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【外務省】インドのナレンドラ・モディ首相に教えた「無農薬農業」

30代の頃、国の官僚の仕事でインドに通い続けた理由は、環太平洋大東亜連合の設立を私一人で交渉したため、他のキャリア官僚たちでは対応できなかったからです。

最初は、日産自動車のリコールトラックを直して150台無償で送り届け、鈴木自動車のインド工場も作って庶民が乗れる安い車を作らせたあと、インド国王でもある「ナレンドラ・モディ首相」から「インドが自立できるコツを教えて欲しい」と言われたので、「イギリスにわからないように体に良い農業を始めて、インドの食物自給率を上げましょう!」と提案しました。

「ナレンドラ・モディ首相」は、私より9歳年上ですが、国王でもあるので、インドの全てを支配できる力と財力を持っていますが、全ての資産をイギリス政府が抑えているので、自由貿易はできない状態でした。

お金も力もあるのに、「アメリカの言いなり」になっている日本の皇族や政治家や官僚たちと同じだと思い、必死に考えた結果が、インドで「無農薬農業」を始めることにしました。

私の父は武士の吉岡一門の頭領なのに、小作になって小さい田んぼから始め、北海道で初めて「完全な無農薬コメ農業」を成功させた「無農薬農業の父と呼ばれた人」ですので、父親に相談してみました。

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(父親との対話)

インドに、無農薬農業のコメを作りたいってか?

でも、インドは「赤土」じゃないのか?

「赤土」には、栄養がある微生物はいないので、いい野菜はできないし、お米は絶対にできないぞ!

 

じゃあ、「黒土」があればお米はできるわけ?

 

「コメ農業」はな、そんなに簡単じゃないのさ。

「黒土」の中にいる微生物の数と種類がわかれば、どんな肥料を加えればいいかわかるので、インドから黒土を送ってもらいなさい。

・・・・・・

すぐに、インド北部の山側にある「黒土」と山川で湧き出ている水を汲んで、北海道芦別市常磐町に送ってもらいました。

・・・・・・

父の知り合いには、「北大の微生物研究者」もいるし、「北海道農業試験場」にもたくさん研究者の知り合いがいるので、すぐに調べてくれて、データと共に父からアドバイスの電話が来ました。

・・・・・・

おい、この「黒土」は使えるぞ!

ただな、ちょっと、足りない微生物があるので、「動物性の微生物」を加えなさい。

 

お前の小学生の頃に作らせた「堆肥」の作り方を覚えているか?

あの「堆肥」を作って土に巻けば、コメもできる土になるぞ!

頑張れよ!

・・・・・・・

父親の知恵と経験に、心から感謝した時でした。

・・・・・・

翌月、インドへ一人で行き、山側の黒土の現場に入ると水捌けが悪く、ぬかるんでいた土地だったので、まずは、「土の中の水」を抜く方法を教えました。

傾斜地だからこそできたことですが、谷側に、竹の中に鉄の棒を突っ込んで穴を開けると水が流れる「口」になります。

その太い竹を何本もぬかるんだ土地にみんなで打ち込むと、チョロチョロと水が出てきました。

その水を口に含んでみると、「飲めるレベル」だったので、汚れた水を濾過する装置を手作りして、みんなの飲料水にしました。

すると、もっと下の土地も水がぬかるんでいるからと、全員で、どんどん竹を突っ込んで水捌けをよくすると、その「水を飲みたい」という子供達が集まりました。

 

山には人間を襲う動物がたくさんいるので誰も近づきませんが、山から少し離れた黒土の場所に「田んぼ」を作り、その下に飲める「水場」を作り、またその下に「田んぼ」を作り、飲める「水場」を作ると、村人たちが自分で田んぼの横に土を盛り上げて器用に住める家を土で作り始めました。

気温が高いので、すぐに乾燥して家になり、子供たちは飲める安全な水がいつもあることを笑顔で喜んでお礼を言ってくれました。

問題は、「堆肥作り」でした。

「堆肥」をつくりるには、どうしても「牛のフン」が必要ですが、インドで信仰されているヒンズー教は、農耕作業の大切な働き手である牛を「神の使い」として神格化し崇拝していますし、 もちろん牛肉を食べることはタブーです。

「牛を傷つけるぐらいなら自分が餓死したほうがまし」というほどの人たちですので、「牛のフン」を手に入れるのが問題でした。

そこでナレンドラ・モディ首相に電話して、牛は食べないし、傷つけないから「糞だけ貰って良いと、命令を出して下さい!」とお願いすると、翌朝、村長に電話が来ました。

 

牛の神様は、フンについては問題ないと申しておる。

だから、日本から来た吉岡学さんに、「牛のフン」を提供しなさい。

 

この国王のたった一言のおかげで、あちこちの牛のフンが集まり、素晴らしい堆肥があちこちにできました。

ブタのフンも、ニワトリのフンも、人間のフン全て同じ場所で管理をして、堆肥の上にばら撒いて乾かしながら水をかけると「発酵」が始まります。

自然界の菌と動物の菌は違うので、この二つを合わせると、「自然発酵」が始まり、冬でも暖かい場所になったので、田んぼの横に住んでいる人たちの暖房にもなりました。

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インドの山側は全て、ナレンドラ・モディ首相の持ち物なので、誰も入ることはないし、イギリスの管理外地だったので、そこで北海道のお米の種籾(たねもみ)や北海道の野菜の種を持って行って植えると、気温が高いのでどんどん成長して食べれるものがたくさんできました。

日本より面積あたりの収穫量は少ないですが、年に3回も4回も作れるので一気に、美味しい無償薬のお米と野菜が作れるようになりました。

国王の許しを得て、「ヴァイシャ(庶民)」を労働者にしたので「収穫の1割」を渡し、残りの9割はインドのカースト制度のトップの「バラモン(司祭)」と「クシャトリア(王侯・貴族)」の人たちに配ると、大喜びされましたが、作ったのがヴァイシャ(庶民)だとは内緒にしておきました。

●バラモン(司祭)
●クシャトリア(王侯・貴族)
●ヴァイシャ(庶民)
●シュードラ(隷属民)

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「カースト制度」という慣習を改善するには勇気が必要でしたが、ナレンドラ・モディ首相のおかげで一気に、上流階級の人たちと仲良くなり、私にもクシャトリア(王侯・貴族)の上流階級の称号をもらい、同時に、バラモン(司祭)の称号ももらいました。

 

インド北部に、お米と野菜を広げた日本人として「土の教会」が建てられ、庶民たちは私を神様だと手を合わせるようになりました。

・・・・・・・

この成功談を「環太平洋大東亜連合」の国王たちに自慢したナレンドラ・モディ首相のせいで、アジアの多くの国に農業指導をしに行くことになり、「日本の無農薬農業のやり方」を教えながら、健康に良い食べ物を食べると病気が治り、健康になるという体験談が広がり、イギリスが送り込んできた医薬品を使わず、昔から信じられている怪しい呪いの宗教も広まらなくなりました。

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インド国王は、私が行くたびにお礼の意味で「新しい妻だから抱いてくれ!」と、女性を提供して子供を作らせるので、インド国内だけでもたくさん私の子供達が増えました。

数年後には、自分の子供だけで学校ができるくらいになりましたので、現在、インドの最高ランクのバラモン(司祭)とクシャトリア(王侯・貴族)の資格を有する唯一の日本人となりました。

世界は今も「一夫多妻制」なのに、西洋諸国の嘘を信じて「一夫一婦制」にしていますが、実態をそのままおおやけにして、いろんな国の男性の子供を産み育てて子供を増やし、健康的な食糧をたくさん作れるようにすれば、国家が必ず、安泰になると本気で思った瞬間でした。

・・・・・・・

日本に戻ってから安倍首相に電話で報告すると、こう言われました。

吉岡さん、あなたはもう日本の勲章や資格を国からあげられるレベルの人間ではないので、どうか、そのままインドに住んで日本との国交を深めて下さい。

 

それはないでしょ!

それは、「政治家の仕事」だから私はインドには住みません。

だって、やっぱり、「日本の土の香り」がする野菜とお米が大好きなので、また、インドとの関係で私が必要になった時は、電話して下さい。

ナレンドラ・モディ首相には、あなたのことを大事にするように伝えておきますので、よろしくお願い致しします。

伝統衣装が青空に映える インドの農業

 

 

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