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【北海道】奥尻島 神事

1993年(平成5年)7月12日午後10時17分12秒に、北海道南西沖地震」が発生し、死者202人、行方不明者28人を出しました。

日本と北海道を愛する仲間たちは、ぜひ、奥尻島で御霊達の鎮魂をしたいと言うので、2008年9月25日に訪れました。

北海道の最西端にある奥尻島神事はこの時期には珍しく4mの波が立ち、前日便と翌日の午後便の船が決行になる中、予定より短い16時間滞在で奥尻島八方祈りを行いました。

札幌から車で4時間、北海道側の瀬棚町から船で2時間近く揺られて着いた奥尻港は、島の東にあります。

港で回る順番を考えていると、北海道南西沖地震の最大の被災地の南へまず来て欲しいと神が伝えてきます。

その場所には、全国の皆様からのご支援金のおかげで亡くなった198名の冥福を祈る素晴しい建造物もありました。

まずは、「南端の海の神」と対話しました。

海の神は、1993年の津波や地震は奥尻島を苦しめるためのものではなかったことをまず説明してくれました。

本来は、北海道へ直撃するべきエネルギーがこの島で受け止めて支えたのだと教えてくれます。

1993年は、日本の宗教や精神世界が大きく変化した年でした。

21世紀を迎えるにあたり心の準備が整わない幼い魂たちは、その不安を増徴するようにあらゆる負の情報を流し、希望と不安のエネルギーが世の中に渦巻いていた年でしたので、この年の地震や津波は、人間の負の想いの結果と言えるかもしれません。

島の南端に「時空翔」と名づけられた198名の魂を見守る石のアートは、墓石に使う御影石で製作され、その中心のくぼみに南西沖地震が起きた7月12日に夕日がすっぽり入るよう製作されています。

この場所の素晴しいエネルギーと全国の皆様の愛のおかげで御霊たちは生き残った島の家族を今も見守り続けてくれています。


島の南西にある無縁島の岩が見える道には、当時の津波の最高の高さ23.3mを示す看板があります。電柱の線を超えるその津波の情景が、目の前に広がってきます。

島の最西端には、石のアートが島を見守っています。その先へ座り祈りを捧げると西を守る神がメッセージを伝えてくれます。新しい命の産み出しとその見守りを約束してくれました。

 

島の北西の道の横には、岩全てが墓標に見える場所があります。車を降りて祈りを捧げてみると、そこを守る神さまがオーブ(白い丸)となって御礼を伝えてくれます。


最北端の場所には、海難事故で亡くなった方たちを奉る「賽(さい)の河原」があります。

ここも1993年の津波で全てが流されて何も無くなったあと、たくさんの方たちが仏像を奉納したり、河原の石を積みにきてくれた事をこの島を愛する女性が教えてくれました。

道南神事の歴舟川で神に言われた「賽の河原」というメッセージが、この島へ導く鍵だったことに感謝し、全ての御霊たちとその場所を守る人たちへ御礼と感謝の祈りを捧げました。

賽の河原の北祈りを終えて島の鬼門(東北)へ向かうと奥尻島に向かう船から見えるとてもきれいな宮津弁天社があります。
この場所はもともとアイヌのシャチ(砦)があった場所に建てられていますが、小雨が降る中、私たちの祈りに対し天は光を降ろし、神の存在を示してくれました。


東の港のすぐそばにこの島の象徴として大切にされている「なべつる岩」があります。

雨の中、今日の最後の祈りを捧げます。”日の出づる場所”の東は、全ての希望と光を産み出し与えてくれる方角ですので東を守る神へ感謝を捧げると大粒の雨が降りしきる中、大きなオーブ(白い丸)となった神が姿を表してくれました。


夜が明けた朝5時、この奥尻島の祈りを北海道側へ繋ぐ東南の場所へ向かいます。全ての出来事に感謝し、その愛や思いを繋ぐ祈りは美しい日の出と共に終えることができました。

船で対岸の北海道側に戻ると、奥尻島に向き合う場所に北海道最古の霊場で有名な太田山神社(大成町)があります。

北海道側の繋ぎ祈りとしてご神体であるこの山の急な階段を登り始めると、その先にはロープをつかまりながら30cm幅の崖の道しかない難行苦行の霊場でした。

一の鳥居、二の鳥居で挨拶し、三の鳥居がある祠(ほこら)に来ると、ここから先は女人禁制というほど厳しい修験僧の霊場だとわかります。

その先をさらに登り続けると四の鳥居がありますが、その足元は100m下まで見える垂直な崖面に作られた足場とその先端に垂直によじ上るためのロープが頭上の祠から垂れ下がっています。

その場所で祈りを捧げると祠を守る存在からこれからの祈りに必要な玉(神エネルギー)をいくつもいただきました。

 

見えなくとも聞こえなくとも神仏が見守る中に存在させていただいていることを忘れた私たち人間の愚かさをお詫びし、これから新しい愛の地球、日本、北海道を創ることを改めて宣言する祈りになりました。

奥尻島の神事で一番印象に残ったことは、島の誰もが暖かく接してくれた事と泊まった宿で働く23歳の木村雪乃さんから聞いた話でした。

小学生だった当事、彼女の知り合いや友達たちは、大津波でたくさんの人が沖まで流されましたが、泳いで戻ってこれたお孫さんと、目の前で「お前だけは生きなさい」と言い残して海に沈んでいったおばちゃんの実話です。

その彼は今もこの島で元気に働いていますと笑顔で話してくれる彼女こそ、この島の人が大切にしている気持ちを伝えてくれる神計らいだと感じています。愛と感謝を込めてありがとうございます。

 

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