【宮古諸島】新城定吉さんとやりとりした内容 2020年12月
新城定吉さんと最初に対話した頃を思い出し、とても大切なことに気付きました。
サラリーマン時代(1995年)に、船井幸雄さんの本で宮古島の「石庭(いしにわ)の白黒写真を見て「行きたい!」と思いましたが、神様の許可が降りたのは、2004年1月でした。
2000年に、苦しいユタの三年修行が終わり解脱したあと、毎日、ボランティアに専念する日々でしたが、2004年1月に、突然、「今なら宮古島に行ってもいい!」と神様の声が聞こえたため、妻に頼んでお金を工面してもらって行ったのが、生まれて初めて訪れた宮古島・伊良部島の体験でした。
それ以降、「伊良部島の白龍」の神に導かれ、地元の人たちにもお願いされ続けたので、自分にできることは全てボランティアでやりました。
そのあと、「沖縄本島の調和を整えなさい」と神の声が聞こえてからは、何度も沖縄本島に通い、沖縄のほとんどの離島を回りながら、過去の歴史に残した汚点のお詫び祈りを続けて和合をとり続けてきました。
同時に、2003年から北海道で自然神と宇宙神神事が始まりましたが、年に数回、沖縄に行く必要があり、金銭的な問題で悩んでいると、神様が人の心を動かして下さり、見知らぬ方からの寄付によって、2009年からの本州神事も続けられるようになりました。
もともと貧乏な家に生まれたおかげで、お金がない時でも自分が生きるためにどんな仕事でも働くことは当然だと思っていたからこそ、働くこともできないほど神に乗られている人たちの辛さもよくわかりますが、現実面で自分が精一杯の努力をしてもお金が回らない場合は、欲望を捨てるか、神の思いを捨てるしかありません。
どちらも自分の責任と覚悟が必要ですので、自分にも他人にも言い訳せずに、自分のできることをやって下さい。
今日、新城定吉さんとの対話記録を読んでいて、「原点回帰」だと気付きました。
心が迷った時や、希望を失った時は、前に進もうとして葛藤している状態だからこそ、
何もなかった時の自分や、誰も信頼できる人がいなかった若い時の自分を思い出して下さい。
まともなあなたなら、どんなに心が悩んで苦しい時でも、食うための仕事は続けていたはずです。
仕事とは、他人に喜んでもらえるサービスをするか、労働に対する時間を提供すること意味しますので、何も努力せずに、何も提供しないで、結果をよくしたいなどという”甘え”は捨てて下さい。
年末までに、どれくらい大きな不安や問題が起きるかをまだ気づいていない人は、「オンラインセミナー」で未来情報を手にして気づいて下さい。
私は、「原点回帰」、つまり、何も求めていなかったあの時に新城定吉さんに会う時間は、自分の新しい気付きを得るための大切な時間となりました。
新城定吉さんは人であり、神であるからこそ、お互いに自分がやるべきことはやっていましたが、”自分の今”を確認できる人はいないからこそ、新城定吉さんが私に会えることを楽しみにしていたとスタッフから聞いた時はとても嬉しく思いました。
私自身も同じ気持ちだったからこそ、大先輩に自分の気付きをお伝えすることで、共感し、確信を得る時間だったことを思い出し、今までのやり方を変えるべき時期だと気付きました。
皆さんより、先にいろんなことを気づいたり知ることが多いため、20年間いろんな情報をお伝えしてきましたが、本当は、皆さん一人一人が自立し、他人に喜ばれる人間に成長し、進化することが目的のはずですので、私が前に出過ぎていてはいけないのだと感じました。
今後は、私が体験したことや神様から教えて頂いた情報はあますことなく、全てお伝えしていきますし、多くの諸先輩たちから学ばせていただいた”生きる術”も全て教えていきます。
私自身は今日、自分が生きる上で最も大切な人に対する「立ち位置」に気づいたのです。
きっと今が、そういう時期なのでしょう。勘のいい皆さんなら、きっと同じ体験や気付きをしているかもしれません。
インターネットが普及していない時代に、こういう未来情報や意識の正しい情報を得るには本しかありませんでしたが、「今あるものが全て失う」ことを前提に次の時代に生きることを考えてみて下さい。
そうしないといけない時代に、これから突入するのです。
私の体験談を綴ったこのブログを通して、皆様の気づきになりますことを心から祈ります。
地球創生 代表 天無神人(アマミカムイ)