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【ダイエー】元会長中内功 83歳で死去

初めて社会人になった会社の大学卒だけの入社式は、神戸ワールド記念館で8000人が集まり、初めて、直接、中内さんにお会いしました。

会長と取締役の役員挨拶のあと、会場の席から小さく見えていた中内氏と全員が握手するために、階段に並んで待っていると、遠くから見えていた中内氏のオーラがどんどん大きくなる感覚は、今でも、はっきり覚えています。

 

あのとき私は、初めて、人のオーラに押しつぶされそうになる自分を感じながら、一歩一歩、壇上にあがる道のりを、身体全体で感じていました。

壇上に上がって、あと2人で自分の番という時には、もう、目の前がクラクラするくらいに、中内さんの周りが光に覆われていて、目の前の中内さんの姿が見えなくなるほど、強い光を放っていました。

腹に力を入れて、気を落としてから真正面に向き合い、握手して、「ありがとうございます」とお礼を言うのが精一杯で、目の前に見えている小さな巨人は、私のすべてを飲み込んでいました。

 

ダイエーの歴史の中で、一番苦しい時期に入社して、再起して成長したサラリーマン14年間の経験は、私の人生の大きな自信の柱にもなっています。

この小さな巨人の中内功社長は、マスコミから、ことあるごとに、賞賛と非難の繰り返しでしたが、一歩も自分の道を譲らない彼の姿勢を、先輩たちは、「誰も彼の首に、鈴を付けられない」と表現していました。

 

世の中のほとんどのスーパースターには、必ず、ブレーンが付いていますが、中内さんのブレーンでさえ、一番、言わなければいけないことを言えなかったために、最後は、社長自身が自分の道を方向転換することが一番苦しい決断だったと、仲良くなってから教えてくれました。

 

ダイエーグループの年間売上5兆円という数字は、1店舗の小さなスーパーから始まった企業の大躍進におよばず、社会的に影響を与えた大きさのひとつの表れです。

たとえば、今、みなさんがスーパーで使っている「セルフかご」を日本で最初に導入したのが、実は、中内功社長だと知らない方がほとんどだと思います。

価格破壊・常識破壊をスローガンに、戦い続けてきた戦争体験者の壮絶な最後は、大きな時代の価値観の変化と、これから消費者の意識が何を望んでいくかという、新しい選択の時代に入ったことを示していると思います。

私たち消費者が望んで生み出した、「大量消費・大量廃棄」の責任は、企業が取るべき責任と、「消費者のとるべき責任」があると、私は、感じています。

すべては、自分の意識で、大きな会社をつぶしたり、成長させたりしてしてしまう「消費」という大きなエネルギーは、これからどこへ、また、何のために向かうのでしょうか?

20世紀の偉人のひとりが人生の幕を下ろしたことに心から感謝するとと共に、みなさんの新しい未来の希望にも、こころから感謝したいと思います。ありがとうございます。

2005年8月26日、流通科学大学を視察後、神戸市内の病院で定期健診中に脳梗塞で倒れ、療養中の9月19日午前9時30分、転院先の神戸市中央区の神戸市立中央市民病院において死去。 83歳没。

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