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真田広之は「SHOGUN 将軍」で日本人初の主演男優賞受賞!【第82回ゴールデン・グローブ賞】おめでとう!

私の友人の真田広之(64) は1993年に外務省の仕事で「マライヤ・キャリー」をゲストに呼んだ時の「ホスト役」ですし、アメリカ映画会社に私が契約した2学年の下の後輩なので、個人的にアメリカからよく近況報告とお礼の電話がきていました。

3年後に行われた「1996年マライヤキャリー主催の吉岡学へのお礼パーティ」にマライヤが真田広之を呼んでいたので、「私に武士の話を詳しく聞かせて欲しい」と言われたので、個人的に2時間くらい「武士の意味と役割」と「南北朝の真実」を話しました。

真田広之は、自分の先祖も南朝武士の「真田家」なので、自分が主演監督で映画にしたいが金がないと熱く語るので、その場で「ディズニーの社長」に連絡して「制作費」を出してもらう代わりに「SHOGUNの専属放映権」とバーター」で「役者のギャラ+固定費+売上比例配分方式」にしたので、全員、多額のギャラを手にしたと思いますが、私に入る収入は1円もありません。

「SHOGUN 将軍」が日本人初の主演男優賞受賞!【第82回ゴールデン・グローブ賞】を受賞したことはとても嬉しいのですが、誰も私にお礼の電話ができない理由は、私のほうから世界のVIPたちの連絡先を全て削除して「絶対に手紙も電話もするな!」と伝えたからです。

「日本を守るため」と「マーゴ対策」のために何度も自分の携帯番号を変えて、「過去の記憶もつながり」も消した理由は、それが「大事な人を守る方法」だからです。

「新しい日本」を作るために多額のお金と時間と手間をかけた「作戦」なので、簡単に壊されるわけにはいかないし、どこにでも「スパイ」がいる現代なので、一人で決断して作戦の指示を部下たちに出したし、世界のVIPたちに頂いた大事な物を全て壊したし、「2つのノーベル賞の盾」も燃えないゴミに出しました。

ロシアのプーチンが大切にしていたお婆ちゃん手作りの「マトリョーシカ」も粉々に砕いて廃棄し、「全ての過去の記憶」も消して何もなかったように「普通の生活」をしていた人生なので「誰も真実の私の姿」は知りません。

撮影期間が長かったので極秘で自分の戦闘機に乗って何度か「SHOGUN 将軍」の撮影現場に行って演技指導をした時に、いくつか重要なポイントを教えました。

「武士は所作で全てが決まる」ので、「音を立てない立ち座りの動き」「背筋を立てたまま全ての所作をして下さい」と出演者全員に教えて何度もやり直しをさせました。

映画「SHOGUN 将軍」の前半で、真田広之 に「武士たちが一礼する場面」を何度もやり直しをさせたし、「女の座り所作・立ち所作」も厳しく教えたので、「ただの挨拶の礼なのにどうしてそこまで厳しいのですか?」と言う女も数名いたので少し揉めましたが、「やる気が無いなら全員クビにするぞ!誰がお前たちの給料を払っていると思うんだ!!」と一括したので緊張感が一気に伝わり「武士の気迫」が表現できたおかげでアメリカで大ヒットしました。

ゴールデングローブ賞をもらったアンナ・サワイは主演女優賞」をもらいましたが最も生意気な女だったので、「嫌なら辞めろ!」と何度もどなってビンタもしたので涙を堪えて演技をしてましたが「私の演技は作り物の演技ではなく、吉岡さんに心の底から頭に来たので悔し涙を堪えているので本物です!」という女だからこそ、いい女優になりました。

「芸能人年間の写真」をこんな家の窓辺をバックするくらい大人を舐めた女でしたが、「目で自分の思いを表現できる女」だと思ったので選びましたが、大成功でした。

 

「武士の女房」はどんなに理不尽でも全て耐えて耐え尽くしたからこそ、「武士」は命をかけて戦えたし、武士がたくさんいたからこそ、日清戦争、日露戦争、第一次大戦までは日本が強くて勝ち続けたんだぞ!

今回の映画「SHOGUN 将軍」は余計なことを口にせず、「日本の女らしさ」と「武士を支える日本の女の見本」を世界に示す映画なので、全てお前の「所作」で日本人の女の価値が世界に伝わるので頑張れ!

と教えてからアンナ・サワイの演技を見ると良くなったので、「いい演技ができるようになったな!最高に伝わってきたぞ!」と褒めてあげると、初めて本気で泣いたほど心が繊細な女優なのでこれからが楽しみな女優です。

「女優としての努力」は当然ですが、「繊細さと大胆さの両面」を持って表現できる役者じゃないと世界では通用しません。

「SHOGUN 将軍」のメイン出演者たちを選んだのも私なので、今回の受賞はとても嬉しいです。

 

私は「真田広之に本気で頑張って欲しい」と思ったので、日本に帰ってから「吉岡一門伝承箱」から「本物の南朝の日本刀と脇差」と「鎧兜一式」をスタッフに持って行ってもらい、プレゼントしたので、私と真田広之は「武士の兄弟分」なのです。

「武士が自分の刀を渡す意味は命をかけて相手を守る意味」があると手紙に書いて渡したので、お礼の電話で真田広之は、「俺は吉岡さんの命は守れないけど、その分、死ぬまで役者に命をかけるのでそれで許して欲しい」と泣いたほどいい奴です。

私が真田広之に差し上げた「鎧兜」は、私が「12歳の頭領就任式」の時に祖母のあや婆ちゃんが大きめに作ってくれたものなので一度だけ着て親族に見せましたが、それを父が大事に「吉岡一門伝承箱」に入れて保管していた物をプレゼントしました。

悔しかったのは、私の叔父の吉岡信が勝手に「吉岡総本家の家と土地」を売っぱらったので、「頭領だけの床間」に飾ってあったご先祖の鎧兜を全部、私が日本刀で切り壊しましたが、さすが「最も古い5代前の頭領の鎧兜」は硬くて真剣で切っても切れないほど固い素材で作っていたし「刀傷だらけ」なので、本当に実践に出て相手を切り殺したことがわかりました。

強い先祖の頭領たちの念で守られていた「胴」なので、涙を流しながら「お詫びの祈り」をしてから許可を頂いてから切ると真っ二つに「固い胴」が割れて「許し」を下さいました。

多分、売ればものすごい価格で取引される物ばかりですが、そんなお金をもらって喜ぶ私では無いので、庶民感覚で「武士の頭領の思い」を考えるのはやめて下さい。

南朝の頭領たちのご先祖の日本刀は全て手入れをして保管してあったので、「吉岡一門伝承箱」から「ロシアのプーチン」と、「インドのモディ首相」と、「真田広之」の三人だけにプレゼントしましたが、売れば「一振り150億円」以上はする日本刀で「国宝級」のものばかりです。

「吉岡一門の資産」は全て国宝級ですが、「国宝になると国(北朝)は貸したものを返してくれないので絶対に国宝にしてはいけない」と父から強く言われています。

いつか「吉岡一門伝承箱」の物を全て見れる家を作り、大事なお客様にだけ見せれる「吉岡一門資料館」を建てたいと思っていますが、「学芸員」とか言って偽物とすり替えるスパイと盗人ばかりの庶民に見せるつもりはありません。

2003年公開の映画「LAST SAMURAI」は、私が1992年にアメリカ映画に契約してあげた役者たちのお礼としてマーゴが作ってくれた映画ですが、真田広之は「ひとつもお礼を吉岡さんに返していないので申し訳ない」と言った男ですが、私が「国の仕事を全てタダ」でやっていることは誰も知りません。

 

▶️真田(さなだし)は、武家・華族だった日本の氏族。

「信濃国(岐阜県)の豪族」として興り、戦国時代に「武田氏」に属して勢力を伸ばし、武田氏滅亡後には「真田昌幸」が信濃国小県郡と上野国吾妻郡を領有する小戦国大名として自立。

関ヶ原の戦いでは昌幸と次男信繁(幸村)が西軍、長男信之が東軍について分裂したが、信之の系統が江戸時代に信濃松代藩主家として続き、「幕末の戊辰戦争」では官軍として奮戦して倒幕に貢献した。明治維新後、「華族」となり、当初子爵に叙されたが、維新の功により伯爵に陞爵した。

 

徳川家康は「吉岡一門の頭領の命令」で「江戸へ逃げろ!」と指示を受けて、「徳川幕府」を作って世の平安を長く続けたのに、それを倒した「真田家は南朝の敵」ですが、そこは言わずに「先祖の仇だが役者で恩返ししろ!!」とだけ言っておきました。

南朝の「吉岡一門の頭領」はいつもどこにいても命を狙われるので、熊本藩、筑前国(福岡)、松江藩(出雲)、山城国(京都)と移動しましたが、京都が揉めた時に、現在の「富山県」へ移動して「加賀百万石」の一武士として隠れて生活していましたが、加賀藩は「加賀百万石」と呼ばれるほどの「米どころ」なのは、吉岡一門の頭領の知恵の結果です。

京都で天皇を思い通りにしたい北朝の武士たち(薩摩藩・長州藩)は、征夷大将軍を拝領し、天皇を東へ移す策略を立てた結果、「全方位をまとめる西の天皇」を東へ動かしたので日本の繁栄はなくなりましたし、いずれ日本人はいなくなるかもしれません。

 

「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の揉め事」の最中に、徳川家康は吉岡一門の頭領を京都から逃すために東へ逃げて江戸幕府を作りましたが、富山県=加賀藩(加賀百万石)はその間に大量の米を作り、日本中の南朝の武士へ米を送っていたので、「南朝」に百姓一揆はありませんでした。

「百姓一揆」を起こしたのは、自分たちの金のことしか考えない「全て北朝の武士」なので、今も北朝の武士たちは「国家公務員」になって悪いことばかりしています。

「賢い人間」は表に出ず、耐えに耐えて「裏」から国と天皇を守ってきたのが「吉岡一門の頭領」だからこそ、「今まで日本」が続いているのです。

いつもどこにいるのか?今の頭領は誰なのか?わからないからこそ、2000年以上、吉岡一門の頭領は裏から日本国民を支えてきたことを庶民は誰も知りません。

「脳ある鷹は爪を隠す」、これが「武士の頭領の教え」だからこそ、必ず、「頭領は自分の鷹」を持っているので強いのです。

 

ちなみに、裏切り者の北朝の武士は、全員、私が18歳になるまでに切り殺したので、「一人も本物の武士」は北朝にはいません。

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