イタリア ジョルジオ・アルマーニさん死去 2025年9月4日
世界的なファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニさんが91歳で亡くなりました。
だいぶ昔に、「世界の支配者マーゴ」が、私に合うサイズの洋服を探すためにイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギーと洋服を探し回りましたが、いつも袖は短くズボンも短いので「寸足らず」でした。
「本当に吉岡学さんの体は日本人の体系じゃないので、絶対にあなたのルーツを調べてやる!」
とマーゴはいろんな国へ行くたびに私にあうサイズの洋服を探してくれましたが、皮靴だけは左右8mmも違うので世界のどのブランドでも合いませんでした。
中学1年生から「27cm」という足のサイズだったので、いつもバスケットシューズを履いて過ごしていましたが、現在は、左足は29.6cm、右足は28.8cmなので今は「30cmの靴」を履いています。
私はダイエーのサラリーマン時代にも合うスーツはないし、ワイシャツも無いのでいつも寸足らずを着ていましたが、ロベルトの知り合いがイージーオーダースーツ6万円を3着作りましたが、それしかないので、いつも「札幌の社長会」で「もっと良い生地のスーツを着て下さいよ」といつも言われました。
そんな私を見かねた一部上場企業の社長たちが「ほんの気持ちのお礼です」と作ってくれたスーツ3着(30万円、60万円、150万円)をプライベートジェット機に乗せておき、外国の要人に会う時用に大切に保管していました。
2006年5月18日に財務省の鈴木友康が「プーチンが危篤です」と嘘の電話を知り合いの官僚に電話させたので、慌ててロシアのプーチンに私本人が会いに行くと「何でもないよ」言われ、安心したので一緒にいろんな酒を飲み酔っ払いました。
普段は「分身」が私の役目をするので、私本人の電話番号を知っているのはごく一部の人間だけでした。
酔っ払って自分のプライベートジェット機に乗り込むと、「お疲れ様です」と鈴木友康が乗り込んでいて、外国のビールで乾杯すると中にいろんな薬が入っていて意識朦朧になり、倒れて意識を失いました。
手足を縛られ、ドリルで左奥歯にGPSを付けられ、太平洋に落とされそうになりましたが、何とか千歳空港に着陸させて苫小牧まで車で戻り、プライベートジェット機ごと取られたので、普段は「ユニクロ」で生活しています。

1990年代に「札幌の社長会」の噂を聞きつけた「ユニクロの柳井正さん」から電話が来て、東京本社へ行き経営アドバイスもしたし、中国のGパン工場で「ウオッシュジーンズ」を作ってあげたし、曖昧な色ばかりで私が着れるものがないので「フォーシーズンカラーで売り場を構成して下さい」、とお願いして実店舗で陳列をしてあげました。
ニューヨーク出店にも協力したし、「ユニクロのロゴ」を英語とカタカナにしたほうがいいですよ、とタダで教えてあげたのに、何もお礼をしないケチな男です。
Gパンも、Tシャツも、ジャケットも高いものは「お礼の頂き物」がいろいろあったのに、全て妻に「女にもらった物でしょ!」と捨てられてしまい、ビヨンセやマライヤ・キャリーにもらったものも全て捨てられたので何も残っていません。
ハワイのエルビス・プレスリーの「本物のジャケット」や、マイケル・ジャクソンからもらった赤い皮の「スリラー・ジャケット」も私のサイズで作ってくれたのに、妻が実家で燃やしてしまいました。


いつもマーゴに会うと、「イギリスの息子のウェストミンスター公爵のお父さんなんだからもっと良い物を着て下さい」と言われますが、ブランド品に興味がないし、「高いブランド品を買いたい」と思ったことはないので、節約して老後のために貯金を優先して「ユニクロ」で質素に生活しています。

たぶん、40代の頃に「マーゴのお友達に合わせる」と言われて、イタリアのジュルジョ・アルマーニさんのお店に連れて行かれたと思います。

「日本が大好きなんだ」と日本語で話してくれたアルマーニさんなので、私が気に入ったいろんな洋服やズボンを着てみましたが、やはりサイズが少し短いのですぐにその場で作り直してくれました。
さすが、デザイナーです。
数時間の間に、大きなビニール袋にアルマーニの洋服やズボンや下着も靴下も腕時計もたくさんいただき、5袋もタダでくれたので、大事に家に持って帰ると全て妻に「女にもらったんでしょ!」と言われてた翌朝、全て「燃えるゴミ」に出されてしまいました。
マーゴには、「アルマーニがタダで洋服をあげるなんて見たこともないし、彼は「ホモ」だから、きっとこのお返しはしないといけないので、一晩くらい付き合ってあげたら?」
と言われましたが、そんなことするはずはないですが、「恩返しをしない人間は最低の人間」と子供の頃から教育を受けているので、イギリスのエリザベス女王に会いに行く途中でイタリアに降りて、お礼の北海道のスイーツと私のお気に入りの物をプレゼントしてお礼を伝えに行きました。
アルマーニさんはお店の中でお茶とケーキでもてなしてくれていろんな話をしましたが、次のファッションショーのチケットを渡されて、こう言われました。
「吉岡さんがホモではないのはわかるので無理は言いません。
ただ、自分には子供がいないので、私が死んだら吉岡さんに、アルマーニの全ての販売権と商品をあげるので好きに使って下さい。
それと一度だけ、私のファッションショーにモデルとして出て下さい。冥土の土産にさせてもらいます。」
と頼まれたので、1度だけイタリア限定の「ミラノコレ」で世界に公開しない条件で「VIPオンリーのファッションショー」に出たことがありますが、自分のお金でアルマーニを買えるほど余裕はありません。
アルマーニさんは、スタッフに書類を用意させて全財産を渡す書類にサインしたのでいつか連絡が来るかもしれません。
「日本発アルマーニ」もいいと思いますし、アルマーニさんの洋服のデザインもいくつかしたので、「ぜひ、自分のデザイナーになって欲しい」と言われたほどセンスはいいので、暇ができたら「ジャパン・マナブ・アルマーニ」ブランドのお店をやるかもしれません。
世界のファッションモデルは全てマーゴの商品なので、アルマーニさんのモデルも全てマーゴの商品だからこそいろんな映画でもアルマーニを使っているし、マーゴと繋がりがあるのは当然なのです。
でも本音でアルマーニさんは、「私はマーゴはがめついので嫌いです」と話してくれたので、大笑いしてお酒を飲みながら楽しい時間を一緒に過ごしました。
半分、酔っ払ったまま「イギリスのエリザベス女王」に会いに行きましたが、すぐに乾杯と食事だったので、いろんな話を本音でできたことが楽しい思い出です。

そうそう、ピアノのフジコ・ヘミングさんも「全ての財産をあげる」と言われて書類にサインしたので、どうなるのでしょうか?

家のFAXも外したし、携帯電話番号も変えたので、別に電話が来なくても気になりません。
私のお金なら日本銀行にいくらでもあるし、これから世界のVIPたちがたくさん私のお金を持って集まってくるし、「吉岡一門資産」もあるので、「他人のお金を当てにして生きる」ようなことは私はしません。
質素に生きるのが、一番得意な私です。
ジョルジオ・アルマーニさんは、スーツに革新を起こし、最後までデザイナーであり続け、「モード界の帝王」の呼び名にふさわしい人だった。(読売新聞 生活部 ファッション取材班)

「エンポリオ・アルマーニ」のショーに登場したアルマーニさん(2024年9月、ロイター)
服と向き合う実直な姿…美しい世界作る人いなくなる
親日家で知られたアルマーニさんは2019年、東京国立博物館でクルーズコレクションを開催した。
このショーに出演し、仕事ぶりを間近に見たモデルの冨永愛さんは「脳裏に浮かぶのは、服と向き合う実直な姿と、その奥に垣間見える、優しいまなざし」と振り返る。
アルマーニさん自ら、モデルのオーディションに同席し、冨永さんに、最大級の褒め言葉と盛大な拍手を送ってくれたという。

アルマーニのショーに出演した冨永愛さん(2019年、東京都内で)
冨永愛は、どうしてもアルマーニのファッションショーに出たいと私に電話が来たので、仕方なくアルマーニさんに電話して許可を取りショーに出ましたが、アルマーニさんにも気に言ってもらえてよかったです。
服飾史家の中野香織さんは「ショーの終わりに登場し、笑顔で来場者に感謝を示す姿を亡くなる数か月前まで貫いた。記者会見の際、1時間立ったまま質問に丁寧に答えていた。距離感の取り方も紳士的で感銘を受けた」と語る。

2007年春夏パリ・オートクチュールコレクション


オートクチュール(高級注文服)、高級ライン「ジョルジオ・アルマーニ」、スポーツラインの「EA7」など様々なブランドを展開した。
注)EA7サイズは、私のサイズを商品化したとアルマーニさんが教えてくれました。
ファッション誌「モードェモード」編集長の山口八千代さんは「階層を超えて多くの人に自分の服を着てもらいたいとの思いの表れだ」と指摘。
約20年前に取材した際、「巨匠と呼ばれることに甘んじず、若い人の評価を気にしていた」と話し、謙虚な姿勢が印象に残っているという。
若手支援にも力を入れていた。「ウジョー」の西崎暢さん(47)は支援の対象に選ばれ、16年、ミラノコレクションに参加。
ショー会場を提供してもらった。「チャンスをもらい、海外で発表していく覚悟ができた。真剣に服を作ることがアルマーニさんに報いることになる」と話す。









