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  4. 「歌手のエンヤ」と私は同じ「ケルト民族」の従兄妹でした。

「歌手のエンヤ」と私は同じ「ケルト民族」の従兄妹でした。

1996年から「世界の支配者マーゴ」と一緒にプライベートジェット機に乗って世界中を飛び回っていたのでいろんな話をしましたが、ある時、こんな質問をされました。

 

マーゴ)ねえ、吉岡学さん、私の「イギリスの孫のお父さん」だから聞きたいんだけど、あなたは絶対に「純粋な日本じゃない」と思うけど、どうなの?本当は?

だってね、私が買ってあげようとした「アメリカの高級ブランドスーツ」もサイズが合わなかったので、「私の商品のイギリスのベッカム」に会わせたあと、彼があなたを気に入って家に泊めてくれた時にも、お礼であなたに渡そうとしたスーツやスポーツウエアも「全てサイズが合わない」と言って返したそうよね?とても残念がっていたわよ!

イギリスのベッカム夫妻

 

だから、フランスとドイツと、ベルギーとルクセンブルグと、スイスとモナコとロシアの、いろんな有名ブランドのスーツの「吊るし」を買ってあげようとしてもサイズが合わなかったから、私の友人の「イタリアのジョルジョ・アルマーニのお店」に行ってスーツや靴を身につけた時にピッタリサイズが合うのはおかしいと思っていたの。

ジョルジョオ・アルマーニもあなたを気に入って1000万円以上する洋服と靴をたくさんいただいたでしょ?

どう、身体に合う「イタリアの洋服と靴」は、毎日、着てると疲れないでしょ?

イタリアのジョルジョオ・アルマーニ

 

吉岡)すいません、ジョルジョオ・アルマーニさんに頂いた全ての洋服や靴は、妻が誰か他の女から貰ったと思ったらしく2LDKのアパートに入る洋服ダンスもないという理由で袋ごと全部出されたので1枚も残っていません。

確かに、ジョルジョオ・アルマーニさんに貰ったスーツや靴は体のサイズにぴったり合ったし、私の足の形は「外国の靴」しか合わないみたいで、子供の頃から無理やり安い靴を買って履いたせいで、足のあちこちに豆ができて痛いのを我慢して履き続けていました。

 

マーゴ)そうなの、それは残念ね。

ジョルジョオ・アルマーニは、とてもケチで滅多に自分の作品をプレゼントしない人なのに、よくもあんな大きな80リットルの袋いっぱいにスーツと靴を詰め込んだのはとても珍しいことなのよ!

まあ、彼は「ホモ」だから当然、プレゼントしたお礼を期待していると思うけど、どうするの?お返しは?

 

吉岡)いくらお金を積まれても男に興味は全くないので、100億円でも1兆円積まれても男に抱かれる気はありません。そう伝えておいて下さい。

 

それとねマーゴ、実はね、子供の頃からよく「あなたは外人とのハーフしょ?」と聞かれることが多いので、母に「自白剤」を飲ませて質問したことがあるんですよ。

中学生の時に「どうして自分だけ体も顔も親兄弟と違うのか?」を聞いた時は母にこう言われましたが、聞いた話は全部嘘でした。

母:父さんが秋から出稼ぎして半年間も家にいない時に、父さんに似た男の人が家にやってきたので、父さんだと思ってエッチしたの。

でも、「すぐに帰る」と言うので後ろ姿を見ていると、白い霧になって消えてしまったのさ。だから、お前は神様と人間のあいのこ(MIX)なのさ。」

 

<母に自白剤を飲ませて答えた内容>

吉岡)中学生のころに母は俺のことを「神様とのあいのこ」と言っていたけど、本当は誰が「俺の父親」なのか教えて下さい。

 

母)あの話ね・・・・、じゃあ、本当のことを言うわ。

お前が生まれるまで「兄貴と4年間」も空いた理由は、なかなか「次の子供」が生まれなかったの。

食べ物が悪いかと心配してくれた吉岡本家のあやばあちゃんがたくさんいろんな野菜やお米を持ってきてくれたし、野花南のじいちゃんも「長男をバックアップする弟は必要」だからとたくさんお金もくれたので、栄養のあるものをたくさん買って食べたけど子供はできなかったの。

父さんは頑張ってくれたけど全然、子供ができないので、父さんのせいにしたりして喧嘩する毎日だったけど、結局、「私の覚悟が足りなかったんだ」とわかったの。

私たちの親の世代は戦争でたくさん男の人が死ぬので「天皇陛下から産めよ増やせよの号令とお金が出た」ので、男が相手にしてもらえない女たちはお金欲しさに、誰でもいいから男を捕まえてエッチして子供を産んだ時代なのさ。

そうじゃないと、日本を守るための男の子が毎日たくさん死ぬので大変な時代だったんだよ

 

吉岡)何の覚悟かと思って聞いていると、「母が他の男と交わってでも男の子を産む覚悟」がなかったという意味なんだね。それはつまり、母は「外人さん」とエッチしたという意味だよね?

 

母)よくわからないけど、父さんが出稼ぎで秋が終わるとすぐにいなくなった時に、一日3本しかない夕方の最終バスでやってきた白人の男の人が、「トイレを貸して下さい」と焦っていたのでトイレを貸すと、「さっきのバスが戻ってくるのはいつですか?」と聞くので、「今日のバスはもう終わりでバスはありません」と教えたのさ。

そしたら、「じゃあ、この近くで旅館はありますか?」と聞かれたけど、こんな芦別市常磐町の田舎に旅館なんて無いわよ」と言うと、「すいませんが、腹が減ったので、飯とお風呂をいただけませんか?」と言うので、お風呂を沸かして晩御飯を一緒に食べたの。

私も父さんがいなくて寂しかったので、お酒も飲みたいと言うので父さんの日本酒を一緒に飲むと、飲みすぎたみたいでそのまま私は寝てしまったのさ。

朝になったら、外人さんはいないし、あそこから「白い液体」が出ていたので、「あれ?やったのか?アイツ?」と思ったけど、それで妊娠したみたいで、お前が翌年の1月10日に生まれたのさ。

こんな田舎で「外人の子供」なんて産んだら大変だと思って、流産するように冷たい水風呂に入ったり、雪の中に裸でじっとしてたりしたけど、あんたは何をしても死ななかったのさ。

半年も過ぎたので諦めていると、父さんが帰ってきて、「俺たちの子供として産むぞ」と言ってくれたので、お前は晴れて「吉岡家の次男」に生まれたってわけさ。

誰も悪気はなかったので誰も責めれないけど、私も時々そのことを思い出して「お前を殺してないことにしたい感情」が出てきて、いろんなことをやったけどあんたは神様に守られているのか、何をしても死なない体なのでもう諦めたんだけど、時々、「自分が苦しんだ感情」が出てきて辛いから、もう私を殺して終わりにして下さい。

私の失敗でできた子供なのに、「自分の子供として育てる」と決めた父さんも辛かったので、お前に二人で厳しく当たってすまんかったね。

だから、お前が私たち夫婦を殺したかったら殺してもいいよ。さ、早くこの包丁で殺して楽にしてちょうだい!!!

 

もう、絶句でした。

赤ちゃんの頃から父と母は何度も私を殺そうとしましたが、出刃包丁は折れるし、日本刀も2本折れたし、大きな石の塊も割れるし、紐で首を絞めて吊るして縛り上げても死なないし、毎日、両親が私を殺せないことに苦しんでいたことはわかった赤ちゃんでした。

 

だから、ペンタゴンで作った「自白剤」を酒に混ぜて父と母と兄に飲ませて、「なぜ、私を殺そうとしたのかを確認」してから、苦しまないように「記憶を消す薬」を飲ませて忘れさせてあげました。

 

一度だけ、吉岡家の本家の婆ちゃんが、ご主人(私の祖父)の写真を見せてくれたんだけど、背は小さいし、顔も丸いし、絶対に、自分の父とは似ても似つかないので、婆ちゃんにも「自白剤」を飲ませて問いただしたことがあります。

 

そしたら、吉岡家の全部の頭領の顔写真と身長と体重を書いた紙を見せてくれて、こう教えてくれました。

 

祖母)私たちの時代はね、第一次世界大戦で親も子供たちもたくさん戦争へ行って死んだので、「天皇陛下から埋めよ増やせよの号令」がかかったので、夫が戦争に行っている間に子供が産める女たちは全員、若い男たちを夜這いしてセックスして子供を産んだものなのさ。

 

私は「吉岡一門の頭領の奥さん」だから、そんな「小作」とエッチなんてできないので、いつもぼんやり一人で家にいたら「白人の男」が玄関に入ってきたのさ。

 

薙刀(なぎなた)を持って構えていると、「トイレを貸して下さい」と言うので「小作用のトイレ」を貸してやったのさ。

 

そしたら、その男が日本式のトイレの使い方がわからずに便槽に落ちたので、小作と一緒にお風呂で全身を洗ってキレイにしてやったのさ。

 

そしたらまあ、オチンチンが大きくて硬くて素晴らしいので、つい、咥えて乗っかってしまったのさ。

 

そしたら、あっという間に「白い液体」を出したので、私のあそこが気持ちよかったんだろうねえ。

 

私の夫の吉岡西蔵さんは「大東亜戦争」に行って戻ってきたけど、身体に銃弾の弾が当たってずっと寝たきりだったから、私はいつも自慰行為しかできなかったのでセックスをしたかったのは事実さ。

でも、白人の男のおかげで「六男」としてお前のお父さんを産めたんだよ。

 

大東亜戦争は、1939年(昭和14年)9月1日から1945年(昭和20年)9月2日約6年にわたって続いたドイツ・イタリア・日本などの「日独伊三国同盟」を中心とする枢軸国陣営と、イギリス・フランス・中華民国・アメリカ・ソビエト連邦などを中心とする「連合国陣営」との間で戦われた戦争でたくさん日本兵も死んだんだよ。

 

大東亜戦争には、「長男の豊歳」と「次男の直蔵」が子供の頃に川で溺れて死んだので、「お前の爺さんの西蔵さん」と「三男の力」と「四男の信」が戦争に行ったけど、生き残って戻ってきたのは「弾に当たった爺さんの西蔵さん」と「四男の信」だけだったのさ。

 

6年間も戦争が続いたせいで吉岡家には子供が生まれていなかったので、「誰でもいいから男の子を産まない」と日本が戦争に負けると思って私も必死だったのさ。

 

「六男のお前の父さん」は戦争に行って死にたかったみたいだけど、やっぱり「頭領の責任」は重いので苦しかったんだろうね。

 

「七男の薫」の時だけ西蔵さんは少し元気になったので、オチンチンを咥えて「子供の種」だけもらって自分であそこに入れて妊娠したのさ。

 

私は吉岡家に来る前は、他の家に嫁に行っていたし「男の子を3人産んだんだ」けど、気性が荒いので離婚された時に、「西蔵さんが男の子を産んでくれるなら嫁にしてやる」と言ったので、吉岡家の嫁になれたのさ、妾としてだけどね。

 

だってね、西蔵さんの前の奥さんは「女ばかり3人」も産んだので離婚されて当然さ!

「男が生まれない女の家の苗字」は、絶対に先祖が吉岡家に対して悪いことをしているから、「吉岡家の先祖たち」が男を生まれないようにしているみたいだよ。

 

そういう女を嫁にもらうと、「お家断絶」で国に財産を没収されるのは仕方がないのさ。

 

婆ちゃんがセックスした相手はどこの国の人なの?

 

あの頃は、今の「北方領土は全部日本」だったので、たくさんロシアの人が北海道に来ていたし、日本人と結婚したロシア人も多かったので、あまり変には思われてなかったけど、この「頭領の身長と体重の数字を書いた写真」を見れば、お前の父さんも怪しむので、今、この囲炉裏で燃やすから、マナブ、祈っておくれ!!

 

今後一切、外人の子供を産んだ女を責めないこと、それでも「頭領としての責務」をきっちり果たしてくれる子供が生まれることを吉岡家の先祖にお願いしてね。

お前が祈ると、本当にすぐに吉岡家のご先祖に繋がるので、奥の「頭領専用の床の間」からも祈っておくれ!

 

 

マーゴ、これが、我が家の血筋なんです、壮絶でしょ!

父と兄は「一重瞼」だし、背の父は168cm、兄は172cmですが、僕だけ身長が180cmなんです。

 

手足も僕だけ異常に長いし、手のひらも足のサイズも「5Eの28.5cm」なので「自分だけ合う靴がない」んです。

兄と違って僕は「目も大きい二重瞼」だし、髪の毛も自分だけ毛質が違うので、家族で自分だけ体が違うのでおかしいと思っていたので、吉岡のご先祖の「頭領のチョンマゲ」と「婆ちゃんの髪の毛」と、「父と兄と母の髪の毛を2本づつ」抜いて、「日本で最高の学者に頼んでDNA検査」もしたし、「アメリカで最高のDNA検査」もしたけど結果を見てはっきり分かったのさ。

 

俺のDNAは、両親が二人とも日本人じゃない確率は100%

母親が、日本人なのは100%

 

俺の父親のDNAは、イタリア人が100%、イタリア人はケルト人と同じDNA

 

私の父親のDNAは、母が日本人が100%

父親の父はロシア人が100%

 

俺の兄貴のDNAは、母が日本人が100%

父親は、ロシアが50%と日本人が50%

と書いてあったのさ。

 

とはっきりデータが出たので、日本の洋服が合わないのは当然なんだよね。

でも父が「小作」になって貧乏だったから、ブランド品なんて買ったことないし、いつも手が短いユニクロか、太めのXLか3Lで我慢して着ているんだよ。

でも、いつも気を使って洋服を探してくれてありがとうね、マーゴ。

 

そんな話をしたあとなのに、マーゴは何も言わず、

「ねえ、吉岡学さんはエンヤって歌手を知ってる?」

と聞くので、「エンヤは世界中でバカ売れだから知らない人はいないと思うよ」と言うと、「これから一緒に会いに行きましょう」と、エンヤの生まれ故郷の「アイルランドのドニゴール県グウィドー」に飛行機で向かいました。北極圏経由だったので札幌から3時間半くらいで到着しました。

雑誌「BRUTUS」は、マーゴの持ち物なので、スタッフから連絡を入れて現地の「アイルランド」に集合してエンヤに会いに行きました。

 

「BRUTUS」の当時の記録雑誌

(日時はマーゴが変更済)

 

最果ての島国に残るケルト文化を訪ねる。アイルランド島〜前編〜

 

最果ての島国に残るケルト文化を訪ねる。アイルランド島〜後編〜

 

 

(エンヤの紹介  1961年生まれ)

作品を気に入った英WEAの会長(マーゴ)がエンヤに、売れることを気にせず本当に良いものを作って欲しい、という話を持ちかけ、エンヤは「WEA」と契約。

1988年に1stアルバム ウォーターマーク(Watermark) を発表する。

シングルとなった“オリノコ・フロウ(Orinoco Flow)”の、何回オーヴァーダヴィングしたか判らないほどの深みのある多重録音サウンドや、静止画が連続しているスロー再生のような美しいヴィデオ・クリップが話題となり(派手な雰囲気のクリップが多かった当時のMTVで、同曲のクールな感触とエンヤの彫刻のような美形ぶりはかなり異色なものだった)、

“オリノコ・フロウ”はアルバムともども全世界でヒットを記録し、エンヤは瞬く間に大人気を獲得したのだった。

1991年には大ヒットした前作から約3年ぶりとなる、2ndアルバム シェパード・ムーン(Shepherd Moon) 発表。このアルバムもヒットを記録し、また同時に、いい意味で変わらないエンヤの圧倒的な個性をアピールした。

※この1991年から1994年まで間にエンヤに何度か会いました。

 

約4年のインターヴァルで1995年、3rdアルバム メモリー・オブ・トゥリーズ(Memory Of Trees) を発表。この中からは“エニホエア・イズ(Anywhere Is)”がシングル・カットされた。

そして1997年に”オンリー・イフ(Only If)”、 “ペイント・ザ・スカイ(Paint The Sky With Stars)”という新曲2曲を含むベスト盤 ペイント・ザ・スカイ~ザ・ベスト・オブ・エンヤ(Paint The Sky With Stars)をリリース。これは日本だけで180万枚を売り上げる大ヒット・アルバムとなった。

 

「アイルランドのドニゴール県グウィドー」のエンヤが住む家を守る親戚の叔母さんに「日本の北海道から来た吉岡学」だと言うと「私だけ入る許可」をくれたので、マーゴとスタッフは外で待たせて、一人でドアを開けて中に入ると薄暗い部屋だったのでじっとしていました。

 

「暗かったら横のスイッチを押して電気を付けて下さい」

とエンヤが言うのでスイッチを探して押しても明かりがつかなかったので、ランプに火をつけて「エンヤ本人の顔」がやっと見えました。

当時のエンヤは、耳が聞こえず目が見えなかったので、決して表には出ないようにしていたのに、なぜ、私に会うことにしたのか聞いてみると驚きました。

 

エンヤ)昔、私のお父さんの兄が「日本の北海道」まで行った話を聞かされたのをノートに書いてあるので探します

と言って、自分が書いた点字を読みながら説明してくれました。

 

エンヤ)私の叔父さんは「ケルト民族の長(おさ)」なので、自分の先祖ルーツを探す旅に出ると言って「日本の北海道」へ行ったそうです。

 

自分たちの先祖は「ケルト民族」で「ケルト島」に住んでいましたが、不便な島なのでイングランドに移り住んだそうです。

 

エンヤ)自分たちの先祖は、ケルト民族、イヌイット民族、オホーツク人、アイヌ人だとここに書いてあるので見て下さい。

私は英語が読めないので、本を持ってマーゴに読んでもらうと、「本当にエンヤの先祖ルーツは北海道のアイヌ」だと書いてありました。

 

・・・・・・

 

世界の歴史に詳しいマーゴは言葉を失い、世界の歴史は全部、逆なのね!

「吉岡一門のルーツ」は、日本の先住民で、薩摩隼人と卑弥呼がルーツだし、そのツールは高句麗だし、その前は中国を支配した「三国時代」の晋王朝なんでしょ!!

 

そのルーツを遡ると、ヨーロッパの全知全能の神「ゼウス」なんだから、あなたの肉体はどうなっているの?

 

待ってよ、ヨーロッパのギリシャのルーツは、・・・だから、・・・で・・・???

 

もしかして、日本の先住民を束ねた「吉岡一門のご先祖」は、ヨーロッパから来た「ケルト民族」だったの?

 

吉岡:逆ですよ。「日本の先住民のアイヌ」が世界中へ行って世界の先住民を全て束ねてから熊本県に集まったんですよ。

 

マーゴ)そうなんだあ、「ケルト民族」は、イギリス、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、スペインを支配したあとに住んだ場所が「イタリア」なので、私が苦手だった意味がやっとわかったわ。

 

最初から吉岡学さんは、世界を北からも南からも支配していたバリバリの「支配者の血」が入っているのね?

もう、参りました。

じゃあ、せっかくの機会だから、エンヤと吉岡学さんの先祖ルールである「ケルト島」にこれから行きましょう!

飛行機を乗り継ぐから暖かい服を用意しましょうね!

 

イタリア人の祖先は、「ケルト民族」

 

事前にエンヤが「ケルト島の長老」に連絡してくれたおかげ空港に長老の家族が出迎えにきていたし、長老の家にも家族親族が集まり、夜は大宴会になりましたが、マーゴはスタッフと別な場所に泊まりました。

「長老の家」にエンヤと二人だけで泊まった翌日、長老が全ての聖地を案内してくれましたが、どうしても気になる石があったのでその前で祈ると、風が吹き、空がゴロゴロ鳴り出し、私のすぐ横に稲妻が落ちました。

ケルトの長老は、「神が降りた!!神が降りた!」と喜び、結婚予定の男女を並べて「神に祈りを捧げてくれ」と頼まれたので、自然に体が動くまま祈ると暖かい太陽が顔を出し、二人の結婚を祝福してくれました。

 

この時の全ての体験記録は、マーゴの持ち物の「BRUTUS」で紹介されています。

 

私がエンヤと別れる時にお願いしたのは、「あなたは目が見えなくても綺麗だから、赤い洋服を着て写真を写して世の中に公開して下さい」とお願いすると、ちゃんとやってくれました。

マーゴもエンヤの声に癒された一人なので、目も耳も無償で手術してくれたおかげでキレイな瞳で目が見えるようになり、耳も聞こえるようになりました。

 

私の撮影ジャケット

 

1991年のヒット曲で歌うのを辞めようとしていたので、「頑張って歌を作って歌って!』と頼んだ結果、1995年に『ア・デイ・ウィズアウト・レイン』が大ヒットしました。

 

 

エンヤの神の声は、「先住民のケルト民族の魂の歌声」だから世界の人たちも感応するし、特に日本人は先祖の魂が揺れ動くので爆発的に売れたわけです。

この体験のおかげで、吉岡一門の先祖ルーツの先住民の名前が全部書いてる巻物の一番最初の名前」を思い出しました。

 

その名前は、「ア・ケルト」でした。

 

「ア」は、子供が生まれた時に最初に出す声ですし、最初は男の名前なので、「ア」と呼ばれていた先住民のトップと、「ケルト」の女性がセックスして生まれた子供が最初だと思い出しました。

父が言うには、ひらがなの前に、「日本の先住民はカタカタを使っていたが、GHQに全ての証拠書物を燃やされて消された」と言ってました。

 

何があっても「天皇家に先住民の血」が入っていることが都合が悪いようですが、よく考えれば「縄文時代の最初から続く吉岡一門なので世界で一番古い国民だと証明できる」のに、本当に頭が悪い「北朝の国家公務員」たちには呆れて言葉がありません。

 

マーゴのおかげで「北海道のアイヌが世界の先住民の北ルート」だと分かったし、「南ルートは薩摩隼人のルート」ですし、もともと日本全国にいた「先住民は全てアイヌ」でしたが、天皇家が日本に入ったせいで「アイヌ」が北と南に別れたというのが本当の歴史です。

 

ケルト島のエンヤとの出会いで、私とエンヤの間に生まれた男の子は、ケルトと日本を繋ぐ「先祖つなぎの魂帰り」になるので元気にしているかな?いつか、会えると思っています。

 

マーゴと別れたあと、「私とエンヤにケルト民族の血が入っている」とケルト民族の血が入っている関係諸国の国王と首相に直接、会って事実を伝えると、「イギリスの命令に背いてでもケルト民族の血を守る!!」と言ってくれて全ての「国と和平交渉」と「絶対に日本を責めない契約書」にサインしれくれたので、「ケルト島の息子」と、「父親がいる日本を守る!」ために、吉岡一門のお金で日本から多くの武器と弾薬と戦闘機を差し上げたので、以下の国々は「日本の味方」です。

 

日本の味方の国々:イタリア、ブルターニュ(Breizh、ブレイス)、コーンウォール(Kernow、ケルノウ)、アイルランド(Éire、エーレ)、マン島(Mannin、マニン)、スコットランド(Alba、アルバ)、ウェールズ

 

2014年に国連で開かれた「世界先住民会議の議長」になった時も世界中の先住民の奥さんや娘たちが、「先住民の大元の種が欲しい」と言うので、参加国の全ての女性たちに「種をあげて男の子がたくさん生まれた」ので、「父親がいる日本」を守るためにたくさんの武器弾薬と戦闘機と船と潜水艦をあげたので、1発でも爆弾を打ち込んだ国は、必ず、日本を攻めた国を後ろから叩き潰してくれますので、どうぞ楽しみ!

 

▶️2014年「国連先住民の女性たち」

歌手のエンヤの生まれ故郷

BRUTASが取材

 

ケルトとは一体何なのか、を感じる旅へ

アイルランド。ヨーロッパの辺境の国であるこの国の名前を聞いて連想するものとは何だろう?

ビール党はもちろんギネス。酒はウイスキーに限るという硬派はブッシュミルズ。ロックをこよなく愛するあなたにとってはU2。音楽に癒しを求める人は歌姫エンヤ。きっとそんなところだろう。

そんなアイルランドを表す言葉として世界中に知られている言葉がある。ケルト。

スコットランド ダルース城

時の流れに風化しながら佇む古城跡。そんな遺跡はアイルランド中に無数に存在する。写真はブッシュミルズ西側の海岸線の断崖絶壁。スコットランドのマクドネル一族が建てたダンルース城。

かつてイギリスやアイルランドに住んでいた古の民であるケルト民族と、彼らが信仰していた宗教を表す言葉。

口述で伝えられてきたケルト神話や、ケルトクロスと呼ばれる独特の円が組み合わされた十字架が立ち並ぶ霧に包まれた深い森と湖、そして古代からの自然崇拝。ケルトという言葉はそんな幻想を抱かせる。

ケルトの民と呼ばれるのは、青銅器時代から鉄器時代の間に中央ヨーロッパを中心に栄えた民族。彼らが自らそう名乗っていたわけではなく、後世の者たちが、わかりやすく一括りにするためにつけたものであり、彼らが自分たちのことをケルトの民として自覚していたわけではないらしい。

らしいというのは、文字を持たなかった彼らのことを知るのは容易ではないからだ。鉄製の武器を持ち、戦士たちによって統治されていた彼らの姿は、彼らと出会い闘ったローマや他の民族たちの記録によってのみ知ることができる。

彼らはやがてローマとの戦いに敗れ、大陸の果てへと移動すると征服され、ローマの文化の中に吸収され、消えていく。そのようなケルトの民たちとその文化が、どのようにしてヨーロッパの辺境だったイギリスやアイルランドに渡ったのかは、今でも議論の的になる考古学上の謎だ。

最新のDNA技術によるとケルトの民がこれらの島に実際に移住した形跡がほとんどないことがわかってきた。

ケルト独特の文化や紋様も、ラ・テーヌ文明と呼ばれる大陸のケルトから派生したといわれていたが、その関係性にも疑問が投げかけられ、それがどこに由来するものなのか、今もって確かなことはわかっていない。唯一証明されている関係は、ケルト由来の言語であるゲール語という言語だけだ。

ケルトとは一体何なのか?今もアイルランドにその痕跡は残るのか?
本を読むだけではわからないケルトを肌で感じるため、北の大地が短い夏に萌える時季にアイルランド島を訪れた。

アイルランド 巨石ドルメン
牧場の中に忽然と姿を現す巨石ドルメン。石の机を意味するこれは石器時代、ケルトの時代の遥か昔の先住民によって築かれた支石墓。至るところにあるドルメンを、悠久の流れを感じに人々は訪れる。

最果ての島国に残るケルト文化を訪ねる。アイルランド島〜後編〜

 
ヨーロッパ大陸の北西沖、グレートブリテン島の西に位置するアイルランド島。そこにはかつてヨーロッパ全土に広がっていた自然を崇めるケルト文化が、いまなお色濃く残る。「最果ての島国に残るケルト文化を訪ねる。アイルランド島〜前編〜」も読む
 

Photo: Tetsuya Ito / Text: Kunichi Nomura

 
 

緑豊かな大地に残る遺跡に
佇むと心が穏やかに

旅はアイルランド西海岸一の都市であるシャノンから始まった。そこから海岸線を北上していく。ゴールウェイ、ベルファスト、ダブリンまで。「緑の絨毯」、アイルランドを表すのにこれほどふさわしい言葉はない。

緑は海岸線の端まで延び、氷河が作り出したうねるような丘陵地帯を雲の影が走り去っていく。そしてそこでゆっくりと草を食む羊や牛たち。

辺境の地と呼ばれたこの国の風景には日本人の胸を打つ何かがある。それは緑豊かなその大地の上に、まるで忘れ去られた道祖神のように様々な時代から残された遺跡たちの姿があるからだろう。

ケルトと呼ばれた文化の遥か昔、4500年前に先住民たちが作ったドルメンと呼ばれる墓石や、5世紀頃修道士たちによってキリスト教が伝えられ、独自のケルト教会様式として興隆した修道院の朽ちた姿、日差しの中に輝くケルトの象徴ハイクロスに中世の城跡。

それらが特別に仕切られることもなく、あたりと同化しながら自然な形で存在している。かつて日本の田舎にもあった光景をその中に見たような気がして、懐かしさの中に心が穏やかになるのを感じた。

最初は、遺跡を目にするたびにどれがケルトでどれが違うのか混乱しながら見ていた。だが旅を続けるうちにそんなことに意味などないと気づく。アイルランドに古くから伝わるもの、いやアイルランドに生きる人も、全てをケルトとして捉えればいいのだ。アイルランドを旅すること、それはケルトを旅するということになるのだ。

そんな思いを強くしたのは、移動に疲れると街に止まってはギネスを飲んでいる時だった。街で見かける人々は誰もが人懐っこく、陽気で明るい。幾度もの侵略や飢饉を経験し、決して豊かではなかったこの国の人たちはとても楽しそうに酒を飲み、歌う。

あらゆるパブにバンドが出演し、人が歌う様は圧巻だ。聞けば芸術を愛するアイルランドは彼らから所得税を取らず保護しているという。それこそアイルランドが今もケルトの国なのだという証なのだ。

ケルトの時代、社会で宗教的指導者としてだけでなく、全ての物事において重要な役割を果たしたというドルイドには、祭司としての役割だけでなく、吟遊詩人としての役割もあり、その歌には特別な力が存在すると考えられていた。そしてそんな彼らは兵役も納税の義務もない特権階級だったのだから。

 

ホスピタリティのよさと
新鮮食材に黒ビール

アイルランドは面積が北海道と同じ程度の小さな島国で、1週間もあれば車で一周できる、旅のしやすい国。どんな街にもホテルやB&Bが存在し、人々は旅行者にも親切で、気さくに話しかけてくる。

また新鮮な食材を使った料理や自慢の黒ビールは、ヨーロッパの中でもかなりの高レベル。日本と同じように四季のある国だが、緯度が高いにもかかわらず、近くを通る暖流のため一年中霜も降りない常緑の国だ。

しかし、注意したいのは変わりやすい天気。一日の間でも晴れたり、雨が降ったりコロコロ変わり、日差しの有無で体感温度も大きく変化する。Tシャツ1枚の晴れの陽気と思っていたのが、午後には雨と共に防寒着が必要と感じることもしばしば。

また、島の北側にはイギリス領土となる北アイルランドがあるため、はっきりとした国境はなくとも通貨が変わるのも注意点。アイルランドではユーロ、北アイルランドではイギリスポンドが通貨だ。

アイルランド有数の名門ホテル〈Harvey's Point Country Hotel〉
Harvey’s Point Country Hotel(ハービーズ・ポイント・カントリー・ホテル)。湖畔の静けさと地元産食材を使った料理が自慢の、アイルランド有数の名門ホテル。

ケルトの民が奏でるどこか懐かしく
郷愁をそそる旋律
この国では音楽は欠かせない

アイルランドといえば知る人ぞ知る音楽の国。そんななか、口にされるのがケルト音楽なるジャンル。アイルランドやスコットランド発祥の民族音楽がケルト音楽として認知されるが、そもそもその民族音楽もケルト由来のものなのかは文化、民族と同じように確証がない。

自分たちをケルトの民として捉え、その奏でる音楽がケルト音楽だと言えばケルト音楽として成立する、そう考えるのが正しいのかもしれない。

精神性だけをケルト由来としてあらゆる音楽を演奏してもケルト音楽と呼ばれるので、これぞケルト音楽と定義するのは難しいが、入門篇として手を出しやすいのが、神秘的な音でこれぞケルト音楽というイメージを作り上げ、ここ日本でも大ヒットを飛ばしたエンヤや、ポップなメロディ構成で世界的な成功を手にした姉妹バンド、コアーズ。

もう少しルーツを知りたければ、伝統的な音をモダンにアレンジし、国民的ケルト音楽バンドとして世界的な評価を得たチーフタンズがお薦め。

首都ダブリンの路上ミュージシャン
首都ダブリンの街を歩けば、そこかしこから聴こえてくる生演奏の音。競争率の高さからか、当然、路上ミュージシャンたちの腕は悪くない。

アイルランドの地図
map/Tube graphics
アイルランドの地図

緑豊かで牧歌的な風景の中を走る整備された道で快適な旅へ。

今回我々はシャノン国際空港から入り、アイルランド島の北側の沿岸4分の3を回るようなルートでダブリンまでを車で旅した。
道路は整備され、快適に回ることができた。アイルランド政府観光庁のHPでは、見どころの多いアイルランドを効率よく回るため「世界遺産ルート」「自然・遺跡ルート」「キャッスルルート」の3大ルートを提案。旅のルート決定の参考にしてみては。

交通:日本からの直行便はなく、ロンドン、パリなどから乗り換えで。国内交通はバスが充実。
食事:シンプルな調理法で食べる地元食材のレベルは、ヨーロッパでも上位といえるほど高い。朝食をしっかり食べるのもアイルランド流。
季節:緯度のわりには温暖な気候。ただし雨も多く降り、一日の寒暖の差もある。防寒雨具は必携。
見どころ:豊かな自然とそこに点在する古代の遺跡。廃墟の多さはマニアが世界から集まるほど。
その他:ケルト文化を伝えるゲール語は第1公用語。西海岸では日常語として使っている地域も。

モハーの断崖
ヨーロッパ一の高さを誇るモハーの断崖。

 
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