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  4. 日本に対する「愛国心と誇り」を持った日本人はいるのでしょうか?

日本に対する「愛国心と誇り」を持った日本人はいるのでしょうか?

もし、あなたが「愛国心を持っている」と言うのなら、今の日本国旗(日の丸)の前の「大日本帝国の国旗」をご存知ですか?

 

答えは、日本軍と一緒に戦った「大東亜共栄圏」の国々を意味する「日章旗」が正解です。

「日の出る国の日の丸」と「大東亜共栄圏の国々」との軍事条約を意味する国旗なので、「日本軍と大東亜連合軍」はこの「日章旗」を掲げて戦ったそうです。

現在も「海上自衛隊」だけに認められている理由は、「日章旗」を掲げて東シナ海やフィリピン海や南シナ海を航行すると「敵だと思われない」ので安全に航行するために掲げています。

世界の船の国旗のルールは、「自国の国旗」と「通過する国の国旗」の2本を掲げることが「世界のルール」なので、海上自衛隊の船や潜水艦には「世界の国旗」が必ず用意されています。

今の「日の丸の日本国旗」は、私の祖父である「日本陸軍北海道方面本部富良野中隊の中隊長」だった「岩渕安治名誉傷痍軍人」が、大東亜戦争の敗戦後に「昭和天皇から感謝の印」を授かる時に決まった国旗だし、「アイデアを出したのは私の祖父」だと本人から聞きました。

昭和天皇と二人で「別室」で会議をしていた「日本の陸海空軍のトップ」と大東亜戦争で戦った「外国の官僚たち」が、「日本国憲法」を作った時の「新しい日本の国旗を決める会議」をしていましたが、なかなか決まらず、隣の部屋にいた岩渕安治中佐にアドバイスを求められた時に祖父はこう言ったそうです。

 

祖父:大東亜戦争は、誰もやりたくない戦争が始まったせいで多くの人間が死んだのだから、ここにいる「世界の国の人間の血液」を一滴づつ水に落として、「全員の血」を白い生地に写しとれば、「真っ白な未来の白地に染まる世界の人の血」が混じるので、「新しい平和な国」が生まれると思うぞ!

 

祖父の名前は世界でも有名で、「二度も戦争に行っても死なない神様」として世界の軍人たちにも尊敬されていたそうです。

その場に居なかった国の人間を急いで見つけて「血液」を入れて、最後に「昭和天皇」が自分の血液を1滴入れた途端に綺麗な赤い色が黒くくすんだので、全員が驚いたそうです。

そこで「全員の願い」で祖父の岩渕安治中佐の血を1滴入れると、「綺麗な赤に色が変わった」ので、新しい日本国が決まったことを祖父の岩渕安治本人が教えてくれました。

こういう事情なので、岩渕安治中佐の家では「国旗を掲げない人」だったので周りの人からよく怒られたそうですが、誰にも国旗を掲げない理由を言わなかったので、私にだけ真実を話してくれました。

 

18歳から私は「防衛省の仕事」をしていたので、家族の誰にも話さず、「祖父」にだけは真実を正直に話していましたし、「31歳で特別統合幕僚長」になった時には「千歳駐屯地」にいる自衛隊員全員にこの話を正直に伝えたので全員が泣いてくれました。

 

祖父)そうか、お前も国を守る人間になったのか?

これはやはり、日本を裏から守り続けた「吉岡一門頭領の宿命」だな。

ところで階級は何だ?

 

私)これからの時代は武器よりも先に「コンピューターの戦い」になるので、私が防衛省のすべてのコンピュータープログラムを組む仕事を「栗栖弘臣統合幕僚会議議長」に頼まれたので、セキュリティ上、「陸将補」という資格を頂きました。

 

祖父)今の陸将補は「日本陸軍の少将」なので「従四位」だから、俺の「従五位の中佐」より上だな。

これは上官殿、大変失礼しました!

と椅子に座ったまま「敬礼」をしてくれました。

 

私)でも爺ちゃん、大丈夫ですよ。

私は1円も「国のお金」は貰わないことにしたので、「資格」だけもらって頼まれた仕事はしますが、「ただのボランティア」なので、そこらへんの「ゴミ拾いのボランティア」と同じなので敬礼は辞めて下さい。

 

祖父)そんな話を聞くと、俺がもっと頭を下げなきゃいかんな。

だってな、「大東亜戦争」の時にも自分で勝手に軍服を作って戦いに出た民間人もたくさんいたし、「大東亜共栄圏」の人たちはろくな制服もないまま、自分で作ったボロな服で一緒に戦ってたくさん死んだのに、俺みたいに「傷痍軍人手当」なんて出ない人たちがたくさんいるんだぞ!

「日本の昭和天皇が、勝手に戦争を仕掛けて勝手に負けた戦争」

だと日本国の内部の奴らが教えてくれたので、俺はここでお前に土下座しないと筋がおかしいので、おい!俺をまず立たせろ!!!

 

祖父は言いだすと、絶対に誰の話も聞かないし、左足が無くても体はデカいし、農家で腕も太いので下手なことをすると殴られるので、立たせてあげて「正式な土下座」をしてくれたほど規律に厳しい人でした。

 

「第一次大戦」は、1914年(大正3年)7月28日から1918年(大正7年)11月11日にかけて、「連合国と中央同盟国間」で行われた世界規模の戦争ですが、「生き残って帰ってきた祖父」を一緒に戦った仲間や上官が推薦したおかげで、「大正天皇から金杯と勲章」を頂きに迎賓館に行ったそうです。

大東亜戦争のあとも「昭和天皇から金牌と勲章」を頂くために迎賓館へ行きましたが、「二つの勲章と金牌」はタンスの奥に隠してあり、国から支給された「陸軍中佐の制服」も一度も袖を通さず、そのまま保管してありました。

「おい、婆さん、学にその軍服を着せて、俺に見せてみろ!」

と言うので正式に勲章を婆ちゃんに付けもらい写真を写したので、昭和62年(1987年)10月6日に満84歳で亡くなった祖父の「棺桶」の中に入れて天に上げてあげました。

私は28歳だったので、「陸将補のバッチ」と賞状も一緒に棺桶に入れて、「爺ちゃんの遺体」と共に天に上がってもらいました。

 

2023年10月18日に「防衛省ツアー」に関東の仲間と行きましたが、その時に展示されていたのは祖父の岩渕安治が国からもらった物を「別な人の名前」ですべて返却したので展示されていたのを見て久しぶりに懐かしくなりました。

私は「防衛省のトップ」なのですが、「部下の統合幕僚長」や「陸海空の幕僚長」たちとよく揉めたので、「一般参加者」として事前に予約リストに名前を出して参加したので、昔懐かしい場所を案内されたし、案内してくれた人も同じだったので一応気遣いしてくれたのでしょう。

「地下の施設」を見たあと、地上に整列していた自衛隊員たちがきれいな隊列を組んで「夕方の国旗敬礼」をしていたのを、私が地上に出た瞬間に始まったので「自衛隊員たちのお礼」だとわかったので、門を出てから統合幕僚長がいる真ん中の部屋に向かって敬礼して「お別れ」しました。

今の防衛省の統合幕僚長の部屋は「本当は私の部屋」だし、その部屋だけ喫煙できるように窓が開くので、幹部の喫煙者はいつもそこでサボっているのでよく知っていますが、「上司の言うことを聞かないバカな部下たち」が多いので、いづれまとめて処分するつもりです。

 

「大東亜連合」という言葉の意味は、「第二次世界大戦」は日本が勝手にハワイの真珠湾を攻撃したことにしたい「日本とアメリカの官僚たち」が作った言葉なので、私はあえて戦争の意味を正しく伝えたいので「大東亜戦争」と呼ぶのです。

 

ではなぜ、「第二次世界大戦」という名前に決めたのか?

この理由を祖父に聞いた時、いかに「日本の官僚」が国を裏切っているのかわかりました!

「第二次世界大戦」という名前をつけた理由は、「大東亜戦争は日本が勝手に戦争を始めた」と嘘を広めたので、日本が勝った「第一次世界大戦」も、日本が勝手に戦争を始めたイメージにするために作った「造語」が、「第二次世界大戦」という言葉なので、私はこの言葉を使いません。

 

第二次世界大戦のWikipedia

1939年(昭和14年)9月1日から1945年(昭和20年)8月15日[40]または9月2日まで約6年にわたって続いたドイツ・イタリア・日本などの「日独伊三国同盟」を中心とする「枢軸国陣営」と、「イギリス・フランス・中華民国・アメリカ・ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)などを中心とする「連合国陣営」との間で戦われた戦争である。また、「中立国」も存在した。最終的には「連合国陣営の勝利」に終わったが、第一次世界大戦以来の世界大戦となり、人類史上最大の死傷者を生んだ。

 

まもなく「新しい年度」が切り替わる2025年4月1日には、ぜひ、「日本国旗」を掲揚して「愛国心」があることを示して下さい。

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