木を見て枝を見ず、枝を見て土中を見ず
これからお話することは、私が”解脱”する前のもっとも苦しんでいた時期に、北海道の支笏湖の湖面の向かい側にある山から頂いたメッセージです。
山の神様は、こう言いました。
人間はいつも、目の前のことばかりに気を取られて生きている。
なぜ、”その先に繋がっている自分”が見えないのか、不思議だ。
お前は今、悩んでいるようだが、私たち自然界は、人間の「悩み」というものがよくわからない。
本来、「悩み」は心が止まっている人間が感じることのはずじゃ。
今、お前は止まっているのか?
でも、生きているではないか?
脈々と血液が身体中を駆け巡り、心臓は打つことをひとときも止めずに動いておる。
なのに、なぜ勝手に、心を止めているのか?
もっと、前を見よ!
もっと、先を見よ!
先を見る心の強さが無いのなら、自分の足元を見てごらん。
お前の足元に「石ころ」があるだろう。
その石ころは、私たちが山になる時に、地球の中から溢れ出た岩石の一部なのだ。
長い年月をかけて、川を転がり、丸くなり、今、お前のお足元にあるのだ。
だから、お前の足元の石ころも、私(山)の一部なのだ。
わかるか?
お前が、今、どこを見ているのか間違えているぞ、と教えているのじゃ。
しっかり、目を見開いて、地面を見なさい。
その石ころの下には、大地があるだろう。
その大地は、私(山)の一部でもあるのだ。
つまり、お前は今、私の一部を踏みつけているのじゃ。痛いのお〜(^^)
良いか、心を止めるなよ!
どんなことが起きても、どんなに辛いことがあっても、それは一生の人生で見れば、「石ころ」なのじゃ。
山になるか?
石ころになるか?
大海になるか?
海の”もくず”となるか?
川になるか?
どじょうになるか?
風になるか?
水になるか?
選びなさい。
お前たち人間には、「火」の力を授けたはずじゃ。
自らを焼き尽くすこともできるし、他人の生湯を温めてあげることもできるのが、「火」なのじゃ。
自分が今、どこを見ているのかを早く気づきなさい。
人間に残された時間は少ないからこそ、お前に私たちの思いを託したのじゃ。
よろしく頼む。
※天無神人の西暦2000年の解脱前の体験談でした