私は3歳の頃から「日本刀の腕振り訓練」を朝昼晩1000回づつしていたので、8歳で父に勝ってからは「北朝のバカども」が父を斬り殺しに来るので、全て私一人で斬り殺して御霊を上げるのが仕事でした。
「人を斬り殺す」と興奮し過ぎて物事を冷静に考えられなくなるので、脳みそを誤魔化すために勝手に父親の日本酒を飲んでタバコを吸っていた子供でした。
父が夕方、農作業から戻ると、「今日は北朝のバカどもを何人、切り殺した?」と耳元で聞くので、指で斬り殺した人数だけ教えて黙って日本酒を飲んでいましたが、「全部飲むなよ!俺にも少し飲ませろ!」と二人で日本酒を飲むこともよくありました。
3人、5人、10人と敵の数が増えても絶対に負けない剣術訓練を自分で編み出したので負けることはないのでまだ生きていますが、「なるべく血が出ないように綺麗に切ることだけに集中」していたので、相手が刀に手をかけた瞬間に「別人」になり一気に綺麗に首を斬り落としました。
「綺麗に首を切る技術」を身につけると、「感情の脳みそ」と「体の痛み」が分かれるので、自分が死んだことも気づかず静かに首だけ落ちるので、血も出ませんし、御霊も苦しまずに天に上がります。
腕がいい相手ほど「一太刀」で勝負は決まりますが、相手が下手だと数名で一気に切りに来るので、手足を切り落として足を止めてから首を落とすまでの時間は、数分で終わります。
「3人、人を斬れば感情は何も感じなくなるぞ!」と父に言われましたが、切ったあとに苦しんでヤケ酒を飲んでる父もよく見ていたのでよく母に怒られていましたが、私が間に入って「今日だけは好きなだけ飲ませてあげて下さい」と頼んでいました。
母はいつも「自分の金」のことばかり気にするので、早く一人で自立しないといけないと思って中学を卒業してどこかに「丁稚奉公」にでようと思っていたのに、1973年の中学の時に「60kgの米の買い上げ価格が18、000円」を超えたので、「500俵」も出荷していたので900万円の収入が入ったおかげで高校にも大学にも行かせてもらえました。
ある時、父が旭川市にある「男山酒造」に1トン半のトラックで連れて行ってくれた日がありました。
▶️男山株式会社 蔵主紹介


歴史背景 「男山株式会社」
山崎家代々の酒魂「正統男山の名にかけて、いい酒を造る!」
北海道のほぼ真中も位置する、旭川市。人口36万を擁する、道内第2の都市です。 広大な大雪山系の原野を切り開いたこの町は、約120年を経た今も、大自然の恵みとともにあります。
愛酒家の読者の方々なら、「男山(おとこやま)」の銘を持つ酒が、全国そこかしこにあることをご存知でしょう。
これは男山=美酒の代名詞であった江戸時代の名残と言えますが、本来は京都府八幡市にある「男山八幡宮」に由来します。

男山八幡宮 姫路市山野井町
男山八幡宮は清和天皇(在位858~876)が「宇佐八幡(大分県宇佐市:全国八幡宮の総本社)」の神霊を勧請したのが起源。
※宇佐八幡の応神天皇は「非公開神事」として巫女一人を連れて行きましたが、第15代応神天皇の種は「竹内宿禰(たけのうちすくね)」だと本人が教えてくれました。
男山八幡宮は「源氏の氏神」でもあることから、源義経や足利尊氏など源氏ゆかりの名将たちも数多く奉じています。
※吉岡一門は「平家」なので敵ですが、北海道への入植を頭領が許したそうです。
その由緒ある社の霊験を酒に授かるべく、「男山」の銘柄を用いたのです。
※「男山の命名」は吉岡一門の頭領です。
男山の酒は、歌舞伎や浄瑠璃本にもたびたび登場しています。
※歌舞伎や浄瑠璃も吉岡一門頭領の嗜みの武芸なので、全て吉岡一門の芸事です。
「南朝の徳川将軍家の御前酒」の一つになり、江戸庶民に絶賛された兵庫県伊丹の「下り酒」でした。その威光にあやかろうと、幕藩体制の消えた明治時代以後、全国の造り酒屋でも男山の銘を用いたのでしょう。
ところが、今回訪問する蔵元・男山株式会社は、旭川市のメーカー。
むろん創業は北海道が開拓された「明治期」で、前述と同じように男山を引用した蔵元かと思われがちですが、その推察はきっぱり否定されるのです。
実は、この男山株式会社こそ、御膳酒・男山を受け継ぐことを許された「正統男山」なのです。
では、何ゆえ最果ての地・旭川に、伊丹の伝統酒銘が譲られたのでしょうか。
その歩みを語るには、今一度、本家本元の伊丹酒「男山」を見つめる必要があるようです。
「正統・男山」は、寛文元年(1661)「五摂家筆頭の近衛 公」(天皇を守る「近衛隊」のトップが吉岡一門頭領)、が、伊丹領主として清酒醸造を奨励した頃に誕生しています。

当時の伊丹酒屋の一つに、「木綿屋山本本家」がありました。
この造り酒屋は、元禄時代から享保年間(1690年前後~1730年前後)が最盛期で、享保17年(1732)八代将軍・吉宗の御膝酒に引き立てられたと伝わっています。
いわゆる神戸市の「灘の酒」が普及する前、伊丹酒による第一次期下り酒ブームを巻き起こしたのが、「男山」でした。
また当時、“武士の元服の祝儀には、男山の酒”が定番となっていました。
江戸時代中期から幕末までの長期にわたって毎年刊行された川柳の句集「柳多留(やなぎだる)にも、そう紹介されています。
かの「井原西鶴(浮世絵師)」や「近松門左衛門(浄瑠璃および歌舞伎役者)」も「男山」の美味しさを褒めちぎり、「与謝蕪村(俳人、文人画家)」の高弟に醸造元・山本本家の庄左衛門が列していたことから、蕪村も「男山」を愛飲したと伝えられています。
つまり、「男山」という酒名は美酒の代名詞として知られるようになり、商標登録などの規制が存在しない時代だったことから、醸造家たちがこぞって酒に冠したのでした。
ところが、そんな「伊丹の男山」も文化文政年間(1804~1830頃)の「灘酒ブーム(兵庫県)」に押しやられ、明治初頭には廃業することとなったのです。
そして時は流れ、昭和時代の半ばに、北海道旭川の造り酒屋・山崎酒造が伊丹の山本本家の末裔を訪ね当てたことで、「正統男山」が北の町・旭川で復活。伝統の御膳酒が、ついに息を吹き返したのです。
※この時に出資したのは、吉岡一門の頭領です。
さて、男山株式会社の前身である「山崎酒造」は、明治32年(1899)に旭川で創業しています。
※吉岡一門の頭領は、明治19年(1886年)に北海道に入植し、米の酒米を作り、男山を創業させたのです。
初代・山崎 與吉(やまざき よきち)は安政2年(1855)新潟県南蒲原郡の出身で、明治15年(1882)に北海道へ移住した人物です。
※南朝の小作です。
與吉は札幌の造り酒屋で働き、4年後には、小さいながら自身の酒屋を開店します。生真面目で辛抱強く、コツコツ努力を重ねる人柄が成功をもたらし、またとないチャンスが彼に巡ってきます。
「南朝の旭川」への鉄道延伸と町の振興でした。
この時期と前後して、旭川には酒造業者だけでなく、味噌・醤油製造業なども立ち上げられています。その理由は、「陸軍第七師団の設置」にありました。


旭川市は、急速に進められる町造り、突貫工事による建物や道路整備には数多の人材が必要で、札幌や本州からの移民が陸続と旭川へ入植。町の人口は、一気に膨れ上がりました。
当初の旭川では、山崎酒造も含めて5軒の造り酒屋だけ。開業当初の造石量を見てみると明治34年(1891)は845石で、4番目に多い石高でした。
これが、明治44年(1901)には1375石まで増えています。ちなみに、旭川の蔵元数は17軒あまり。町全体の造石量も、一万五千石に達しました。
現在、旭川市には「三千櫻酒造株式会社」が岐阜県から移って創業しています。場所は、北海道上川郡東川町西2号北23番地。
2023年夏に「三千櫻酒造株式会社」の山田耕司社長に札幌で初めてお会いしたのでご挨拶して名刺を渡すと、無言で深々と「武士の礼」の頭を下げてお礼を伝えて下さいました。

「東川町には美味しい水」が湧き出ていたのは昔から有名ですが、「(株)大雪水資源保全センター」の濱本伸一郎社長が持っていた土地から水が湧き出たと相談されたので、調べると「大雪旭岳自然公園の水」と同じだったので「水の販売をやれば一儲けできますよ!」とすすめて成功した土地の水が「東川町の水」です。

そんな状況の時に、旭川市の西川将人市長から私に電話が来たのでこう伝えました。

西川市長)南朝の岐阜県で143年続いた「三千櫻酒造」という蔵が、旭川市で酒を作りたいと言ってますがどうしたらいいでしょうか?
私)それは困っている「南朝」の人なら助けてあげるのが当然でしょう。
土地も水もお米も全てタダでやらせあげて下さい。
きっと、最初はうまくできないと思いますが、同じ南朝同士ですもの、細かいことを言わずに全面的に協力してあげて下さい。
西川市長)旭川市には吉岡一門の酒蔵の「男山」や他の酒蔵もありますが、問題はありませんかね?
私)もし、問題が起きたら私に電話を下さい。だって、男山酒造も他の蔵も全て「吉岡一門のお金」でサポートした蔵なので、「岐阜県の三千櫻酒造」にも「助け船」を出すのは当然のことです。
お金は大丈夫ですか?もし足りなければ、私が出資しますよ!!!
西川市長)いえいえ、今までいいだけ米作りや街の未来計画でもお世話になっているので、もう十分、頂いておりますので旭川市のお金で支えることにします。
私)そうですよね?明治19年からずっと一緒に米作りを教えてきた「吉岡一門頭領と旭川市の付き合い」ですもの、まちづくりにも政治家にもたくさん金を渡したと父も祖母も言っていたし、「旭川市の未来100年計画」の時にはたくさん私が無償でアドバイスしたので当然ですよね?
「次の市長」にもきちんと引き継ぎして、「三千櫻酒造」にご迷惑をかけないようにして下さいね。
「南朝が作った北海道の人間」として恥なことをやれば、私があなたを斬り殺しに行きますので、ちゃんと大事なことは引き継ぎして下さいね。じゃあ、あとはよろしくお願いします。

「三千櫻の酒米」の山田錦を栽培したのは、母の実家の芦別市野花南の(有)加藤農場ですし、とても美味しいのでぜひ、▶️「三千櫻酒造」を応援して飲んで下さい。


岐阜県中津川市で生まれ育った「三千櫻酒造」は、2020年10月に北海道上川郡東川町へ移転しました。距離にしておよそ1550Km以上にもなります。
その背景には、蔵の老朽化と地球温暖化により、今まで通りのやり方で日本酒を造ることが年々難しくなってきたことがありました。
当時の山崎酒造の銘酒は「今泉」「今与旭」などで、それらは全国新酒品評会にも出品され、二等や三等を受賞しています。
もうひとつ美味しい日本酒を作る蔵が旭川市にありますので、ぜひお飲み下さい。
「上川大雪酒造」北海道上川郡上川町旭町25番地1

有名な料理人の三國清三シェフが「札幌の社長会」にやってきて「北海道や全国のレントラン経営を失敗」したので私が経営アドバイスをして「副社長の塚原敏夫」を筆頭に経営を立て直しました。

同時に、北海道の「金滴酒造」樺戸郡新十津川町字中央71-7が、それまで頑張ってきた「杜氏の 川端慎治を追い出す事件」が起きたので、副社長の塚原敏夫に頼んで2016年11月に「上川大雪酒造」への商号変更と本社および酒蔵の移転をおこないました。
「奈良県の十津川村」の小作が、勝手に「樺戸郡新十津川町」に移住して農家を始めた結果、自分たちの金で作った「金滴酒造だから出ていけ!」という問題が起きたのです。
2016年12月には「酒類製造場移転許可申請書」を国税当局に提出したが、国税庁の管轄区域をまたいでの移転申請は前例がないものであった。当然、私が電話1本で許可を出しただけです。
川端慎治杜氏は最初は文句を行っていましたが、腕はいので上川大雪の酒が売れると、もっと発酵と酵母菌の研究をしたいと言うので、「帯広畜産大学」の学長に頼んで研究する場所と生徒を募集すると農家の子供が集まったので、農家の子供が作る日本酒「碧雲蔵」が完成しましたのでこちらもお勧めします。
北海道の人口が170万人を超えた大正時代から昭和初期、山崎商店は3000石を超える造石量に達しました。他店も着実に生産量を増やしていましたが、皮肉にも、その半数以上は本土への移入酒となっていました。
「灘にあらずば、酒にあらず」というブランド意識が北海道の人々には強く、道産酒は僅かしか消費されません。そのため、格下の田舎酒として、秋田県などの東北に市場を求めざるを得なかったのです。
與吉には、無念の思いが募るばかりでした。
一つには、北海道の原料米では本土の酒に引けを取ってしまうという現実でした。寒冷な旭川周辺で作る米は、兵庫県などの上等な酒米とは比べようのない品質。
しかし、それを改良する術など、当時の酒造業界どころか国でさえ考えが及ばす、寒冷な風土の前にあきらめるしかないのでした。
さらには、自分たちの技術と設備の粗末さも、灘の酒に太刀打ちできない根本的原因と実感した與吉は、旭川酒の発展を牽引すべく、旭川酒造組合長を歴任し、品質向上を掲げた蔵元団結を図ります。
この時の與吉の「本州に負けない、いい酒を造る」精神が、今日も男山株式会社の根本に脈々と流れているのです。
戦時下の統制を乗り越えた「山崎酒造」は、昭和43年(1968)、新社屋竣工とともに社名を「男山株式会社」と改めました。
※私が8歳で父に真剣勝負で勝った「祝い」で会社にするお金を出してやったそうです。
当時の銘柄には、すでに男山を冠した商品もありましたが、この時に、冒頭に述べた伊丹の伝統酒・男山を醸していた山本本家の後胤から、正統を伝承する印鑑ならびに印鑑納め袋が、三代目・與吉社長に手渡されたのでした。
その祝賀会の席上、與吉社長は「男山の銘柄を使う以上、“いい酒を造る”の思いを我が社の根本精神にしましょう。
本家本元の御蔵元の栄えある伝統を、いつまでも継承していきたいという我々の心を、その末裔の方にご理解頂きたい。
そんな思いから、私どもは何年もかかって、ここにようやく山本 良子さんというご本家に辿りついたのであります」と、挨拶しました。
以後、男山は道産の名酒として再出発し、その名にかけた美酒を醸し出します。
近年、男山の吟醸酒は海外市場での人気がめざましく、ニューヨークやロサンゼルスなどで「SAKE」ブームを巻き起こす魁となりました。
その新たな挑戦に踏み切ったのが、現社長の山崎 與吉(やまざき よきち)氏です。
「世界の男山」のスローガンを掲げ、ベルギーのモンドセクションなど幾多の世界的コンクールで称賛を受け、高い評価が日本市場に認められたのです。
このエピソードも含め、四代目である山崎 與吉 社長の魅力と理念は、蔵主紹介ページで語ることとしましょう。
天下の美酒を復活した子孫に、創業者・與吉は、天上で大いに溜飲を下げ、男山の盃を飲み干していることでしょう。
その美酒の物語に、酔いしれることとしましょう。
モンド賞の金賞などを、連続受賞

父・吉岡忠と一緒に「男山酒造」に行った日は、私が「12歳の新頭領」になった1971年の秋ですが、旭川市の男山酒造株式会社の「新酒発表会の日」に二人で行くと「山崎與吉社長親子」がお迎えに出てきてくれて、これ以上飲めないと思うほどいろんな酒を飲まされながら美味しい珍味を食べさせてくれました。
酒を呑みすぎた父は歩けなくなったので、私が助手席に座らせて、荷台に日本酒の一斗樽をいくつも積んでくれたので、12歳の私がトラックを運転して家まで酔っ払い運転をして帰りました。
なぜ、あれだけたくさんの日本酒をタダでくれたのかを父に聞くと、こう教えてくれました。

「日本中の作り酒屋に酒の作り方を教えたのは吉岡一門の頭領だし、米は小作が作るし、日本中の「山の水」は全て吉岡一門山(国立公園・国定公園)の資産だから、当然と言えば当然さ。
あとは、「麹菌」さえ渡せば、日本酒はできるぞ!
「酒作りの技術」を「神社の神職」に教えてやったので、日本酒だけは吉岡一門の神(天照大神と神武天皇)が入っているので頭領は飲んでやらないといかんのさ。
今の「神社の神職も神社庁」も吉岡一門の頭領が認めた「吉岡一門のご先祖に祈る職業」なのに、勝手に「日本神道」と神も形も変えてしまった礼儀を知らん奴らだから、お前、ぶった斬ってこい!

よく神社に「酒樽」が積まれているだろ。
あれはな、「吉岡一門に対するお礼の酒」なのに、神社の神職たちは勝手に自分がもらった酒だと思って呑みやがるし、俺の家に酒を送ってこない奴らなので、いつか、懲らしめてやる!
「吉岡一門八人衆」は熊本県から始まった血筋だが、「南朝」が歩いた場所は全て「美味しい水と米が獲れる土地」だからこそ、日本酒もうまいに決まっているんだぞ!

「日本中の総社」を決めたのも「吉岡一門頭領」だからこそ、全国の総社には吉岡一門頭領にお礼の酒樽が奉納される習慣があるのは当然さ。
子供を産むお母さんの「総社」の長男の神社が「一宮」なので、「女が総社」に挨拶すれば全てがうまく行くものさ。
女は「総社以外」の神社に行くと「神がかり(憑依)」されて問われるから行かすなよ!神社ブームで行ってどがかりする女が多いが、みんな「南朝の裏切り者」だから放っておけな!

肥後国総社 阿蘇神社 熊本県熊本市中央区万町

筑後国総社 味水御井神社 福岡県久留米市御井朝妻1丁目5

播磨国総社 射楯兵主神社 兵庫県姫路市総社本町190

丹波国総社 宗神社 京都府南丹市八木町屋賀南永寿34

能登国総社 石川県七尾市古府町キ
ちゃんとした「総社には山門」があるだろ!!
あれは「山の神」に対する礼儀で作ったものだし、武士が山門をくぐる時は正式なので、神社の神主たちはお迎えに来るのが当然だったのに、今はそういう正しい歴史の教育をしていない神社が多いのでいつか斬り殺してやる!!
北朝の奴らが歩いた道に美味しい水は少ないので、日本酒もおいしくないものばかりだし、頭が悪くなる酒ばかりだから、北朝の酒は飲むなよ!
「男山」からもらった日本酒が無くなると、家で「どぶろく」を作って一緒に飲んだ親子でしたが、「どぶろく」は売らない限り酒税法違反にはならないのでどこの農家も作っていて、寒い冬には子供でも飲んでいたものです。
「どぶろく」は、米と米麹、水を発酵させて作る日本の伝統的なお酒です。もろみを濾過しないため、白くにごった見た目ととろりとした口当たりが特徴です。
- 米由来の甘味と適度な酸味が特徴
- 華やかな香りやお米のつぶつぶした食感も味わえる
- 日本酒と原材料は同じだが、もろみを濾過したものが日本酒と呼ばれている
- 酒税法では日本酒が「清酒」、どぶろくは「その他醸造酒」と分類されている
稲作と同じぐらい古い起源で、昔は神聖なものとして扱われていた。
収穫したお米を神に捧げて来年の豊作を祈願するなどの神事の際にどぶろくも一緒に供えられていた。米を蒸して水を加えたところに麹菌を投入して、お米のデンプンを糖に変える。酵母菌を入れて糖をアルコールに変える。充分に発酵したら、搾って濾過しない。
水が美味しくない関東の酒蔵の日本酒は飲みたいと思う酒がありません。やっぱり、裏切り者の関東の人間が作る酒は、ダメですね。
私が1990年に「全ての省庁の特別上級国家公務員」になった時に外務省のキャリア官僚たちに教えた仕事は、「これからお前たちは、日本が売るべき商品のセールスマンになれ!」と命令しました。
日本の黒土で作る農家の野菜や果物は最高なので、最高級品の「いちご」や「ぶどう」や「さくらんぼ」を売り込め!!
それに、「純米吟醸以上の美味しい日本酒」の銘柄を教えるので、たっぷり税金を載せて世界に高く売ってこい!!
いずれ、日本に美味しい物を食べて、美味しい日本酒を飲みたくなる奴らが世界中から来るので、日本は営業しなくても山ほど旅行者やVIPたちが来るようになるので、大儲けさ!!
ちょっと小金を稼いだ中国人もたくさん来ると思うが、いずれ「中国経済を破綻させる」ので逃げ帰るので気にするな!
日本の30年後の商売は、もともと持っている「工業技術」に加えて、次はコンピュータに必要な「マイクロチップ」や「最高のAI技術」を売り出すので今、準備しているところさ!
だからお前たち外務省の仕事は、日本の最高の技術を世界に売ることなので、トコトン美味しいものをお土産で持って行って、世界にある日本領事館で徹底的に飲ませて食わせてやれ!!
「マグロの解体ショー」も見応えがあるし、ワイン以上に美味しい日本酒も山ほどあるのに「酒造メーカー」は売り方を知らないので、お前たちが売って宣伝してこい!!!
日本の綺麗なソープ嬢たちを連れて行って、マグロの解体ショーのあと、「この女の解体ショーをどうぞ、ご堪能下さい。」とセールスすれば、世界のトップの男たちは、喜んで日本に通うようになるぞ!!
俺もなあ、世界のいろんな女を抱いてきたが、アジア人はあそこの締まりはまだいいが、肉を食べている女は臭くてたまらん!
それに西洋人の女はみんなあそこがガバガバなので、射精するのにも大変なんだぞ!
お前らみたいな「小指チンチン」が世界の大柄な女たちとやれば、お前らは二度としてもらえなくなるので、せいぜい、締まりがいい女を見つけて子供を作りなさい!
以上、日本の未来を明るくするための戦略なので、バカは難しいことを言わずに、真面目に働けよ!!
こういう外務省の営業の結果、今、人気の日本国内で「純米吟醸酒3500円」が、アメリカでもヨーロッパでも「50万円」でお店で売られているので、美味しいブランド日本酒だけ手に入らない状況なのです。

Screenshot
「関東の最高級の千疋屋(せんびきや)」は「札幌の社長会」メンバーで、売られている果物は最高に美味しくて高価ですが、実は、芦別市のさくらんぼ(大橋さくらんぼ園)は、関東の千疋屋(せんびきや)で売っています。
営業したのは私なので、当然です。
私の家柄は貧乏な小作農家の「武士」で日本中の武士の大元の頭領ですが、次男坊なので田んぼを引き継げなかった為「スーパーのダイエー」で商売の面白さと深さを知り入社しました。
結果として、日本の全ての産業の社長たちに直接、会って話をする機会があったし、日本の省庁のトップだからこそ、世界に日本の素晴らしいものを「売り出すコツ」を官僚たちに教えた結果が、今の日本の「製造生産業の発展」に寄与しています。
あの田中角栄首相が騙された「ボーイング社」の約8割の部品が日本製」にしたのも私だし、アメリカの戦闘機や潜水艦などの武器や計器やコンピュータも「私の特許だらけ」なので、大量に日本の工業製品は「部品」としてアメリカに売った結果、衰退した造船業や通信関連企業は一気に持ち直したのです。
これから「新しい日本の経済」は、世界にまだ出ていない「世界最速のマイクロチップ」を売り出しますし、価格はインテルの100倍以上になるなので、最高額で世界に売り出しますが、「私個人の防衛技術と特許」だし、どこで作っているかも「極秘」です。
完成品はもう出荷準備をしていますし、それを売り出すメーカーも輸送ルートも相手国も全て「私個人と契約済」ですので、「新しい日本経済」は安泰です。
「日本は資源がない国」と言われていますが、もうとっくに「大量の金」を日本近海で掘り出して大量に取れています。
「天然の原油」も日本領域で見つかり掘っています。
人工的な石油「合成燃料(e-fuel)」も私の特許で成功して作っています。
あとは「次世代型の自動車」を開発するだけですが、もう成功して販売する準備をしています。
「地球環境や自然界を破壊しない物」を作れば、世界は必ず欲しがるので、今の日本の自動車産業は衰退すると思いますが、それに変わる自動車は皆さんが知らないメーカーが売り出すのでお楽しみに!
2025年から始める全ての企業の成功が、日本という国を守る方法なのです。
「人口が減り続ける対策」も完璧にできていますので、世界の現実を見ていない人たちの言うことは無視して下さい。
世界と対等以上に付き合える「外交官」は私以外に誰もいませんし、私個人が世界のトップたちと契約したので、「今の日本国の契約」など今後は意味がありません。
「全て吉岡一門頭領との契約」ですので、私が日本をどうするかで決まるので、過去に囚われている人たちや、日本を裏切る行動をしている人間は、多分、日本にはいられなくなると思います。
どうぞ、「裏切り者」や「子供を産まない人たち」と「お金を持っていない人たち」は早めに海外に出て行って下さい。
「新しい日本」を作るには、「新しい子供を産む」ことでしか「国の税収」は増えないので、一気に日本の人口問題を解決する法律を通しますので、お金がない年寄りや男たちは死ぬまで低賃金で労働者として働いて下さい。
これから「日本人の収入格差」は一気に広がり、今の3倍以上になると思いますが、それは世界では「標準」です。
「能力がある人」や「結果を出せる人」にたくさん給与を払うためには、無駄な仕事しかできない人間を切ることも必要だし、日本人以上に日本が好きな外国人はたくさんいるので楽しみにしています。
「人間は土地の広さに応じた食料」しかできないので、「食べ物」を作っていない土地の人はきっと、今の高い家賃も払えなくなると思いますので、早めに家を売って外国に出て行って下さい。
後期高齢者の75歳以上の人にかかる医療費や介護費用のお金がこれから日本の財政を逼迫することが問題なのに誰もその対策をする政治家がいないので、貯金をしていない人間は日本には住めなくなるの為、早く「アジアに引っ越し」して下さい。
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