1. HOME
  2. ブログ
  3. ・1996年〜VIP・歌手・役者・マーゴ
  4. 【VIP・マーゴ】マイケル・ジャクソンとは親友で、「ウィ・アー・ザ・ワールド」にも出演しました。

【VIP・マーゴ】マイケル・ジャクソンとは親友で、「ウィ・アー・ザ・ワールド」にも出演しました。

「過去の記憶」を思い出したので記録しておきます。

・・・

私は西暦2000年頃に、「マイケル・ジャクソン本人」に会う機会がありました。

ご縁を繋いでくれたのは、マイケル・ジャクソンの妹の「ジャネット・ジャクソン」でした。

ジャネット・ジャクソンは、「ビヨンセ」と友達だったので、トントン拍子に会えることになり、カリフォルニア州サンタバーバラ郡にある自宅兼プライベート遊園地の「ネバーランド・ランチ」で会うことになりました。

 

私が日本国から頂いたプライベートジェット機は、「裏切り者の財務省の鈴木友康」に盗まれたので、「ビヨンセ」のプライベートジェット機に乗せてもらい、「ネバーランド・ランチ」の近くの専用プライベート空港に降りると、ロングリムジンのロールスロイスの車が迎えにきました。

 

マイケル・ジャクソンは、アメリカのように、「WHITE ONLY(白人のみ)を口にしない差別がない日本人は大好きだ」と最初に日本語で教えてくれました。

・・・・

マイケル)どうして、吉岡は私に会いたかったの?

 

吉岡)私はあなたのファンでもありますが、それ以上に、あなたは親を殺された難民の子供達をたくさん家族として育てていることを「ビヨンセ」から聞いて感動したので「一度、会って話をしてみたい」と言うと、「妹と友達だから聞いてみる」と言ってくれて、ジャネット・ジャクソンの紹介でここに来ました。

本当に、素晴らしい活動を世界でしてくれてありがとうございます。

 

マイケル)僕も、妹からあなたのことは聞いていたけど、日本人のサラリーマンで、いくつも「国の仕事」を無償でしながら世界を飛び回っている人間がいるかと聞いて興味があったので会うことにしました。

僕が妹から聞いたことは、全て事実ですか?

 

吉岡)はい、多分、全て事実です。

でも、生まれつきの「霊能者」だと言うことは聞いてないかもね・・・。

 

マイケル)霊能者?スピリチュアル?

 

吉岡)そうです、今はサラリーマンも、国の仕事も辞めて、「スピリチュアルな業界」で自営業をしています。

 

マイケル)面白い!

興味が湧いたので、お酒を一緒に飲みましょう?

何が飲みたいですか?

 

吉岡)日本酒なんて、無いですよね?

 

マイケル)日本のファンからもらった「久保田」というお酒がありますが、飲めるかな?古いかも?

 

吉岡)まあ、飲んでみましょう。

日本酒は古くなると「お酢」と同じ酸っぱくなるので、酸っぱくないなら飲めますよ!

 

味見して、何とか二人で飲めました・・・。

 

 

マイケル)ところで吉岡は、何年生まれのいつが誕生日?

 

吉岡)1959年1月10日だよ、マイケルは?

 

マイケル)僕は1958年8月29日だよ!

 

吉岡)じゃあ、同級生だ!「ドンパ」だ!

「ドンパ」って言うのは、日本の北にある「北海道の同級生同士」が口にする言葉で「同じ年に学校へ行っていた同じ世代」という意味さ。

 

マイケル)日本は春が入学式だけど、アメリカは9月が入学式なので、僕のほうが1学年上になると思うよ!

 

吉岡)そんな細かいことはいいからのさ、さ、「ドンパ同士」で飲もうよ!飲も!飲も!

・・・・・

・・・・・

・・・・・

お互いに片言の日本語と英語だけど、いろんなことを話して世界のお酒を飲みまくっているところに「ジャネット・ジャクソン」が来たので、上手に通訳をしてくれたので、さらに深い話しがたくさんできました。

・・・・・

・・・・・

・・・・・

マイケルは、自分が貧乏な家に生まれだったので、教会で歌った声が褒められたので、兄弟だけで作った「ジャクソン・ファイブ」のリードボーカルになり、両親からも近所の人からも兄弟からも最初は褒められたのに、すぐに上手すぎると虐められたので、「今は、親や兄弟とは一切、交流していない」と言ったので、「自分も子供の頃から同じくらい虐待の辛い経験をたくさんしたけど、いつかは「親や兄弟の死」があるので、最低の付き合いくらいはしておきなさい。手紙だけでもいいから」と教えました。

 

マイケルが世界の国々でコンサートをする理由は、世界中にいる自分と同じ体験をした「戦争孤児や虐待にあっている子供たちを助けたい」と本気で思ったからこそ、コンサートは1日だけにして、最低1週間は現地の孤児や難民を探して自分の家に連れて帰る活動を続けていると教えてくれました。

 

しかし、この子供たちを救済する活動が世界中に広まったので、「人身売買」をビジネスにしている「マーゴおばちゃん」から相当な圧力があったそうです。

 

それでも辞めなかった理由は、「自分が生きている間に一人でも孤児を無くしたい」と歌手の仲間たちに訴え続けた結果、同じ体験をした「ビヨンセ」も同じような孤児救済活動をするようになりました。

あまりに話しが盛り上がってマイケルも酔っ払って、いろんな注文を私にするようになり、腹を抱えて大笑いしながら話は夜中までつきませんでした。

 

マイケル)吉岡は、歌は歌えるの?

 

吉岡)まあ、下手じゃないし、父親やカラオケであちこちの賞を取りまくった人だし、俺のサラリーマン時代は、必死にお酒とカラオケで先輩たちを喜ばせる「持ち歌」をいくつも持っているよ。

 

マイケル)じゃあ、カラオケがあるので歌ってみて!!

 

吉岡)アリスか谷村新司さんの歌か、松山千春を歌うかな?

・・・・数曲披露・・・

 

俺は実は「ダンス」も得意で、中学生の頃から夜中に放送していた「SOUL TRAIN」のテレビで「フリーダンス」を見て練習して、一人でいつもディスコで踊っていたので、それを「ビヨンセ」に教えて売れたので、彼女も相当、努力して上手くなったよね。

 

マイケル)ねえ、吉岡、踊れて、歌も上手だから「歌手」にならないか?

僕が全部、プロヂュースしてあげるからデビューしようよ?

絶対、売れると思うな!!!

プロの僕が言うんだから絶対に売れるって!ねえ、ジャクソン!!(^^)

・・・・・

吉岡)そんなこと、言われてもねえ・・・、41歳でデビューするプロなんているのかい?

 

マイケル)世界にはもっと年をとった人たちがデビューしているし、僕がプロヂュースして売れないわけがないじゃない!!

僕のレーベルから出してあげるから、すぐにミリオンセラーになると思うよ!!

君の声とダンスは、世界に同じ人はいないので、絶対に売れるから、やろうよ!!

 

・・・・・

盛り上がったせいか、マイケルがステージで来ていたジャケットやパンツを何枚も着せ替えられるし、酔っ払いながら踊って酒を飲むのでベロベロに酔い、結局、とんでもない大きな部屋に一人で泊めてくれることになりました。

 

その部屋はお城かと思うほど広い部屋だし、トイレがどこあるかを探すだけでも大変だったので、ジャネット・ジャクソンが介抱してくれました。

・・・・

最後は、マイケルが身につけていた指輪やネックレスや、コンサートで着ていた洋服もプレゼントしてくれましたが、全て我が妻に盗まれてヤクザの大黒屋に売られてしまい、洋服は全て燃やされてしまいました。

・・・・・・・

・・・・・

・・・・・翌朝、一緒に朝食を食べている時に・・・

マイケル)吉岡は、「ウィ・アー・ザ・ワールド」と言う曲を知っているかい?

 

ウィ・アー・ザ・ワールドとは?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89

 

 

吉岡)知っているとも!大好きで、最初に動画で見た時は、感動して涙が出たよ!

 

マイケル)2001年9月7日に、僕のソロデビュー30周年を記念したコンサートがあるんだけど、会場が広いので歌手の声が拾えないと困るので、事前に、「ウィ・アー・ザ・ワールド」のメンバー全員でスタジオ録音するので、吉岡も一緒においでよ!

 

吉岡)行く行く!!

・・・・・

・・・・・

・・・・・

2001年9月7日マイケル・ジャクソンのソロ活動30周年記念コンサートに使う録音は、「半年前に行う」と言うことで連絡があり、マイケルのプライベートジェット機でお迎えがあり、アメリカ ニューヨークの最高のスタジオに45名が、2グループに分かれて録音しにやってきました。

・・・・・

 

マイケル)吉岡は一部も二部も声を出して歌ってね!

ちゃんと「吉岡用のパート」も決めたので、自分の声で歌ってね!

・・・・・

そう言うと、楽譜を渡されましたが、楽譜が読めないので、周りにビリー・ジョエルがいたので私のパートを歌ってもらい、耳で覚えて声を出すと何とか音を拾えて綺麗に歌えました。

・・・・・

マイケル・ジャクソンは二人で飲みながら酔っ払っている時の私の小声も、大きな声で笑っている時の声も、歌を歌っている時の声もすぐに覚えてしまう人だったので、僕の声が一番綺麗に出る音階のパートを選んで「私の声」を何とか録音させたかったようです。

周りにいた世界の有名歌手は、「俺も吉岡のパートを歌いたかったんだぞ!」と数名の人に言われ、申し訳ないほど、みんなが大事にしてくれました。

・・・・・

全員が揃うまでの練習時間の間、声の出し方が慣れてくると、私の声が遠くまで届くようで周りにいたプロの一人が怒り出し、「見たことも聞いたこともない日本人の素人を入れるなら俺は帰る!」と怒鳴った人もいましたが、揉めに揉めた最後は、大御所で盲目の「レイ・チャールズ」が遅れてやってきて、

「吉岡学の声はここにいる誰よりも声が澄んでいて綺麗だから、吉岡を外すなら僕も出演しない。

嫌な奴は帰ってもいいぞ!

契約書の違約金は全て俺が払ってやる!」

と言ってくれたおかげで、無事に一部と二部のメンバー全員と歌声を合わせて「ウイ・アー・ザ・ワールド」を録音できました。

私は一番、後ろで、顔が見えないように声を出していても、「お前の声はどこにいても通る声だから困る」と笑顔で言われました。

・・・・

録音が全て終了した最後に、大好きな「レイ・チャールズ」からハグされて、「吉岡の声には神様が宿っている」と言われたので、嬉しすぎて泣いてしまいましたが、最後は全員とハグをして写真を撮りましたが、私はそっと、集合写真の場から離れて見てました。

・・・・・

子供の頃からずっと、「お前が吉岡一門の頭領か?」と聴かれ、日本刀で試合をしたい人たちと真剣勝負をするのが嫌だったからです。やれば、必ず、相手を斬り殺す自信があるからこそ、もう、人殺しはたくさんだと誓ったからです。

・・・・・

「ウイ・アー・ザ・ワールド」YOUTUBE  https://youtu.be/wXTcV0F4Dm0?si=JGlMIxeYL0hFyL40

出演者)ライオネル・リッチ、スティービー・ワンダー、ポール・サイモン、ケニーロジャース、ジェームス・イングランド、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウイック、ウイリー・ネルソン、アル・ジャロウ、ブルース・スプリングスティーン、ケニー・ロギンス、スティーブ・ペリー、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、クインシー・ジョーンズ、ボブ・ディランetc

・・・・・・

こんな付き合いをしていたマイケル・ジャクソンが日本にやってきて招待チケットを送ってくれても、いつも出張でいけないことが何度もありました。

・・・・・・

・・・・・

・・・・・

2009年6月25日、「マイケルが死んだ!」と泣きながら警察を呼ぶ前に電話をくれたのは、妹のジャネット・ジャクソンだったので、こう伝えました。

・・・・・・・

吉岡)泣いてないで、今の状況を詳しく教えなさい。

マイケルは、肌の色を白くするための薬をずっと飲んでいたけど、その薬の副作用の痛みがひどくて寝れないので、主治医に「特別な薬」を調合してもらっていたはずなので、どこかに残りがあるはずなので探して、プロに検査してもらいなさい。

 

それと、口から泡を吹いていたり、顔か、喉か、胸あたりか、血管が浮き出たりしていないかい?

 

もし、そういう反応があればマイケルの体に「入れてはいけない薬」を飲ませた人間がいたはずなので、警察にも言って死亡解剖をしてもらって死亡原因を詳しく調べてもらいなさい。

主治医だったコンラッド・マーレーも怪しいので、遺体に彼を近づけてはいけないよ!証拠を消す可能性があるからね! 

辛いと思うけど、今は、君が頑張るしか無いので、あとはご両親と兄弟に電話してすぐにきてもらいなさい!

マイケル・ジャクソンの主治医コンラッド・マーレー

・・・・・・・

マイケルが亡くなったあとも、1年ほど、ジャネット・ジャクソンを励まし続けたことで彼女は何とか立ち直り、マイケル・ジャクソンが大好きだった「赤いスーツ」を私に着せてくれた時、「自分より赤が似合うからやらない」と笑顔で言った「赤いスーツ」をプレゼントしてくれましたが、妻に燃やされて天に召されてしまいました。

 

誰がマイケル・ジャクソンを殺したのかを考えた結果、ずっと私の身辺を調べて邪魔をし続けている「財務省の鈴木友康」かと思いましたが、奴が近づける相手では無いので、多分、「マーゴおばちゃんが、主治医コンラッド・マーレーにやらせた」のだと思います。

 

あとで主治医コンラッド・マーレーの金銭状態を知人に調べてもらうと、「多額の借金」をしてお金に困っていたことが判明したので警察に伝えましたが、なかなか結論に至らず、ずいぶん時間がかかったので、警察官も賄賂が流れているとわかりました。

・・・・・・・

自分にとって邪魔な人間を殺すためには、どんな手を使っても殺すのが「マーゴおばちゃん」だし、そのためのお金は無限に持っている人間だからこそ、関係者は次次に殺されて、全てが闇に葬られてしまいました。

・・・・・

これが世界の真実であり、決して皆さんが知ることがない世界の実態です。

・・・・・

日本も同じように「賄賂と嘘の情報」だらけなので、収入を超えた借金をしているバカ者や、他人のものを盗むことを何とも思わない人間に注意しながら、「自分の身は自分で守る努力」をして下さい。

警察も、ヤクザも、政治家も、官僚も、全員、お金でどうにでもなる世界に生きているので、「国家公務員」という偉そうな立場の人間ほど、人のことを考えていないのでご注意下さい。

 

2024年に日本列島が大混乱になってもパニックにならず、周りの人たちを導く役目は、「20歳以上の大人の役目」ですので、どうぞ、自分は誰を守るのか?を真剣に考えて生きて下さい。

・・・・・

・・・・・・

<マイケル死亡・マスコミ報道・ウイキペディア>

2009年6月25日、マイケルが自宅にて心停止・呼吸停止状態に陥り、マイケルのボディーガードが救急隊に通報。12時26分に救急隊が到着。13時14分にカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) 付属病院へ救急搬送される。約42分間に及ぶ蘇生活動を行うも、カリフォルニア時間14時26分に死亡が確認された[1][出典無効]

2009年8月24日、ロサンゼルス市警察の事情聴取に対する元主治医の宣誓供述書とされるものが報道された[2]。その宣誓供述書によると、元主治医はマイケルの不眠治療のため、6週間にわたって外科手術用の麻酔薬であるプロポフォールを毎晩投与したという[2]。依存症になることを懸念して、6月22日には処方はプロポフォールから催眠鎮静剤であるロラゼパムミダゾラムへと切り替えられた[2]

ところがその後マイケルは不眠の状態に陥り[2]、死の当日である6月25日には深夜から早朝にかけてロラゼパム、ミダゾラムやジアゼパムを断続的に投与するも眠りにつかせることができず、10時40分頃にはマイケルの度重なる要求により25mgのプロポフォールが点滴投与された[3]。それによりマイケルが眠りに就いた後、元主治医はトイレのため2分ほどマイケルの元から離れた。しかし、トイレから戻った時にはすでにマイケルの呼吸は停止していたという[2]

マイケル・ジャクソンの死

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%BB

アーカイブ