生きることが愛である
やっぱり、愛しかないから・・・。
今夜、僕を導いてくれたのは、一人の男性です。
でも、その人は肉体がない見えない人なんです。
その人が僕に問いかけたのは、
なぜ、苦しいんですか?なぜ、辛いんですか?
でも、その時は、問われた意味がわかりませんでした。
だって、実際に、辛くて苦しい体験をしていたからです。
でも何度も、彼は問い続けました。
なぜ、苦しいんだい?
何か、辛いんだい?
ぼくはやっぱり、その答えに対しても、これが辛い、これが苦しいと答えていたと思います。
今は、彼がその問いを尋ねた意味がわかります。
この世に肉体を持って生まれた全ての人は、
自分に足りないことを自覚していなければ、
すべて苦しくて、辛い思いに満ち溢れてしまいますよってことです。
だって、手足がない人もいれば、自由に体が動かない人もいれば、自分がしたいことを何ひとつできない人がたくさんいることも知っているはずです。
そのことに気づかない人は、たまに、自分がその立場になる経験をする人もいます。
傷つけたことを知らずに生きていた時は、その痛みがわからないので、何度も続けて人を苦しめますが、ある日、突然、自分が苦しめたり傷つけた人の感覚を知るために、自分のこととして体験させられた瞬間に、人間は変わります。
だって、そこには愛しかないのですから。
自分のしたいことができることが、どれほど豊かで愛にあふれているかを気づかないと、永遠に苦しみと辛さを経験する時間の人生になります。
何ひとつうまくいったことがなく、幸せや喜びを自分で得たことがない人でさえ、突然、自分の人生が愛にあふれていることを気づく時もあります。
彼は、こう言います。
だって、世の中には、愛しかないんだよと。
誰かがうまく思い通りになる人がいれば、必ず、誰か思い通りにならない人がいます。
誰かが幸せを感じているのなら、その分の苦しみを体験する人がいます。
それは、一生続く喜びや苦しみではなく、自分の喜びや苦しみは、誰かの喜びや苦しみのおかげだと気づく為なんです。
その時間が短い人もいれば長い人もいますし、一生、気づかない人さえいますが、それでも、世の中で起きることの全ては、愛しかないのです。
戦争で死んだ人たちのおかげで誰かが苦しみ、辛い想いをしたとしたら、それも、愛の一部だし、誰かが人を助けた喜びを知ったならば、その影で誰かが苦しんでいても、この世に起きることは愛しかないんです。
彼はこう言います。
あなたたちは、自分だけの世界で物事を考えたりやろうとしますが、本当は一人で何もできないことをよく知っているはずですよね。
だからこそ、自分に今できることを一生懸命にしているのだと思いますが、うまくいかない時間や辛い時間がずっと続くのではないかと不安に襲われる瞬間もあるでしょう。
でも、そうはなりません。
この人生は、気付いた人から順番に、愛に溢れるように設計されているので、何かを恐れて生きることなど必要がないことに気づきましょう。
彼は私に、自分の過去の人生を読んでごらんと本になった一人の男性の実話を夢でみせてくれました。
手足の指を失い、絶望の淵に生きていた登場人物は、自分の事ばかり考えるのを辞めた時に、全てが愛の経験だと気付いたことを自分の体験から教えてくれました。
大切な人の名前さえ僕は覚えていなくて申し訳ないと思いましたが、彼は、名前なんて忘れてもいいよと言わんばかりに、僕の頭の中に笑顔を見せて愛で溢れさせてくれました。
彼は失った過去や肉体を嘆いていた自分を知っているからこそ、今、僕が自分のしたいことができていることを喜びなさい、感謝しなさいと伝えてくれたのです。
だって、そう生きられない人たちがまだたくさんいるし、その方法さえ、まだ気付けない人たちが山ほどいるのを知っているのだから、全てが愛だと知った人たちが、その生き方や考え方を喜びに溢れて伝えなければ、新しい人達が増えないよと教えてくれました。
僕が忘れていたからなのか、僕がまた、本当のこと、「全ては愛しかないのだから」を思い出したからなのか、このフレーズは、全てを愛に変える、愛に気づくためのキーワードだと思いました。
今、夜中の4:30ですが、突然、夢の中でうなされるように、このことを見た意味は、誰もが今を、そして、明日を愛に変えることができると教えてあげて下さいというメッセージだと思って書いています。
全ては愛しかないのですから。
あなたが今、生きている人ならば、あなたを活かす為にたくさんの人が亡くなって行った事実があります。
あなたに、もし、大切にしたい事があるならば、その大切なことを大切に思えるまで、苦労して苦しんだ人たちもたくさんいたことを思い出して下さい。
どの人も、誰も恨んではいません。
だって、全ては愛しかないと気付いた人たちだからです。
自分にできるすべてのことが、一切、できない人を見た時に、あなたはかわいそうだと思いますか?
それとも自分が頑張った時間を思い出して、文句や不満を言うよりも、自分で頑張れと思いますか?
どちらも自分勝手な人だと気づけば、自分が何をするべきかを気づくはずです。
この問いの意味がまだわからない人は、自分が出来る全ての自由を奪われる体験をしたり、自分で普通だと思っている全てのことを、一瞬で失う経験をするかもしれません。
でも、その経験も愛なのです。
生きることが、愛だと気づけば、死んでからのことを悩む時間ほど無駄なことはないので、最後の瞬間まで自分に正直に生きることをして下さい。
自分という人間がいつかはいなくなる時が来ることを知っている人は、今、生きているこの瞬間の為に、多くの人達があなたを支え守り続けたことを思い浮かべて下さい。
その人たちは、あなたのように何ひとつ自由を楽しめた経験をしなかった人かもしれませんが、その人の心の中は愛だけに包まれていたからこそ、あなたを支え守り、信じて死んでいったことを思い浮かべて下さい。
生きることは、誰かがたくさん亡くなった結果ですので、自分だけで生きているなんて思う人は、必ず、全ての自由も幸せも失う経験をさせてもらえます。
それは、失うことで愛に気づいて欲しいからなんです。
失うことが決められている私たちの肉体の時間は、喜びと感謝を溢れさせる為だと気づいても、まだ、愛が足りないのだと思います。
誰かが、その喜びに気づき、それまでの人生を一変させるほど大きく愛に溢れさせる経験を誰かにさせた時に、初めて自分の喜びが人に喜ばれる思いに気づけます。
その瞬間こそ、自分という思いから離れた時なので、愛そのものの時間と呼べるかもしれません。
生きていることこそが、愛だからと言われても、すぐに思えない人が多いのは、自分のことばかりを考えている時間が長いことに気づいて下さい。
生きていることそのものが愛だと気づけば、まだ、気づいていない人に、そのことを気づかせる意味があることにも気づいて下さい。
愛は、失っても、成就しても、愛は愛なのです。
結果によって、これは愛、これは愛ではないと思うのだったら、まだ、それは愛ではありません。
愛は、生きること全てなのですから、世の中に溢れてる問題も争いも葛藤も混乱も、愛なのです。
どこに自分の身を置いて言葉を吐くのか、無責任な立場からなのか、責任を持った立場からなのかも関係ありません。
自分自身が、全てのことが愛だと信じることができていない分の愛の学びをしているだけなんです。
この世にあるものも、起きていることも、全てはいづれ失うことなのです。
それなのに、なぜ、そのことばかりを見つめて生きているのですか?
全ては、愛なのですよ!
愛を感じる時間を選ぶことも、選ばないことも自分次第だからこそ、その自由が与えられている愛に気づいて下さい。
今日は、このことを気づきなさいと夢の中で愛のレッスンをさせてもらいました。
名前を忘れてごめんなさい。
あなたに手足がないことを忘れていて、ごめんなさい。
自分ができる自由を当然だと思っていた自分に、ごめんなさい。
自由にできない人たちがいるからこそ、自由に生きる経験をさせてもらえている意味を忘れないようにします。
自由も不自由も自分の選択だと知っているはずなのに、選びなおさない人たちの心の不自由さもすべて愛だと信じられれば、自分がどれほど大きな愛を甘受しているか気づくはずです。
誰かの夢を叶えるように、自分の喜びを愛で溢れさせれば、この人生は全て愛だとわかります。
うまくいかない時期が長い人ほど、大きな愛を感じる時期がやってきますので、どうか、腐らないで愛を信じて下さい。
目の前の全ての喜びを失っても、大切な人を失っても、命を失っても、全てが愛であることを忘れないで下さい。
この世で起きることは、全て愛なのですから。
今、生きている誰かのことをとやかくいうのは簡単です。
でも、その発言している人自身が愛かどうかは、誰が見てもすぐにわかるはずです。
もし、とやかくいう人の言葉に便乗する自分がいるのなら、まだあなたは愛を知りません。
あなたは、同情を愛だと勘違いしているだけなんです。
そんな自分に気付いた瞬間、自分の愛のレベルが一段上がったことに気づくはずです。
愛すること、愛されること。
傷つくこと、傷つけること。
そのどれもが愛の一部だと本当に思えるのなら、自分の中にある愛にも気づくはずだと教えてくれました。
愛は、誰かを問うことではありません。
当然、自分を問い詰めて、苦しくすることでもありません。
違いを指摘しあうのではなく、違いを許しあうこと、認めあうことだとわかりました。
まだまだ、愛のレベルを上げなさいというのが、今夜のメッセージのようです。
これが、原初キリストの封印解除なのかもしれませんね。
日本人が生まれるまでに、亡くなったり、消えたりした全ての人達の思いに感謝して、自らを愛をさらに大きな光にする人たちが増えることを祈ります。