日本が実際に戦争になった時に、敵兵が拳銃であなたの家に攻め入ったらどうしますか?

「日本が戦争」になった場合、多分、普通の人なら家に拳銃を持っている人はいないと思うので、妻や娘が強姦されてもただ見ているしかできないし、最後は撃ち殺されて終わりです。
「日本で拳銃を撃つ訓練」をしているのは「警察と自衛隊」ですが、「警察の拳銃の指導要領は、「一発目は空に向けて打つ威嚇射撃、2発目も同じで、その間に相手が拳銃で撃って仲間の警察官が撃たれたら場合のみ打ち返して良い」という指導なので、多分、数名仲間の警察官が撃たれてからしか打ち返せないし、そんな状況では三発目を撃つ前に全員死んでしまいます。
では、「自衛隊」が警察の代わりに拳銃で敵を撃って民間人を守ってくれるでしょうか?
答えは、撃てません。
日本にそういう法律があるのは、ご存知ですよね?
共産党が「憲法9条の修正法案に反対」している限り、自衛隊でも敵を反撃して撃つ許可はないのです。
じゃあ、誰が拳銃で敵を撃ち返せますか?
日本で拳銃を持っていて、人を殺したことがある人間は、誰でしょう?
そう、「ヤクザ屋さん」です。
そして、日本中のヤクザをまとめているのは、「神戸山口組」です。
一般の皆さんは知らないと思いますが、「大東亜戦争」が終わった1945年8月15日のあとの日本は食べ物がない時代だったので「食べ物の奪い合いで強姦と殺人が増えた」ので、警察官が取り締まろうとしても喧嘩慣れしてる奴らにボコボコにされた時代だからこそ、「警察庁長官が神戸山口組の田岡一雄組長に依頼書」を出して、「関東の焼け野原」や「関西の闇市」や全国で市民の安全のために暴力で仕切ることをお願いしたので、「警察とヤクザは同じ役目をして日本国民を守った」ことを覚えておいて下さい。
(警察庁長官に依頼書を見せてもらい確認済)
大阪の闇市で、神戸山口組三代目田岡一雄組長と中内功と松下幸之助は出会った!
1945年の終戦後、、ダイエーの中内功さん(当時23歳)も「闇市」で子供ながらに人参や大根やほうれん草の切れ端を拾って「スープ」にして売って生活していたそうです。
そこに「神戸山口組の三代目組長の田岡一雄組長」がやってきて「飯は食ったか?」と聞かれて拾われたので山口組のヤクザになったそうです。
3日後に、「大阪の闇市」でパナソニックの松下幸之助さん(当時51歳)は、道に落ちている鉄屑を拾って電柱の切れた電線でハンダゴテを使って「子供のおもちゃ」を作って売っていたガリガリだった松下幸之助さんにも飯を食わせて、「山口組の組員」になりましたが、二人とも喧嘩が弱かったのですぐにクビになり、ヤクザの「親子盃」を返してから一旦、「カタギ(素人)に戻したあと、「兄弟盃」を交わして、「渡世とカタギの橋渡し役」を二人とも頂いたので、商売上では価格問題でライバルでしたが仲はとても良かったお二人です。
よくお二人に誘われて3人でお酒を飲みに行きましたが、「酒は弱いが女に強い松下幸之助さん」と、「酒は強いが女に弱い中内功さん」のどっちが好きか嫌いかを聞かれたほど、私を大事にしてくれたお二人でした。
日本の政治家や経済人を育てるための「財団法人 松下政経塾」を松下幸之助社長から直に引き継いだ「上甲晃さん」にもお会いして確認しましたが、松下幸之助社長と中内功社長が販売売価で揉めて「取引中止」になっていた時期に、「ダイエーの電機売り場に他社を経由して商品を流したは俺だ」と教えてくれたので、「二人とも神戸山口組の組員だった話」を教えてあげましたが初耳で驚いていました。
上甲晃さんは現在、「志ネットワーク」で政治家の支援活動をしています。