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武士はどうして日本刀を振り回して人を殺すの?

子供の頃に、父に質問したことがあります。

 

私)武士はどうして日本刀を振り回して人を殺すの?

父)じゃあ、日本刀を使わずに「拳銃」で人を殺すか?

世の中にはな、殺しても殺しても「悪いことしかしない人間」がいるので、誰かが成敗しないといかんのさ。

お前、日本刀を使って人を殺す意味を教えてなかったか?

 

私)はい、聞いておりません。教えて下さい。

父)日本刀を使って人を殺すには、「修行」が必要なのさ。

だから、バカでも使える「拳銃」は、あえて使わないのさ。

吉岡一門の日本刀は、最後の最後まで「抜かずに終わらせるよう努力」するが、相手が刀を抜いたらそれより早く斬り殺す訓練をすることで「心」が強くなるのさ。

誰も人を切りたくて生まれた奴はいないと思うぞ!

俺も人を切るのは嫌だが、俺が一番腕がいいので悪い奴を成敗したい奴らに頼まれるのでやるしかないのさ。

お前もきっと、そうなるから覚悟しておけよ!!

吉岡一門の頭領はな、ほとんど「長男」がいない理由は、「長男」は甘やかされて育つので大きな責任を背負う「頭領」は無理なのさ。

お前も毎日、朝昼晩100回の腕振りを終えて、次の年は朝昼晩1000回にしたのに、それでも辞めたいとは一度も言わんかったものなあ。

どうしてだ?辞めても良かったのに。

 

私)もし、僕が辞めれば、きっと、あなた(父)は私を斬り殺すでしょう。

そんな「自分の努力」が嫌だからといって、殺されるなんて絶対に嫌です。

だから、絶対に弱音は吐きませんので強く厳しく教えて下さい。

いつか、父と決闘する日が来ると思いますが、僕は負けません。

そして、負けないくらい強くなっても、父を殺しません。

だって、私の父親ですもの。

 

多分、僕の「本当の種」は違う人だと思うけど、僕は「誰の種」でもいいんです。

この芦別市常磐町の田舎の農家の次男に生まれたことが幸せです。

大自然とも動物たちとも普通に会話できる自分なので、もし、都会に生まれたら頭が狂うと思います。

それに、「死にたいけど死ねないように生まれた自分」が生きる道はこれしかないと思って毎日、訓練しています。

頭は悪い方じゃないので、この芦別市を出たら必死で努力して、一人で生きていける道を見つけます。

命をかけて頑張れるほどの仕事が何かはまだわかりませんが、必ず、見つけて努力します。

そして多くの人に認められるような仕事をして、この日本国を守ります。

それがこの家の次男に生まれた意味だと思っていますので、もう少しだけ私に剣術を教えて下さい。

 

最近は、この「日本刀」を持っていると「自分みたい」に感じるようになりました。

ぶつかって刃こぼれしても、硬い石で磨けばまた使えるし、もし、折れたらそこから短い刀にしてまた使える。

最後は果物ナイフにもなるので、無駄が無い価値あるものが「日本刀」だと思いました。

でももう「日本刀」を持って歩く時代では無いので、いつか、自分が日本刀を家に飾れるようになるまで真面目に仕事を頑張ります。

それが「武士の吉岡一門の頭領の家」に生まれた意味だと思っています。

あと少しの時間だと思いますが、どうか最後まで手を抜かずに厳しく教えて下さい。

 

私は日本刀で人を切りたいのではなく、日本刀で「人間の魔・闇」を強い心で切りたいです。

心の奥底に隠している「魔・闇」を持って悩んでいる人間は多いので、それを切ってやりたいのです。

そのための修行だと思って努力しています。

どうか、よろしくお願いします。

 

この1週間後、8歳になった誕生日に、父と真剣勝負をして勝ちました。

3歳の誕生日から毎日修行をしたので、2190日目の父との勝負でした。

 

さすがに親子でも「日本刀」を持つと、お互いに人が変わるので気は抜けません。

父は「私を殺して終わりにしたい思い」を消すために、目を瞑り、呼吸を整え出しました。

しばらくして、カッと目を見開いた父の瞳に「迷い」が見えた瞬間、額の3cm手前まで一気に日本刀の先を突き出したので、父は何が起きたか分からず、負けを認めたくなかったようで「3本勝負だ!」と言ったので、すぐに「二太刀目」をお互いに振り下ろすと「相打ち」でお互いに「刃こぼれ」しました。

最後の1本は、私が父の周りを走り回ったので父は目を瞑り、自分があみだした「円月殺法」をしたので、手がクロスになる瞬間を待って一気に腹の1cm手前で刀を止めました。

しかし、父は何が起きたか気づかず、刀を振り下ろそうとした時に私の刀の先が腹に刺さり、「参った」と言ったので勝負が付きました。

柴田錬三郎の剣豪小説シリーズの「眠狂四郎の役者」に「円月殺法」を教えたのは父ですが、戸上城太郎市川雷蔵、平幹二朗、田村正和、片岡孝夫に殺陣を見せたが、絶対に全てを公開しない約束で教えたと言ってました。

吉岡一門の秘伝書には、歴代の頭領が編み出した殺陣の技が書いてあるので、私もいくつも編み出したものが記録に残っています。

 

父が負けたあと、「風呂を炊け!酒をもってこい!」と言った父の目には涙が浮かんでいました。

あとでなぜ泣いたのかを酒を飲みながら聞くと、「自分が背負った辛い役目」を私にさせることが可哀想で泣いたそうです。

父・吉岡忠はとても気は優しい人ですが、怒らせるととてもまずい人間でした。

私も同じで父より気が短いので「もっともまずい人間」だと自分で自覚していますので、「絶対に私を本気で怒らせて欲しくない」といつも思って暮らしています。

私は「一度、怒りのスイッチ」が入ると他のことは考えられず、ただ相手を仕留めることだけ考える人間」なのでとてもヤバい人間です。

戦えば必ず相手を殺せる自信はあるし、日本刀を持つと「他のことは一切考えない訓練」もしてきたので、そんな人間が日本国を救うことになるとは思ってはいない8歳の子供でした。

それから18歳になるまでの10年間は、父の代わりに「本州の北朝のバカな武士」たちをたくさん切り殺しましたが、「頼むから来るな!」といつも願って生活していました。

最後にやってきたのは高校時代16名が待っていて、「北朝の最高の名人」も一緒に居ていたので挨拶すると、白髪で白い髭を伸ばした老人は一緒にやってきた15名を私が全部切ったあと静かに目を瞑り、全く動かず「気」だけの戦いになりましたが、一瞬、風が吹いた時の「風の隙間」をぬって私が一気に首を落として終わりました。

これが、武士として「本州の北朝の最後の武士の首切り」をした様子です。

北海道の東側にいる農家は函館や小樽から入ってきた「北朝の武士」ですが、「私の12歳の頭領就任式」で殺さないことを正式に決めたので、今も生きていますし誰も私に手は出しはしません。

「私の18歳は1977年」で、北海道以外は文化的な生活をしている様子がテレビでわかりましたが、北海道は明治19年(1886年)に吉岡一門が来るまでは「先住民アイヌの土地」なので、「食べ物がなく貧乏」だからこそ助け合って生きるしかない時代でした。

そんな北海道の状況を無視して「1876年(明治9年)の廃刀令」を国は出しましたが「北海道の武士」は誰も従わず、私が高校を卒業する時に「もう日本刀を振り回すのは終わりにしよう」と父に言うまでは「武士の農家も小作」も全員日本刀を隠し持っていた時代ですので、皆さんとは生きる意味や価値観が全く違う経験をした人間です。

自分も大人になって「大人の嘘や闇」をたくさん体験したので、「闇の中で生きる」ことも考えましたが、楽しくはありませんでした。

「闇」に勝っても「光」にはなりませんし「闇」は最後まで「闇」なのです。

闇の中に生きている人たちにもたくさん会いましたが、誰も自分が闇の中にいることさえ気づいていないまま死んでいきます。

普通に振る舞っている人たちの「心の奥底の闇」を子供達は見えるので、大人は絶対に子供に嘘をついてはけません。

「正直に生きること」は怖いし、必ず、周りに否定されますが、この世で悪いことを一度もしていない人は誰もいないので「お互いに許す」しか生きる道はないのです。

そうでなければ、自分を騙した人間を全部殺さなければいけなくなりますが、その前に警察に捕まると思いますし、人を殺した人間は一生のその罪の重さを背負って生きないといけないのでとても辛いものです。

つまり、人間全員が闇を持っているのに、持っていないふりをして生きているからこそ、苦しいのだと気づいて素直に正直に生きて下さい。

「自分の闇」を全て誰かに話して、全て嘘なく正直に生きてみれば、自分の居場所も周りに起きることも変わりますが、「ずるい自分」を抑えられない人間は必ず、誰かに騙されて殺されると思います。

子供は「親が変わる」とすぐにわかりますし、嘘もすぐに見抜きます。

だって子供だけが「唯一、無の光に近い存在」なので、子供に嘘をついて「世の中を闇」にしないで下さい。

 

2025年からは「地球の最後のチャンスの時間」として「本当の光の世界を実現」しますので、闇は消えるか、居場所が無くなるか、死ぬしかなくなると思いますので生き方を変えて下さい。

それが、2024年の最後のメッセージです。

以上 吉岡一門 頭領 吉岡学

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