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3月11日宮城県・岩手県の現状と御霊鎮魂祈り

3月11日、まず「宮城県気仙沼市」に入ると、復興支援室が行っている復興屋台村を見つけました。
町の人が元気を取り戻す為には、とても大切な場所だと思います。
気仙沼市の港付近は、ご覧の様子です。外人を含めてたくさんの方たちが、写真を撮りに来ていました。
土台の上の家の部分は、津波の引き潮の力で海に引き込まれて、全て、ガレキになってしまいました。
どの港も、同じように家と人間が流されましたが、たった数十分の出来事だと、あとで、教えてもらいました。
午前11時頃、一周忌の追悼の集いが、道路沿いで行われていました。

この当りで最も被害が激しくて近づけなかった岩井岬(宮城県気仙沼市波路上岩井崎)に移動すると、海の近くのお寺に慰霊碑があったので、全員で祈りました。

遠浅の海岸から来た津波は、大きな口を開けて、私が今、立っているこの位置まであった全てのものを、一瞬で飲み込みました。

ここへ来る道の途中で、神様からこう言われました。

今日の祈りを他人事で祈るのではなく、自分の家族が、子供が、父母が亡くなったと思って、本気で祈りなさい。

他人事ではなく、自分の大切な家族を失った気持ちで祈る大切さを改めて思い出し、誰もが、涙で溢れました。
このマンションは、3階まで完全に津波で壊されていました。どれほど高い、そして、強い力が襲ったのかがわかります。

岬の先端に潮が吹き上がる場所で、海の底に引き込まれて上がれない御霊たちの声を聞きながら祈りました。

このあと、「岩手県陸前高田市」へ向かいました。
地元の方に、当時の様子を聞きながら仲間と昼食を取り、午後2時46分に一緒に黙祷しました。
大地震のあと、すぐに白い津波がやってきて、目の前の全ての家を飲み込んで潮が引いていきました。
次は、黒い雲になって、何度も何度も、津波が押し寄せては引くという繰り返しでした。
この時間は、たった30分くらいの出来事でしたが、全てが一瞬で、変わってしまいました。
翌朝、田んぼの上にどこかの家が流れついたり、家の中の物や死体が散乱していました。
3ヶ月間、水と食料は配布されましたが、自衛隊が引き上げたあとのほうが、生活は大変でした。

つい最近も、白骨化した死体が川の近くで見つかりましたが、私たちはその全てを受け入れて生きるしかない

 

と、大津波を三度、経験した70代のお母さんが教えてくれました。

ただただ、鎮魂の祈りをしました。
大船渡の港を見ながら釜石市の港に入りましたが、さらに、驚きました。
やっと取れたホテルの回りは、全てが廃墟になっているので、電気もなく、人も歩いていません。
部屋に入ると、全員の体に霊たちが集まってきて、あげて欲しい御霊たちの数の多さに体がおかしくなり始めました。
すぐに、部屋の中に祭壇を作って、御霊が上がる為の「霊道ライン」を作りました。
ものすごい数の御霊たちが海の底から上がってきますが、中には、上がりたくない御霊もいます。
その理由を聞きに港へ行った仲間もいますが、朝まで、思いを伝えたい御霊たちと対話することになりそうです。
全員、覚悟はできていますので、助け合いながら、自分たちのできることをさせて頂きます。
私たちも今、出来ることをしておりますので、どうか、明日3月12日の午後2:12に、祈り合わせをお願いします。

あと一日、仲間と一緒に頑張ります!

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