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【解脱の真理】続編18 するが仙人、なすが仙人、させて頂くが仙人

「するが仙人 なすが仙人 させて頂くが仙人」

この言葉は、私が解脱修行の三年間の最後の瞑想中に見せられた体験ですが、仙人の映像と一緒に、頭の中で教えて頂いた大切な神言葉の意味をご紹介します。

一般の人でも夢や意識の中で「仙人」の映像が見えた人は、ある段階にきたと言っても良いでしょう。

私は瞑想中に、最初は一人の仙人、次に二人の仙人、最後は三人揃った仙人が見えた時期がありました。これは自分自身の意識が進化(覚醒)した結果だとあとでわかりました。

最初の一人の仙人の時も、二人の仙人の時も、三人揃った時も、言葉は一切、聞こえません。

木の上に立っている一人の仙人が、じっと、私を見ているだけでした。

何度も、瞑想をして、対話を心がけましたが、何日も何日も、この映像を見続けるだけでした。

やっと、思いを相手に向けるのではなく、自分で気づかなければいけないからだとわかったので、左脳で考えるのを一切、やめました。

あるものは、ある。無いものは、無い。

いる人はいる。いない人はいない。

なぜ、それを問うのか?

その心は何から発生しているのか?

自分で、自分に質問し続ける時間が、永遠と続きました。

何日も何日も、何度も何度も自分に聞き続けても、全く何も気づけないので、いい加減、嫌になってきました。

ならば、「仙人はいる」。

確かに、見た。

なのに、どうして問うのか?という一点に自分の意識を向けてみました。

自分は子供の頃から普通の人が見えないものが見えていたし、聞こえないいろんな存在の声が聞こえ、対話すること出来ました。

でも、そのことを普通の人にいくら聞いても、何も答えてくれないし、さらには、相手の心の奥底にある「過去に思った思いの意味」を質問しても、本当のことを誰も口にしないうえに、私を異常者扱いした人もいました。

だから、「もう二度と、人間を信じない」と幼稚園の時に、決めたことを思い出しました。

その心を持ちながら、周りの人と同じように、自分に嘘をつき、他人にも嘘をつき、家族にも嘘をつくしか、生きる道は無いとわかり、絶望の時期を迎えて、中学二年生の時に、本気で自殺を試みたことを鮮明に思い出しました。

つまり、自分が見えているものを見えない人たちに、いくら質問されて答えたとしても、信じることはできないのだとわかったのです。

だから、質問されても、答える理由は無いし、見えていても、見えないと嘘を言っても、この三次元世界では問題にならないという意味です。

今、自分が葛藤している「見えたものの意味がわからない」と自分を問い続けているが、それは実は、自分が周りに理解してもらいたいから、何とかわかるように教えてくれ!という愚かな欲望だと気づきました。

木に止まっている鳥さんに、「あなたはどうして鳥なの?」と聞いても、とりは答えられません。

いつも自分の周りにいるたくさんの猫や犬に聞いても、見て見ぬふりをするし、あるボス犬は、「お前は人間に生まれたんだから、俺たち犬と会話する意味が無いだろう。お前が犬になれば、またその時に話してやるよ。」と、つっけんどんに心に思いが聞こえました。

そうかあ、俺は人間として仙人に質問しているが、仙人の気持ちを分かろうとはしていないなあ・・・。

これはつまり、自己視点ではなく「他己視点」、つまり、「利他心」のことだとわかりました。

完全に相手の立場になって、相手の気持ちを全てそのまま受け入れる心の準備ができた時、言葉にしていなくても、相手の気持ちが自然に伝わっていることの説明をしましたが、あなたはわかりましたか?

道教にも「仙人道」という教えがありますが、それはそれはものすごい時間を瞑想しながら、難しい難問の答えを解くまで気が遠くなりそうな時間を永遠に繰り返し、最後に、「仙人が一人見えたら仙人として認定」される道だとわかりました。

このことに気づいて、もう一度、ゆっくり瞑想をして、「今の自分の視点で世の中を見てはいけないという教え」だと気づきましたと、霧の中にいる仙人に報告しました。

自分自身が、死んだあとのように、「この世に生きていない世界」から今の現実世界を見渡すと、誰かが生まれても、誰かが死んでも、誰かが殺し合っても、助け合っても、ただのドラマのシーンとして心には映らず、人生とは1本の映画を見ているような状態だとわかりました。

 

「瞑想中に仙人を見た意味」は、そういうことなのかと気づいたので、しばらく返答を待っていると言葉が聞こえました。

お前は何をしているのか?

私はこの世の中に起きることの不思議さを、ずっと子供の頃から見てきましたが、いくらお金を稼いでも、有名になったしても、何も幸せでは無いことに気づきました。

人間がこの世に生まれる大切な意味は、もっと別なことだと思ったので、仙人様に聞きたくて、こうして瞑想しています。

何か、私に伝えることがあれば、教えて下さい。

すると、木の枝の上に立っている仙人の足元に、もう一人、木の太い枝に座って座禅している仙人が出てきましたので、二人目の仙人に聞いて見ました。

あなたは「私に何かを教えてくれる仙人」なのでしょうか?

ならば、どうか私にわかりやく気づきを与えて下さい。

また長い沈黙が続いたので、瞑想をやめて、大の字になって考えてみました。

一人の仙人ではなく、二人の仙人が出てきた意味は、なんだろう?

前回も散歩していて気づいたので、また、散歩をしながら考えてみることにしました。

すると、公園のベンチに座っているお婆さんに石を投げつけようとしている女の子がいました。

こりゃあいかん!と思って走り出そうとしましたが、体が硬直して全く動きません。

中学2年生の時に、ナイフで手首を切ろうとした時に、体を硬直させられて全く動かなくなった時と同じです。

すると、その女の子の石を取り上げようと、男の子が走ってきました。

女の子は、本当は石をぶつけたいのではなく、ただ自分に気づいて欲しかったようですが、お婆さんは、最近、ご主人を亡くされて心を失ったようで、毎日、廃人のように生きていることがわかりました。

そして、石を投げつけようとした女の子は、そのお婆さんの孫娘だったのです。

男の子は、近所の子供ですが、それほど仲は良く無いのに、いつも女の子の挙動がおかしいので、遠くからいつも見守っていることまで時間を遡ってわかりました。

でも、なぜ、私の体を硬直させて、助けることを止めたのだろう?

そうか、「ただ、見守りなさい」という意味なのか・・・。

目の前のことにバタバタ心を動かして焦っているのは自分だけで、地球の反対側では人が人を殺し合っているし、その反対側では、人類や地球を救うために活動している人たちもたくさんいる映像を見せられました。

そして、最後に、こういう言葉が心に浮かびました。

「するが仙人、なすが仙人、させて頂くが仙人」

家に戻り、この意味を仙人に聞いてみると、三人目の仙人も出てきて、こう教えてくれました。

良いか、この人間の世界は、どの時代も同じで、誰かが誰かのために生きておるのじゃ。

だからなあ、いくら理想を言っても、人は簡単には動かないものなのじゃ。

だから、わしら仙人は、一切、人間のすることに手を出さないと決めておるのじゃ。

 

自分が正しいと思うことをする奴は、「するが仙人」と言われるのじゃ。

なすがまま、何が起きても微動打せず、ただただ見守る仙人のことを「なすが仙人」と呼ばれるのじゃ。

 

そしてな、自分に与えられた役目をどんな逆境な場面でも、「させて頂きます」と言って、黙々と一人でやる仙人のことを「させて頂く仙人」と呼ばれるのじゃ。

わしら三人が、そうなのじゃ。

それぞれ良いと思ってやってきたことも、もっと大きな存在から見れば、他愛のないことさ。

 

人間はいつも自分視点だけで生きておるからこそ、「気づきの証」として、我々は必要な人間にだけ、姿を見せるのが役目なのじゃ。

我々、三人が見えたということは、お前はもう、次の段階へ行くようだな。

誰も何も教えていないのに、お前はどんどん一人で気づいていくもんなあ。

俺たち仙人より、賢いのお(^^)

 

もし、上の世界に行ったら、どんな状況なのか、たまに教えてくれな。

俺たちは永遠に、「人が気づく段階の標(しるべ)」として待っているのが役目なのじゃ。

お前はとっくの昔に「仙人道」を開花させた魂だが、そのことを忘れているので、久しぶりに我々三人が揃ったのじゃ。

普通の人間には、仙人の姿は見えないし、見えても一人がいいところじゃろう。

見る人間の魂レベルによって、誰が見えるか学びが違うので、もし、このことを誰かに伝える時期が来たら、そう教えてあげてくれな。

俺たちも、久しぶりに三人が揃ったので、今日は、宴(うたげ)じゃ。

ありがとうな、素直な魂の子よ。

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