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【ダイエー】バンダイ創設者 山科直治さんより、1億円のオファーを頂く!

1986年12月、3店舗目のダイエー苫小牧店の玩具売り場の12月の売上が<月商1億円>を突破し、日本一の売上になったので、幾つもの業界誌に「ダイエー苫小牧店」の名前が載り、いろんなおもちゃメーカーが私を引き抜きにやって来ました。

顔写真とインタビューは、店長にお願いして、私は隠れていましたが、メーカーの人たちが私を知っているので見つかりました。

私は、当時27歳。

結婚して間もないので、お金は無いし、忙しい年末12月の出来事でした。

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有名なおもちゃメーカーの社長たちが次々にやってきますし、そのあとには、巨大おもちゃメーカーのバンダイ、トミーの社長たちが東京からやってきて、「年俸3000万円か、5000万円で当社に来て頂けませんか?」と誘われましたが、「中内功社長の思いに共感してダイエーに入ったので裏切ることはできません」と伝え、ありがたくお断りました。

・・・・・・・・・

すると翌日、玩具業界最大のバンダイの創設者である山科直治(当時68歳)が売り場に一人でやってきて、名刺と1枚の紙を渡して、「すぐにサインしろ!」と言いました。

「飛行機を待たせてあるので早くサインしろ!」

杖を付いて、家にいたままのステテコに着物を着た老人のヨボヨボの歩き方を見ていた私は、相当な年齢だと思いましたが、後で聞いて意外に若くて驚きました。

それよりも、紙に書いてある「契約金が1億円・年俸も1億円」と書いてあるので、ビックリでした!

「お前のために役員席も空けて用意してあるから早くサインしろ!」と怒鳴るおじいちゃん!

どう見ても、このおじいちゃんは、どこかの精神病院から抜け出てきた人だと思ったし、もし、まともな人なら、この金額はおかしいと思ったので、

「私は中内功社長の思いに共感してこの会社に入ったので、とてもありがたい話ですが、お断りします。」と契約書の紙をお返ししてお断りしました。

「そうか、わかった。

でも、お前みたいな奴は、どんなに金を積まれても、イエスと言わんのだろうなあ!

俺の読みが甘かったわ!ははは!」

と大笑いして、タクシーで千歳空港に帰って行かれました。

このあと、バンダイの山科直治さんの息子さんから電話が来ました。

「父が業界誌を読んでいて、居ても経ってもいれなくなり、私に電話が来ましたが、そんな半端な金じゃ、この男は買えん!俺が自分で行く!」と言って、チャーター機で千歳空港まで飛んで行きましたが、そちらにご迷惑はかけていませんか?」

ご迷惑なんて、全然ないですよ!!

ただちょっと、格好が着のみ身のままだったので、信用できない人だと思いましたが・・・。

そんな人に、契約金1億円、年俸1億円の書類を渡されましたが、サインせずに、お返ししました。

理由は、前回、あなたに言ったことと同じです。

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どこの世界でも同じだと思いますが、男が一度、惚れた相手なら、どんなことがあっても付いていくのが「社員の維持だ」と私は思っています。

ま、共倒れになる前に会社は辞めますが、私は絶対に自分がやると決めたことはやり抜きますので、今後ともどうぞ、よろしくお願いします!」と言って電話を切りました。

部下にも、上司にも、妻にも誰にも言わなかったことですが、今、思い出したので、ここに記録しておきます。

天無神人は、そういう人間ですので、どうぞ、よろしくお願いいたします。

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