「魂の封印」を完全に解き放つ!!

母さんも腹一杯、食べて良いよね?お父さん!

◯祖父と父の教え

昔々、実家の米の収穫が冷害で、1年間の収入が1/3になった年がありました。(1969年・昭和44年)

「冷害」とは、1年間の平均気温が極端に低く、米に実が入らない年のことを農家は「冷害」と呼びます。

もともとの収入が180万円しかない4人家族の貧乏農家の収入が、1/3になって、どういう生活をしたら良いのか誰も想像できません。

他にお仕事をして収入がある「兼業農家」はまだ良いですが、私の家は稲作農業一本の「専業農家」なので、お米の収入がなければ、全ての支出を1/3にするしかありません。

食べる野菜は全て無農薬の自給自足で作って、床下のムロに入れたり、納屋でワラに包んで保管して1年間、食べ続けてますが、普段から生活で使えるお金がほとんどない生活をしているのに、さらに「冷害」になり、母は泣きながら私にこう言いました。

お前、ごめんね・・・。

今年の収穫が1/3になったので、来年一年間は、何も買ってあげられないから、ごめんね・・・。

お前の好きなお菓子も、牛乳も、ヤクルトも、一年間、我慢してね。

来年、収入がちゃんと入ったら、また、ヤクルトと牛乳をお願いするけど、それまでは我慢してね!

ごめんね、ごめんね・・・。

いつも強気な母が、初めて大粒の涙で泣きながら、小学3年生の私に謝る姿は、子供から見てもあまりに辛くて一緒に泣いてしまいました。

すると、横で父が、「男が人前で泣くな!」と怒鳴るので、母も、慌てて自分の涙を拭いて、私の涙も拭いてくれました。

台所に向かってご飯の支度をし始めた母は、まだ、泣いていました。

背中が震えているので、すぐにわかりました。

泣きすぎて、味噌汁の味がわからなくなった母は、

「ねえ、まなぶ、味噌汁の味見、してくれないかい?

母さん、味がわからないのさ。」

と私に言いました。

泣きすぎて、顔は腫れているし、言葉も詰まり詰まりだし、もう、可愛そうとしか言えないくらい辛そうです。

母は、「親として、情けない!本当に情けない!!

子供に最低の生活さえ、させてあげられない自分が悔しい!」

と呟きながら泣いていました。

後ろの食卓に座っていた父は、

「お天道様が決めたことだもの、仕方がないだろ!

俺たち農家は、お天道様には文句は言えないんだ!

諦めて、我慢して生きるしかないだろう!

お前も子供の前で、メソメソするな!

早くご飯をもってこい!」

この言葉を聞いて、一瞬、父が悪魔に思えましたが、振り向いて父を見ると、父も、少し涙を流していて、辛い自分の気持ちを必死で堪えていました。

僕は、こういう時は、どうすればいいんだろう・・・。

 

幼稚園の頃に言われたように、どこかの家にもらって貰えば、少しは、この家の食いぶちが減るからそのほうがいいのかな?と一瞬、思いました。

そのことは口にせず、ご飯と味噌汁をよそって、たくあんの漬物を自分で切って、父の前に持って行きました。

母はまだ、台所で泣いているので、父が「こっちに来て座れ!」と呼び寄せましたが、母は泣きすぎて喉が通らず、これから自分が何をしたら良いのかわからないまま、ただ、呆然と座っていました。

なので、私が母のご飯と味噌汁をよそって、自分のご飯と味噌汁もよそってから席に座りました。

 

父が、「お前たちの漬物はないのか?」と聞いたので、

「お父さん、あなたは家長なので、何があっても家を守らなければいけません。

だから、漬物は僕も大好きですが、家長のお父さんだけ食べて下さい。

僕と母が漬物を食べる量を減らせば、一年間、少しでも食べる野菜の量が減るので、長生きできるかもしれません。

もし、それでもお金が足りない時は、僕を他の家に売って下さい。

まだ、小学3年生なので、たいしたことはできませんが、掃除、洗濯、裁縫、炊事は最低限、母に教わっていますので、丁稚奉公(でっちぼうこう)でも何でもやりますので、どうか、この家を守って下さい。

兄は、次の家長なので、兄も漬物を食べて下さい。

僕と、母は、我慢します!

 

そう言ったあと、初めて父が顔を真っ赤にして本気で怒り、思いっきり、私のほおをビンタしました。

ビンタの痛さより、父の目が泣いていたので、そのほうが自分の心は痛みました。

自分が言ったことは正しいはずなのに、なんで、父さんは僕を殴るんだろう?

そう考えながら、父の目をじっと見ていると、

「まだ、わからんのか!

子供が親に、自分をよその家に売ってくれと言われて、ハイそうですかと、言える親がいるか!馬鹿者!」

父は泣きながら2発目のビンタを私にしましたが、全く痛くありません。

父も泣きすぎて、力が入らなかったのだと思います。

こんなやりとりが朝の食卓で行われているので、誰も、ご飯を食べられません。

これは自分が悪いのだと思ったので、父に聞きました。

「父さん、母さんも腹一杯、ご飯を食べて良いよね、父さん!」とお願いしました。

 

「おう、いいぞ!、コメはまだあるから今日くらいは腹一杯、食え!

明日から、家族全員、食べるご飯を2/3にするぞ!

だから、今日が最後の満腹の日だ!さあ、みんな食え!」

この日を最後に満腹の日は無くなり、約一年後の次の年の収穫した米が農協に送られて、いくらお米の収入があるか確定した日に、やっと、満腹のご飯を食べられました。

 

こんなやりとりをした日の朝食のあと、兄にこう言われました。

「お前なあ、弟のくせに、俺の役目を奪うなよ!

俺だって、父さん、母さんのためにどうしようか考えていたのに、お前が自分を売ってくれなんて言うもんだから、父さん、怒ってしまっただろう。

いいか、父さんは、滅多に怒らない人だけど、本当は怒ったらものすごく怖いんだぞ!

俺も、昔、本気のビンタの一発を食らったことがあるけど、三日間、顔が腫れて物凄かったぞ!

頼むから、父さんを怒らせないでくれ!

いつ、俺が長男として怒られるかヒヤヒヤしていたんだぞ!頼むな!

 

こんな会話ししなければいけないほど、収入が無い年を経験したおかげで、父は、稲刈りが全て終わると、冬山に入って、切った大きな原木を馬で運ぶ辛い仕事に毎日、行くようになりました。

木を切る場所は毎日、どんどん山奥になるので、作業員の休憩場所の「飯場(はんば)」に泊まり込みの日も増えたので、一度だけ、母に頼まれてお弁当を持って行ったことがあります。

山に積もった雪は1.5メートルもあり、胸まで深雪にハマりながら、お弁当を上にあげたまま作業しているお父さんたちを横目で見ながら、山の飯場を目指しました。

飯場(はんば)は二つあって、「山の下の飯場」と「山の上の飯場」があることを作業しているおじさんに聞いて、「山の上の飯場」まで、雪を掻き分けて登っていきました。

もう両手を使わないと雪をかけ分けられないので、持ってきた父さんのご飯箱もスコップの代わりにして、頭まである深い雪を掻き分けてやっと「山の飯場」につきました。

作業をしているおじさん達の全員の洋服には、雪まみれで真っ白なのではなく、全員の洋服に「太いツララ(氷柱)」が何本もぶら下がったまま作業をしているので、笑ってしまいました。

あとで、父に聞いたのですが、全部のツララ(氷柱)を取っても、30分も作業をしていれば、またすぐ太いツララ(氷柱)ができるので、みんな取ることを諦めて作業していると教えてくれました。

山の気温は「氷点下28度」、全てのものが一瞬で凍る世界の中で、木を切って山から運び出している人たちの苦労は、「東京の人たちの家を建てる木にになるんだ」と父に聞かされました。

 

やっと、「山の飯場」に辿り着きましたが、飯場のおばさんがいない日だったようで、僕は、飯場のストーブのお湯で出し切った残りカスのお茶を入れて、少しだけ野菜があったので「塩だけで味噌汁」を作り、お昼ご飯に戻ってくるお父さんたちを待ちました。

飯場で昼ご飯を食べる人は10数名いましたが、山を降りていく数名の人たちは家に帰ってご飯を食べるんだと、他のおじさんが教えてくれました。

でも、そっと耳元で父がこう教えてくれました。

いいか、今、家に帰った人たちは、家に帰っても、食べるご飯さえ無いんだぞ!

でも、ここにいたら白いご飯を美味しく食べる人たちの前にいなきゃいかんので、腹がぐーぐーなるだろ。

だから、家に帰って、水かお茶をたくさん飲んで、ご飯の代わりにするんだ。

お前はこのあと家に戻るだろう、そしたらな、母さんにこう言え!

今年一年間のご飯を2/3にしろと言ったが、半分にしていいから、この飯場でご飯が食えない人たちのためにお米を持ってこいとな。

 

人間はな、どんなに苦しくても、誰かを助けないといかんのさ。

お前がもし、昼ごはんを食べられない家に生まれていたら、悲しいだろう!

あいつらの家の子供たちは、毎日、ご飯さえ食べられないので、ヒエやアワをすり潰して食ってるらしいんだ。

まずいんだぞお、ヒエとアワだけだと・・・。

俺も子供の頃にそういう時代があったのでわかるが、ひもじいと思うぞ、父さん母さんも、子供達もな・・・。

だからよ、俺たちだけ白いご飯を食べることはできないだろう。

お前がお米を持ってきたら、奴らが食ってるヒエとアワに白いご飯を混ぜて、みんなで食べようと思っているんだ。

だから、すまんがもう一回、山を降りて、お米を担いでここまで持ってきてくれんか?

お前、何キロまでかつげるのか?

多分、20kgまでは大丈夫です。

ここまで来るのに、登りの雪道を1時間半かかったけど、帰りは一気に滑って下るので、大急ぎで20kg担いで、またここに持ってきます。

暗くなるまでに持って来いよ!

道がわからんくなると、川に落ちるからな!

本当に、私の父は、優しい人だと思いました。

これまで一回も、私に嘘をついたことがないし、嘘をつきたくなる時は、言葉を押さえて話さないように口をつぐみますので、「私に嘘は言わない父」のおかげで、まだ少しだけ人間を信じられていた時期でした。

その神様みたいな父に頼まれれば、自分達のご飯が半分になってもいいんです。

お湯をたっぷりかけて、ご飯をふやかせば、2倍に膨らむので、それで満足です。

実際に、20kgを背負って、凍った雪の山道を登るのは大変でした。

でも、このお米が無いと、あのおじさんたちはご飯が食べられない・・・。

僕の同級生のお父さんも一人、いたので、余計に気になります。

そう思うと、肩も腕も感覚が無いほど冷たいけど、必死に、雪の山道を約1時間、登り続けてお米を持っていくことができました。

父は、よう来た、よう来た。今日は、俺も家に帰らんぞ!

家に帰ってもご飯が食えない奴らと、今日は一緒に少しだけ酒を飲んで泊まることにしたから、母さんそうに言っとけな!

母は、この言葉を聞いて、「本当にお父さんは、優しい人だね」と、泣いていました。

でも、私には全く優しくしてくれ無いのさ。

他人には優しいんだけどね、あの人は・・・。

外面(そとづら)が、いいんだよねえ・・・。

私にもう少し優しくしてもいいと思うけど、お前、どう思う?

いえいえ・・・、私が夫婦のことに口を出すことはできません。

そんなことを息子に聞かないで下さい。

そうかい、お前なら何か知恵があるかと思って聞いたんだけど、ダメかあ・・・。

まあ、諦めて今日は二人でご飯を食べようね。

その日は、ちょうど、兄が本家の農作業の手伝いに行っていたので、「今日は帰らない」と聞いていたから、母と二人だけのご飯を「お茶碗に半分だけ」よそって食べました。

去年の半分しかないご飯に、熱いお湯をかけて、ゆっくり混ぜてからお米が膨らむのをじっと待って食べると、母も私の真似をして食べていました。

ほら、お茶碗、いっぱいなったでしょ!と僕が言うと、母も喜んでくれました。

 

本当に、心が優しい父に感謝です。

私は今、この歳になっても、父と同じように女性たちに素直に優しくできませんが、時々、優しい時があることを知っている女性たちに支えられてここまで生きてこれています。

父を見習って、最後までこの生き方で行こうと思っていますので、私に出会う女性たちの皆さん、どうぞ、よろしくお願いします。

本当に、ありがとうございます、神様のように優しい父と、その父を支える頑張り屋さんのお母さん!(^^)

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