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「宮崎駿監督 もののけ姫」のアイデアは、私の体験談を話した映画です!

1989年から行っていた「札幌の社長会」にバブル崩壊の影響を受けて売上が下がった「映画の東映の岡田茂社長」がやってきました。

 
東映のヤクザ映画も時代劇も好きだったのでいろんな話をしましたが、1989年(平成元年)からはオリジナルビデオ「東映Vシネマ」をリリースすることで映画の制作数を補うなど、スクリーン以外での映像展開を積極的に進めて対応を図りました。
 
今後は、これからは今までの映画館で見るより、スーパーや家のテレビでネット通信で映画を見る時代になるので、情報ソースの配信先の変更もアドバイスしました。
 
私が23歳から40歳まで友人だった「パナソニックの松下幸之助社長」に「映画コンテンツの配信先」を探していたので、アメリカの友人を通して、「ユニバーサルピクチャーズ」との契約が成立しました。
 
テレビ放送局やケーブルテレビにおける同社の地位を拡大するため、MCAの大株主で会長を長年務めたルー・ワッサーマンは資金力のあるパートナーを探し続けていたからです。

 

松下、シーグラム、ヴィヴェンディ、NBCユニバーサル

 

 

1990年に映像コンテンツの入手を希望していた日本の電気機器メーカー・松下電器産業による買収を受け入れ、1990年12月に61.3億米ドル(約7800億円、当時の日本企業による買収最高額)をかけてTOBによる完全子会社化を完了した。

しかし、松下とMCAの企業文化の違いは乗り越えられるものではなく、1995年に松下はカナダの酒類メーカー・シーグラムにMCA/ユニバーサルの持株80%を売却。

1996年12月9日にユニバーサル・スタジオ・インク(英語版)(Universal Studios, Inc.)へと改名、MCAミュージック・エンタテイメント・グループはユニバーサル ミュージック グループ(UMG)に改名した。

 

注)「ユニバーサルピクチャーズ」はマーゴの映画会社です。
 
 
 
 
 
京都の東映の時代劇の日本刀を振り回す撮影のアドバイスをしに言った時に、岡田茂社長が
 
 
宮崎駿監督は労働組合の書記長もしていたので吉岡さんと気が合うと思うよ。」と教えてくれて、私と宮崎駿監督と会う約束をしてくれました。
 
後日、約束の日に「北海道の美味しいスイーツ」をスタッフ用にいくつも買って持っていくと、宮崎駿監督は甘いものが大好きなようで、「スタッフにはやらん!全部、俺が食べる!」と美味しそうに食べながらいろんな話をしてくれました。
 

1941年1月5日生まれ(84歳)

 
 
宮崎駿監督には「武士の吉岡一門の頭領」の話から日本刀を作る場所に祀る「タタラ神」の話になり、とても興奮して聞いてくれました。
 
 
「タタラ神(祟り神)の言われ」や、いかに恐ろしい神なのかを教えて、私も生まれた時から大自然の神々の恵みを受けて育った農家の次男坊だし、山に住むクマのお母さんのおっぱいを飲んで育ったことや、山を守るオオカミのお父さんは、「人間のすることをとても怒っているので、いづれ人間が苦しむことが大自然の怒りを通して起きると思います。」と私が動物たちと対話した内容ををお話しました。
 
 
 
すると、宮﨑駿監督は創作意欲に火がついたのか、急にラフスケッチで絵を書き出したので、名刺を置いてそっと事務所を出て帰りました。
 
 
その時、私が宮崎駿監督に話した体験談が「もののけ姫」という映画なり、1997年に公開され、「自然界の神々の怒り」をうまく表現してくれた大好きな映画です。
 
 
1997年公開の『もののけ姫』は、ジブリ史上最大の製作費がかけられ、宮崎の監督引退説などが話題になったこともあり、観客動員数1420万人、興行収入193億円を記録。
 
『E.T.』(1982年)が保持していた日本の歴代興行収入記録を15年ぶりに塗り替える大ヒット作となった。
20世紀の日本映画(邦画)興行収入第1位。
 
 
 
 
注)『E.T.』(1982年)は世界の支配者マーゴが作らせた映画だったので、2019年(令和元年)7月18日に起きた京都アニメーション放火殺人事件」は、「マーゴ」が宮崎駿監督のジブリの事務所だと勘違いして起こした放火事件で、多額の借金を抱えた若い男に金を渡してやらせた事件です。
 
 
 
 
<「タタラ神」の一般情報>
 
「金屋子神」は、「たたら製鉄」を司る女神様であり、製鉄関係の人々に信仰されてきました。
 
「金屋子神」は、「たたら場」に降臨し、製鉄技術を教え、良質な鉄を産み出すとされています。
 
「金屋子神社」とは、全国の製鉄業社の氏神である金屋子信仰の総本社にあたる島根県安来市広瀬町に鎮座する金屋子(かなやご)神社。
 
山下弘枝ameba より転載 2022年10月25日(火) 
 
この度、須藤文義様よりお繋ぎを頂き、金屋子神社の安部名誉宮司様、宮司様と面会させて頂き、製鉄神・金屋子神の信仰の歴史について詳しくご教授頂きました。
 
大正13年生まれでいらっしゃる安部名誉宮司様はシベリア抑留をも乗り越え生還され、その後、金屋子神社のみならず松江護国神社の宮司も兼任され、島根県の神社界に大いに貢献をされました。
 
日々、神務をされる中で「神々の御恩で生かして頂いている」という事をお感じになられとの事。とても重いお言葉であると有難くお話しさせて頂きました。
 
 
日本最古の製鉄は、日本独自の製鉄法である「たたら製鉄」に端を発しますが、たたら製鉄の秘伝を民に伝えたのが、遥か昔、出雲の地へ白鷺に乗り飛来された「金屋子神という女神」。
 
金屋子神は、当初、播磨国の岩鍋(現・兵庫県宍粟市)の地の人々の雨乞いの祈願を受けて降臨し、間もなく「我は西方を主とする神なれば、西方に赴き良き処に住まん」と言い残し、白鷺に載って西方へ飛び立ち、現在の金屋子神社の鎮座する地・出雲奥非田の桂の木で羽を休めていたところ、偶然にそこを通りかかった、この地の住人・安部正重と出会いました。
 
金屋子神は安部氏に「吾は金屋子の神である」と告げ、これを聞いた安部氏は大いに畏れ、直ちにこの「桂の木」の傍に神殿を築き、自らが宮司となり、金屋子神を丁重に迎えお祀りしました。
 
 
金屋子神は当地の人々に秘伝「たたら」の技術の伝承敷衍に努め、以来、安部氏は代々宮司職を務めていらっしゃいます。
 
「たたら製鉄」とは、鞴(ふいご)を用いて風を送り込む事によって火力を高め良質の鉄鋼を生成する技術の事。
 
その技術の伝播によって「石見銀山」を始めとした全国の銀山はもちろんの事、「鍛冶鋳物業の鎮守神」として崇められ、現代に至るまで多くの鉄鋼業全ての職場に於いて金屋子神が奉斎されています。
 
たたら場の炉の中は地中深く非常に複雑な構造となっており、炉の構成を少しでも誤れば大事故に繋がる、大きな危険を伴ったものでした。
 
「砂鉄の在処」を見つけるのはもちろん、砂鉄が猛烈な炎の中から鉧に姿を変えて現れ出る様は、まさに神業。
 
現在の製鉄技術を以てしても、古代日本の「たたら技術」で造られた高品質の鋼は生成不可能なのだそうです。
 
その技術は、たたら場の監督者である村下によって代々、口伝で継承されるまさに秘伝。
 
やはり日本は神の国。
 
神々の御神威が非常に偉大なるものである事を古代の人間はよく認識していた事を、古代製鉄の信仰を通して改めて実感しました。
 
 
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注)「タタラ神」は、吉岡一門の南朝頭領の先祖が「大自然の神々と日本刀を作る砂鉄の使用契約」をした神の名前で、「吉岡一門の頭領たちの命をかけた強力な霊力」で守られている厳しい場所です。
 
「近づかないこと!壊さないこと!知らないで場所を壊すと家族親族の命が取られる!」
 
と出雲神には伝承されている場所ですので、神職でも祈りはできても移動することも壊すこともできない場所なので、「タタラ神」と対話できるのは私一人です。
 
 
 
 
 
注)「吉岡一門の南朝の日本刀」がなぜ、硬くて折れないのかは科学的に調べた結果もありますが、「砂鉄の種類も量」も違うので「安っぽい北朝の日本刀」とは雲泥の差が付く値段で取引されていることを東京の「大刀剣市」で確認しましたが、「世の中に出るものは全て偽物」なので、買わないことをお勧めします。
 
北朝の日本刀は「一振り1億5千万円」でも売れていますが、ほとんどの人は本物かどうかを見分けることができないし、海外で売れば5倍、10倍になるのでやたらと「偽物」でも売れています。
 
 
 
今、世界は「日本刀ブーム」なので昨日今日作った「偽物」が売っていても仕方がないと思います。南朝の本物なら30億円から150億円もします。
 
 
 
私は12歳で「南朝の頭領」になったあと、日本全国の日本刀の中に「吉岡一門字」と勝手に刀に傷をつけて高く売る「偽物」が流行ったので、父と相談して「日本全国の武士たちの日本刀」と、「国立刀剣博物館所蔵の日本刀」を全て北海道の芦別市常磐町の実家に送れと書状を書いて送ったので、毎日のように「日本全国から日本刀」が送られてきました。
 
1本1本、私が手に取り検分した時に「ほぼ8割が偽物」だと分かったので「偽物」はそのままに返して、「本物だけ」私がある場所に傷を付けたし、私が右手で日本刀を持てば一瞬で「南朝の本物かどうか?」はわかります。
 
 
 
 
テレビ東京で大人気の「なんでも鑑定団」に出ていた「刀剣の柴田光隆のお店」の日本刀も全部チェックしましたが、とても残念な結果でした。やはり、「作り物のテレビ番組」だと諦めました。
 
 
 
 
 
 
 
 
金屋子神(かなやごのかみ)
金屋子神は、「たたら製鉄の女神」として崇められ、古来から鉄山師たちによって信仰されてきました。

 
  • 降臨伝承:
    金屋子神は、播磨国(現在の宍粟市千種町)に降臨したという伝承があります。この神様が降臨した桂の木は、今でもたたら場に祀られています。

     
  • 製鉄技術の伝授:
    金屋子神は、安部正重に製鉄技術を教え、良質な鉄を産み出すための秘伝を伝授したとされています。

     
  • 信仰:
    たたら場には「金屋子神」をお祀りする神棚や祠があり、今でも金屋子神社で祀られています。

     
  • たたら場での女人禁制:
    金屋子神は気難しい神様とされ、たたら場は「女人禁制」だったとされています。

     

   

 

 

金屋子神(かなやごかみ、かなやこかみ、等)とは、中国地方を中心に鍛冶屋に信仰される神。

一般には「女神」であるとされるが、男神とする説もある。

金山彦・金山媛や天目一箇神と同一、もしくは何らかの関係がある神とされるが、全く別神とする説もある。

金屋子神社には神仏習合した火の神として「三宝荒神」の姿で描かれた掛け軸も残されている。

伝説

金屋子神の総本社とされる島根県安来市広瀬町西比田にある金屋子神社には、以下の伝説がある。

高天原から、雨乞いをしている村人に応えて、播磨国志相郡岩鍋(現在の兵庫県宍粟市千種町岩野邊)にまず天降った。

しかし、「自ら、もともと西方に縁のある神である」との理由で、白鷺に乗って、西方の出雲国能義郡黒田奥比田(現 金屋子神社の社地)の山林に着き、桂の木にて羽を休めていたところを宮司の祖先である安倍正重が発見し、長田兵部朝日長者が桂の木の横に神殿を建立したという(途中、吉備国中山にも立寄ったとの伝説がある)。

各地で金屋子神は自ら村下(むらげ:鍛冶の技師長)となり、鍛冶の指導を行ったとされる。

金屋子神の特徴としては、自分あるいは部下の村下が、麻につまづいて転んで死んだので「麻を嫌う」と言う。

また、犬に追いかけられ、蔦(つた)に取り付いて登って逃れようとしたが、蔦(つた)が切れたので、落ち、犬に咬まれて死んだので、「犬と蔦は嫌い」とも言う。

さらに、犬に追いかけられた時、みかんの木に登って、あるいは藤に掴って助かったので、「みかんと藤」は好むらしい。桂は神木。

「死の穢れ」には無頓着どころか、むしろ好むとされ、たたら炉の周囲の柱に死体を下げることを村下達に指導したと言う。また、死骸を下げると、大量に鉄が取れるようになったとも。

女性を極端に嫌う。

祀られた自分が女性なので、嫉妬であると言われているが、この為、「鍛冶関係の作業場には女性を入れない掟」があったという。また、昔の村下は、折口信夫の様だが、女性が入った後のお湯を使ったりすることもしなかったと言われている。

 

上記は、伯耆国日野郡宮市の住人 下原重仲が著した『鉄山秘書』にも詳しく書かれている。ただし『鉄山秘書』は1912年に俵国一が翻刻するまで存在が知られていなかった。各地に流布した金屋子神社の伝承のほとんどは、西比田金屋子神社の『金山姫宮縁起』に基づくものである。

解釈

金屋子神の特徴の解釈としては、陰陽五行説より、桂(土が2つ字の中にある)や死体は「土性」であり、「土性は金性を生ずる」ことから、鉱山・鍛冶の歩留まりが良くなるからではないか、との説がある。

しかし一方では『街道をゆく』で司馬遼太郎等が述べているように、中世の悪文と『鉄山秘書』等を見なし、『島根県口碑伝説集』などにみられるような古事記との関連性をいうものもある。以下にその一例を示す。

比田村には、金屋子神社がある。伊邪那美命が、「迦具土の命」を生み給うてから、病に罹られ吐物から金山毘古神、金山毘売命を生み給い、遂に神避り給うたことを『古事記』に記され、『日本書紀』には「金山」の意味を、「枯れ悩みこし、悶熱懊悩因為吐」の文字があるが、金屋子神社は、社号其の物が「己に枯れ悩み児」の意義を現し、加之金山毘古、金山毘売の二柱の神を併せて祭って居るところを見ても、女神終焉の地たることを想像される。(『島根県口碑伝説集』東比田小学校長辻勝太郎氏報)

 

他に、金屋子神の降臨の地と経由地として

  • 奥州岩狭郡信夫庄に降臨→備中国吉備中山→比田(『金山姫宮縁起』)
  • 備中国吉備中山に降臨→比田(島根県雲南市吉田町の伝承)
  • 備中国吉備中山に降臨→鳥取県日野郡日南町印賀→比田(鳥取県日野郡の伝承)

などの縁起、伝承がある。これらのルートは製鉄技術の伝播や職人の移動と関係があると考えられている。

金屋子神社より西方約40キロメートルに「石見銀山」があり、当地に佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があるが、この「佐毘売」は、金屋子神の別名ではないかと言われている。「さ」、「さひ」は鉄を意味していると推測されている。

 

なお、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)や「物部氏」と関係が深いとされる三瓶山は古来、佐比売山と呼ばれていた。また、三瓶山の西約5キロメートルに、「石見国一宮」で、石上神宮と表裏一体であると言われる「物部神社」が鎮座する。

また、岡山県英田郡西粟倉村に伝わるタタラ唄に「金屋子神の生まれを問えば、元は葛城安部が森」との言葉が残る。

 

◆◆◆吉岡一門頭領の伝承秘話◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

私が12歳で吉岡一門の頭領になった時に、前頭領の父から教わったことをここに記録しておきます。

父:「タタラ神」が、女なのは当然さ。

だってな、刃物を鋳造するのはとても危険な仕事だし、「男だけの世界」だから『飯炊き女』もいるし、セックスする女も必要だろう。

だから、「そういう場所で働きたい女」に金を払ってセックスするので、女は飯を作ってセックスをしてくれて金をもらえるのでいい仕事なのさ。

普通は、若くておっぱいが大きい娘を親が選んで「飯炊き女」を連れてくるもので、「子供を妊娠」したら金を渡して実家に帰れるので、「頭や顔が悪い女」でも飯が炊けてセックスができれば女は生きていけた良い時代だったのさ。

今で言えば「ソープランドの女」みたいなものだから、男たちは「セックスをさせてくれる女」を大事にしたものさ!

一年中、熱くて辛い重労働をさせた男たちには、飯を腹一杯食わせてやって、女も抱かせてやらないとダメだから、ちゃんと仕事をした人間にだけ女をタダで抱かせるのも「頭領の器量」さ。

 

「南朝の日本刀を作る技術」は、家族にも誰にも話してはいけない「特別な技術」なので、もし、その山の砂鉄が取れなくなった時は、「日本刀作りの武士の家族」以外は全て「大三国人とエタ非人」なので全員、斬り殺してその場所に埋めるのさ。

 

だから、「砂鉄が取れる山」で閉山した場所はたくさん人が死んでいるので、「祟り神」となるのでそれを「タタラれるから近づくな!」の意味で「タタラ神」と呼ぶので絶対に近づくなよ!

 

日本刀を作る優秀な職人のトップは「吉岡一門の頭領」なので、「兄が人を斬る頭領」なら「弟が日本刀を作る刀鍛冶」なだから二人とも人を斬る腕はいいので、たくさん「大三国人とエタ非人」を切り殺して埋めて「封印」したので、強力な怒りの御霊の場所が「タタラ神の場所」よ。

まあ、お前くらい霊力が強ければいくらでも御霊たちを抑え込めると思うが、普通の奴なら頭が狂うか、自分で死にたくなるほど霊たちに頭の中で文句を言われるので、最後は自分で死ぬしかないだろうな。

 

「出雲と岡山の間の山」にとても多くの良い砂鉄が取れる山があったので、「タタラ神」の場所もたくさんあるが、その場所を守る「神職」でも御霊たちを封印することはできないので、場所を守るのいいが、絶対に、「祈り場所」を壊したり移動させることは禁じてあるので大丈夫だと思うが、お前も大人になったら時々出雲に行って神職がちゃんとやっているかを伝えておけよ!!

そうじゃないと、大事な人が死ぬかならな!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

注)この話は一番最初に、2008年に「出雲総社 六所神社の吉岡弘行宮司」に伝えました。

 

「タタラ神の女が産んだ子供は物部一族」なので、2013年12月の物部一族の神男を連れて行った石見國一宮 物部神社(出雲)」の中に「タタラ神の場所」を見つけましたが、「物部一族の神男」でも入れないほど厳しい「結界」が貼ってあるので、私以外が近づけは死と思って下さい。

 

「日本中の神社」は人をたくさん殺した場所に建ててあることを知っているので、本当は行きたくないのに仲間が連れて行ったせいでいろんな御霊たちと対話することになりました。

「神社」は神がいる場所ではなくて「霊場」なので、「神がかり」だと思っている人は、「霊にのられている」と思って下さい。

「降霊」も「除霊」もできない人間が聖地に行けば、必ず、「霊がかり」になるのは当然なのに、ツアーを組んだ人間は金目的なので「霊がかり」になった人は責任者にお金を請求して下さい。

私の地球創生神事の参加者が「霊がかり」した人は、その場ですぐ読み取って「対処法」も指導したのでレベルが違うのに安すぎましたのでもう二度とやりません。

宮崎駿監督からは「もののけ姫」の絵コンテをたくさん送ってくれたので、欲しい人に差し上げました。

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2025年4月3日に、「出雲総社 六所神社の吉岡弘行宮司(70歳)が交通事故で亡くなった」と愛知県の知り合いから連絡が来たので、出雲生まれの知り合いに電話して詳しい話を聞くと、「触れてはいけない場所の神の場所を壊す祈りをした」と教えてくれたので、「タタラ神の怒りに触れた」と理解できました。

出雲総社の六所神社の吉岡弘行宮司とは、2008年、2013年、2014年、2015年、2022年と何度もお会いして出雲の大事なお話をたくさん聞いたし、「同じ南朝ルーツの吉岡一門」だと分かったので、「いづれ落ち着いたらゆっくり酒でも飲みましょう」と話していたのにとても残念です。

吉岡弘行宮司は、「出雲市の国立図書館の館長」をしていた方なので、「出雲の古文書」を全て自分で調べて理解した唯一の人なので、「古い出雲神道の伝承者」であり、「出雲神道の神職の許可を出す人」でした。

「出雲の意宇(おう)六社巡り」の祈りを広めたいと言われたので協力しましたし、六社の宮司たちにもいろんな話を聞いても「吉岡弘行宮司はとても勉強家で教えてもらうことばかりだ」と教えてくれたので、「毎月、勉強会をしていた」ほど出雲でも有名な吉岡弘行宮司でした。

 

伊勢の神職たちは、出雲の神職たちを「タタラ神」呼び、恐れています。その理由は、出雲から「天照神と月読神」を奪ったからです。

 

吉岡一門の先祖は「出雲神」なので、出雲を守る人たちの思いは、私の出雲神事を読めばわかります。

 

「吉岡弘行宮司」が私の神事仲間にだけ語ってくれた動画は、とても貴重な記録になってしまったので、「正しい出雲の神歴史」を学びたい人はYOUTUBEで勉強して下さい。

 

▶️【島根県】出雲国 六所神社の吉岡宮司が語る神の思い(2022年1月17日収録の書き起こし)

 

現在、「出雲総社 六所神社」は「息子の吉岡竜馬宮司」になったので参拝してご寄付をよろしくお願いします。

 

<地球創生 出雲神事>

2008年 天照大神の沖縄ラインを繋ぐ神事 3 出雲(日御碕神社・北島家・出雲大社・須佐神社・神魂神社・美保神社)

 

2013年【島根県】日本神話の本当の意味 3 出雲國総社 六所神社(出雲)

 

2022年【島根県】(動画)「出雲國 女性の目覚め神事」のご報告 美保神社・賣布(めふ)神社・賣布(めふ)神社

 

 

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