2001年、レイ・チャールズの「エリーマイラブ」は私が桑田佳祐に頼んだ結果です。
私が2001年1月10日に「3年間の解脱体験」が終わったので、心配してくれていたビヨンセに電話して報告した時に、「できればいつか、マイケルジャクソンに会いたいなあ。」と電話で話すと、すぐに「ジャネット・ジャクソン」に電話をしてくれて、「来週、マイケル・ジャクソンの自宅で会う約束になったよ!」と電話がありました。
つまり、2001年1月10日にマイケル・ジャクソンの自宅のカリフォルニア州サンタバーバラ郡にある「ネバーランド・ランチ」に行ったということです。

「解脱するまでの3年間は何も食べてないので、78kgあった体重が解脱後58kgしかないのでフラフラだから迎えにきてくれよ!」とビヨンセに頼むと、マイケル・ジャクソンの豪華ジェット機に「ビヨンセ」が乗って丘珠空港に迎えに来てくれて、タクシーで家まで迎えにきてくれて、一緒にマイケルの家(ネバラーランド・ランチ)まで連れて行ってくれました。



ビヨンセは仕事があるのですぐに帰りましたが、マイケル・ジャクソンが家の中を全て見せてくれて、いろんな思いを語ってくれたし、自分が世界中のコンサートのたびに拉致されそうな子どもたちを自分の家で育てていたので、子どもたち全員が挨拶してくれて、「きちんとした教育をしている」ことにも感動しました。
私は3年間も何も食べ物を食べていない「解脱後」だったので、「食べ物はあまり食べられないので、できればサラダだけお願いします」と言うと、マイケルが自分でサラダを作ってくれて、いろんな国のお酒を二人で飲みながらいろんな質問をしあいましたが、「全て本音」で話しあったので、お互いが経験したことの凄さに共感し、二人とも泣きました。
「ジャクソン・ファイブ」の時代から「マイケルの澄んだ声」に感動していた私なので、「なぜ、一人で歌うようになったのか?」を質問しましたが、「あまりに辛い家族のイジメに身も心もボロボロになって家を出たんだ」と妹のジャネット・ジャクソンにも話していない本当のことを全て教えてくれました。

私のことは「ビヨンセ」や「ジャネット・ジャクソン」から聞いていたようですぐに本音で言える関係にまで打ち解けたし、「年齢」を聞くと日本で言えば同級生のドンパ(北海道弁)なので一緒に日本のカラオケセットがあったので歌いまくりました。
マイケルが自分の歌をカラオケで歌っている姿が面白いので、「英語バージョン」と「日本語バージョン」で歌ってくれよ!」と言うと素直に歌ってくれましたが、日本語の発音がおかしいので何度も「やり直し!」と曲を停止して、日本語の発音を教えましたが、マイケルは怒りもせずに真面目に私の教えを繰り返すほど素直な性格でした。
「吉岡さ、俺は母親からこう言われ続けたのさ。
お前は子供の頃から覚えが悪いし、頭が悪い子だと子供の頃から殴られたので、吉岡のように優しく教えてくれたら、もっと上手に日本語を話せたはずなので、これから定期的に僕の日本語の先生になってこの家まで通ってくれないかなあ?」
とまで言われる関係になり、とても親しい関係になりました。
マイケルに頼まれたので、「ビヨンセ」に教えたダンスも見せてあげて一緒に踊ると、マイケルも自分の「スローバックステップ」を教えてくれたし、二人で日本のカラオケを歌いながら私とハーモニーした動画も録画してくれて、1泊させてもらいました。
その時の動画は、きっと、ジャネット・ジャクソンが持っていると思います。
翌朝、朝食の時にマイケルが突然、こんなことを言い出しました。
2001年9月7日の「マイケル・ジャクソン30周年コンサート」に公開する動画を「We Are the World」にしようと思っているので、「デジタルで再録音」するので、吉岡も参加しなよ!
とマイケルが言うので私も参加する流れになり、声を出して一緒に歌いましたが、最後にマイケルが私を隣に立たせて集合写真を写そうとしたので、
「それだけはできないんだよ!
俺は日本国の仕事を色々やっているので、有名になるとまずいことがたくさんあるんだ。」
と言って断りましたが、どうしてマイケルが引かないので、
「一番後ろの右端の場所」に立って写真に写しました。
3年間も食べ物を全く食べていないので、78kgあった体重も58kgになっていたのでゲッソリ痩せた自分に「隣の女性が自分のサングラス」をかけてくれて、世界の一流の歌手と一緒に写りましたが、上下真っ黒の洋服に痩せすぎた私なので「亡霊」みたいに見えると思いますが、私です。

- Screenshot
実は、「We Are the World」のパート録音時、なかなかみんなの声が合わないので、マイケルが「吉岡!出ておいでよ!」と言われて、日本語で書いた「パートの楽譜」を渡されて歌ってみると周りVIPたちが、
「吉岡の声はクリアすぎて、俺たちの声がかすれて聞こえるので外してくれ!」と大問題になりました。
「We Are the World」には、私が中学生の頃から聴いていた大好きなアル・ジャロウ、クインシー・ジョーンズ、ケニー・ロギンス、シンディ・ローパー、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ハリー・ベラフォンテ、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ライオネル・リッチーが、
目の前にたくさんいるので挨拶もできないまま歌いましたが、結局、一番後ろで「小さい声」で歌うことで納得してくれました。
私の声は、2001年1月10日に「解脱」したあと、42年間の苦しい思いが全て浄化できたのでとてもクリアな意識になり、2001年4月から「札幌市の三角山放送」でラジオパーソナリティを1年半、毎週1時間「吉岡学のヒーリングタイム」として生放送を一人でやっていましたが、今の声とは全く違う声ですので良ければ聴いて下さい。
私が登場して歌おうとすると、「有色人種」を嫌う「イギリスの歌手たち」が大きな問題にしたので、「イギリスに帰る」と言い出した事件が起きたのです。
これが、日本人にはわからない「人種差別」の世界の実態です。
ビヨンセとマライヤにはよく聞かされていましたが、「有色人種を本気で嫌がる白人が多い」ので、殴り合いの喧嘩になりそうだったので「1発だけ蹴り」を入れてやりましたが、マイケルが収めようとしても収まらず、スティーヴィー・ワンダーが仲介役になろうとしても殴る奴がいたので、私が歯がいじめにして抑え込んでやりました。
そんな状況になったので、白人のほとんどが帰り支度を始めた時に、「レイ・チャールズ」が遅れて会場へやってきたのです。

「私は昔からレイ・チャールズの大ファンなので握手させて下さい。」と言うと温かいハグをしてくれて、
俺は吉岡の歌声を聞いていると、吉岡の人生がクリアに見えるので大好きな人にだけ呼ばせる「レイ」と俺を呼んでくれ!
と言われたので、レイとハグして泣いてしまいました。
レイは、さらに、こう続けました。
「さっきから楽屋で吉岡の綺麗な声を聞いていたので、もし、この「We Are the World」に吉岡を出さないなら、「We Are the World」のハーモニーも成立しないので俺も出演しないで帰るぞ!
マイケルの思いに賛同した世界の歌手が、この「We Are the World」のために世界中から歌手が集まったので、全員のゲスト料とキャンセル料は俺が払ってやる!!
それでも、お前たちは帰るつもりなのか?
世界の人の思いをひとつにするためにマイケルが集めてくれた想いもわからないほどバカなら、俺はもう歌手として歌うことをやめるぞ!
俺たちはみんな貧しい家庭で生まれたからこそ、歌でここまで頑張ってきたし、吉岡はもっと貧しい生活を経験して今、ここにいるのに、なぜ、世界の有名な歌手が、戦争で負けた日本人の吉岡を拒否するのか!!
お前たちは、人に希望を与えるために歌っているはずじゃないのか!!俺は、情けないぞ!!(涙)
と本気でレイが怒った姿を見たので私も驚きました。
このようにいろいろありましたが、最後は全員と和合できて素晴らしいハーモニーになったと全員と握手してキスしてくれましたが、それほど「レイ・チャールズの歌声」は世界のプロの歌手の心にも残る「魂の鎮魂歌」なのです。

こんなやりとりもあったので、私は最後まで気を使いましたが、どの歌手よりも声量があり、解脱したクリアな歌声が遠くまで届くので一番後ろで姿を隠して歌い、朝方に全ての収録が終わりました。
やっと終わったと思っているとマイケルが、こう言い出しました。
「吉岡は一度も本気で歌っていないので、もう誰もいないのでここで一人で大きな声で歌ってみなよ。
僕も後ろからサポートするから、さ!やってみて!」
全員が楽屋に戻るのを確認してから少しづつ大きな声で歌い出すと、
「もっともっと、大きな声で腹の底から声を出して歌って!いけ!!吉岡学!!」
とマイケルが横で叫ぶので、一人で「1曲最後」まで本気で歌い切ったあと、振り返ると楽屋に下がったはずの全員が私の後ろに立っていたので、そのままもう一度、全員一緒に歌った歌が「最終録音曲」に決まっとマイケルが教えてくれたし、参加者も全員一致でOKを出したそうです。
そんな経験をして感動していると、全ての収録が終わったのでレイ・チャールズにお礼を言おうとするとこう言われました。
「吉岡は最近、日本のどんな歌手の歌を聞いているのか教えてくれよ!」
と聞かれたので、心が疲れた時に聞く「桑田佳祐のいとしのエリー」をスマホに入れてあったのを「レイ」に聞かせると、
「自分もこの歌を歌いたいので、許可をとってくれ!」
と言い出しました。
その場で知り合いのキャリア官僚に電話して「桑田佳祐の事務所」を探してもらうと、桑田佳祐本人が電話をくれて、
「僕もレイ・チャールズは大好きなので光栄です!
タダで楽曲を差しあげますと伝えて下さい!」
とOKをくれたので、あとで「楽譜」を「レイ・チャールズ」から聞いた自宅の住所に送ってもらいました。
それが、レイ・チャールズの「エリーマイラブ」です。
https://youtu.be/Ri2cr0-HgtE?si=vHDL2DlPs2gHmwXJ

「レイ・チャールズ」は、「私への歌のお礼」として、
「日本の札幌で俺の1回だけのコンサートを開くので、どこか場所を探して連絡をくれ!!」
と言われたので、日本に戻ってから急いで探すと、「札幌市内の北海道立産業共進会場(5,831人収容)」だけ予約が取れたことを手紙で伝えると、すぐに私の自宅に一番前の列のチケットを2枚送ってくれたので、嫁と一緒に参加しました。

この「札幌だけのレイ・チャールズのコンサート」は、楽曲をタダでくれた「桑田佳祐へのお礼の意味」もあるので、桑田佳祐にはこう電話して人を集めてもらいました。
私)レイが歌う会場を札幌でやっと抑えたよ。
好きな芸能人でも友達で誰でも誘っていいからね!
北海道立産業共進会場の収容人数は5,831人なので、余ったら”チケットぴあ”で売るから参加者を決めて連絡下さい!」
桑田佳祐)吉岡さんの世界中の人脈には敵わないし、僕にできることと言えば「ホールを満員」にすることくらいなので、あとのことはこちらに任せて心配しないで下さい。
きっと、「チケットぴあ」なんて使わなくてもすぐにいっぱいになると思うので、当日、吉岡さんとレイ・チャールズにお会いできるのを楽しみにしています!

さすが、桑田佳祐だと思いましたが、日本中の歌手や芸能人や歌舞伎役者の家族だけで予約満席になったので、「レイの魂の歌の影響力」は世界に浸透していることを実感しました。
このコンサートのあと、レイに個人的にお礼を伝えたかったのですが、私の嫁には何も話していないし、芸能人たちはレイに群がるし、知っている歌手や芸能人も多いのですぐに帰りました。
あとからレイに聞いた「自宅の住所」に北海道のお菓子を山ほど送り、お礼のお手紙を書いて送りましたが、レイもすぐにいろんなプレゼントをすぐに送ってくれたので、「さすが、すぐに恩返しをする世界のレイ!」だと感動しました。
当日、会場の一番前のど真ん中でレイの汗が飛びかう中で歌う「最後のレイ・チャールズ」の元気な歌声を「生」で聞けたことが人生の最大の癒しになり、42年間、頑張ってきた「神様のお礼」だと感じました。
レイの札幌コンサートは、2001年の夏の1回限りの出来事だし、マイケルには「俺はダチからお礼のお金は貰わない主義なので、ギャラは受け取らないことを条件として「We Are the World」に出たので、金はいらないぞ!」
と言ったほど大親友なのに、マーゴが拉致する子供達をたくさん助けたことを恨んだ結果、「マーゴ」に殺されてしまいました。
▶️マイケル・ジャクソンを殺したのは、主治医のコンラッド・マーレーです。

世界のVIPたちの中には、こういう「お礼や恩返し」をすぐにする気遣いができる人たちだからこそ有名になり、長い人気が続く人たちなのだとよくわかりました。
当然、2001年9月7日の「マイケル・ジャクソン30周年コンサート」には、マイケルが私を招待してくれたので、マイケルと同じ衣装を着てステージに出て一緒に歌って踊り、大人気でした。
私が一番長いお付き合いのVIPは、「マライヤ・キャリー」と「ビヨンセ」と、「真田裕之」と、「シルベスター・スタローン」と、「トム・クルーズ」ですが、みんなも私も忙しいので時々しか会えませんし、いつも重要な時ほど日本で「神事」があるので、いつも「分身」を行かせたので悔しい思いでいっぱいです。

1959年に生まれてから2025年まで、自分がどういう経験をしたのかは誰にも一度も話したことはないし、どんなに高額なお礼のお金も受け取らない私なので、どんなに有名人でも一緒の写真を写したことはありません。
絶対に、名前が出ないようにした理由は、「国防の仕事をしていることがバレるとまずいし、私の大好きなVIPたちに迷惑をかけたくない”」という一心だけでした。
「マイケル・ジャクソン」と「レイ・チャールズ」に会えたことは「私の人生で最高の出来事」だし、私のために「We Are the Worldを録音し直す」と言ったマイケルの優しさには言葉を失いました。
2025年から始まる「新しい世界」は、「We Are the World」の音楽を聴いて、心を合わせて一緒に生きていきましょう!





