【文部科学省】「日本の歴史」から誰が日本を悪くしたのか学びましょう!
武士が守った江戸時代は、「南朝の徳川家康」が江戸(現在の東京)に幕府を開いた1603年から「1868年に一世一元の詔」が発布されるまでの約265年間の平和を維持しました。
嘉永時代 ~ 慶応時代
「嘉永(かえい)時代」は、江戸時代の1848年から1855年までの期間を指し、「北朝の孝明天皇」の代の元号です。

北朝の孝明天皇
「慶応(けいおう)時代」は、江戸時代末期の1865年4月7日から1868年9月8日まで使用された元号です。孝明天皇と明治天皇の時代で、江戸幕府の将軍は徳川家茂と徳川慶喜でした。

南朝の明治天皇
(赤字は全て日本の裏切り者)
明治時代
明治の表年できごと関連する人物編関連するテーマ解説等関連する史料編1869(明治2)東京に遷都 明治維新 太政官制(だじょうかんせい)大久保利通
木戸孝允/桂小五郎
西郷隆盛 明治維新 版籍奉還(はんせきほうかん) 明治維新 1871(明治4)郵便制度開始 明治維新 新貨条例(しんかじょうれい) 富国強兵 廃藩置県(はいはんちけん) 明治維新 日清修好条規(にっしんしゅうこうじょうき)調印 征韓論 解放令 明治維新 岩倉使節団(いわくらしせつだん)が出発伊藤博文、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允/桂小五郎、津田梅子
新島襄岩倉使節団1872(明治5)学制公布 富国強兵 新橋・横浜間に鉄道開通 文明開化(錦絵ギャラリー) 富岡製糸場(とみおかせいしじょう)を設置大久保利通 富国強兵 『学問のすすめ』刊行福沢諭吉 1873(明治6)徴兵令(ちょうへいれい) 富国強兵
士族の反乱 岩倉使節団(いわくらしせつだん)が帰国伊藤博文
岩倉具視、大久保利通、木戸孝允/桂小五郎、津田梅子
新島襄岩倉使節団 地租改正条例(ちそかいせいじょうれい) 富国強兵 明治六年の政変大久保利通
西郷隆盛征韓論
士族の反乱1874(明治7)民撰議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)板垣退助自由民権運動1875(明治8)樺太・千島交換条約締結榎本武揚 江華島(こうかとう)事件 征韓論1876(明治9)廃刀令(はいとうれい) 士族の反乱 日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)調印 征韓論 秩禄処分(ちつろくしょぶん) 士族の反乱 1877(明治10)西南戦争大久保利通、西郷隆盛
陸奥宗光士族の反乱1879(明治12)沖縄県の設置(琉球王国の消滅)尚泰 1881(明治14)国会開設の勅諭(明治十四年の政変) 自由民権運動
大日本帝国憲法 自由党の結成板垣退助自由民権運動 1882(明治15)立憲改進党(りっけんかいしんとう)の結成大隈重信自由民権運動 1885(明治18)内閣制度ができる伊藤博文
三条実美 1889(明治22)大日本帝国憲法の発布伊藤博文大日本帝国憲法大日本帝国憲法1890(明治23)第一回衆議院議員総選挙 帝国議会 第一回帝国議会陸奥宗光帝国議会 1894(明治27)日英通商航海条約(にちえいつうしょうこうかいじょうやく)調印陸奥宗光
(赤字は全て日本の裏切り者)
昭和の歴史
1967年吉田茂首相暗殺・「吉田」は南朝の吉岡の小作のトップの苗字です。
「岸信介」は第三国人ですが、「南朝の福田武夫」を支持。
田中角栄首相は、「南朝の小作の苗字」
田中の苗字は、田んぼの真ん中から水が湧き出した貧乏な小作につけた苗字。
田中角栄の知恵のおかげで「裏安保」、つまり台湾を見捨ててでも中国と組んだおかげで「日中戦争」にならずに止まったのです。
田中角栄は、「日本列島改造論」・道路の高速化・上越新幹線・新潟新幹線・新潟バブルと日本の土地の価格を引き上げて戦後の日本を復興した男です。(日本の立役者)
1973年オイルショック(マーゴのバブル第一弾)
トイレットペーパー不足、田中批判 支持率20パーセント、スキャンダル支持率12パーセント、1983年ロッキード事件、1987年岸信介死去

1993年田中角栄脳梗塞、5ヶ月後死去
この脳梗塞で倒れた1993年に私は「東京の月島の料亭」で田中角栄に会いましたが、娘の田中眞紀子とSPたちが隣の部屋にいましたが、「頭が悪いバカな娘には会いたくありません」と同席を断りました。
田中角栄)やあ、吉岡学さん、あなたに会うのが遅くなってすまんな。
俺も自分の力だけでここまでやってきたが、もう無理だとわかったので、田中家の全ての資産も土地も家も後援会の人脈も全て吉岡学さんにさしあげたいが、どうだ?
ワシのあとを引き継いで政治家になって日本を支えてくれんか?」
と聞かれましたが、断りました。

吉岡)大変ありがたいお話ですが、私は田中先生よりも広くて深い人脈を世界中に持っていますし、きっと、田中一族の全ての資産と隠し金と土地を売っぱらっても「吉岡一門の資産」にはほど遠いので、そんな「はした金」はいりません。
日本を動かす政治に興味はありますが、1982年に岡山理科大学に入ってすぐに「防衛省の陸将補」となったので、一気に私の名前が首相たちに広まったせいで、あの第三国人以下のエタ・非民あがりの「鈴木善幸首相」からずっと歴代首相をサポートすることになったので、いまさら自分が「首相」になりたいと思ったことはありません。
「吉岡一門の頭領」はどの首相よりも優秀で頭が良いし判断力も決断力もありますが、「裏」にいるからこそ好きなこともできますので、田中先生のように「表」で派手に裏金をやり取りすれば、そりゃあ、「ロッキードの罠」にはめられるのは当然だと思います。
1本、私に電話をしてくれれば、先にアメリカ大統領のビル・クリントンでも、ジョージ・W・H・ブッシュにでも電話して「ロッキード社」を押さえ込めたのに、田中先生は、ちょっと直球すぎたと思います。
少し緩めカーブか、ゴロを投げれればそんなお体になることもなかったと思いますので、「優秀な小作」だと思って応援していたのにとても残念です。
田中先生は顔を真っ赤にして怒り出しそうでしたが、体が思うように動かないので、手が届く場所まで私が近づいて「平手で私の頭をペシっ」と叩いてもらいました。
私を田中角栄に合わせたのは「ハマコー」こと「浜田幸一議員」ですが、汗が吹き出して焦り、「田中先生にそんなことを言う奴を紹介した俺が悪いのでこの果物ナイフで俺は腹を切る!!」と言い出したのでこう言ってやりました。
吉岡)「ハマコーさん、そのナイフじゃ腹に刺さって痛いだけなので、どうせ腹を切るなら日本刀を2本用意してくれれば俺が介錯してあげますよ。だから、「腹切り」は次の機会にいたしましょう。」
とその場を私が収めて大笑いして酒を酌み交わしました。
田中角栄)吉岡さん、最後の頼みだからこれくらいは言うことを聞いてくれ!!
頼むから今、ここで俺に「親子盃」を渡してくれ!
それさえもらえれば、俺はあの世に行っても悔いはないので、どうか、頼む!!!
金ならいくらでも渡すから頼む!!頼む!!!
吉岡)どうしようかな?
本当は最初は「兄弟盃」で様子を見て、世のため人の為になる働きをした時に「親子盃」を授けるのが神戸山口組の田岡一雄組長のルールなので、私が変えてもいいのかな?
まあいいか、元気な田中先生に会うのもこれが最後だと思うので、私の責任で「親子盃」を授けましょう!!
ついでだから、ハマコーさんも、「親子盃」を欲しいですか?
ハマコー)無理、無理!!俺は人殺しはできん人間なので政治家をやっているのに、もうやめてくれよ!!吉岡さんにはかなわんなあ。

ハマコーが国会議員を辞めたあとどうしたらいいのか困っていたので、「テレビやネット番組で思いっきり面白く話せばあなたのキャラは受けるので、私の知り合いのテレビ局に紹介します」と伝えて数社紹介したので、とても楽しそうな老後を千葉県富津市でお過ごしになりました。
田中角栄が最も信頼した秘書の早坂茂三さん(2004年逝去)ともよく会いましたが、オヤジ(田中角栄)は自分ができないことは全部俺に振るくせに、最後の最後に、自分が捕まるとわかった時に何も言わずに俺を首にした男なので、悔しすぎると思うわんか?」とよく泣き言を聞きましたが、ヤクザよりも凄みがある人なので大好きな人でしたので、「テレビの時事放談」で親父の思いを吐き出してもらいました。

【秘蔵】田中元首相がハマコー議員の前で“怪気炎” (1984年6月22日)【永田町365~今日は何の日】
日本を良くするために頑張った男:吉田茂、岸信介、田中角栄
・「目白自宅火災」で火をつけたのは金が欲しかったバカな田中真紀子
・政策を実行するかしないかだよ(田中角栄談)
・「日米安保条約」は、岸信介首相の詰めが甘かったので日本の裏切り者の鈴木友康一族に裏金を抜かれて書き換えられたので、ボロクソに怒ってやると綺麗な女数名と酒で水に流すことになり、気分転換できたので、安倍晋三を首相にするために働きました。
「吉岡一門の頭領の小作の吉田茂」は「日本のデモクラシー」を掲げ、戦後の日本に希望を与えた男だし、頭が良すぎてアメリカから賄賂を断ったので、「北朝」の奴らに暗殺されてしまいました。

日本の歴史をよく調べれば、「全て北朝の裏切り者たち」が武士制度を無くして自分の賄賂ばかりを抜く仕組みを作ったので、日本国民が豊かになることは絶対にありません。
多分、このままで行くと「中国共産党」と同じ、「スパイだらけの共産圏の日本になる可能性」が高いので十分、注意して生活して下さい。

