「魂の封印」を完全に解き放つ!!

戦争仕込みの往復ビンタ 7 陸軍の恩給

◯祖父と父の教え

生きるのが最も辛かった中学生の頃、毎週のように、祖父の家を訪れて、いろんな体験談を聞いていると、急に、三人のオジサンたちが訪ねてきました。

珍しく祖父が笑顔で対応して、「おう!お前たちか!よく来たな、さ!上がれ!上がれ!」といつもの、玄関先の挨拶さえ飛ばして、居間の上がるように手招きしました。

「どういう関係の人たちなの?」と聞くと・・・

こいつらは、全員、軍人よ!

一緒に戦った仲間で、一緒に、函館港に着いた同期の桜よ!

いえいえ、岩渕さん、私たちはあなたのような人に「同期の桜」とは口にできない関係なので、決して、わたしたちを「同期」とは呼ばないで下さい!お願いします!」と三人のオジサンが頭を下げました。

「どうして?同期なのに、同期じゃないって言うんですか?」と私が聞くと、一人のオジサンがこう教えてくれました。

あのな坊や、俺たちはこの「岩渕さん」と一緒に船で函館港に着いたのは同じだが、そこからが「全く違う人間」だとわかったのさ。

だから、こうして、毎年、函館港に船が着いた同じ日に、北海道にたどり着けて、生き延びられた「お礼」に来ているのさ。

これは、俺たちが一生かかっても返せない「恩」を受けたので、せめてもの「お返し」の行動なのさ。

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「うちの爺ちゃんが、オジサンたちに何かしたの?」

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何かどころじゃないんだぞ、坊主!

この「岩渕さん」は、戦争の戦地でも、船で函館港に「陸揚げ」をした時も、いつも俺たち軍人のことを一番、大切にしてくれた人なのさ。

「お前たち!そういうことを俺の孫には言うな!これは、上官命令だぞ!」

「いえ、岩渕さん、このことはぜひ、お孫さんなら聞いておいて欲しいことなので、ビンタを食らっても話します!」

「じゃあ、好きに言え!俺は、どうなっても知らんからな!」

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あのなあ、お孫さんよ。あんたの爺ちゃんは、すごい人で、誰もこの人に逆らえないくらい「人間としてできた人」なんだぞ!

それは、私もわかっているので、こうして、毎週のように爺ちゃんから戦争の話や、人生で経験した話しを聞きに来ているんです。

だから、「絶対に他人には言うな」という話もたくさん聞いています!

「おい!マナブ!余計なことは言うなよ!

コイツらにでも言ってはいけないことをお前には話しているので、絶対に、話すなよ!」

わかっています。爺ちゃんの孫として、恥ずかしくないように生きる覚悟はありますので、決して、爺ちゃんや軍人さんに迷惑になる話はしません。

それとお前ら!お前らも同じで、俺の孫に言ってはいけないことを口にするなよ!

もし、一言でも「言ってはいけないこと」を話したら、お前たちは一生涯、ここに出入り禁止だからな!わかってるな!

はい、大丈夫です!

岩渕さんが大事にしてきた話は、口が裂けても言いません。

ここにいる俺たち軍人とその家族が亡くなったあとなら話すかもしれませんが、それまでは口が裂けても言いません!ご安心下さい!

それで良い!じゃあ、話せ!

はい、話させてもらいます!

お前の爺ちゃんはな、「たくさんの人の命」を救った人なのさ。

実際に戦った「戦地」は俺たちと違うので、そこで何が起きたかは俺たちも知らないが、この「岩渕さん」が函館港に引き上げた時の行動を見ていて、俺たちは、あとから自分達がとても恥ずかしくなったのさ。

みんな函館港に着いた時は、1日でも早く「実家」に帰りたいけど、いろんな手続きがあってな、人によっては働きが悪くて「恩給」をもらえない奴もいたし、少しばかりの「恩給」を酒で飲んでしまって全部無くした奴もいたのさ。

沖縄や中国から引き上げた軍人たちは、一度、横須賀港か横浜港に引き揚げるんだが、俺たち北海道の人間は、帰る船の便数が少ないので、ずっと、横浜港で待つしかなかったのさ。

その数、約100名以上!

その中には戦地で威張っていた「士官」もいたし、俺たち「一兵卒」もいたけど、恩給は士官が一番、もらっているくせに、俺たちの食い物さえ、買い与えてはくれなかったのさ。

約1ヶ月近く横浜港で待たされている間に、士官たちは酒を飲んで、好きな食べ物を好き放題、買って食っていたけど、本州の奴らは実家が近いので、もらった恩給を全部使っても家族がお金を持ってくるから大丈夫なのさ。

そこにいた北海道出身の「士官数名」が、調子に乗って持っているお金を全部使い払した時、俺たち一兵卒に「食べ物はないか?飲み物はないか?」と泣き言を言ってきたのさ。

俺たち一兵卒は、全員で「士官を殺してやろうか?」と話していると、この岩渕さんがそれを聞いていて、俺たちを止めたのさ。

いいか、俺たちは「日本」に帰ってきたが、ここはもう、「俺たちが知っている日本」ではないんだぞ!

見てみろ!倉庫の影でアメリカ兵たちが俺たちのことを監視して、何か問題を起こせば、すぐに捕まえる準備をしているだろう!

ここはな、もう、日本じゃないのさ。

「アメリカの占領地」になっているので、俺たちは、何があってもお互いを助け合わないと、生きてはいけないぞ!

俺たちが揉め事を起こして争えば、すぐに銃や銃剣を持ってきて、「殺し合え!」と言うに決まっている。

俺たちより前にここに着いた船の日本兵たちが争いになって、1/3が死んだと、さっき聞いたので、絶対に、俺たちは戦ってはいかんのさ。

俺たちが争って揉め事を起こすのを待っているのが、あのアメリカ兵たちよ!

見てみろ!銃と機関銃も持っているので、「喧嘩を鎮圧するために止む追えず、全員を射殺しました」と上に報告したくて、仕方がないのさ。

だから、お前たちは「バカな士官」であっても、決して殺してはいかん!

逆に、「バカな士官」を助けて、あのアメリカ兵たちと交渉させるべきだろう!

アメリカ兵と対等に話せるのは、士官しかできないので、そのためにも、あのバカ士官は、生かしておかないとダメなんだ。

だから、お前たちは、この金でパンでも買って生き延びろ!

と、札束を渡してくれたのさ。

「どうして、あなたはこのお金を持っているんですか?こんなにたくさんお金を持っているなら、もっと早くに出してくれれば、ひもじい思いをしなくてよかったのに・・・」と言うと・・・。

おい!お前たちは、本当に日本軍人か!!!

俺たち軍人は、一日や二日、飯を食えなくても、必死に銃で敵を殺して戦ってきたはずだろう!

いちばん、食い物が無い時は、一週間、水だけで生き延びた仲間だろう!

何を甘いことを言っているんだ!

俺たち軍人は、これから実家に帰って、自分で仕事を見つけて生き延びないと、ロクな生活はできないぞ!

見てみろ!あの船の奴らは、ほとんど飯を食えなかったせいで、体が腐ってきてるだろう!(エソの状態)

お前たちは、まだ「五体満足」なんだから、水だけでも1週間は生き延びれるはずだ!

俺たちが帰る「北海道行きの船」がいつくるのか、全くわからんからこそ、この金は最後の最後にとっておいた金なんだ!

だから、今はもう限界で来ているので、お前たちはパンを買って食え!

俺はまだ大丈夫だ!もう、二、三日は、持つと思う!

さあ、この金を使ってパンを食え!

と言ってお金をくれたのさ。

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すいません、じいちゃん!

その時の「お金」は、どうして、そんなにたくさん持っていたんですか?

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その金か?その金は、全て、死んでいった奴らの「恩給」さ!

俺たちが行った戦地は、いつ、「全滅するかわからん場所」だったので、1ヶ月単位で配給される「恩給」を上官が「日割り計算」して、毎日、生き残った奴に配っていたのさ。

でもな、もし、その金を懐に入れたまま戦地で死んだら、誰もその金を手にできないだろう!

だから、兵舎のみんなで話し合って、自分がもらった毎日の「恩給」はベットの下に入れて、生き残った奴が使って良いことに決めたのさ。

毎日、毎日、たくさんの兵隊が死ぬので、俺はこのやり方を全部の兵舎に伝えて、上官とも交渉して「日割り」で渡してくれと頼んだのさ。

でもな、中には、「死んだ奴の恩給を自分の懐に入れたい上官」がいたので、そのままにしていたが、その上官が敵に撃たれて死んだ時、兵舎の仲間たちが「上官の懐の金」を奪い合って、殺し合いが始まったのさ。

だから、俺は次に来た「上官」に提案して、全ての兵舎で、「日割り」で生き残った人数分の「恩給」を、分けてもらえるようにお願いしたのさ。

上官の上官たちも同じだったみたいで、「俺の提案」が日本全国の軍部に伝令されて、上官も下級軍人も、毎日、「日割りで恩給」をもらえるようになったのさ。

そしてな、毎日もらった「恩給」をベットに隠す時に、実家の父母の名前と住所と電話番号を書いておくことに決めたさ。

その理由はな、「一番仲が良かった奴」が半分だけ実家に持っていくことを、俺が提案したからなのさ。

そのおかげで、姉や妹を売り飛ばさなくて良い家もあるし、病気の父母の薬代にもなるだろう!?

だから、半分だけは家族にあげて、残りの半分を仲間たちと分け合うことになったのさ。

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それまでそんな「制度」は無かったのに、急になぜか、「日割り」で恩給が与えられるのかを上官に聞いた時、「北海道の岩渕って奴が提案した」と教えてくれたのさ。

そしたら、この「岩渕さん」が、終戦の2ヶ月間に足に弾が当たって足を切ったので、戦地のみんなのお金を預かっていると、俺の上官が話してくれたのさ。

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俺は、「死んだ奴らとの約束」なので、個人個人の恩給の金額と、家族の連絡先のメモを持っているので、これから「全員の実家」に行って、「半分の恩給」を持っていく。

その残り半分の「恩給」を今、お前たちに渡したので、もう俺の金は一切、ない。

でも、まず、「五体満足」なお前たちが生き残ったんだから、その金を持って実家で、農家でも商売でもして、生き延びろ!

と言われたんだ。

だから、岩渕さんのおかげで、上官も殺さずに済んだし、俺たちも実家に戻って家族に会えて、農家や商人ができたんだが、岩渕さんは、そのあと、どうされたんですか?

俺か?

金は全てお前たちに渡したので、電車にもバスにも乗れないから「函館から芦別市まで歩いて」帰ったのさ。(約350km)

古い木の「松葉杖」をつきながら、雨の日もあったので、ずいぶん、時間を食ったなあ・・・。

途中で「松葉杖」も折れたので、自分で木の枝を折って、松葉杖の代わりにして歩いたぞ!

3回くらいは、松葉杖の両方が、折れたかな・・・。

でもな、道を歩いていると、農家が落とした米粒とか、野菜の端っキレが落ちているので、それを食って生き延びたさ。

途中で、「仲間の兵隊の実家」に寄りながらだから、行っては戻り、行っては戻りしてたら、ずいぶん、時間がかかってしまったがなあ・・・。

たまに、子供が「握り飯」持ってきてくれたが、それは食えなかったなあ・・・。

だって、その握り飯を持ってきてくれた子供の腹が、ぐーぐー鳴っているので、きっと優しいお母さんが持っていけと言ってくれたんだから、その場で「握り飯」を子供に食わせて、俺が食ったことにしておけと言っておいたさ。

あとは、神社やお寺に祀っているカビた団子や乾いた餅をカジって、何とか生き延びたさ。

家に着いた時は、函館に船がついてから2ヶ月も経っていたので、誰もが「俺の幽霊」だと思ったぞ!(^^)

列車で戻れば、数日だし、バスを乗り継いでも1週間以内に着くはずだと、町長が言い出して、結局、俺はもう「死んだこと」になっていたのさ。

そんな人間が急に戻ってきたもんだから、もう、町長も、街のみんなも、家族もビックリよ!

「傷痍軍人」が帰ってきた時は、どこの街でも街をあげてお祝いしてくれるが、あの「バカ町長」は、俺を勝手に殺しやがって、もう一度、「戸籍」を作り直すのは大変だったんだぞ!

だから、あいつは、一生、俺には頭が上がらんのさ。

自分のミスで人を「戦死扱い」にしやがって、俺は一生、あいつを許さんのさ。

だってな、普通の「戦死扱い」になると、家族がもらえる「恩給」は生活できないくらい安いので、そんな金額で俺の家族や兄弟が暮らせるわけがないだろう!

俺は片足なので、普通の仕事はできないし、医療費や介護する家族もいろんな意味で金がかかるわけよ。

子供二人に婆さんもいるし、俺の兄弟たちも元気で戻ってきて、農家を一緒にやるのを楽しみにしていたのに、俺は、この足1本しか無いので、「普通の軍人が死んだ」と報告されると、家族は暮らしていけなかったのさ。

父親も体が弱かったし、兄貴も農家をする体では無かったので、俺しか農家ができる体じゃなかったのさ。

だから、俺の「死亡届」を一旦、訂正するまでに数ヶ月、そして、新しい戸籍を作るのに、また数ヶ月かかったので、その間は、町長が生活費を出してくれたのさ。

当然だろ!アイツは、国から出た俺の「傷痍軍人のお祝い金」を全部一人で酒と女で使ってしまっていたからな。

だから今は、こうして、障害者年金と遺族年金と、「傷痍軍人の年金」があるが、もし、あのまま放置していたら、俺たち家族は死んでいたかもしれん。

だから、俺は自分がしたことには一切、悔いはないのに、コイツらが、勝手に、毎年、俺に逢いに来やがるのさ。

もういいぞ!、お礼に来るのは!

今年を最後にしろ!

お前たちにも、家族がいるんだろ!

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はい、私たちにも、当然、家族はいます!

でもそれは、俺たちが仕事をして稼いだお金で、家族を守っています。

でも岩渕さんは、その「1歩足」で農業をされていると聞いて、驚きました。

そのことを「あなたに命を救われた上官」に伝えたのですが、彼は、「恥ずかしくてあなたに会いに来れない」と言って、こうして渡してくれと、「少しだけお金」を持ってくるんです。

自分が一生、子供たちに話せないような「恥ずかしい生き方」をしたので、あなたには足を向けて寝れないと言っています。

だから、これは「上官命令」のお金なので、また、来年も来させて下さい!お願いします!

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お前たちが「上官の金」だと言って持ってくる封筒の中身をあとで見て、驚いたさ。

毎年、毎年、持ってくる金額が増えているし、封筒の数も増えているので、おかしいと思って、こうしてホラ、お前たちが持ってきた金は、全てここに溜めてある。

俺はこの金は、「自分の為には使えない」ので、いつか、生き延びた傷痍軍人として、「世の中の恩返し」の為に使おうと思っている。

この前、町長がやってきて、大きな川の氾濫で木の橋が壊れた場所があるが、金が足りないと相談に来たので、この金を使おうと思っているが、お前たち、使っていいと思うか?

どうぞ、どうぞ、そういうお金の使い方をしてくれたら、「亡くなった奴らの思い」も成就すると思います。

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ちょっと、待て!

お前らは、この金は「上官からの金」だと言っていたが、違うのか?

いえ、あの「バカ上官」も少しは金を出していますが、あなたに言われて、金を無駄使いせずに、実家に戻って仕事をして稼いだ奴らと、実家に戻ったのに、体調を崩して「死んだ奴らの恩給」をご家族の許可を得て、1年間だけ、生きていることにして、国からもらったお金を貯めて持って来ています。

これは、俺たち全員が、「あなたに命を救われた金」なので、どうか、余計な気を使わず、この金を好きに使って下さい!

お願いします!!!

死んだ奴らのご家族も、みんな、函館で分けてもらった金がなければ死んでしまうくらい貧乏だったので、あなたのおかげで「命がつながったお礼」だと言って、快くこのお金を出してくれました。

だから、何も遠慮せずに、このお金はもらって下さい!

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ワシは、そういうのは、好かん!

気分が悪い!

この金を持って、すぐに帰れ!

二度と、ここには来るな!

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もう、大変でした。

爺ちゃんの性格はよく知っているので、「一度、口にした言葉は何があっても変えない人」なのを知っているからです。

軍人の3名のオジサンたちは、土下座して顔を上げないし、爺ちゃんは、足と杖で三人を蹴飛ばすし、どうやってもこの場は治らないと思ったので、私がそっと「提案」させてもらいました。

じいちゃん、一番、最初の「恩給」は、ご家族と軍人さんと「半分半分」だったでしょ!

だったら、このお金も、爺ちゃんが半分もらって、残りは、遺族たちに「半分お返し」したら喜ぶと思うんですが、どうですか?この提案!

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うまい!!その提案、乗った!!

それなら、お前たちも問題ないだろう!

遺族に持って行くのは大変だけど、その汽車賃だけは取っておけよ!

俺はもう一般の軍人ではなく「傷痍軍人」なので、退役した時より「二階級特進」で、お前たちの上官になる。

だから、今の金の分け方で今日は納めるので、今後は、一切、金を持ってここには来ないと誓え!

これは、「上官命令」である!!

逆らうことは、絶対に許さんからな!!!

三人の軍人さんは、みんな震えて、土下座し直して、「ありがたい、ありがたい」と泣いていました。

また、俺たちみたいな馬鹿者に、ひとつ、「良い人間」になるための「役目」を与えて下さり、感謝いたします!ありがとうございます!!!

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今日がお前たちに会える「最後の日」になるので、珍しく俺も「酒」を飲もうかな?

おい!酒を用意しろ!婆さん、酒だ!酒を持って来い!!

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(祖母)あなた、珍しいわねえ・・・。

戦争から帰って来た時、毎日が辛い苦しいと、大酒を飲んでいたのに、ある日を境にピッタリ、お酒もタバコもやめたので、私もビックリしたのさ。

そのピッタリ、やめた酒をまた飲むのかい?

程々にしておきなよ、はい、お酒です!どうぞ!

 

そんな恥ずかしことを部下の前で言うなよ!なあ、婆さん!

でもやっぱり、酒は美味しいなあ!

マナブも飲むか?

はい、こんなに「めでたいお酒」でしたら、ぜひ、いただきたいです!

少しだけ、おチョコにお酒を入れて下さい!

私は「軍人」ではないですが、皆さんの話を聞いていると、自分も戦地で戦っているのと同じ気持ちになれたので、とっても嬉しいです!

みなさん、本当に、この日本を守るために戦って、生き残って下さり、ありがとうございます!!

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あとで聞いた話ですが、戦争が終わって家に帰っては来たけど、「農家をできる体」ではないのに無理して農家の仕事をしていると、切った足がズキズキ傷んで、その傷の痛みをごまかすために大酒を飲んでいたと、祖父がそっと、教えてくれました。

なぜそんなに切った傷口が痛いのかを病院の医者に見せてみると、「戦地で足をノコギリで切ったボロボロの切り口」に病原菌が広がっていたので、病院で手術してもらい、麻酔で誤魔化しながら農家を続けていたことを教えてくれました。

あまりにも祖父の強い精神力と、人間の上下に関わらず、「平等に人を助ける心」を祖父からたくさん学ばせてもらいました。

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北海道北部方面本部付 陸軍第三中隊、岩渕安治さん、本当に、ありがとうございます祖父を支えてくれた「岩渕とく」ばあちゃんも、ありがとうございます。

●昭和58年2月2日 数え74歳 岩渕とく没

●昭和62年10月6日 数え84歳 岩渕安治没

 

 

 

コメント

  1. 藤木秀行(ふじきしゅうこう) より:

    戦地で戦った軍人というのは立派なものだと思っていたので、今回のお話で、戦地で戦った軍人の愚かさを知ってしまい、私は少しへこんでしまいました。

  2. 軍人も「人間」ですし、さらに、毎日、生き死にの中で生きた人たちの想いに、心を負わせて読んで下さい。
    不完全な人間が、究極におき込まれて人たちの心を感じて欲しくて書いているので、
    理想を思うのではなく、登場人物が自分だと思って読んで下さい。

    そういう心が自分の心も育てます。

  3. 藤木秀行(ふじきしゅうこう) より:

    …愚かなのは私の方だったかもしれません

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