【長野県】 諏訪神事 2日目-2 「守矢一族の神力の理由」
御射山神社(みしゃやまじんじゃ)で「御柱の意味」がわかったあと、この諏訪の土地を古くから守っている守矢一族の記録がある場所へ向かいました。
「茅野市神長官(じんちょうかん)守矢資料館」です。パンフレットには、こう説明されています。
「神長官守矢家は、古代から明治時代初めまで、諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家である。
大祝(おおほうり)諏訪氏は、現人神(あらひとがみ)=生き神であり、実際に神事を取り仕切っていたのは、神長官をはじめとする五官祝(ごかんのほうり)である。
五官祝に、祢宜大夫(ねぎだゆう)守矢氏・権祝(ごんのほうり)矢島氏・擬祝(ぎほうり)伊藤氏・副祝(そえのほうり)長坂氏がいた。」
ご覧のように山に生きる動物の命を捧げて祀る祈り方は,先住民族アイヌの祈り方と同じで、山の中で生活している動物の命を捧げる意味は、命を活かす為の循環、つまり、命の根源ルーツに繋がる祈りをしていた民族が、守矢一族だということです。
北海道のアイヌ民族が昭和時代まで行っていた「イヲマンテ(熊送り)」という儀式の意味に似ていますので説明しますが、親熊を狩りをして殺した時に残った子熊を1年間大切に育てたあと、親の魂の元へ帰す(殺す)儀式の意味は、人間が生きる為に頂いた命の繋がりを使って、生命循環の元の神様まで感謝を繋ぐという意味があります。
江戸時代まで守矢家が行っていた75頭の鹿や猪の首を並べる意味や蚕の鈴を使うことを考えると、守矢家のルーツが先住民アイヌに深く関わっていること、蚕で秦氏との関わりもわかります。
ー守矢神長官屋敷にてー
こういう力があるという事は、必要に応じて雨を降らせたり、川の水の量を増やしたり、自在にコントロール出来た訳です。
その力だけは、後から来た民族のどんな神力を持ってしてもかなわなかったからこそ、守矢一族は生き残った訳ですが、その上にどんと乗っかったのは出雲系大国主の一団でした。ただ面白いのは、直接、山のエネルギーを繋ぐ方法は修験系なんですが、そこで生きている動物達の生気をつかって祈る方法は、先住民系のやり方なんです。
アイヌもそうなのですが、もしかしたら、守矢一族は、この土地の先住民族アイヌの血筋かもしれないですね。
先住民の繋がりの中で、文化的に進化した人達なのかもしれないです。
一部の人にしか知らない情報ですが、先住民アイヌは、宇宙船を呼んで交信していたほど高度な意識を持つ民族でしたが、それはエカシ(長老)しか知らない事だからこそ、一般的にはほとんど知られていません。
ー御左口神・御社宮司(ミシャクジ)の神言葉ー
一番右の神は、山に生えている樹木・穀物・植物を祭る神。
左の御社口の神は、山を動かす山の神だけではないぞ。
天空を動かす雲・水・雨、そこから溢れ出る川、湖、風の神、火、土の下、地震を押さえたりする神。
だからこそ、自然神全部を動かせた一族だ。
中心の神は、天空から舞い降りるコノハナサクヤヒメのような宇宙神だが、その神々を動かすことが出来た者が、この守矢一族にはおりまする。
宇宙の摂理を理解し繋がりを使って動かせる「宇意天番(ういてぃんばん)」としての働きをする者がいるからこそ、その下の自然界を動かすことが出来たのです。
その為には、生け贄のような命の繋がりを使う必要があるからこそ、私達はその繋がりの元の種を繋ぐこと、畑を繋ぐこと、大地を繋ぐことの祈りををずっとやり続けてきました。
いくばくもなく、その事が人の命に置き換えられたり、御柱という天地繋ぎのような形の方法を持ち込まれましたが、本来は、そんなものがなくても出来るほど、大きな力、そして、それを動かすことが出来る神を知っているからこそ、その力が恐れられたのですが、その事はあまり知られておりませんね。
その為に、八方掛けに似た形の方法を取ったので、その形だけが残されていますが、そこで何が行われたかはあまり良く解っておりませんし、その事を言えば、我々が存在する意味が無くなってしまう為に、決してその方法は教えないように伝えていました。
だからこそ、ここまで命が繋がったのです。大切な事を言えば、その一団の知恵を全て奪われてしまい、その一族は生きる意味が無くなるからこそ、どんなことがあっても話してはいけない事というものはあるのですから、どうぞ、そのことはご理解下さりませ。
それ以外のことについても、まだ、いろいろありますが、行く末行くばくもなく、この世が続いていくことばかりを願うのであれば、私達が守ってきた力についても理解して頂くことを願います。
一族が生き残る為に、女性達が腹を貸し、命を差し出す意味をもっと深く理解して下さりませ。
生まれながらにして与えられたものは、命ではなく、その肉体に入った魂だからこそ、その魂が、どういう働きや、どういう力があるかを知ることこそが、最も大切な知恵であり、その子が、その役目を果たせるように導いてあげることが我々の大切な力だったからこそ、誰が、それを解るのかだけは、絶対にわからないように隠してきました。
そのことをやる者達が沢山いたからこそ、守矢家は守られたのです。そのことは、表に出さずにご理解下さい。
神官達が全てを知っている訳ではなく、そのことを守り継いだ「女の口」があったからこそだと思って下さいませ。よろしく申し上げます。
この話しを聞いていると、日本の土地に住んでいた古い時代の先住民に、渡来系の阿波族が交わり知恵を加えたのではないかという疑問も出てきましたが、それはあとで考えることにしましょう。
この古墳として残っている石造りの物の意味が、何かわかりますか?
これは、宇宙船なんです。
守矢一族の魂が宇宙からやってきた星の母船に直接、繋がる事ができる「意識体の乗り物」なのです。「アメノトリフネ」と言えば、ご理解いただけますか?
ここまでの事実が残っていると、私も認めざる終えないほど、この諏訪の地であらゆるチャンネルを動かせたのが、「守矢一族」だということが確信できました。
今も、諏訪大社の神事を支えているのは「守矢一族」ですから、一族の魂が生き続ける為に変化し続けてきた民族だと言えるでしょう。
ここでご理解頂きたいことは、私は出雲族を非難はしていません。
魂的に言えば、とても好きな民族ですし、現在もこの諏訪の地に祀られている神は出雲系が多いですが、それは表向きだと感じているからこそ、諏訪民族と守矢一族の関わり方の意味が重要な鍵になっているので、隠された部分の紐解きしているのです。
新潟生まれの参加者の巫女が、出雲の大国主に娶られた「高志沼河姫神」の思いを成し遂げたい思いで参加していたので「御座石神社」にご挨拶に行きましたが、大国主が先頭ではまずいと感じるほど、大きな母の力で守られている場所なので、実際に、子供を産んだ経験のある三名のお母さんたちに先頭をお願いしました。
ー御座石神社 「高志沼河姫神」の神言葉ー
たて石水宮、水掛け石のそのひとつ。つまり、私がその命。
おわします大地の神の命として、私が守りまするが役目ゆえ、人の想いが強くて負けじにこの地を守ります。
行く末に続く子供達の命繋がりを守る為、行く末の子らの星の輝きをい幾千万年守るため繋がりし、生み出しし、神の元繋がりし母の思いを感謝しておりまする。
母方の思い多くを感じ、我が身を生み出して下さった事、これ、多かれと我に戻り、気づきとなしまして感謝申し奉ります。恥ずかしめを受けたこともありまするが、それは時の流れと致します。
私は誰も問いませぬ。
全ての思いは、母の親の人の内だと思っておりまするがゆえ、どうぞ、この地の舞をする時は母の繋がりを思い出し、母の腹を思い出し、父の子種に繋がりますることを感謝して下さいませ。
よろしくお願い申し上げまする。
私が恥ずかしめを受けたことを、問う心を持って来てくれたことにとても深い感謝と、哀れみの心があることは事実ですが、それは、あまり、表に出して言うべきことではないと、母からも言われ、私も口を閉ざしておりまするが、よくぞ来て下さいました。
ありがとうございます。
母の地に、この思いを繋いで下さいませ。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
続いて、この諏訪の地に生まれた母の思いに感謝して参加した巫女が気になる蓼宮(たてみや)神社」も参拝しました。
ー蓼宮(たてみや)神社ー
ー蓼宮(たてみや)神社参拝後、移動中に天無神人にかかったメッセージー
(重要)
焼き山の、蓼科の山の神、移りし者達が運んだお宮がある。その宮箱を移せば、力が使えぬとわかり壊した。
その場所は今、善光寺となっている。
その場所に本来、蓼科山を守る神姫を祭りたもうた。
そのことがわかれば、繋がりの場所、生け贄の場所、そして、かくした場所がわかる。時に、その時代がわずかだが、入れ違いの民族も入ってきたからこそ、誰がやったかもわからずに、その命令を受けた者達がやったことだと言っておこう。
そのことがわかれば、手搏、封印がはずせるこらこそ、行っておくれ。と、私が言う。
「私は誰ですか?」
私は山の神を守る神として降ろされた宇宙の神であるから名前はない。
このメッセージを受けて、「諏訪善光寺」へ行ってみました・・
ー諏訪善光寺の横のお堂のメッセージー
私達がいる事を解ってくれる者達が、もういないのかと思っていましたが、よくぞ来て下さいました。
よくぞ、この土地の神を見つけて下さいました。
私達は、全ての命を守る為におわします。大神からも、使命としてここにおりますがゆえ、よろしくお願い致します。
お堂に祈りをしている時に、媒体巫女にかかった女性の声
(重要)