「魂の封印」を完全に解き放つ!!

自分の「分」をわきまえなさい!

◯母の教え

小学生の頃、自分勝手な判断をした時に、母はいつもこう怒りました。

次男が、長男と同じ高さの席に座ってはいけないよ!

目上の人や、年上の人がいたら、一段、座る位置を下げなさい!

場の上座(かみざ)と下座(しもざ)は教えたはずだよね!

目上の人が何を望んでいるのか、言葉にする前に気づいて、そっと手を差し伸べなさい!

自分の意見を聞かれるまで、自分から言葉を話してはダメだよ!

もっと、周りの状況を考えて、自分の「分」をわきまえて行動しなさい!

現代の人は「分(ぶん)」と言われてもわからないと思うので説明しますが、「分(ぶん)」とは、「家柄や身分(みぶん)」のことです。

上司と部下、親と子、兄弟姉妹の何番目に生まれたか、社会的な立場でどういう位置にいる人なのかを見極めてから、言葉や所作をしなさいという教えの意味です。

 

私が怒られたシーンは、家族四人がいる時に、家に男性のお客さんが見えて、お茶を出した時でした。

小学3年生にもなると、お客さまにお茶を出すのは母親ではなく、「子供の役目」なのです。

この意味は、社会的に、うちの子は、こういうレベルまで教育できておりますよ、という意味で、あえて、母ではなく、子供にお茶を持っていかせるのが常識なのです。

そうしないと、その子供が大きくなった時に、お嫁に行けないとか就職する先がない時に、手を貸してくれる力のある人に認めてもらえないからです。

奥様たちの付き合いの「ママ友や女性たちだけの集い」なら良いですが、一人でも男性が参加している場合は、社会的なマナーを理解した上での所作を求められるのが、常識なのです。

もし、自分の子供が一流企業や偉い人のそばにいる仕事に着いた時に、こういう基本的な所作ができないだけで、美人でも、東大出でも、すぐに外されるのが、社会性で守られている人たちの常識なのです。

家にお客様を招き入れる時は、そういう意味があることまで考えて、子供たちに教えてあげて下さいませね、お母さん。

 

私は小学3年生になる前に、「麦茶」の入れ方は小学1年生で習い、小学2年生になれば「お番茶の入れ方」を習い、小学3年生になれば、「ほうじ茶や玉露の入れ方」を習いました。

誰にどのお茶を出すのかも「礼儀作法」があリますので、身分を考えて、相手との関係性まで考えて、どのお茶を出すのか考えなければいけないのが、武士の家の教育でした。

自分の家より、格下の家のご主人が来た時には、いくら年上でも「お番茶」で、その家の使用人が来た時は、「麦茶」です。

自分の家柄と同格ならば「ほうじ茶」を出し、目上の格上の家の人が来たら「玉露」を出すのが、日本の常識であり、マナーなのです。

つまり、小学3年生になって、そのことを知らない家の子供は、親の躾ができていないと近所に広まり、社会的な付き合いに影響が出るので、小学生になった子供を持つ母親たちは、真剣に自分の子供に「しつけ教育」をします。

 

学校で習うのは「学問の教育」、家の中で教えることは社会へ出て恥ずかしくない人間になるための「しつけ教育」が、母親の一番大事な仕事なのです。

こういうことを教わっていない一般の農民や商人の人たちは、ただ、お金が欲しいとだけしか口にしませんが、商人の上の格にいる「庄屋さん」の家では、武士と同じ教育をされていますので、すぐに所作を見ればどういう格の家の人かがわかるものです。

農家でも、農民の問題をまとめる「長(おさ)」の家がありますので、そういう家ではいくら貧乏でも、お侍さんがやってきた時に出すお茶と、商人に出すお茶は用意してあるものなのです。

いくら立派な洋服を着ていても、財布にたっぷり札束が入っていても、銀行に山ほどお金があっても、人間として格下の人間は、結果的にお粗末な所作しかできませんので、「上格の人たちの輪」には入れてもらえません。

その理由は、お茶の場や飲み会の場、接待の場で、恥ずかしい所作をする人間を連れていくと、会社の恥になるからです。

経済界なら「経団連」、議員なら「国会議員」、民間でも業種ごとに付き合う人たちは違うので、その上格の人に誘ってもらった場で恥をかかせた人は、全ての仕事が無くなるうえに、一生、誰にも認めてもらえないのが、「男性社会の厳しいルール」なのです。

 

私の母は、子供の頃から祖父からそういうことを教わって知っていましたが、貧乏な分家農家の私の父親が、そいうことを知っているかを知りたくて、父に「お茶の入れ方を教えて下さい」と一度だけ、聞いたことがありました。

「おー、いいぞ!」と二つ返事だったので、お盆にお茶道具を持って行くと、「どのお茶を入れたいんだ?お茶によって、淹れる温度が違うからな・・・」と言われました。

もう、この段階で降参です。

では「番茶」でお願いします、というと、父は、「番茶はなあ、袋を開けたすぐなら美味しいが、時間が経つと香りも味も出なくなるので、一回、沸騰させたお湯を少し冷まして持ってきなさい。

そうすると、古いお茶でも少し美味しい味になるんだぞ。

お水はな、沸かすと少しづつ水の粒子が細かくなって暴れるので、沸騰するときに、鉄瓶の蓋がカタカタするだろう。

あの時の温度が100度だとしたら、煎茶以上の高いお茶は沸騰させてはだめなんだ。香りが飛んでしまうからな。

逆に、安いお茶は、高い温度で入れないと味も香りも薄いので、お茶の葉っぱの状態を見て、淹れる量を変えなさい。

さあ、一杯できたぞ、飲んでみなさい。」

 

もう、涙が出そうでした。

いつも朝から晩まで泥だらけになっている父が家に帰ってくると、ただテレビを見ているか、お酒を飲むだけの無口な父でしたが、初めて父から「お茶の淹れ方」教わり、感動しました。

うしろで見ていた母も驚きを隠せず、「父さん、誰に教わったの?」と聞くと、「うちの婆さんさ。

うちの兄弟姉妹は12名いるが、小学1年生になった時から順番に兄弟の上のものが下に教えて、婆さんにお茶を持っているのが毎日の仕事だったんだ。

もし、淹れ方が悪くて美味しくないと、教えた兄や姉さんたちが怒られるし、できるまで何度でもやらされたから俺は兄たちの失敗を見て覚えたよ。

だから、誰にも教わってはいないな。

最初に婆さんにお茶を出した時、婆さんに、「誰にお茶の淹れ方を教わったんだい?」と聞かれたけど、「自分で兄たちを見て覚えました」というと、笑顔で賢い子だねえ、と言ってくれと教えてくれました。

いいかい、世の中には「自分勝手にしか生きれない人間」と、「周りの人の失敗から多くを学び、自分が失敗しないように教わる人間」とに分かれるのさ。

そういう人の性質(たち)は「家柄」だから、変わることはないので、嫁にもらう前にその女に一杯のお茶を入れてもらいなさいね。

それで、すぐにその家の「家柄」がわかるよ。

家柄が上になる程、人間としての思いより、社会やみんなのために生きる知恵を身につけなきゃいけないので、私も吉岡の本家に嫁に来るのは本当に厳しいから嫌だったんだ。

でも、お前ほど性根がキツい女はいないからと言われて、二人目の嫁としてこの家に嫁いだんだ。

最初の嫁は、子供が産まれないので、結婚して2年で、離婚されたよ。

お前のお茶の淹れ方を見ていると、私が婆さんに怒られないように、一生懸命に見て覚えた時を思い出すわ。

さあ、お前も一杯、自分のお茶を淹れて、そこに座りなさい。

そう言われて、私の父は、囲炉裏の横に座らせてもらい、お茶を一緒に飲みながら昔話をしてもらったそうです。

囲炉裏の横に座れるのは、家の家長とその奥様だけですが、特別に座らせてもらった様子を見ていた兄弟姉妹に後からイジメられたと、父は笑って話してくれました。

「お茶の淹れ方ひとつ」で、人生が変わるほど、心を添える、手を添える教え方を子供がいるお母さんたちはぜひ、覚えて欲しいと思います。

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