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【財務省】日本を裏切り者 財務省官僚の鈴木友康の実態<7> 北方領土と満州は日本の領土なので取り返します!

▶️太平洋戦争中の日本軍の暗号(「トラトラトラ」「ニイタカヤマノボレ」など)について知りたい。<歴史事実がわかるサイト>

 

私が「第二次世界大戦」と言わない理由は、「大東亜戦争の扱い」が間違っているからです。

 

日本が近年戦った戦争は、

日清戦争(対中国)勝利!(1894年7月25日-1895年4月17日)

日露戦争(対ロシア)勝利!(1904年2月6日 – 1905年9月5日)

※欧州大戦(第一次世界大戦)勝利!(1914年7月28日 – 1918年11月11日)

「欧州大戦」とは、「日英同盟」に基づいて連合国の一員として参戦しました。ドイツが東アジアや太平洋に領有していた地域を占領して勢力を拡大したことを受けて、日本はドイツのアジアの拠点である山東省の青島を占領し、大国の仲間入りを果たしました。また、この戦争によって日本は経済的に好調となり、大戦景気となりました。

大東亜戦争(米英中ソ)惜敗(1941年12月8日- 1945年8月12日)

 

なぜ、日本の官僚が「大東亜戦争」と言わずに「第二次大戦」と名前をつけたのかというと、「アジア諸国の植民地開放の戦い」だったことを隠すために「大東亜戦争」を「第二次大戦」と付けてから、「欧州大戦」を「第一世界大戦」と名前を変えたのです。

 

「大東亜戦争に負けるまで日本は、朝鮮半島やアジア諸国と仲が良い「同盟国」だったので、韓国も北朝鮮も中国も「日本兵と協力」して敵を蹴散らして勝ったからこそ、いろんな物資や原料の輸出や輸入が盛んだったので「日本語」が話せる人もたくさんいましたし、多くの人たちが日本人と交わって「子供」を産みたがりました。

もともと日本に住んでいた人たち(日本人)と、そうではない他国の人を明確にするために、「吉岡一門の頭領」はどこの国の人間なのかをわかるように「苗字」を付けたので、「苗字だけで第三国人」とわかるようにしたのです。

だから「明治時代」になるまでは苗字がない人が多かったので、アイヌ人も、シベリア帰りの人も、沖縄の人たちにも、全ての苗字を与えたし、「先祖が武士」の人はとても少ないのです。

そうでもしないと「第三国人の女」に生まれた「子供の戸籍」が登録できないので、「女性の旧姓」と「男の苗字」を区分けして管理し、夫婦の子供に「日本国籍」を与えて、「日本の法律」で守ってあげるための処置でした。

「第三国人」のままで日本にいると野蛮な人間に犯されるか殺される事件が多かったからこそ、本国に強制送還されるし、子供たちに「健康保険制度」も「年金制度」も受け取る資格がないので、子供を守るために付けた「苗字制度」なので、「映画シンドラーのリスト」と同じように、「吉岡一門の頭領」の采配で法律を作ったと覚えておいて下さい。

今の中国人や韓国人や北朝鮮人や台湾人を嫌いな人もいると思いますが、「第三国人」の人は「戸籍謄本」を調べると、せいぜい3代か4代しか名前が出ない理由は、「ご先祖が第三国人」だからです。

私が作った「地球創生SNS」の仲間たちは「戸籍謄本を取ってご先祖祈り」をした人たちがたくさんいたので「先祖が第三国人」の人もいましたが、そこで「敵」だと思っていた国の見方も変わるし、違う国との交わりで「今の自分が存在している感謝の祈り」ができるので、子供たちはやっと先祖に守られて病気が治ったり、良いことが起きます。

 

アジア諸国で最高に知恵も文化も教育制度もある「日本」は、「大日本帝国憲法」で守られていた国なのに、「昭和天皇」が勝手に戦争を始めて、勝手に戦争を負けにしたせいで、今の「日本は敗戦国」になってしまったのです。

日本の官僚たちはこの「事実」を消したいからこそ、戦後、徹底的にG HQと手を組んで「憲法」も変えましたし、本当の戦争の責任者の戦犯は「昭和天皇」だということを隠したのです。

この事実は、世界が知っているからこそ、私が30歳から国の官僚の仕事を手伝った時に、「相手国に日本の武士のトップの南朝の吉岡一門の頭領」だと言うだけで、世界は自分たちが歴史を捻じ曲げて誤魔化してきた嘘がバレるのが怖いので、どんな国に行っても命を狙われていました。

その分、きちんとした「和平条約」を結んで日本が徳をするように税率を下げたり、お詫びのお金や物資を取り返したので、「嘘でやられたお返し」はきちんとケリを付けた結果、日本のパスポートの査証の国が200国もあるのです。

 

私の祖父は二度、戦争に行って生き残って帰ってきた人なので、日本の軍隊で知らない人はいないほど有名な陸軍兵士だったので、第一次対戦も大東亜戦争もどういう戦いをして、どこまで日本が攻めていたのかを詳しく聞きました。

1945年8月15日に勝手に昭和天皇が「玉音放送」を流しましたが、中国や北朝鮮や韓国にいた日本陸軍は、「新しく道路」を作り「インフラ整備」をしてから「学校」まで作り、「自主独立するために必要な国会再建の文民制度」を作るための手伝いをした結果、現在の教育と経済が生まれて世界に肩を並べる国になれたのです。

イギリスやフランスやアメリカは戦争に勝ったあとは、必ず「植民地」にしてその国を「自立できない」ようにしますが、日本がなぜ、戦争に負けたのに植民地にならなったのかを調べたことはありますか?

「植民地」にするには、「実効支配」と呼ぶ実際にその場所で生活した「一般人が住んで生活していることが前提」なので、ただ戦争に勝った兵士がいるだけでは「実効支配をした」と国連に認められないので、日本は植民地にならなかったのです。

「北朝の官僚」たちはこの事実を消したいからこそ、「日本が勝手に戦争を仕掛けた悪い国だ」と国民に意識づけをするために、「第二世界大戦」と名前をつけてから、「第一次大戦」と名前を変えたのです。

 

第一次世界大戦の別名は欧州大戦と呼ばれた説明をしましたが、もともとヨーロッパの支配をやめさせるための戦争だったことを消したい官僚たちは、戦後、「文部省のトップを全部中国共産党思想者に入れ替えて「学校の教科書」も全て変えたし、国立図書館に隠してあった「大東亜連合の記録」や「吉岡一門の資料」も全て燃やしましたが、原本は全て私が「ある場所」に保管してあります。

何も事実を知らない子供達を「79年間」の洗脳しづけた結果が「今の日本人の平和ボケ」なので、80年目の2025年には全ての法律も制度も変えて、新しい日本にする準備はできていますので「現金」だけは自分の家でしっかり管理して下さい。

 

大東亜戦争は、世界をお金と権力で支配している「マーゴ」が「WarGeme」を仕掛けて、「昭和天皇に日本が負ける」ほうに賭けさせたので、戦争のキッカケも「昭和天皇」が自分で作り、「真珠湾攻撃命令」を出したのが、昭和天皇なのです。

東郷平八郎元帥海軍大将は、最後まで「戦争は多くの国民の命がなくなるのでやるべきではない!」と「昭和天皇」に言い続けましたが、勝手に「開戦通告」を電話とモースル信号でアメリカに送り、「真珠湾攻撃命令」を昭和天皇が出しましたが、「事前にアメリカに日本からの開戦通告はこなかったことにしておいてくれ!」と伝えた「FAX」がアメリカに保管されていたので、「日本の海軍、空軍、陸軍」の軍人は「やりたくない戦争」のために、軍人・軍属は約230万人、民間人約80万人、合わせて約310万人たくさん命を落とすことになったのです。

 

私はこの事実を確認するために、友人の「アメリカ大統領補佐官のジョン・ボルトン」に調べてもらいましたが、「第二次対戦の開戦通告」と「開戦通告がきたことを隠すFAX書類」に「昭和天皇がサイン」したものが見つかったので、私はそのコピーを「ある場所」に保管しました。

 

「靖国神社」に南朝を裏切った「東郷平八郎大将」と、南朝の「山本五十六元師」が祀られている意味は自分で調べて下さい。日本軍人に「戦犯」などいるわけはないのに、「昭和天皇の犠牲」になってころされただけの無念な人たちです。

 

 

1945年8月12日に「ポツダム宣言」を勝手に調印した「昭和天皇」は、勝てる戦争を早めに終わらせて「日本が負けるためにやった戦争」なので、どれほど多くの日本軍人が無駄死にしたのかを語れる人は、私の祖父の「岩渕安治陸軍中佐傷痍軍人」しかできませんので私は全てを聞いて覚えています。

 

1945年8月15日に日本が負けてすぐに、「戦争に行った軍人は、戦争のことを語るべからず」と昭和天皇がNHK放送で話したので、誰も「日本軍の正しい戦争の体験」を語れる人はいませんでしたが、私は札幌市で行われた傷痍軍人の集会に出たこともあるので陸海空の本当の戦争体験を聞きました。

私が満州にこだわる理由は、「満州の8割」まで日本軍が制圧しあと一週間でロシア軍を追い出せたのに、急に「撤退命令」が出たので仕方なく逆を向いて歩いている兵士の背中を拳銃を撃たれて、たくさんの陸軍兵士が倒れてしまい、逃げ遅れて残った兵士は「シベリア送り」になり、「一日黒パン1個と水1杯」で働かされた結果、多くの日本軍兵士が亡くなったので、凍った土をスコップで掘り、遺体の上に土を盛り上げて埋葬するしかできなかったとシベリア体験者に教えてもらいました。

シベリア抑留は、1956年12月26日にソ連からの最後の引揚船が「京都の舞鶴」に入港したことで終了しました。これは、1956年10月19日に調印された日ソ共同宣言で全シベリア抑留者の帰還が約束されたことに伴うものです。シベリア抑留は、第2次世界大戦後に元日本兵や民間人約57万人が当時のソ連などに留め置かれた事件です。ほとんどの人は5年以内に帰国しましたが、11年間の長期にわたって抑留された人たちもいました。シベリア抑留が長引いた要因としては、次のようなものがあります。

 

実際は、「1945年8月15日にすぐ、日本人はロシアから出ていけ!」と言われたので、日本の漁師の船や軍艦がたくさんロシアの港に向かってモスクワまで言っていた日本人も北方領土の日本人も全て強制退去になりましたし、「シベリア抑留者」を迎えに行きましたが、「北海道の人間は近いので一番最後」と決まり、最後に「3隻の船」が迎えに行きましたが、「3隻」が港を出るとすぐに後ろからロシアに攻撃されたのです。

戦争は終わったので全ての砲弾は捨てた船なので、ただ後ろから撃たれるまま2隻が沈没し、「残った1隻」に乗っていた人間が「北海道の釧路港」に着きましたが、「戸籍もわからず日本人の証」を持ってくる暇もなかったので、北海道に戻ったロシア帰り人たちには、道路の横にボロ板に釘を打って「ほったて小屋」で住ませてあげて、農家が食べ物をあげて、「戸籍」も私の父・吉岡忠(当時16歳)が全てのロシア帰りの人たちの戸籍登録をしたので、現在の「日本国民」として認められて本州に戻って暮らせているのです。

 

「吉岡一門の頭領」は、全ての日本人の「戸籍を管理する役目」を神武天皇時代からしていたので、区役所や市役所は「吉岡一門の出先機関」で全ての許可印は「吉岡一門の頭領」が押さないと正式には認められませんでした。

結婚離婚、子供の出生届や死亡届も全て管理していたので、月に一度、どっさり書類が送られてきて、母が寝たあと一人で印鑑を押していたので18歳で私が実家を出るまでは私が変わってあげました。

もし、私の父が「日本人として登録しない」と、きっと日本にいたロシア人たちやアメリカ人に殺されていたことでしょう。ご家族に「シベリア帰りのご先祖」がいたら、ぜひ、教えてあげて下さい。

 

2012年1月6日に父・吉岡忠は83歳で亡くなりましたが、亡くなる前に私が「国の仕事」をしていることを全て伝えたので、私にも誰にも話していないことを教えてくれました。

父)俺はお前が国の仕事をしていることは、最初から分かっていたぞ。

俺だって国のお偉いさんたちをたくさん知っていたので、田中角栄や塩爺や笹川良一や日銀の三重野康総裁もお前のことを褒めていたし、山口組の田岡一雄組長も「さすが吉岡忠頭領の息子ですね」と報告やお礼の電話がよく来ていたので頑張っているなあと思っていたのさ。

それも全て「タダ」でやっていると聞いたので、俺も何かできることはないかと思って家族にも誰にも言わずに、「中国の雲南省」で無農薬の米と野菜を作るために、秋コメの収穫が終わったあと、本家のばあちゃんにお金を借りて中国の雲南省に3年通って食べ物を作る努力をしたのさ。

3年も中国に通えば子供もできるので、お前より、少し若い息子がいるので、ネットで調べてみろ。

俺が死ぬまで絶対に怒ると思うから、お前の兄貴の忠博にも、嫁の栄子にも話すなよ。

じゃあ、この国のことはお前にまかすからな。じゃあ、おやすみ。」と言う父でした。

私も兄にも母にも妻にも「国の仕事を無償」でしていることは一切、何も話していないので、さすが前頭領だと思いました。

だから、私が尊敬する人は「父の吉岡忠」なのです。血は繋がっていないことも父は知っていたので、さすが、選ばれた頭領なんだなあ、と言ってくれました。

父が亡くなった2012年1月6日は家族で美味しい蕎麦屋に行ったし、日本酒も少し飲めたし、大好きな饅頭も食べさせてあげたので「思う残すことはない」と言ってから死んだので、涙一つ流さず、ただただ感謝だけで送ってあげました。

 

父は、「中国だからまず最初に、無農薬のお茶を栽培したぞ!」と教えてくれて、美味しい無農薬のお茶を飲ませてくれました。

中国雲南省滞在レポート2015

また、次の年は、中国は「こんにゃく」を作る芋が育つ場所だとわかったので、「こんにゃく」で収入を得ることを教えたそうです。

コンニャク栽培で目指す豊かさ 雲南省富寧県

こんな素晴らしい父なので、私は昔の官僚に電話して、中国の習近平首相に直接つないでもらったので、

「おい、俺は日本国の官僚のトップの吉岡学だ!!覚えているよな!!

もし、雲南省に手を出したら、お前の一族は全て皆殺しにするし、財産は全て没収するので絶対に手を出すなよ!

大大東亜連合にもたくさん俺の子供がいるので、手を出したら即、中国とお前がいる上海と北京を全て破壊するので覚悟しておけよ!」と言っておきました。

だから、2024年11月11日の戦争が終わったら、プーチンに「私は満州と北方領土を戻せ」と言ってあるので、絶対に、取り戻して新しい日本を作り直します。

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