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【解脱の真理】続編7 見える世界と見えない世界のルールの違い

解脱後、どう生きるか悩んだ結果、政治家や経済界で頑張っても世の中を変えるには時間が足りないからこそ、皆さんの意識の世界を変える精神世界の活動をすると決めましたが、同時に、お金も稼がなければいけないと思い、お金を頂ける仕事をどうするか、また、悩みました。

 

1998年に「地球を救う」と決めてから一切、経済活動ができなくなり、ボランティアばかりをしていたので、妻にお金の世話をかけ続けてきたからこそ、経済的に自立して恩返ししなければいけないと思ったからです。

 

でも、解脱すると、この世の中の欲望を全て捨て去ったため、自分の内側からお金を稼ぐ動機が生まれてきません。

 

お金を稼がないとどうなるのか?

家賃を払えず、家を追い出されるかもしれないし、病気やケガをしても誰も助けてくれないぞ!と自分に言い聞かせても、心はピクリとも動きません。

 

脳も、心の中も、完全に無の状態ですから、反応する恐れや不安の思いが全く無いからです。

食欲もないし、性欲もないし、睡眠欲もない人間に、お金を稼ぐやる気を出させるのは、とても難しいのです。

 

実家の母にも何度も、「どこかに就職しなさい!奥さんにばかり迷惑をかけていては男としてだらしないよ!」と怒られても、心は平安のまま、ピクリとも動きません。

 

大義名分、社会性、他人にどう思われるのかも、一切、心が動かない世界が、「無の世界」なのです。

 

何が起きても微動だしない平安な無の世界は「無意識の世界」と同じ領域ですが、反対に、現実の世界に身を置いている健在意識は、あせっていました。

 

生きている意味を見つけられない人間が、存在していいのか?

だったら、死んだほうがマシなんじゃないかと、何度も思いました。

 

すると、妻が突然、

あんた、死のうなんて思ってるんじゃないよね?

ここまで私が支えてきたのに、勝手に死ぬのは許さないからね!

もし、本気で死ぬ気なら私も一緒に死ぬから、その時は言ってね!

と笑顔で本気に怒ってくれました。

 

コイツは、霊能者かと一瞬、思いましたが、どうせまた、上の守護存在たちが手を回して、妻に気づかせたとわかったので、死ぬことも諦めました。

 

どんな死ぬ方法を見つけて実行しても、絶対に私を死なせない存在たちの思いも感じていたからです。

これまでの人生で何度も死んで当然な事故や災害の場を経験しましたが、必ず、時を動かしたり、意識を動かして、死ぬことさえできない経験をしています。

サラリーマン時代に、貯めていた貯金を下ろして350万円の新車を買い、夜中に一人でドライブしている時に、後ろの車にあおられてアクセルを踏みすぎて登りの坂道カーブを150kmで暴走し、最後はガードレールにぶつかって車体は回転し、車が宙を舞っている時に、もう死ぬんだと思った瞬間、「まだ、生きろ!」と男性の声が聞こえました。

そのあと車はクルクル回って、道路の左車線の進行方向に向けて綺麗に着地し、エンジンもかかっていました。

ガードレールにぶつかった時に、後ろのガラスが粉々になった以外は、車体は綺麗だし、フロントボディもピカピカです。

今の事故は勘違い?と思って車を降りて見ると、4本のタイヤがハの字になってあの太いシャフトが折れたこともわかりました。

足元にはオイルが流れ出ていて、通りがかった人の通報で病院へ行きましたが、精密レントゲンの先生は、「惜しかったですね。」と呟きました。

何がおしかったのですか?と聞くと、あと2mmズレていたら、半身付随の体になっていたよ、いやあ、惜しかったなあ。」と言うのです。

参りました、神様に言われているみたいなので怒る気にもなりません。

 

一切、メスを入れず三週間の入院とギプスをはめて治りましたが、第ニ腰椎圧迫骨折で骨が1/3に潰れ、2/3まで戻って退院しました。

学生時代にもバイクで暴走したり、妻と車で120km出して直角カーブを曲がったりした時も、どう考えても死んだと思える体験を何度もしています。

 

だから、生きるしかないんだ・・・。

辛いなあ、生きるって・・・と思いました。

 

神様の声や霊たちの声を無視して、自分の感覚にもウソを付き、14年間、サラリーマンをやってきた時と同じです。

「生きるためにはやらなきゃいけないんだ!」と自分に言いきかせて、真実の自分に嘘をつかなければいけない時間は、とても辛い時間でした。

そういう自分の本当の思いを押し殺してきた時間が長かったからこそ、強制的に解脱させられ、自分がなすべきことをやらなければいけない状況に追い込まれたからこそ、瞑想してマスターや守護存在たちと対話しました。

 

私はどうすれば良いのでしょうか?

一切の欲望が無くなったせいで、何かをしたい自分になれません。

どうしたら普通の人のように、欲望を持って、希望を持って、夢を持って生きれるのでしょうか?どうか、教えて下さい。

 

マスターも、守護存在たちは、

私たちには欲望というものがないので、わかりません。

だから、あなたにお答えすることもできません。

と言われました。

 

じゃあ、どうすればいいんだよ!!!!

勝手に解脱させておいて、こんな欲望たっぷりの人間ばかりの世の中を生きるには、自分も欲望を持たないと生きていけないんだぞ!

俺を生かして、本来の働きをさせたいのなら、俺に「欲望」ってやつを与えてくれ!!!

と、本気で天に叫びました。

 

しかし、天の存在たちからは、

私たちは欲望がないので、与えることもできません。ごめんなさい。

と言われませんでした。

 

勝手に解脱させたくせに、この世の中に順応して生きる欲望や生きる方法は与えてはくれないのか!と悲しくなりました。

 

欲望を見つけるために、札幌の街の中をぶらぶら歩いてみましたが、道を歩いてくる女性の心の中の思いがそのまま自分に入ってきて「アイツ、絶対、殺してやる!」という感情が私の心の中に入ってきました。

他の人も多かれ少なかれ、誰かを責めたり、自分を責めるゲームの最中なので、周りの人の声も耳に入っていませんし、見向きもしていません。

あのおばあちゃんは荷物が重くて苦しんでいるし、ベンチに座っているおじいさんは、薬を飲みたいけど、飲み水がないので困っているのもわかりました。

やってあげることは簡単だけど、この世の中の人たちの多くは、自分のことしか考えて生きていない人ばかりからこそ、誰も目の前の人を助けようとはしませんので、助けても放置しても結果は同じだとわかりました。

 

どちらを選んでも、地球は救えません。

「人助け」だけでは、いけないのです。

「人助け」は、人間が人間の欲求を満たす行為だと神様たちは見ていますし、それ以上に人間が殺している動物や植物たちの命と、人間の命の天秤が同じ秤の上に乗っていることさえ、誰も知りません。

 

命は大事!

ヌチ、ドウ、タカラ!(沖縄方言)

 

この言葉の意味はよく知っていますが、これさえも、人間都合の言い訳なです。

毎日、食糧として殺している牛や豚、ニワトリ、アジアに行けば、猫や犬も普通に殺して食べています。

 

もし、自分が食用の牛だったら?

もし、自分が食用の豚だったら?

 

宮崎駿監督の映画は、その気づきを与えてくれています。

 

この世は全て人間の思いの世界であり、その結果責任は、必ず、人間が取らされる世界だと私は知っています。

だからこそ、目の前の人を救うことで置き換えている自分の愚かさに気付けない人たちを見守っている存在たちの気持ちが、やっとわかりました。

 

若い男性は鬱なのか、死ぬことばかり考えていて、今も死ぬ場所を探してい歩いてきました。

だから、私はその青年に向けて、メッセージを心の中に送ってあげました。

 

今は、最低の人生だし、苦しくて辛いかもしれないけど、大丈夫!

もう少し先に歩くと、右手に喫茶店があって、その中にあなたを幸せにしてくれる天使さんが待っているので、声をかけてみて!

死ぬことを考えているのなら、どんな恥ずかしい言葉を言われても平気でしょ。

 

でもね、その天使さんみたいな女性も、実はあなたと同じように生きることが辛くて悩んでいるのさ。

だから、君は、声をかけたら、まず、こう言いなさい。

 

僕はさっきまで死ぬことばかりを考えていたんだけど、あなたを見たら生きる勇気が出てきたんだ。

だって、あなたは綺麗だし、心も優しいのは遠くで見ててわかったよ。

もし、嫌でなければ、僕と一緒にお茶を飲んでくれませんか?」って言うんだよ。

 

絶対に、大丈夫だから、信じてやってごらん!

 

あんたは誰だい?霊か?お化けか?

 

失礼じゃないか、僕はあなたの守護天使だよ。

これから一生、君のことを見守るけど、道を開くのは自分だよ。

だからもう二度と、あなたの心に勝手に入ってメッセージは送らないので、迷ったり、困ったりした時は、自分で道を開きなさい。

本当に困った時は、周りに人たちに「教えて下さい」と言ってごらんよ。

そうしたら、その人が僕の代わりにあなたに必要なメッセージを与えてくれるよ!

 

その青年は、決心して、喫茶店に入りました。

 

遠くから霊視で喫茶店の中の様子を見ていると、ドアを開けてキョロキョロして、一番、可愛くて綺麗な若い女性の前に立って、さっき、私が教えた言葉をそのまま口にしました。

 

すると、その女の子は、「あのう、突然、目の前に立って、そんなことを言われても私も困るので、ここを出て、他の場所でゆっくり話しませんか?」と答えてくれました。

 

その青年は、自分でレジに行って彼女の飲み物代の精算をして、一緒に喫茶店を出て行きました。

歩きながら話していると、彼女は突然、彼の右腕を掴み、寄り添うようにススキノの街へ向かって行きました。

 

私にできることはこんなものだけど、自分が楽しいかというと、別に楽しくはありませんでした。

だって、私には「欲望」がないので、満足もないのです。

 

しばらく、悩んだあげく、自分を変える一人旅に出ようと思いました。

場所はどこがいいか、日本全国を霊視して、土地の波動を読み取ると、石垣島だけはフラットだったので、石垣島へ行く旅費や日程をパンフレット見て考えていると、妻が急にこう言い出しました。

 

どこかへ行くつもり?

お金、あるの?

どうせないんでしょ?

 

石垣島へ行こうと思って調べてるんだ。

 

いくらいるの?10万円で足りる?

足りなかったら言ってね。

 

やっぱり、私の妻は神様です。

こんなにどうしようもない男を支えてくれる女性なんているわけないですもの。

 

ひとまわり年上の会社の社長の男性が定期的に無料相談に来ていましたが、彼は会社が潰れそうなのと、家族の問題と自分の心のケアをしてほしくて定期的にやってくる男性でした。

そんな彼に石垣島の話をすると、「俺の同級生が石垣島に移住したので電話するといいよ。

札幌で成功したので、全財産を売り払ったお金を持って夫婦で移住しているから、俺の名前を出せば必ず、助けてくれる人だよ。

 

俺が今、できる恩返しだから、気軽に電話してね。」と名刺を渡されました。

 

自分の誕生日も迎えたし、生まれ変わったことだし、最も格安の1月後半に沖縄の石垣島へ一人旅に出ようと決めました。

荷物は小さいリュックひとつだけ。

下着数枚とTシャツと洗面用具だけあれば、大丈夫。

 

この報告は次回、書きますので、どうぞ、お楽しみに!

 

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