【防衛省】1995年1月17日の「阪神・淡路大震災」で私がやった無償の仕事
阪神・淡路大震災
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)とは、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)5時46分52秒(日本時間=UTC+9)に発生した「兵庫県南部地震」により引き起こされた地震災害のことである。発生当時は第二次世界大戦後の日本において最悪の被害であった。

1995年1月17日の私は株式会社ダイエーの関東地区のSV(スーパーバイザー)だったので、千葉県佐倉市ユーカリヶ丘の自宅の朝のテレビで地震を知り、浜松町にあるダイエーの本社へ急いで行くと「全館放送で地震の対応方法」が説明されたので、「自分は2日後の1月19日から2泊」で神戸に入ることになりました。
妻は、Amwayビジネスの集まりで「淡路島」にいましたが、ずっと携帯は繋がらないので諦めました。
中内功社長からも個人的に電話が来て、「俺は神戸には行けないがよろしく頼む」と言われたのですぐに家に帰り、関係部署に連絡しました。
<緊急時対応の現状把握と指示>
まず「防衛省」へ連絡して「吉岡特別統合幕僚長」だと名乗り、「統合幕僚長と陸海空の幕僚長」を探しましたが「誰も電話に出ません」と言われたので逃げたか避けたかわかりませんので、「知り合いの防衛省幹部」に電話して指示を出しました。
(自衛隊は上司の指示がないと勝手には動けません)
私)まず一番近い駐屯地からヘリを飛ばして、風上(かざかみ)から神戸と四国の写真を1時間ごとに写して俺の携帯電話に送ってこい!
こういう緊急事態の時は「最初の3日間の対応が大事」なのさ。
だから、困ったことがあったら夜中でもいいので電話してこいよ!
絶対に自分勝手な判断はするなよ!!お前たちの責任になるので、状況だけは俺に教えろ!!全ての責任は俺が取るので安心して行ってこい!!!
自分の命と仲間の命を守りながらできる範囲で行動しろよ!!
俺は1月19日の午後に現地に入る予定だから頑張れよ!
自衛隊員)特別討幕!!それは遅いですよ!!今から迎えに行きますので、一番近くの「習志野駐屯地」まで来て下さい。何時頃に来れますか?
私)じゃあ、急いで準備して1時間くらいで着くと思うので、すぐに来れる奴らを連れて一緒に来い!
ヘリも物資を運べる「でかいヘリ」を調達しろよ!
「現地用」で腹が減っている人たちに食べさせる「パンと牛乳」を買えるだけ買って来い!
水もお湯も無いと思うので「カップラーメン」はダメだぞ!
あ!そうだ!子供達が食べたくなるような「甘いお菓子」もたくさん買って来いな!
きっと、恐怖で食べられなくなる子供もいると思うので、「甘い物」はこういう時にはいいんだ。
普段、甘いものを食べてる「豚女たち」が食べるような食べ物は体に悪いのでダメだぞ!
幼稚園や小学生が食べたくなる可愛いキャラクターが付いたお菓子を買って来い!
金はあとで俺が払うので、お前たちも食べたいものを買えるだけ買って来い!
じゃあ、急いで行くからすぐ行くから待ってろよ!!
自家用で車で「習志野駐屯地」へ急いで行き、すぐに神戸まで大きなヘリで飛びたちました。
ヘリコプターの中から「国の対応」を知るために「知人のキャリア官僚」に連絡しましたが、「第81代村山 富市首相は自宅電話にも携帯電話にも出ないので対応方法がわからない」と言われたので、こう指示を出しておきました。
吉岡)だいたいの状況が把握できたら、五十嵐官房長官にテレビで国民に状況報告をさせろ!
それくらいの仕事はすぐにさせろよな!!
普段は遊んでばかりで、どこにいるかわからない奴らなので、こういう時くらい強気に言って仕事をさせろ!
もし文句を言ったら、俺の名前を出して「命令通りにやらないなら家族全員拉致して殺すと言ってましたよ」と言っておけ!!


それと、現地へ行ける暇な官僚たちに連絡して、コンビニやスーパーで買えるだけのパンと牛乳をリュックに入れて、電車が動くところまで行って、あとは歩いて食べ物を届けろ!!
カップラーメンは「お湯」が現地にないと思うので、パンと牛乳をたくさん買ってリュックに入れて担いで現地へ入れ!
神戸まで行けるだけの人間を送り込みましたが「関西出身の官僚」もいたので、どこまで電車が動いているのか親戚に聞いて先頭に立って動いてくれた結果、あとで「吉岡さんの命令がなければ行きませんでしたが、本当に自分が行って現場を自分の目で見れてよかったです。これが国の仕事なのだと自覚しました。」と言われました。
次に、札幌の社長会の総責任者をお願いした「静岡県の鈴与の鈴木与平会長」に電話して、関西の社長たちの状況を把握してもらい、できるだけの物資を運ぶことをお願いしましたが、すぐに電話がきてこう言われました。

鈴木与平会長)吉岡さん、さすが関西人ですわ。
みんな自分で連絡し合って、すぐに現地へ食料と水と毛布を運んでいるし、「忙しいので邪魔をするな!」と怒られましたわ。
まあ、明日以降の物資輸送は「私の会社の船」で運ぶのでご安心下さい。
神戸にはたくさんダイエーのお店がたくさんあるので、「神戸山口組の本家を預かっている井上邦夫組長」に電話すると、こう言われました。

井上組長)吉岡さん、わざわざすいません。こちらは大丈夫ですよ。
常に、たくさんの食料や救援物資は用意してあるので、今、あちこちの公園で「炊き出しをする準備」をしていますのでご安心下さい。
私)組員や組員の家族は大丈夫ですか?何が必要なものがあれば言って下さい。自衛隊のヘリで運びますよ!
井上組長)組員のことまでご心配をして頂きありがとうございます。もし、よろしければ、「炊き出し用のテント」が足りないのであればお願いします。
私)了解!!自衛隊員に持って行かせるので、すぐにテントをはって「炊き出し」をしてあげて下さい。「簡易トイレ」も持って行かせるので大丈夫ですよ!!
すぐに、関西の自衛隊基地に連絡を入れて、「テント」をヘリに積んで、「簡易トイレ」をロープで吊るしてヘリから炊き出しをしている公園にロープで降ろして設置しました。
さすが日々訓練をしている奴らなので、ロープをスルスル降りていき、サッと設置して使い方の説明してからロープに捕まり自力で登ってくるので、さすが自衛隊員だと思いました。
次の炊き出しの公園を見つけると、ロープで降りて上がってくるまでの「時間の戦い」になったので、奴らの戦闘能力と競争心で国は守られいることを実感しました。
まあ、「一番短い時間で設置と説明した奴には俺がビール1ケースを奢る!」と言ったことで火が付いたのですが、部下の能力を引き出すのは「上司の仕事」なので当然のテーマ設定です。
結果的に「降下した自衛隊員チーム」にはビール1ケースをプレゼントしたので喜ばれ、日本酒と珍味も買ってあげたので翌日からの仕事に活力が湧きました。
私がいない間にも「誰かが部下たちのやる気」を出させないといけない辛い現場なので、持っている現金十数万円を全部渡して「1日1万円の範囲で頑張った奴らに褒美をやってくれ」と、財布の紙幣を全部渡しました。
1月17日の午前中に神戸上空からたくさん写真を写して近くに駐屯地にヘリからFAXで配ったので、「全体の状況把握ができて助かりました」と隊員たちはお礼を言ってくれました。
1月19日の私のダイエー店舗の救済の同行者には自分は「三宮駅」で現地集合にすることを伝えて、1月17日と18日の二日間、神戸三宮駅近くに設置した「自衛隊の緊急基地」を作ったテントの中で自衛隊員と一緒に寝泊まりして現場の困った問題の指示対応をしました。

本当はダメなんですが、みんなボロボロに疲れてテントに戻ってくる自衛隊員の姿を見て泣けたので、ありったけの酒やジュースをコンビニで買って飲ませて寝眠らせてやりました。
若い自衛隊員は「死体」を初めて見たので泣いて寝れないので、腹を殴って気絶させて寝させてやりました。

「食事」は自衛隊員と同じ冷たい飯を食ったので、これが奴らのいつもの飯だとわかったので、お湯を沸かしと梅干しと塩で美味しくして食べる方法も教えました。
神戸三宮駅前には、岡山理科大学の大学の仲良しの同級生の父親が「テーラーアズマ」を開いていたので実情を聞きに行きましたが、「一番燃えた長田町は第三国人ばかりで泥棒や盗人が住む家が多い場所」なので、神戸の人間は喜んでいるし、「残った家にガソリンを撒いて火をつけるバカもいた」と教えてくれました。

数年前に建物を自費で治していたお父さんの建物は無事でしたが、逆に町内会の人から「お前の家は大丈夫だから自衛隊の弁当はいらんだろう」と取られるし、「水も分けてくれない」という実情も聞きました。
夜になると「トイレを探す女たちを犯す男」がたくさんいたので、「自警団」を作って守りましたが、それでも遠くで犯されて自殺した女性もいたことも聞いたので、すぐに山口組のヤクザたちに電話して、「炊き出しの場所を暗闇から守るように指示を出しました」が、そんなことは誰も知りません。
ヤクザにも家族がいて子供がいるので、「もし、自分の子供が犯されると思うといたたまれないので、一晩中、真剣に闇の中で隠れていましたが、たまに来る若い奴らをボコボコにしてやりました」と言ってました。
「女性用のトイレ」は離れた場所に土を掘って「昔のぽっちゃんトイレ」の作り方を教えたので安心して用を足せました。こういう時に、「田舎育ちの知恵」は生きるものです。

最初にダイエーの仲間と救済した店は「三宮駅前店」だったので、自分の担当の日用品の割り箸や入れ物やカセットボンベとコンロを取引先に担いで持ってくるように伝えてから、2階より上のフロアにあった「衣料品が放置」されていたので、「家の中用の薄い洋服」しか着ていない人たちがたくさんいたので、「ダイエーの店内の洋服をタダで差し上げる指示をだした」ので1月の寒さを耐え凌ぐことはできたと喜んでくれました。
子供を抱えたお母さんには「紙おむつと粉ミルク」を最初に渡してあげて「いつでもここにきて持っていっていいですよ」と伝えてから、カセットコンロでお湯を沸かして粉ミルクを溶かしてあげて、喧嘩にならないようにヤクザを数名立たせて警護もお願いしました。
神戸という街だけは「山口組の組員」が毎朝、子供達に挨拶をして町内の清掃をしているので誰もヤクザを悪く言う人はいませんし、同級生や知り合いにヤクザの知り合いがいても嫌がる人はあまりいません。
「警察ができない土地の治安を守るのがヤクザの仕事」だし、それが田岡一雄組長の思いだったので、カタギ(一般の人)を大事にする「任侠道」だからこそ、神戸の街は安心なのです。
「シャブを売っている極道の名古屋の弘道会や大阪の稲川会」のような人間はいないのでカタギの皆さんも「組によってヤクザも違う」ことを覚えておいて下さい。
- 阪神淡路大震災 崩れてひしゃげてしまった三菱銀行兵庫支店のビル
「神戸・淡路大地震」で、私がしたことは何ひとつ表には出ませんし、あとから防衛省の幹部に文句を言われましたが、こう言ってやりました。
あとからごちゃごちゃ言うのはガキでもできるので、大人なら一番最初に現地へ行って指示を出すのが仕事だろう!!
だから俺がやったことや一緒に動いた奴らを処分するようなことはするなよ!!
ヤクザにテントと簡易トイレを最後にやったことをゴチャゴチャ言うなら、お前たち防衛省幹部の家に「神戸山口組のヤクザ」が押しかけると思うし、お前たちの住所も家族も俺は知っているので覚悟しておけよ!
1993年(平成5年)7月12日に「北海道奥尻郡奥尻町沖」で発生した北海道南西沖地震(奥尻大地震)の時は、私はアメリカに仕事で出張中だったので、自衛隊の対応も後手後手でした。
その反省もあったので、2年後に起きた「1995年の阪神・淡路大地震」の経験は大きかったので、現場で救助した自衛隊員にはこの時の体験談を全て文字にさせて、「行動基準や心構えをマニュアル化」して全国の駐屯地に送ったので現場対応能力は上がりました。

全国の社長会の社長たちも「関西の社長たちの対応を学びたい」と言い出して札幌に集まり、「次に大地震が起きた時の対応を話し合った」ので、すぐに組み立てられる「コストが安い簡易トイレやテント」や「避難場所の改善」を真剣に話し合って開発したし、私も「国の補助金」を目一杯つけたので、「2011年3月11日の東日本大地震」の時にすぐに対応ができたのは、全国の社長会たちの「準備のおかげ」なのです。
日本政府は、こういう「企業が自分の商品を持って行き組み立てても「補助金は出さない」のです。
理由は、官僚たちに賄賂を渡している業者にしか注文をしないので、「私の仲間の社長たちは補助金なし」で現地へテントや食料を自費で運んでくれたのですが、マスコミも知らないし、官僚たちは嫌がっていましたがあとから補助金を作りましたが誰も申請せずに「吉岡さんのおかげで十分儲かったのでこれは恩返しですよ」と笑ってくれる社長たちのおかげで日本は守られているのです。
そういう陰で支えてくれる人たちにはマスコミは取材しない理由は、全てお金になるかどうかだし、都合の悪い映像は全てカットされているので、死体が海に浮いていたり、川や家の下に潰れた死体を見ることは無いので、「実際に自分が被害にあった時の対応」ができる人ないないのです。
東日本大地震の時にも、幾つもの「村役場の責任者や村長たち」が逃げたので、自衛隊とヤクザに連絡して捕まえて、テレビで説明させましたが、東京都に賄賂を一番払っている「東京電力の社員」は事故のあとすぐに全員、東京本社へ逃げたので、私がいろんな指示を出して人を動かしたことなど誰も知りません。
いつでも「自然災害」や「電磁パルス攻撃」はあると思うので、緊急時は、最初の3日間を生き抜けるかどうかですので常に死の覚悟と準備はして下さい。




もし、「日本統一をした山口組のヤクザ」がいなくなったら、すぐに中国マフィアやチンピラが日本の歓楽街に入ってきて、「シャブを使って子供たちを食い物にする」ので、「ヤクザは日本に必要な人間」なので、どうぞ、付き合い方を学んで下さい。
私が言うのも何ですが、警察とヤクザと自衛隊は「同じ組織体系」で目的も同じで、この日本を守るために存在しています。
トップの命令を忠実にこなす「トップダウン方式」だからこそ、困った時に強いのです。
























