初にインドのモディ首相と仲良くなったので、2泊自宅に泊めてもらった翌朝に、モディ首相のプライベートジェット機で一緒に「大東亜連合の4つの国の5名」に会いに行くことになりました。

1、フィリピンのジョセフ・エストラーダ大統領 

▶️日本とフィリピンの関係

2、「タイのラーマ9世」 

▶️日本とタイの関係

3、ミャンマーのミン・アウン・フライン大統領とスーチー女史

4、オーストラリアのボブ・ホーク首相

 

 

タイ ラーマ9世

タイの国旗

フィリピン ジョセフ・エストラーダ首相

フィリピン国旗

ミャンマーの国旗

オーストラリアの国旗

 

もともと「大東亜戦争」の前から「日本は加工貿易の原料の輸入国がアジア諸国」で仲良しな国だし、「第一次大戦は植民地解放戦争」を一緒に戦った国なので、日清戦争、日露戦争、第一大戦と大東亜連合が一致団結してアジアから欧米諸国を追い出して戦争に勝ったので、私が日本の代表として全ての国のトップに土下座して許して頂いた結果、強い繋がりを私が復活させました。

しかし、「昭和天皇」が「マーゴのWarGameにのって日本が負ける方に賭けた」せいで、大東亜戦争に負けた結果、日本・満洲・中国・フィリピン・タイ・ビルマ・インドを中心とし、フランス領インドシナ(仏印)、イギリス領マラヤ、イギリス領北ボルネオ、オランダ領東インド(蘭印)、オーストラリアは、イギリスとフランスから政治・経済的な「植民地支配」が続いていました。

全ての国の国王と首相に許してもらい、仲良くなったので正式な外交上と防衛上の契約を全ての国と交わしましたが、どこの国王も首相も最も苦しんでいたのは「植民地支配」だったので、オーストラリアからイギリス女王陛下に電話してこう言ってやりました。

 

<オーストラリアのボブ・ホーク首相が通訳>

私は日本の外務省の人間で、日本の武士を束ねる「吉岡一門の最後の頭領」で吉岡学と申しますが、覚えておられますか?

「英仏100年戦争」を終わらせたのは「吉岡一門の頭領と天皇」だと、「父の吉岡忠」と「祖母の吉岡あや」に聞いておりますし、「英仏100年戦争」の和系交渉場所は、両国の間の「パリ」で和平交渉をした時に、「両国の国と植民地支配する土地は全て吉岡一門の領土とする契約書」にサインしたと祖母の吉岡あやから聞いておりますし、その控えも見せてもらい保管してあります。

私が「吉岡一門の頭領」になったのは12歳の1971年ですが、その時に、イギリスとフランスの「王室御用達食器や銀食器セットや金食器セット」を15セットづつ本家にあったのを見せてもらいましたし、その食器を使ってテーブルマナーも祖母から教えてもらいました。

イギリスとフランスのテーブルマナーで「ナイフやフォークの並べ方が反対」だったので祖母に質問すると、イギリスとフランスで100年も長い戦争をしたので、あえて反対にしていると祖母に教えてもらい笑いました。

祖母は、エリザベス女王陛下から、毎年、誕生日に指輪やネックレスを送ってもらっていたのを見せてもらったので、本当に「吉岡一門の武士」が数名行っただけで「英仏100年戦争」を終わらせたのだとわかりました。

それに私が12歳の頭領襲名披露の1971年1月10日に、「フランスのデュポンの5色のライター」を目の前で祖母の吉岡あやがフランス国王に電話して送っていただきまたし、エリザベス女王陛下にも寝ていたのに叩き起こして直接電話で、「イギリスのパーカーの万年筆とボールペン」を「頭領就任祝い」で送って頂いたはずですが覚えておられますか?

今日、電話させて頂いたのは、もう「全てのイギリスとフランスの世界の国の植民地支配」を終わらせても良い時期だと思って電話させてもらっています。

もし、この提案に「イエス」を言わないのでしたら、私が日本中の武士に命令を出してイギリス女王陛下を日本刀で殺しに行くか、今まで私に払ってもらっていない「私の土地の賃貸料を一括請求」しようと思っていますので、今すぐに返事をして下さい。

今、目の前にオーストラリアのボブ・ホーク首相もおりますし、大東亜連合の国王たちも一緒にこの電話を聞いているので、ぜひ、この場で正直なお言葉を頂きたいのですぐに返事をして下さい。

 

エリザべス女王陛下:「イエス」・・・、でも、すぐにはできませんので、「3年以内に植民地開放をする」と約束します。

 

世界で最も笑われている日本人

日本の恥の昭和天皇がマーゴのWarGameのせいで、たくさんの日本人も死んだし家族も苦しみましたが、それよりも大きな「植民地」という経済制裁の打撃を受けたのは「大東亜連合」だったからこそ、私が最初にインドのモディ首相と大東亜連合に行った時は全ての国王に会うたびに、

日本だけ「植民地」にならずに、その犠牲をあなたたちの国に迷惑をかけたことを日本国民を代表して心からお詫びします」

と何時間も土下座して許してもらったことも覚えておいて下さい。

がインドへ一度だけ行って、大東亜連合の国々と和平協定と防衛上の契約を一人で結んだことはとても都合が悪いらしく「外務省のキャリア官僚たち」は悩んでいましたが、私はそんなことは無視して、アジア諸国に日本の一部上場企業の「社長会の企業」をたくさん投入して、大東亜戦争に負けて経済制裁を受けた「お詫び」に、アジア諸国の経済発展とインフラ整備に協力させてもらい、たくさん雇用を生み出し、経済的な収入を得られる人たちを増やして、「恩返し」をしました。

 

インドやアジアで成功している日本企業には、次のようなものがあります。
  • スズキ:インドの自動車文化を変えた自動車メーカー
  • テラモーターズ:生活必需品の電動リキシャ市場をけん引するベンチャー
  • 明電舎:インドの社会インフラを支える電気機器メーカー
  • 関西ペイント
  • 丸一鋼管
  • 日精エー・エス・ビー機械
  • 富士通ゼネラル
  • ユニ・チャーム
  • TOTOやINAX

さらに、表に出せない重工業の企業は日本の技術で武器をたくさん現地で作って他国に売って両国の企業に儲けてもらいました。

日本国の官僚たちは「大東亜連合」については口を閉ざす理由は、日本が勝手にアメリカを攻撃したことがバレないように「マスコミ誘導」もしたし、日清、日露、第一次大戦も「植民地開放戦争」なのに、「日本人が勝手に仕掛けた悪い日本人だ」と私の親の世代は教育されたせいで苦しんでいました。

さらに、戦中・戦後の教科書に学校で先生の指導で墨を塗らせて事実を消されて洗脳されたので、今も母は「日本人は野蛮な悪い国で、男たちは殺し合いが好きでバカだから戦争に負けたんだ!」といつも文句を言われて育ちました。

「戦後、文部省幹部は全員中国共産党支持者に入れ替えられた」ので、「嘘の歴史教科書」で子どもたちに嘘を信じ込ませるし、直民地支配解放のために戦った「大東亜戦争の意味」も変えたし、「大日本帝国憲法の廃止」を求めてアメリカが作った「日本国憲法」を受け入れた結果、「日本国の官僚」と「昭和天皇」だけが「たっぷり裏金」をもらっているのが事実なのに、誰もそのことを追及せずに、いまだに「憲法改正」すらできていない国なので、アメリカからも笑われています。

 

日本は意気地がない国民ばかりなので、「真実」が決して世の中に出る国ではないし、「世界最高の平和ボケした国」なので、今の日本人は「共産圏」と同じように「思想支配」と「情報操作」しやすい世界一の国なので、「個人情報を盗むのは簡単」だと思われていますが、誰も日本人は否定すらできないアホな国民のまま、生きています。

アメリカは、法律で30年経てばどんなに重要な「軍事機密書類」であっても「公開しないといけない法律」がありますが、日本にはそんな法律は誰も作ろうとしないし、そのことに誰も触れないくらい「勉強してない評論家や政治家」ばかりなので、「いつまで経っても庶民が真実を知ることなどできない間抜けな国民の国」なので、簡単に詐欺集団の餌食にされ続けている国なのです。それは、国民一人一人の責任です。

 

1989年の10月から12月までのたった3ヶ月間で6つの国の外交と経済条約と防衛上の安全保障条約を結んだので、日本に戻ってからが大変でした。

「外務省の官僚」たちは私が1977年から岡山理科大学1年生の時に「陸将保」になっていたことは話していないので、インドで仲良くなったモディ首相と全ての国と「防衛上の安全保障契約」を防衛省と交わしたので、当時の「海部俊樹首相(当時58歳)」は驚いてすぐに電話が来て会う日が決まりました。

自分の休みの日に東京へ行き、「防衛省の特別統合幕僚長に昇格」と、外務省と経済産業省と国土交通省の「特別上級国家公務員」に承認されて、首相任命を天皇から資格をいただく「迎賓館の部屋」で賞状とバッチを頂きましたが、「給料は一切もらわないまま」でお願いしました。

「私の名前が表に出ると、「吉岡一門の頭領」だとバレて私を殺しにくる人間が増えるので仕事はやりますが、最初から無償でお願いします」と言い続けたので、全ての賞状には「永久資格」と書いてあり、「防衛省の特別仕様の四つ星の制服と帽子」も下さいましたが、着ることはあまりないのである場所に保管してあります。

 

同時に私は「ダイエーの社員」だったので、12月は玩具売り場の最大のピークで「平月の5倍以上」売れるので、「一般玩具を日本一の売上」にするために計画を達成させて日本一になったので、バンダイなどの玩具メーカーの社長たちが「1億円年俸の契約書」を持ってきましたが、全て断りました。

▶️【ダイエー】バンダイ創設者 山科直治さんより、1億円のオファーを頂く!

 

翌年の1990年の正月のピークが終わったあと、外務省の官僚から電話があり、「幾つもの国と国の外交と防衛上の契約をしたので、吉岡さん自身が国連へ行って報告する義務があるので行って下さい。」と言割れたので、初めて、官僚が使うプライベートジェット機で自分の公週休を使って「アメリカNYの国連本部」へ行きました。

当時の国連事務総長は、ハビエル・ペレス・デ・クエヤル氏(ペルー弁護士)とマラック・グールディング氏だったので、ハビエル・ペレス・デ・クエヤル氏には、

「インドのモディ首相とは仲良くさせて頂いておりますが、まずは大東亜戦争が終わったあと、インドのパール判事が「東京裁判」で最後まで正しい主張をして下さり、本当にありがとうございます。大東亜戦争でたくさんの命を失った日本人を代表して心からお礼申し上げます。」

とお礼を伝えると、隣にいたマラック・グールディング氏(イギリス外交官)は嫌な顔をしていましたが、英語でいろんな話を二人でした結果、ハビエル・ペレス・デ・クエヤル氏(ペルー弁護士)からこう言われました。

 

ハビエル・ペレス・デ・クエヤル氏)

あなたのような人が、日本にいたとは知りませんでした。

さすが、ご先祖の時代から世界を束ねる先住民のトップであり、日本の武士のトップの吉岡一門の頭領だと感服しております。

国連の全ての国を代表して、こちらこそお礼申し上げます。

日本政府にも確認しましたが、全ての省庁の特別上級国家公務員資格と、防衛省の特別統合幕僚長の「永久資格」をお持ちの吉岡学さんにぜひ、お願いがあります。

これから世界が大きく揉めた時には、ぜひ、あなたの力で戦争を止めて下さい。

誰が何を言っても給料は貰わないと言い張る人だと聞いたので、「無償ですが、永久資格の隠れ国連事務総長に任命」させて下さい。

どうか、世界の平和のためにお力をお貸し下さい。

と言われて、お二人の「国連事務総長のバッチ」を頂きました。

マラック・グールディング氏(イギリス外交官)

ハビエル・ペレス・デ・クエヤル氏(ペルー弁護士)

 

だから、私は一円も国からも、世界の支配者マーゴからも、お金は一切もらっていませんが、世界の平和のために無償で働いてきた人間なので、私のことをとやかく言う前に自分の家族を守る生き方をして下さい。

私が18歳の時から「タダ」で国を守るためいろんな仕事を無償でし続けてきましたが、「世界の支配者マーゴ」に会ったせいで、大事な人たちの名前も関係も記憶も全て消してまで「絶対に、日本国を守る!」と頑張ってきたのに、誰もそんなことは知らないし、平和ボケの頂点なので、今の日本国民には絶望しています。

私の世界中の組織も、私の子供を産んでくれた人たちのことも、子供たちの写真や手紙も全て破棄して記憶も消してまで日本国のために働いてきましたが、「電磁パルス攻撃」だけはいつ起きるのかは正確にはわからないので「電磁パルス攻撃」を受けて9割の人が死んだあと、「日本国をどうするか?」を決めて全ての命令を出してから記憶を消しました。

あとは、みなさんの「危機管理意識」がどこまであるかで家族の寿命は決まるので、全て自分で判断して家族と自分の命を守って下さい。

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