「歌手のエンヤ」と私は同じ「ケルト民族」の従兄妹でした。
1996年から2014年までマーゴおばちゃんと一緒にプライベートジェット機に乗って世界中を飛び回っていたのでいろんな話をしましたが、ある時、こんな質問をされました。
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マーゴ)ねえ、吉岡学さん、私の「孫のお父さん」だから聞きたいんだけど、あなたは絶対に「純粋な日本じゃない」と思うけど、どうなの?本当は?
だってね、私が買ってあげようとした「アメリカの高級ブランドスーツ」もサイズが合わなかったので、「私の商品のイギリスのベッカム」に会わせたあと、彼があなたを気に入って家に泊めてくれた時にも、お礼であなたに渡そうとしたスーツやスポーツウエアも「全てサイズが合わない」と言って返したそうよね?とても残念がっていたわよ!
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だから、フランスとドイツと、ベルギーとルクセンブルグと、スイスとモナコとロシアの、いろんな有名ブランドのスーツの「吊るし」を買ってあげようとしてもサイズが合わなかったから、私の友人の「イタリアのジョルジョ・アルマーニのお店」に行ってスーツや靴を身につけた時にピッタリサイズが合うのはおかしいと思っていたの。
ジョルジョオ・アルマーニもあなたを気に入って1000万円以上する洋服と靴をたくさんいただいたでしょ?
どう、身体に合う「イタリアの洋服と靴」は、毎日、着てると疲れないでしょ?
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吉岡)すいません、ジョルジョオ・アルマーニさんに頂いた全ての洋服や靴は、妻が誰か他の女から貰ったと思ったらしく2LDKのアパートに入る洋服ダンスもないという理由で、「燃えるゴミの日」に袋ごと全部出されたので1枚も残っていません。
確かにジョルジョオ・アルマーニさんに貰ったスーツや靴は体のサイズにぴったり合ったし、私の足の形は「イタリアの靴」しか合わないみたいで、子供の頃から無理やり安い靴を買って履いたせいで、足のあちこちに豆ができて痛いのを我慢して履き続けていました。
マーゴ)そうなの、それは残念ね。
ジョルジョオ・アルマーニは、とてもケチで滅多に自分の作品をプレゼントしない人なのに、よくもあんな大きな80リットルの袋いっぱいにスーツと靴を詰め込んだのはとても珍しいことなのよ!
まあ、彼は「ホモ」だから当然、プレゼントしたお礼を期待していると思うけど、どうするの?お返しは?
吉岡)いくらお金を積まれても男に興味は全くないので、100億円でも1兆円積まれても男に抱かれる気はありません。そう伝えておいて下さい。
それとねマーゴ、実はね、子供の頃からよく「あなたは外人とのハーフしょ?」と聞かれることが多いので、母に「自白剤」を飲ませて質問したことがあるんですよ。
中学生の時に「どうして自分だけ体も顔も親兄弟と違うのか?」を聞いた時は母にこう言われましたが、聞いた話は全部嘘でした。
母:父さんが秋から出稼ぎして半年間も家にいない時に、父さんに似た男の人が家にやってきたので、父さんだと思ってエッチしたの。
でも、「すぐに帰る」と言うので後ろ姿を見ていると、白い霧になって消えてしまったのさ。だから、お前は神様と人間のあいのこ(MIX)なのさ。」
<母に自白剤を飲ませて答えた内容>
吉岡)中学生のころに母は俺のことを「神様とのあいのこ」と言っていたけど、本当は誰が「俺の父親」なのか教えて下さい。
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母)あの話ね・・・・、じゃあ、本当のことを言うわ。
お前が生まれるまで「兄貴と4年間」も空いた理由は、なかなか「次の子供」が生まれなかったの。
食べ物が悪いかと心配してくれた吉岡本家のばあちゃんがたくさんいろんな野菜やお米を持ってきてくれたし、野花南のじいちゃんも「長男をバックアップする弟は必要」だからとたくさんお金もくれたので栄養のあるものをたくさん買って食べたけど、子供はできなかったの。
父さんは頑張ってくれたけど全然、子供ができないので、父さんのせいにしたりして喧嘩する毎日だったけど、結局、「私の覚悟が足りなかった」んだとわかったの。
私たちの親の世代は戦争でたくさん男の人が死ぬので「天皇陛下から産めよ増やせよの号令とお金が出た」ので、男が相手にしてもらえない女たちはお金欲しさに誰でもいいから男を捕まえてエッチして子供を産んだ時代なのさ。
そうじゃないと、日本を守るための男の子が毎日たくさん死ぬので大変な時代だったんだよ。
吉岡)何の覚悟かと思って聞いていると、「母が他の男と交わってでも男の子を産む覚悟」がなかったという意味なんだね。それはつまり、母は「外人さん」とエッチしたという意味だよね?
母)よくわからないけど、父さんが出稼ぎで秋が終わるとすぐにいなくなった時に、一日3本しかない夕方の最終バスでやってきた白人の男の人が、「トイレを貸して下さい」と焦っていたのでトイレを貸すと、「さっきのバスが戻ってくるのはいつですか?」と聞くので、「今日のバスはもう終わりでバスはありません」と教えたのさ。
そしたら、「じゃあ、この近くで旅館はありますか?」と聞かれたけど、こんな芦別市常磐町の田舎に旅館なんて無いわよ」と言うと、「すいませんが、腹が減ったので、飯とお風呂をいただけませんか?」と言うので、お風呂を沸かして晩御飯を一緒に食べたの。
私も父さんがいなくて寂しかったので、お酒も飲みたいと言うので父さんの日本酒を一緒に飲むと、飲みすぎたみたいでそのまま私は寝てしまったのさ。
朝になったら、外人さんはいないし、あそこから「白い液体」が出ていたので、「あれ?やったのか?アイツ?」と思ったけど、それで妊娠したみたいで、お前が翌年の1月10日に生まれたのさ。
こんな田舎で「外人の子供」なんて産んだら大変だと思って、流産するように冷たい水風呂に入ったり、雪の中に裸でじっとしてたりしたけど、あんたは何をしても死ななかったのさ。
半年も過ぎたので諦めていると、父さんが帰ってきて、「俺たちの子供として産むぞ」と言ってくれたので、お前は晴れて「吉岡家の次男」に生まれたってわけさ。
誰も悪気はなかったので誰も責めれないけど、私も時々そのことを思い出して「お前を殺してないことにしたい感情」が出てきて、いろんなことをやったけどあんたは神様に守られているのか、何をしても死なない体なのでもう諦めたんだけど、時々、「自分が苦しんだ感情」が出てきて辛いから、もう私を殺して終わりにして下さい。
私の失敗でできた子供なのに、「自分の子供として育てる」と決めた父さんも辛かったので、お前に二人で厳しく当たってすまんかったね。
だから、お前が私たち夫婦を殺したかったら殺してもいいよ。さ、早くこの包丁で殺して楽にしてちょうだい!!!
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もう、絶句でした。
赤ちゃんの頃から父と母は何度も私を殺そうとしましたが、出刃包丁は折れるし、大きな石の塊も割れるし、紐で首を絞めて吊るして縛り上げても死なないし、毎日、両親が私を殺せないことに苦しんでいたことはわかったいたので、父にも兄も「自白剤」を飲ませて、「なぜ、私を殺そうとしたのかを確認」してから、苦しまないように「記憶を消す薬」を飲ませて忘れさせてあげました。
一度だけ、吉岡家の本家の婆ちゃんが、ご主人(私の祖父)の写真を見せてくれたんだけど、背は小さいし、顔も丸いし、絶対に、自分の父とは似ても似つかないので、婆ちゃんにも「自白剤」を飲ませて問いただしたことがあるんです。
そしたら、吉岡家の全部の頭領の顔写真と身長と体重を書いた紙を見せてくれて、こう言ったのさ。
祖母)私たちの時代はね、第一次世界大戦で親も子供たちもたくさん戦争へ行って死んだので、「天皇陛下から埋めよ増やせよの号令」がかかったので、夫が戦争に行っている間に子供が産める女たちは全員、若い男たちを夜這いしてセックスして子供を産んだものなのさ。
私は「吉岡一門の頭領の奥さん」だから、そんな「小作」とエッチなんてできないので、いつもぼんやり一人で家にいたら「白人の男」が玄関に入ってきたのさ。
薙刀(なぎなた)を持って構えていると、「トイレを貸して下さい」と言うので「小作用のトイレ」を貸してやったのさ。
そしたら、その男が日本式のトイレの使い方がわからずに便槽に落ちたので、小作と一緒にお風呂で全身を洗ってキレイにしてやったのさ。
そしたらまあ、オチンチンが大きくて硬くて素晴らしいので、つい、咥えて乗っかってしまったのさ。
そしたら、あっという間に「白い液体」を出したので、私のあそこが気持ちよかったんだろうねえ。
私の夫の吉岡西蔵さんは「大東亜戦争」に行って戻ってきたけど、身体に銃弾の弾が当たってずっと寝たきりだったから私はいつも自慰行為しかできなかったのでセックスをしたかったのは事実さ。
でも、白人の男のおかげで「六男」としてお前のお父さんを産めたんだよ。
大東亜戦争は、1939年(昭和14年)9月1日から1945年(昭和20年)9月2日約6年にわたって続いたドイツ・イタリア・日本などの「日独伊三国同盟」を中心とする枢軸国陣営と、イギリス・フランス・中華民国・アメリカ・ソビエト連邦などを中心とする「連合国陣営」との間で戦われた戦争でたくさん日本兵も死んだんだよ。
大東亜戦争には、「長男の豊歳」と「次男の直蔵」が子供の頃に川で溺れて死んだので、「お前の爺さんの西蔵さん」と「三男の力」と「四男の信」が戦争に行ったけど、生き残って戻ってきたのは「弾に当たった爺さんの西蔵さん」と「四男の信」だけだったのさ。
6年間も戦争が続いたせいで吉岡家には子供が生まれていなかったので、「誰でもいいから男の子を産まない」と日本が戦争に負けると思って私も必死だったのさ。
「六男のお前の父さん」は戦争に行って死にたかったみたいだけど、やっぱり「頭領の責任」は重いので苦しかったんだろうね。
「七男の薫」の時だけ西蔵さんは少し元気になったので、オチンチンを咥えて「子供の種」だけもらって自分であそこに入れて妊娠したのさ。
私は吉岡家に来る前は、他の家に嫁に行っていたし「男の子を3人産んだんだ」けど、気性が荒いので離婚された時に、「西蔵さんが男の子を産んでくれるなら嫁にしてやる」と言ったので、吉岡家の嫁になれたのさ。
だってね、西蔵さんの前の奥さんは「女ばかり3人」も産んだので離婚されて当然さ!
「男が生まれない女の家の苗字」は、絶対に先祖が吉岡家に対して悪いことをしているから、「吉岡家の先祖たち」が男を生まれないようにしているみたいだよ。
そういう女を嫁にもらうと、「お家断絶」で国に財産を没収されるのは仕方がないのさ。
婆ちゃんがセックスした相手はどこの国の人なの?
あの頃は、今の「北方領土は全部日本」だったので、たくさんロシアの人が北海道に来ていたし、日本人と結婚したロシア人も多かったので、あまり変には思われてなかったけど、この「頭領の身長と体重の数字を書いた写真」を見ればお前の父さんも怪しむので、今、この囲炉裏で燃やすから、マナブ、祈っておくれ!!
今後一切、外人の子供を産んだ女を責めないこと、それでも「頭領としての責務」をきっちり果たしてくれる子供が生まれることを吉岡家の先祖にお願いしてね。
お前が祈ると、本当にすぐに吉岡家のご先祖に繋がるので、奥の「頭領専用の床の間」からも祈っておくれ!
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マーゴ、これが、我が家の血筋なんです、壮絶でしょ!
父と兄は「一重瞼」だし、背の父は168cm、兄は172cmですが、僕だけ身長が180cmなんです。
手足も僕だけ異常に長いし、手のひらも足のサイズも「5Eの28.5cm」なので「自分だけ合う靴がない」んです。
兄と違って僕は「目も大きい二重瞼」だし、髪の毛も自分だけ毛質が違うので、家族で自分だけ体が違うのでおかしいと思っていたので、吉岡のご先祖の「頭領のチョンマゲ」と「婆ちゃんの髪の毛」と、「父と兄と母の髪の毛を2本づつ」抜いて、「日本で最高の学者に頼んでDNA検査」もしたし、「アメリカで最高のDNA検査」もしたけど結果を見てはっきり分かったのさ。
俺のDNAは、両親が二人とも日本人じゃない確率は100%
母親が日本人なのは100%
俺の父親のDNAは、イタリア人が100%、イタリア人はケルト人が同じDNA
私の父親のDNAは、母が日本人が100%
父親の父はロシア人が100%
俺の兄貴のDNAは、母が日本人が100%
父親は、ロシアが50%と日本人が50%
と書いてあったのさ。
とはっきりデータが出たので、日本の洋服が合わないのは当然なんだよね。
でも父が「小作」になって貧乏だったから、ブランド品なんて買ったことないし、いつも手が短いユニクロか、太めのXLか3Lで我慢して着ているんだよ。
でも、いつも気を使って洋服を探してくれてありがとうね、マーゴ。
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そんな話をしたあとなのに、マーゴは何も言わず、
「ねえ、吉岡学さんはエンヤって歌手を知ってる?」
と聞くので、「エンヤは世界中でバカ売れだから知らない人はいないと思うよ」と言うと、「これから一緒に会いに行きましょう」と、エンヤの生まれ故郷の「アイルランドのドニゴール県グウィドー」に飛行機で向かいました。北極圏経由だったので札幌から3時間半くらいで到着しました。
雑誌「BRUTUS」はマーゴの持ち物なので、スタッフから連絡を入れてもらって現地の「アイルランド」に集合してエンヤに会いに行きました。
「BRUTUS」の当時の記録雑誌
(日時はマーゴが変更済)
https://brutus.jp/islandof_ireland01/?heading=1
(エンヤの紹介 1961年生まれ)
作品を気に入った英WEAの会長(マーゴ)がエンヤに、売れることを気にせず本当に良いものを作って欲しい、という話を持ちかけ、彼女はWEAと契約。
1988年に1stアルバム ウォーターマーク(Watermark) を発表する。
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シングルとなった“オリノコ・フロウ(Orinoco Flow)”の、何回オーヴァーダヴィングしたか判らないほどの深みのある多重録音サウンドや、静止画が連続しているスロー再生のような美しいヴィデオ・クリップが話題となり(派手な雰囲気のクリップが多かった当時のMTVで、同曲のクールな感触とエンヤの彫刻のような美形ぶりはかなり異色なものだった)、
“オリノコ・フロウ”はアルバムともども全世界でヒットを記録し、エンヤは瞬く間に大人気を獲得したのだった。
1991年には大ヒットした前作から約3年ぶりとなる、2ndアルバム シェパード・ムーン(Shepherd Moon) 発表。このアルバムもヒットを記録し、また同時に、いい意味で変わらないエンヤの圧倒的な個性をアピールした。
※この1991年から1994年まで間にエンヤに会いました。
約4年のインターヴァルで1995年、3rdアルバム メモリー・オブ・トゥリーズ(Memory Of Trees) を発表。この中からは“エニホエア・イズ(Anywhere Is)”がシングル・カットされた。そして1997年に”オンリー・イフ(Only If)”、 “ペイント・ザ・スカイ(Paint The Sky With Stars)”という新曲2曲を含むベスト盤 ペイント・ザ・スカイ~ザ・ベスト・オブ・エンヤ(Paint The Sky With Stars)をリリース。これは日本だけで180万枚を売り上げる大ヒット・アルバムとなった。
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「アイルランドのドニゴール県グウィドー」のエンヤが住む家を守る親戚の叔母さんに「日本の北海道から来た吉岡学」だと言うと「私だけ入る許可」をくれたので、マーゴとスタッフは外で待たせて、一人でドアを開けて中に入ると薄暗い部屋だったのでじっとしていました。
「暗かったら横のスイッチを押して電気を付けて下さい」
とエンヤが言うのでスイッチを探して押しても明かりがつかなかったので、ランプに火をつけて「エンヤ本人の顔」がやっと見えました。
当時のエンヤは、耳が聞こえず目が見えなかったので、決して表には出ないようにしていたのに、なぜ、私に会うことにしたのか聞いてみると驚きました。
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エンヤ)昔、私のお父さんの兄が「日本の北海道」まで行った話を聞かされたのをノートに書いてあるので探します
と言って、自分が書いた点字を読みながら説明してくれました。
エンヤ)私の叔父さんは「ケルト民族の長(おさ)」なので、自分の先祖ルーツを探す旅に出ると言って「日本の北海道」へ行ったそうです。
自分たちの先祖は「ケルト民族」で「ケルト島」に住んでいましたが、不便な島なのでイングランドに移り住んだそうです。
エンヤ)自分たちの先祖は、ケルト民族、イヌイット民族、オホーツク人、アイヌ人だとここに書いてあるので見て下さい。
私は英語が読めないので、本を持ってマーゴに読んでもらうと、「本当にエンヤの先祖ルーツは北海道のアイヌ」だと書いてありました。
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世界の歴史に詳しいマーゴは言葉を失い、世界の歴史は全部、逆なのね!
「吉岡一門のルーツ」は、日本の先住民で、薩摩隼人と卑弥呼がルーツだし、そのツールは高句麗だし、その前は中国を支配した「三国時代」の晋王朝なんでしょ!!
そのルーツを遡ると、ヨーロッパの全知全能の神「ゼウス」なんだから、あなたの肉体はどうなっているの?
待ってよ、ヨーロッパのギリシャのルーツは、・・・だから、・・・で・・・???
もしかして、日本の先住民を束ねた「吉岡一門のご先祖」は、ヨーロッパから来た「ケルト民族」だったの?
吉岡:逆ですよ。日本の先住民のアイヌが世界中へ行って世界の先住民を全て束ねたんですよ。
マーゴ)そうなんだあ、「ケルト民族」は、イギリス、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、スペインを支配したあとに住んだ場所が「イタリア」なので、私が苦手だった意味がやっとわかったわ。
最初から吉岡学さんは、世界を北からも南からも支配していたバリバリの「支配者の血」が入っているのね?
もう、参りました。
じゃあ、せっかくの機会だから、エンヤと吉岡学さんの先祖ルールである「ケルト島」にこれから行きましょう!
飛行機を乗り継ぐから暖かい服を用意しましょうね!
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事前にエンヤが「ケルト島の長老」に連絡してくれたおかげ空港に長老の家族が出迎えにきていたし、長老の家にも家族親族が集まり、夜は大宴会になりましたが、マーゴはスタッフと別な場所に泊まりました。
「長老の家」にエンヤと二人だけで泊まった翌日、長老が全ての聖地を案内してくれましたが、どうしても気になる石があったのでその前で祈ると、風が吹き、空がゴロゴロ鳴り出し、私のすぐ横に稲妻が落ちました。
ケルトの長老は、「神が降りた!!神が降りた!」と喜び、結婚予定の男女を並べて「神に祈りを捧げてくれ」と頼まれたので、自然に体が動くまま祈ると暖かい太陽が顔を出し、二人の結婚を祝福してくれました。
この時の全ての体験記録は、マーゴおばちゃんの持ち物の「BRUTUS」で紹介されています。
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私がエンヤと別れる時にお願いしたのは、「あなたは目が見えなくても綺麗だから、赤い洋服を着て写真を写して世の中に公開して下さい」とお願いすると、ちゃんとやってくれました。
マーゴもエンヤの声に癒された一人なので、目も耳も無償で手術してくれたおかげでキレイな瞳で目が見えるようになり、耳も聞こえるようになりました。
1991年のヒット曲で歌うのを辞めようとしていたので、「頑張って歌を作って歌って!』と頼んだ結果、1995年に『ア・デイ・ウィズアウト・レイン』が大ヒットしました。
エンヤの神の声は、「先住民のケルト民族の魂の歌声」だから世界の人たちも感応するし、特に日本人は先祖の魂が揺れ動くので爆発的に売れたわけです。
この体験のおかげで、「吉岡一門の先祖ルーツの先住民の名前が全部書いてる巻物の一番最初の名前」を思い出しました。
その名前は、「ア・ケルト」でした。
「ア」は、子供が生まれた時に最初に出す声ですし、最初は男の名前なので、「ア」と呼ばれていた先住民のトップと、「ケルト」の女性がセックスして生まれた子供が最初だと思い出しました。
父が言うには、ひらがなの前に、「日本の先住民はカタカタを使っていたが、GHQに全ての証拠書物を燃やされて消された」と言ってました。
何があっても「天皇家に先住民の血」が入っていることが都合が悪いようですが、よく考えれば「縄文時代の最初から続く吉岡一門なので世界で一番古い国民だと証明できる」のに、本当に頭が悪い「北朝の国家公務員」たちには呆れて言葉がありません。
マーゴのおかげで「北海道のアイヌが世界の先住民の北ルート」だと分かったし、「南ルートは薩摩隼人のルート」ですし、もともと日本全国にいた「先住民は全てアイヌ」でしたが、天皇家が日本に入ったせいで「アイヌ」が北と南に別れたというのが本当の歴史です。
ケルト島のエンヤとの出会いで、私とエンヤの間に生まれた男の子は、ケルトと日本を繋ぐ「先祖つなぎの魂帰り」になるので元気にしているかな?いつか、会えると思っています。
マーゴと別れたあと、「私とエンヤにケルト民族の血が入っている」とケルト民族の血が入っている関係諸国の国王と首相に直接、会って事実を伝えると、「イギリスの命令に背いてでもケルト民族の血を守る!!」と言ってくれて全ての「国と和平交渉」と「絶対に日本を責めない契約書」にサインしれくれたので、「ケルト島の息子」と、「父親がいる日本を守る!」ために、吉岡一門のお金で日本から多くの武器と弾薬と戦闘機を差し上げたので、以下の国々は「日本の味方」です。
日本の味方の国々:イタリア、ブルターニュ(Breizh、ブレイス)、コーンウォール(Kernow、ケルノウ)、アイルランド(Éire、エーレ)、マン島(Mannin、マニン)、スコットランド(Alba、アルバ)、ウェールズ
2014年に国連で開かれた「世界先住民会議の議長」になった時も世界中の先住民の奥さんや娘たちが、「先住民の大元の種が欲しい」と言うので、参加国の全ての女性たちに「種をあげて男の子がたくさん生まれた」ので、「父親がいる日本」を守るためにたくさんの武器弾薬と戦闘機と船と潜水艦をあげたので、1発でも爆弾を打ち込んだ国は、必ず、日本を攻めた国を後ろから叩き潰してくれますので、どうぞ楽しみ!