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初めて吉岡本家のお婆さんに褒められた!

小学1年生になって学校から家に帰ると、母は「番茶の淹れ方」を教えてくれました。

小学生の子供を持ったお母さんは、母親同士のお客様の場合、自分でお茶を入れるのでなく、「子供のしつけ」のために子供にお茶を入れさせて持って来させるのがオススメです。

これが、武士の家の小学1年生の「習い事」の基準です。

 

小学2年生になると、「ほうじ茶」の淹れ方を教わり、小学3年生になると、「玉露や紅茶の淹れ方」を教わりました。

この段階になると、どういうお客様が来るかによって出すお茶が違うことを同時に学びます。

近所のお店のおじさんがきたら、「番茶」です。

そのお店の使用人がきたら、「麦茶」なのです。

 

ご主人と使用人が同じお茶を飲むことは、許されない時代が武士の時代でした。

学校で「士・農・工・商」と教わったはずですが、その下には「使用人」がいる時代です。

 

自分の淹れたお茶が美味しいと褒めてもらえるようになると、自分の父親ができるのか聞いてみたくなり、田んぼの仕事を終えて帰ってきた父に、「お茶の淹れ方を教えて下さい」と頼んでみました。

「いいぞ、じゃあ、お茶の道具を持って来い。

ところで、何のお茶を入れるんだ?

お茶によっては温度が違うので、何を教えて欲しいのか言ってみろ!」

困ったので、「番茶からお願いします」と言うと、

「そうか、番茶は最初は香りがあるが、時間が経つとすぐに香りが無くなるので、一旦、お湯を沸騰させて少し冷ましてから持ってきなさい。

お湯はな、グツグツ沸騰するとフタがカタカタするだろう。

その時が100度とすると、90度くらいが美味しいんだ。

でも、古くなると味が出づらいので、一度、沸騰させて水の粒子を細かくしてから注ぐと美味しくなるぞ!」

父は、しっかり「お茶の淹れ方」を知っていることに驚きました。

次男である私は、兄である長男もできるか試してみたくなり、兄が学校から戻った時に、「お茶の淹れ方を教えて!」とお願いしてみました。

お前、小学生にもなって、そんなことも知らんのか!バカだなあ・・・。

あ!「お茶の淹れ方」を教えるのは、年上の役目だった・・・すまん、俺が悪いんだわ。

さっき、母に教わったんだけど、もう一度だけ見たいので教えて!と頼むと、父と同じように「どのお茶を入れるんだ?」と聞かれたので、もうこの段階で参りました。

我が家では男も女も、きちんとお茶を淹れられなければ、「一人前」と扱われません。

 

一人で何度も練習して、玉露も、紅茶も美味しく淹れられるようになった頃、「本家に頼まれもの届けておいで!」と母に頼まれました。

あの怖いお婆ちゃんがいる本家に一人で行くのは嫌だったけど、母は忙しそうだったので、1km先の本家へ届け物を持って歩いていきました。

まず、玄関扉の前で一礼して、少しだけドアを開けて、名前と用件を言うと、「土間までに入っておいで!」とお婆さんが呼ぶので、敷居をくぐりました。

敷居をくぐると、「後ろ手」でドアを閉めてから、一礼します。

6畳間ほどある大きな土間をゆっくり歩いて、「上がり台」に荷物を置いてから、「母にこちらに届け物を届けて欲しいと言われたので、これを持ってきました。どうぞ、お納め下さい。」と言いました。

「中身は、何だい?」と聞かれましたが、私は中身の聞いていないので答えられません。

「なんだい、中身も知らずに持ってきたのかい。

もし、その中身が犬のウンチだったらどうするんだい?

あんた、相手に切り殺されるよ!」

とお婆さんは、大笑いしていました。

 

届け物を受け取って、風呂敷の中身を開けたお婆さんに、

「あんたちょっと、ここに上がりなさい。

と言われたので、私のドキドキは最高潮のまま、靴を脱いで靴を揃えてから振り返り、「上り台」から一段高い部屋に正座して、深々と一礼しました。

 

玄関横にある囲炉裏は、昔は、「家長と奥様の居場所」なので、おじいさんとお婆さんの二人だけが座れる特別な場所だと教わっていましたが、おじいさんが亡くなってからは、長男でも「囲炉裏の座には座れらせない!」と母に聞いていたので、どこに座るか迷ってじっとしていました。

 

私の右横に座りなさい。そこはね、私が昔、座っていた場所なのさ。

もう爺さんが死んで3年も経つので、ボツボツ、誰かを座らせていいかと思っていたけど、あんたが一番乗りだわ。(^^)

何を答えて良いのかわからないので黙っていると、

「あんた、おまんじゅうんは好きかい?」

と聞くので「大好きです」と答えました。

「じゃあ、台所にお茶の道具があるので、持ってきてちょうだい。」

とお婆ちゃんに言われました。

 

珍しく本家の人が誰もいないので、奥の台所へ行って、お茶の道具をお盆に載せて持ってきました。

お婆ちゃんがお茶を飲みたいようなので、「僕がお茶を淹れましょうか?」と言うと、

「あんたは、お茶をちゃんと、淹れられるのかい?」

と聞かれたので、「はい、もう小学校3年生ですので、ほうじ茶でも、玉露でも、煎茶でも淹れられます。」と答えると、

「じゃあ、任せるわ。淹れてちょうだい!」

とお婆ちゃんに言われました。

 

何かいつも怖いお婆ちゃんが、少しだけ優しく見えました。

母に教わったように、囲炉裏の鉄瓶からお湯を少しだけ取って急須に注ぎ、少し冷ましている間に、湯呑みにもお湯を注ぎました。これは、急須と湯呑みを温めるためです。

そのお湯を一旦、捨てて、急須に茶葉を入れて、ゆっくりお湯を注ぎながら、葉の広がり具合と色を見て湯呑みに注ぎ、「どうぞ、お婆ちゃん」、と一杯のお茶を差し出しました。

一口、ゴクリと飲んだお婆ちゃんは、

「いやあ、こんなに美味しいお茶は初めてだわ。ありがとうね、まなぶ。」

と言われました。もう、涙が出そうなくらい感動で、必死に涙を堪えていました。

 

さっきまで、あんなに怖かったお婆ちゃんが、菩薩様に見えてきたので、何度も目を擦りました。

お饅頭を頂きながら亡くなったおじいちゃんの話を聞かせてもらい、僕が生まれた前の年に亡くなったので、

「お前はおじいさんの顔を知らないだろう?」

と言うと、後ろの引き出しにしまってあった古いおじいちゃんの写真を見せてくれました。

 

「いい男!かっこいいね!」と僕が言うと、

「そうでしょ!私の旦那は気は優しくて力持ち、そして、小作の人から、とても慕われていたんだけど、その分、私がきついことを言わないといけない役なので、嫌だったよ!」

えー、そうなんですか?もともと、お婆ちゃんは気が短くて、怒りっぽいと思っていたけど、違うんですか?

あんた、はっきり言うねえ。

私の子供たちでも誰もそんなことは言わないよ。

そんな口を叩いたら、昔の私はすぐにホッペを引っ叩くからね。

「はい、すいません。」と言ってから、ほっぺをお婆ちゃんに差し出しましたが、お婆ちゃんは叩きませんでした。

 

爺さんが死んでから、必死にこの10年間、この本家を守ってきたけど、息子も大きくなったので、ボツボツ、代替わりして「家長の座」を渡そうか考えていたんだ。

そんなところに美味しそうなお饅頭が来たら、あんたとお茶を飲みたくなったのさ。

爺さんとも、たまにそういう時間が持てた時のことを思い出したよお・・・。

 

少し涙ぐみながら、お饅頭を頬張るお婆ちゃんが神々しく見えました。

 

本家の子供たち(従兄弟)が帰ってきて、すぐに「私が座っている座(ざ)」を見て、怒り出しました。

 

お前、どこに座ってるんだ!

そこは爺さんがいる時のお婆さんの席だぞ!

その席をどけ!

 

と手を出してどかそうとしたので、お婆さんが止めました。

 

いいんだよ、今日は”まなぶ”を私の客人として迎え入れたので、ここに座らせたのさ。

お前も、この饅頭を食べて機嫌を直しなさい。

 

もう一人の従兄弟も帰ってきて、同じように私に文句を言いましたが、また、お婆ちゃんが制して収めてくれました。

最後は、従兄弟の一番上のお姉さんが帰って来て、私と弟二人が囲炉裏の前に座っている姿を見て、絶句していました。

初めて本家の子供たちが、お婆さんと同列に扱われる囲炉裏の席に座った時間でした。

 

そこに、本家の叔父さんと叔母さんが帰ってきましたが、また、大声で私と子供たちを叱りましたが、お婆さんが制して、私を一番、下座に座らせてから、空いた席に叔父さんが座りました。

 

叔父さんは、「いやあ、ここはすごい席だなあ。ここに座ると偉くなった気がするわ。婆さん、ありがとう。」と言ってから、席を離れようとすると、「家長」を譲る話をし始めました。

本家の叔父さんは、突然の家長就任の話を聞いて、しばらく声が出ませんでした。

貯金通帳の場所や土地や建物や小作の耕作面積の記録簿の場所を教えてから、

明日から、お前はこの「家長の座」に座りなさい。

私がお前を支える時期が来たので、これからはこの家をよろしくお願いしますね。

と、初めて本家のお婆さんが息子に頭を下げる姿を目の前で見ました。

 

夕暮れになったので、本家でご飯を頂くことはできないので、急いで家に帰る用意をしました。

お婆さんに、「夕飯を一緒に食べていきなさい!」と言われましたが、

「母に、決して他の家でご飯を頂いてはいけないと母に教わっています。

今日は、母の届け物を持ってきただけなので、夕食を食べさせて頂くほど仕事はしていませんので、家に帰ります。

もし、本家の夕食を頂いて帰ったら、きっと、私は一生、母を泣かせることになるので、ありがたく遠慮します。では、失礼します。」

と言って本家の家を出てダッシュで自分の家に帰りました。

我が家のルールは、夕食時間に間に合わないと、「飯抜き」だからです。

家に戻って、母に全てのことを話すと、

「よくお前、夕食を我慢したね!」と褒められました。

あの婆さんは厳しそうに見えるけど、本当はとっても優しい人だから、きっと、お前に晩御飯を食べていきなさいと言うと思ったので、あえて、夕方に本家に行ってもらったのさ。

お前がもし、世の中に出た時に、おばあさんみたいに優しい人ばかりならいいけど、絶対に、そうじゃないからね。

「人の情」に甘えると、その「お返し」のほうが厳しいものなんだよ。

人はね、ご飯一膳を食べるために、一生懸命、朝から晩まで働いているのさ。

そのご飯を分けていただくってことは、命を頂くってことなのさ。

だから、もし、お前が本家の晩御飯をご馳走になって帰ってきたら、お前をどう怒ろうかって考えていたのに、残念だわ(^^)

 

やはり、私の母は、他のお母さんたちより、数段、上手(うわて)なので参りました。

私の母は、必ず、一つのことを教える時に、三つ、教える準備をしています。

だから、言われた言葉だけを信じて行動すると、あとで、とんでもなく怒られますので、物事を深く考えてから行動するようになりました。

 

いいかい、人に物事を教わる時は、「三つの学び」があると思って、考えなさいね。

普通の人はひとつわかれば、「わかった」と言うけど、それは「犬」と同じさ。

 

犬は、ご飯をもらう時に「お座り!」と教えると、必ず、ご飯を持って行けば、自分でお座りして待っているでしょ。

ひとつ教えて、ひとつしかできない人間は、「犬レベルの人間」だと思いなさい。

 

二つ目の気づきに気づいた人を世の中では「賢い人」と呼ぶんだけど、最近は見かけないねえ、残念な時代になったねえ。

世の中はどんどん便利になるけど、生きる上で一番、大事なことを教わっていない人間は、どこへ行っても出世はしないし、苦労するのさ。

 

「バカでもおだてりゃ木に登る」って、言葉を知ってるかい?

賢い人は、おだてられたら逆に、自分のどこが足りないのか、考えてすぐに言葉にするか、行動するものさ。

そういうことをすぐにできない人間のことを「馬鹿もん」と言うんだよ。

 

今の時代に武士はいないけど、「武士の心」を持った人はたくさんいるよ!

世の中で出世して、親に恩返しして、部下やお取引先に喜ばれる人間になった人こそ、武士の心を持った人間さ。

どこの会社でもね、一番下のお茶を淹れる人に聞けば、どんなことでもわかるものさ。

「一番下にいる人が、社長より偉い人」だと覚えておきなさい。

もし、お前がどこかの会社へ行くことがあったら、お茶を淹れてくれる人に、必ず、お礼の言葉をかけなさいね。それが、できた人間がする所作なのさ。

「ひとつを教わって、三つの徳を得るコツを教えたけど、わかったかい?

 

母の教えは、祖父の教えであり、本家の教えでもありますので、人に恥じぬ生き方と死に方をいつも考えて生きるようになりました。

ありがとうございます。本家のご先祖様たち。

 

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