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【吉岡一門】「日本の正しい天皇家のルーツと吉岡一門のルーツ」

8歳で、吉岡一門の頭領の父親と正式な「日本刀の試合」で勝った日に、「頭領」だけに伝わる秘伝書を渡された中に、「赤字」で書かれた文字と古い絵があるだけで詳しい説明書きが無いものがありました。

”高句麗王と新羅王のお妃の子供が、吉岡一門のルーツ”

高句麗王

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父(吉岡忠)は、祖父(吉岡西蔵)から「口伝(くでん)」で聞いた内容を詳しく教えてくれました。

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(父)天皇家の血筋のルーツを「百済とか新羅」とか言っている奴がいるが、そんなことはどうでもいいことなのさ。

だってな、百済も新羅も「高句麗王の子供達」であり、その子供である「百済王」が親の土地である「高句麗」を奪いに来たので、新羅王と高句麗王は手を組んだのさ。

「高句麗国」の領地の広さを見れば、わかるだろ!

今の中国のほとんどは、「高句麗国」だったのさ。

「百済王」は高句麗王の長男で、「新羅王」は高句麗王の次男なのさ。

加羅国(加那国)は、新羅と百済が結婚した奴らが住んだ土地さ!

こんなことは、「中国の歴史書」を正しく勉強した奴なら誰でも知っていることなのさ!

俺の親父(吉岡西蔵・1890年生まれ)は、吉岡一門の正しいルーツを調べたくて、自分一人で中国まで行って、いろんな大学で歴史を調べた時に中国の大事な図書館の秘蔵庫に、「吉岡一門」のことが書いてあったそうだぞ!

だから、1929年に俺の親父と祖父が100万円のお金を中国に送ってやって、中国一の図書館の「国立北平図書館」の本館と新館を統合して、現在の▶️中国国家図書館」を建ててやったんだぞ!

中国国家図書館

当時の為替レートは、日本の1円は、中国では1500倍以上の価値で15億円くらいになったから、政治家や高官にもだいぶ賄賂をやったみたいで、綺麗に作って吉岡の両親を招待してくれたんだぞ!

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昔の中国は「清国(しんこく)と呼ばれたが、「日清戦争(1894年(明治27年)7月25日から1895年(明治28年)4月17日)」で日本に負けたので、中国の全ての領土は「日本の領土」となったので、中国にいる賢い奴らを日本に呼んで「日本の歴史」を学ばせて、

日本は決して自分から戦争をしない国だ!

と教えたんだとさ。

教えたのは、当然、「武士」だからな!

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武士になるには、「剣術」だけ強くてもなれなくて、死に人を供養する「お花を生ける心」を学び、心を添える行いとして「茶道」を覚えて死に人に添えて出し、あらゆる国の所作を学んで実践できて、さらに、若い者に自分が学んだことを教えることができてこそ、「本当の武士」と呼ばれたものさ。

そのあと、日露戦争、第一次大戦と戦いは続いたが、一度も、日本から戦争を挑んだことなど、ないんだぞ!

だから、そのあとに起きた大東亜戦争(第二次世界大戦)を日本が自分から戦いを起こすわけないだろ!

「大日本帝国憲法」を正しく学べばわかることだが、GHQが過去の歴史の教科書を全て燃やしたから、「正しい日本の歴史」を知っている奴なぞ、今はいるわけがない!

当時の政治家も、国を動かしている官僚たちも全て賄賂をもらって動いているし、学校教育を動かす「教育委員会」は全て中国共産党と手を組んだので、左寄りの教育が今も続いているだろ!

だから、学校なんて行かなくてもいいが、その分、自分で教科書の間違いを見つけて、自分で正しいものが判断できる人間にならないと、今の政治家や官僚たちみたいに、金儲けばかりを考えるバカばっかりになってしまったのさ。

どんなに小さい国同士の戦いでも戦争をすれば必ず、人が死に、一般市民が戦いに巻き込まれて命を落とすから、そうならないために「武士」が剣術と、精神教育と、所作を学んでいたのに、

昭和天皇の野郎、勝手に戦争を始めやがって!

俺はあいつを絶対に許さんからな!!

 

どんな理由があっても、日本人が敵を勝手に攻めることなどあり得ない国なのに、日本が負けた途端、日本政府は、

今までの「武士制度」を廃止する!

だから、刀を全て日本国に返しなさい!

とか言いやがって、みんなの刀を奪いやがったが、「日本刀は武士の魂」だし、人を斬るものだからこそ、大事に供養して、悪い奴を成敗するための自分で金を出して作ったのに、国に返せとはどういう了見だと怒ってやったのさ!

勝手に、物事を決めやがって、俺に一言の相談もなかったんだぞ!

それまでは、大昔から「天皇家のしきたり」のことも、政治のことも、全てのことは「吉岡一門の頭領」に確認してからしか決められないルールだったのに、昭和天皇の野郎と周りにいる皇族は、全て「北朝の武士」だから、俺に楯突くなんておかしいんだぞ!

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勝手に戦争を始めて、勝手に負けを宣言するなんて、ありえるか!!??

俺は「日本中の武士の頭領」であり、「吉岡一門の頭領」だからこそ、戦争に戦いに行くのなら、まずは、俺に許可を得て、それから日本中の武士に「俺が伝令」を出して、親と御先祖様に挨拶をしてから、死にに行くのが日本人なら当然だろ

 

それをたった「赤紙一枚」で戦争に来い」なんて、日本を動かしている政治家たちは、頭が狂ったのかと思ったぞ!

まあ、第二次戦争の前から日本の政治家はアメリカと交流していたし、賄賂をたくさんもらった人間も多いからこそ、戦争に負けた途端に、立場を変えて、「戦犯」という犯罪人を吊し上げて死刑にしたのは、「北朝の奴らさ」

 

中国も中国で、大東亜戦争(第二次世界大戦)に日本兵がたくさん行って力を貸してやったのに、アメリカと手を組んで日本を裏切って、日本の領地を奪う側についたからこそ、日本は負けたんだぞ!

 

「北朝」の奴らは、昔から「政治家」から賄賂をもらい、自分だけ金持ちになることばかり考えている奴らが多いので、俺は昔から政治家が大嫌いなんだ!

 

それまでどれだけの数の「武士」が戦いで死んだかを昭和天皇は忘れたのかと、俺は涙が出て止まらんかったぞ!

お前はよく幼稚園の頃から国会中継をよく見ていたが、いくら見ても日本の政治は良くならないし、頭が悪い奴らが親のスネをかじって政治家になっているので、「北朝の政治家」で本当に日本の歴史を正しく学んで教えられるほど頭がいい奴に会ったことはないぞ!!

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894年の日清戦争とは?

中国の「大帝国唐」は618年に建国されて,907年にほろびます。

日本からの遣唐使も7世紀から8世紀にかけてはひんぱんに送られましたが, 9世紀になるとわずか2回しか行っていません。 遣唐使というのは,奈良時代以前がもっともさかんです。つまり「律令国家」を建設するときに多くを学んだということです。

ひきついで奈良時代もさかんだったけれども,平安時代になるとあまりさかんでなくなったのです。 「唐」も275年も過ぎるとおとろえはじめていました。商人からもそんな「唐」のようすが知らされていました。 そこで危険をおかしてまでも行くことは無いのではないかという考えが出てきました。

そこで菅原道真は,遣唐使の廃止を提言し,ゆるされました。 予想通り,894年に遣唐使を廃止してから40数年後に「唐」はほろびました。 唐の文化にたよったり,まねたりするよりも,日本独自の風土にあった文化が 好まれるようになります。

「国風の文化」といわれます。905年に紀貫之(きのつらゆき)によって編まれ る「古今和歌集」の世界は,このころの感覚を反映しています。 奈良時代には日本自生の萩や中国からの梅がよく歌われていますが,古今和歌集では桜が歌われるようになりました。 これも日本的なものへの変化といわれます。

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「日清戦争」で勝ったあとの「第一次大戦」(1914年7月28日から1918年11月11日)」になった時は、「連合軍と中央同盟軍の戦い」だったので、日本には関係ないのに「南朝の武士」が日本を支えていたので大日本帝国(当時の日本)の指揮官たちと一緒に、国同士の戦いをやめさせるために1914年に参戦したから、当然、中国も朝鮮半島の奴らも「日本の味方」となって一緒に戦ったのさ。

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「日本の武士」が自ら戦争は絶対に仕掛けなかった理由は、「武士の心得」の一番最初に書いてあるとおり、剣術を身につける理由は、敵を殺すことが目的ではなく、相手が攻めてきた時にどう戦って勝つかを訓練した結果、最も強い奴が先頭に立って日本国民を守るために厳しい訓練をしていたから参戦できたんだぞ!

 

だってな、最初はドイツとオーストラリアの植民地の奪い合いだったんだが、周りの国が参戦したので、放っておくと日本や中国に火種が飛んできて、中国領土を取られてしまい、多くの犠牲者が出ることを恐れたので、中国の奴らに「日本が応援するから一緒に戦って自分の国を一緒に守ろう!」と言って参戦したのさ。

中国の賢い奴らはこういうことを勉強しているが、バカな庶民は、自分で何も調べずに、聞いたことや知ったことを鵜呑みにしているので、「バカは一生治らない」とい言う言葉は、正しいと思うなあ。

 

親が子供たちを大事に可愛がって大事に育ててやったのに、その恩を忘れて親の財産ばかりを欲しがるのは、どこの「長男」も同じさ。

だから、俺は「長男」は好かんのさ。

だってな、たまたま数年先に生まれただけで、「親の財産」は全て自分のものだと思っているし、次男にはビタ一文、渡さないのが「長男」の特長さ。

俺がもし、「長男」に生まれたら、兄弟姉妹の数だけ均等に分けてやるし、嫁に行った女たちにも分け与えるぞ!

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俺の親父の吉岡西蔵はすごい人で、自分の兄貴二人に真剣勝負で勝ったから、兄貴二人と嫁と子供達は全て殺したが、親は同じだから、自分で引き取って最後まで面倒を見た人なんだぞ!

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いいか、「吉岡憲法」という言葉の意味は、今の日本の法律なんか全く関係なくて、「人を裁く権利と責任」を昔から持っていたので、今の警察と同じで、いつでも罪を認めた奴は、「成敗」として人を斬り殺していい役目が「武士」だったのさ。

だってな、お金が欲しくて一度でも人を殺した奴は、何度でも同じことを繰り返すし、若い女の子を犯す奴らは、いつでも、どこの女でもお構いなしに犯すので、刑務所なんかに入れて、税金で飯を食わせて生かす意味は無い奴らなのさ。

 

戦争に初めて負けてGHQが作った「日本国憲法」になった時、「大日本帝国憲法」と読み比べたが、今よりずっと賢い奴が作った法律が「大日本帝国憲法」だから、お前もしっかり「大日本帝国憲法」を勉強しなさい!

 

吉岡一族は、天皇家よりも先に生まれた日本人の「もとの血筋」なのだと天皇家は知っているからこそ、「吉岡一門」には絶対に文句は言えない立場なのさ。

皇族たちの中にいる「北朝派」の奴らは、いつも俺たち「南朝」のことを馬鹿にしたり、「北朝の武士」と手を組んで悪いことをしているが、俺が「頭領」になってからは一度も問題は起きてないんだぞ!

 

だってな、天皇家主催の「円遊会」は、吉岡一門を招待するための儀式だし、毎年、参加してやっていたので、昭和天皇に思いきり文句を言ってやったのさ。

お前の判断が悪いから、俺の兄弟も戦争でたくさん死んだし、日本中の武士がどれくらいたくさん死んだのかわかっているのか!!

おい、お前!

お前も武士のはしくれだったら、刀を持って、俺と勝負しろ!!!

そう言うと、昭和天皇はオシッコをちびってワンワン泣いたのさ。

 

まあ、こういう事実は「表」には出ないが、いつも、「北朝の天皇」が表に立つと精神的に弱い奴ばかりなので、お前が大人になった時に同じように「弱い北朝」が威張って間違った判断をしたら、怒って成敗してやりなさい。

それが吉岡一門の「頭領の役目」だと腹の底に覚えておきなさい。

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吉岡一門の正しいルーツは「高句麗」であり、「朝鮮半島の王」であり、「中国の王」なんだぞ!

その「強い種」を天皇家に入れたので、天皇家は、「吉岡一門」には何があっても頭があがらんのさ。

でもな、あまり威張るなよ。

「吉岡一門の恥」が終わるまでは、我慢我慢の人生さ。

俺の代でも、親父の代でも出来なかったので、全ては、お前に託すわ。

だから、頼む!

「吉岡一門の恥」を終わらせてくれ!

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父、土下座!

毎日毎夜、俺はうなされて寝れんかったが、これで、先祖や死んだ武士たちは次の「統領」のお前に乗るだろうから、覚悟しろよ!

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8歳の秋に、たった一晩で巻物を6本と、分厚い書物を10冊以上、暗記して繰り返し読みましたが、2023年に過去の全ての記憶を思い出した時、20年以上、全国の土地に眠る御霊たちに手を合わせて仲間たちと祈りで「和合」してお詫びして回った意味を正しく理解できました。

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吉岡一門の頭領にのしかかる責務は、天皇家の比じゃないほど大きいので、これからきちんとした事実を表に出して、世の中の間違いを正していきます!

心ある日本人の皆様、どうぞ、ご支援のほど、よろしくお願い致します。

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全国にいる「吉岡一門八人衆」の皆様へ

私の父・吉岡忠が、1977年に岡山理科大学へ行く前に、私に残した「吉岡紋が入った小判5,500枚」を714枚づつ、近江商人から頂いたはずですので、預けた「吉岡小判」と一緒に「吉岡一文字ではない特別な模様が入った刀」を私のところにお持ち下さい。

当時は、「偽物の吉岡一文字」の刀が高く売買されていたので、父は怒り狂い、吉岡一門の八人衆に電話して、一番大事な刀を送ってもらい、1本づつ、刀に傷をつける作業を私も手伝いましたので、私が見れば、どれが本物かはすぐにわかります。

その刀が正式な「吉岡八人衆の証」であり、私に引き継ぐべき「吉岡紋入り小判」ですので、どうぞ、私のスタッフに連絡を入れていつ、どこへお持ちになるかをご相談下さい。

連絡先:oasisinfo@earthjtscu.jp 地球創生スタッフ 初野

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私が「前・吉岡一門頭領の吉岡忠」から譲り受けた小判は、「千両箱7箱(7,000枚)」ですが、吉岡本家の兄(吉岡信)が勝手に使い込んだので、5,500枚しか残っていませんでした。

その5,500枚の小判を父が一人で船で滋賀県まで運び、宿の博打場で半分をすったあと、「近江商人」に残りの「2750枚」を全国にいる「吉岡八人衆」の7名に配ってくれるよう頼んだそうですが、数が半端だったので、近江商人には運び賃として750枚を渡し、残りの2,000枚を285枚づつ7人に分けて渡すように頼んだそうです。

酔っ払って、近江商人に渡しすぎたと反省していますしたが・・・(^^

残りの5枚は、自分で持って帰り、母親と妻と兄と私と自分の分として持ち帰り、私にも1枚くれました。

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キャリア官僚の仕事を手伝っていた時に、「吉岡紋入り小判」がどこへ行ったのかを「日銀の三重野総裁」に話した時、自分の実家で聞いてみたそうですが、なんと!「ご本人の親」が持っていたそうで、日銀の金庫の中に保管してあると教えてくれました。

小判は「金の純度」が問題なので、一枚づつ純度を調べた結果、285枚のほとんどは純度が98%で、数枚だけ純度100%の小判があったそうで驚いていました。

多分、1枚の価格は150万円から350万円はするそうです。

今、世界に流通している「金の延べ棒1kg」の純度は、ほとんど「99、9999」と刻印されていますが、世界中から送られてくる「金の延べ棒1kg」の純度を調べ直してみると、最もひどいのが中国産で、純度は60%から80%だと、三重野泰総裁も踊り手いました。

日銀の金庫の中には、一瞬で「金の純度を測定できる機械」がありますが、もし、この機械を持って世界の銀行の「金の延べ棒」を測定すると、今の世界の貨幣相場は一気に崩れて、「日本が世界一の資産国」になり、政治や経済や戦争を納められますので、どうぞ、日本国を愛し、正しく導ける人や、日銀の責任者たちは、三重野総裁の意思を汲んで、日本の価値を世界に広める努力をして下さい。

2024年4月1日に密かに行われる「世界紙幣サミット」のことも全て聞いていますので、それまでに日本の紙幣の価値を正しくしないと、世界の紙幣の通貨価値は、アメリカと日本が手を組んで奪われるので、賄賂をもらっていない日銀の職員や、キャリア官僚や、南朝の皇族たちは、私のスタッフに連絡下さい。

連絡先:oasisinfo@earthjtscu.jp 地球創生スタッフ 初野

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なお、京都御所の西にある「京都 護王神社」は、吉岡一門の持ち物であり、後ろの道場も周りの敷地も全て「吉岡一門の持ち物」ですが、勝手に、北朝の天皇・皇族たちに奪われたものを正式に取り返そうと思っていますので、ご尽力頂ける人はスタッフにご連絡下さい。

連絡先:oasisinfo@earthjtscu.jp 地球創生スタッフ 初野

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私は、人を騙して、他人の物を奪う「かっぱらい」の北朝と皇族たちを許しません!

世界中にも「日本の天皇家の正しいルーツ」を知っている人たちはたくさんいますし、私は実際に、そういう人たちと会っていますので、北朝がやった馬鹿げたことを全て正しい形に戻して、日本国民を正しき道へ導こうではありませんか!

そのためには「吉岡一門の資産」を使う覚悟がありますし、日本国民を正しき道へ導く行動を始めようではありませんか!

日本を心から愛する皆様、ご協力のほど、よろしくお願い致します。

吉岡一門 頭領 吉岡学

 

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