2019年7月18日、「京都アニメーション放火殺人事件」は世界の支配者マーゴがやらせた放火です
京都アニメーション放火殺人事件(きょうとアニメーションほうかさつじんじけん)は、2019年(令和元年)7月18日に日本の京都府京都市伏見区で発生した放火殺人事件。報道における略称は京アニ事件[12]、京アニ放火など[13]。
アニメ制作会社「京都アニメーション」の第1スタジオに男Aが侵入し、ガソリンを撒いて放火したことで、第1スタジオが全焼して実行犯の男(以下、A)を含む70人が死傷した(36人死亡、34人負傷)。この事件は1938年(昭和13年)に発生した津山三十人殺しの犠牲者数30人を超えて、明治時代以降の大量殺人事件において最多の犠牲者数とされている。Aは殺人罪および殺人未遂罪、現住建造物等放火罪などに問われ、2025年(令和7年)1月に死刑判決が確定した。
概要
2019年7月18日昼前、京都アニメーション第1スタジオにA(当時41歳)が侵入、バケツからガソリンを建物1階にまいてライターで着火したことにより、爆燃現象が発生した。結果としてスタジオは全焼、社員36人が死亡、33人が重軽傷と、日本国内の事件では過去に例を見ない大惨事となった(#被害状況)。
国内外で人気を得ていたアニメ制作会社を標的とした大量殺人事件として、世界に衝撃を与え、内閣総理大臣や国際連合事務総長、各国の政府の長や大使館、各界の著名人から弔意が寄せられた。また、Twitter(X)ではハッシュタグ「#PrayForKyoani」と共に、さまざまな言語による追悼や応援の声が上がった。更に、国内外からの寄付金は30億円を超え、税制上の優遇制度を適用する特例措置が取られた(#政界の対応)。
その一方で、事件で死亡した犠牲者全員の氏名が公表されるまで1か月以上かかる異例の事態となり、実名報道の是非や要否についての議論が巻き起こった(#犠牲者の実名報道)。同時に、被害者や遺族への支援の不足も表面化した(#被害者支援)。
Aは、事件直後に身柄を確保された。Aも犯行時に瀕死の重傷を負ったものの、約10か月にわたり入院した後に逮捕、更に半年後に起訴された(#犯人)。刑事裁判では、2023年(令和5年)から2024年(令和6年)にかけて京都地方裁判所で第一審(裁判員裁判)の審理が行われ、Aは現住建造物等放火罪、殺人罪、建造物侵入罪、殺人未遂罪、銃刀法違反などの罪に問われた。
公判では事件当時のAの責任能力が主な争点になり、中間論告・弁論を何度か行う異例の長期審理になったが、2024年1月25日に同地裁は責任能力を認定した上で「死刑はやむを得ない」としてAを死刑とする第一審判決を宣告した[14]。Aは大阪高等裁判所に控訴したが、翌2025年(令和7年)1月27日付で自ら控訴を取り下げたため、控訴審の公判は開かれることなく、第一審の死刑判決が確定した(#刑事裁判)[9]。
事件の推移
事件前

1981年(昭和56年)に創業した京都アニメーションは「京アニクオリティー」と呼ばれる高い品質によって国内外でも人気を得ていた[15][16]。だが、事件の数年前から作品への批判や社員への殺害予告が相次いでおり、その都度警察や弁護士へ相談し、対処していた[17]。しかし今回の事件との関係については分かっていないと捜査関係者は話している[18]。
同社は以前から防火・防災に熱心に取り組んでおり、第1スタジオは平成26年度の消防記念日(2015年〈平成27年〉3月7日)に伏見消防署長表彰を受けている。また、2018年(平成30年)10月17日に消防法に基づいて行われた立入検査でも不備はなく、同年11月14日の訓練でも配属社員の9割に当たる70人が参加していた[1][19]。
事件当日、現場となった第1スタジオでは、NHKが京アニに2020年東京パラリンピック関連の短編アニメ『アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜』の一編の制作を依頼した関係で、NHKによる取材が11時より予定されていた[20][21][注 2]。
事件発生
午前10時31分、赤いTシャツとジーパン姿の犯人Aが第1スタジオ(地上3階建て、面積691.02平方メートル)の自動ドアから侵入し、バケツ2個で10リットルから15リットルのガソリンを建物1階に撒いた。ガソリンが近くにいた社員たちやその資料に降り掛かり、驚いた社員たちはその場から退避しようとしたが、Aは「死ね」と暴言を吐きながら多目的ライターを近くにいた社員に突き出して放火。爆発音、閃光とともにオレンジ色の炎が天井まで上り、爆燃現象が発生。Aの侵入から放火までは10~20秒ほどだった[24]。
放火から火災鎮火までの経緯は以下の通り。
- 7月18日
- 10時31分ごろ – 放火事件が発生。爆発音とともに爆燃現象が発生した[25][26][4][注 3]。
- 10時33分 – 京都市消防局に最初の119番通報。119番通報は22件に及んだ[4]。
- 10時35分 – 京都市消防局から消防・救急など各隊に対する最初の出動指令[4]。
- 10時38分 – 生存者の避難が終了[13][27]。
- 10時40分 – 京都市消防局の最初の隊が到着。多数の負傷者を確認し、増援を要請[4]。
- 10時43分 – 到着した消防隊により放水開始[4]。
- 10時44分 – 屋外に避難した社員37人のトリアージ開始[4]。
- 10時55分 – 消防隊が1階屋内に進入。救助活動開始[4]。
- 11時10分 – 赤(重症)のトリアージ判定完了[4]。
- 11時15分 – 2階の救助活動開始[4]。
- 11時17分 – 負傷者の病院収容開始[4]。
- 11時28分 – 黄(中等症)の判定完了[4]。
- 11時30分 – 3階の救助活動開始[4]。
- 12時23分 – 重症と判定された10人の病院への搬送完了[28]。
- 12時30分 – 第1次応急体制(消防庁災害対策室)[1]。
- 13時40分 – 緑(軽傷)の判定完了[4]。
- 13時45分 – 塔屋(屋上)の扉開放[4]。
- 14時00分 – 1階で発見された2人の遺体の搬出完了[4]。
- 14時03分 – 全負傷者の病院収容完了[4]。
- 15時19分 – 燃焼拡大の危険がない鎮圧状態宣言[4]。
- 16時31分 – 2階で発見された11人の遺体の搬出完了[4]。
- 17時15分 – 火災原因調査の技術的支援のため、消防庁職員3名、消防研究センター職員2名を現地に派遣[1]。
- 21時12分 – 3階で発見された20人の遺体の搬出完了[4]。
- 7月19日
被害状況
人的被害
京都府警察などによると、第1スタジオには役員・従業員合わせて70人がいたが、そのうち69人が被害を受け、40代男性1人のみ無事だった[29][注 4]。死亡した犠牲者の中には木上益治や武本康弘、西屋太志、池田晶子といった著名なアニメーターも含まれていた[31]。
死亡者
| 焼死 | CO中毒 | 窒息 | 火傷 | 敗血症 | 不明 | 合計 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3階 | 12 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 20 |
| 2階 | 8 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 11 |
| 1階 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 5 |
| 合計 | 22 | 5 | 5 | 2 | 1 | 1 | 36 |
事件当日に33人の死亡が現場で確認され[注 5]、翌日以降に3人が死亡した(後述)。各階での死因や人数は下表の通り。以下、各階の特記事項を列記する。
- 3階
- 犠牲者は、3階から屋上へ上る十数段の階段で、折り重なるように倒れた状態で発見された[12]。屋上階段は煙がたまりやすく、目を開けることすら困難だったと、京都大学防災研究所の西野智研准教授は推測している[35]。20人の内、1人は3階と踊り場の間の階段で倒れ、踊り場から上の階段で14人が折り重なるように倒れており、5人は屋上扉の手前で発見された[36][注 6]。
- 2階
- 2階の犠牲者11人は特定の窓の付近で固まって倒れており、生存者はこの窓が完全には開かず、熱で割れるまで脱出できなかったと証言している[37]。2階で発見された犠牲者のうち2人の死亡推定時刻はいずれも10時40分ごろ[38][39]。
- 1階
- 事件当日に、2人の死亡が確認された。事件翌日の7月19日夜、1階正面玄関から屋外に避難し、病院に搬送された30代男性社員1名が死亡した[40]。さらに、1階で負傷して正面玄関付近の屋外で救助された20代男性社員1名が、7月27日17時53分に大阪府内の病院で死亡した[41][42]。その後、残りの負傷者は快方に向かっていると報道されたものの[43]、1階で負傷して正面玄関付近の屋外で救助され、火傷により集中治療室で治療中だった24歳女性が、併発した感染症に起因する敗血症性ショックにより10月4日20時20分に死亡した[33][44][注 7]。
法医解剖医の西尾元は、多くの犠牲者の死因が焼死と診断された理由について、熱による作用が体の表面に大きく及んだ遺体が多かったためと推測している[47]。京都アニメーションは、犠牲者の葬儀には社員が2人1組で参列するよう手配し、中には5回参列した社員も複数いたが、それでも一部の葬儀には参列できなかった[48]。
警察庁によれば「放火事件としては平成期以降最多の死者数」とされている[49][注 8]。また『読売新聞』は更に時期の範囲を広げ、殺人事件として「戦後でも最も死者が多いとみられる」と報じている。なお、この事件による死者数は、戦前の1938年(昭和13年)に発生した津山三十人殺しの死者30人をも上回っている[51]。
生存者
| 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60代 | 合計 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 死亡男性 | 5 | 6 | 2 | 0 | 1 | 14 |
| 死亡女性 | 12 | 5 | 5 | 0 | 0 | 22 |
| 負傷男性 | 4 | 7 | 2 | 2 | 0 | 15 |
| 負傷女性 | 10 | 4 | 4 | 0 | 0 | 18 |
| 合計 | 31 | 22 | 13 | 2 | 1 | 69 |
一方、現場から脱出した社員(後に死亡した者を除く)の年齢は21歳から53歳まで[3]、事件発生時点での所在、および脱出地点は以下の通り[53][54][55]。
- 3階
- 3階窓 – 1人
- 3階で死亡した20人と同様に屋上に避難しようとしたものの、遅れたために煙で呼吸が出来ず断念。少しでも新鮮な空気を吸おうとしゃがんだ際に、うっすらと差している光に気付き、西側の窓を発見。窓を開けて身を乗り出したところ、足が半分かかるほどの幅で外壁に沿った出っ張りを見つけ、そこに足を乗せて壁にへばりついた。そして、近くにいた人々の誘導に従って10メートル進み、北西角にある雨樋を伝って降下し、近隣住民が掛けた梯子の先端に上った作業員に抱きかかえられて救助された[13][4][56][57]。
- 2階
- 2階窓 – 1人
- 2階ベランダ – 5人
- 2階ベランダ – 20人
- 2階から生還した男性社員は、爆発音から30秒で伸ばした手が見えなくなるほど目の前は真っ暗になり、かすかに見える光に向かって走ってベランダにたどり着いたと証言している[59][60]。同じく2階から脱出した社員には、体表の火傷が軽かったにも関わらず気道熱傷を負った者もいた[35]。
- 1階
- 1階トイレ – 3人
- 正面玄関 – 2人(1人は無傷)[4]
- 1階窓 – 1人
- 2階窓 – 1人
ある若い女性社員は、被疑者の男Aに直接ガソリンをかけられて全身火傷を負ったものの、脱出して病院に搬送された(その後の容態は不明)[25]。ベランダから脱出した25人のうち2人は近隣住民が掛けた梯子を渡り、残りの23人は飛び降りた[56]。事件発生直後、負傷者は火傷の深さや面積および骨折の重さより、重症10人、中等症6人、軽症20人と判定された(被疑者を除く)[4][注 9]。このうち19人は事件当日の夜に病院から帰宅し、16人は入院した(後に3人が死亡)[64]。10月18日の時点で女性4人が入院中、2人が自宅療養中だった[65]。2020年5月現在では1人が入院中だったが[66]、2021年7月の時点で退院しており、社員3人がリハビリテーションに取り組んでいる[67]。
建物

第1スタジオの建物が全焼した件について、京都市消防局は市議会において、同社の防火対策は適切だったと説明した[68]。消防法上、事業所扱いとなる第1スタジオに設置が義務付けられていたのは消火器と非常警報設備のみで、避難階段や避難器具、スプリンクラーなどの消火設備は設置が義務付けられておらず、実際に設置されていなかった[69][70]。同種の事件におけるスプリンクラーの効果の有無については、専門家の間でも意見が分かれている[71][72]。
また、1階から3階にかけて吹き抜けとなっている螺旋階段があり、2007年の完成検査で京都市が防煙壁の設置を指導し、天井からつり下がる長さ50センチメートルの防煙壁が設置されていた。しかし、玄関と螺旋階段の間の焼け方が特に激しかったことから螺旋階段の脇で火が放たれた疑いが高く、消防局は煙を食い止めることは難しかったとみている[73]。
前述の西野智研は、出火から5秒で煙が3階に到達、15秒で摂氏100度を超える煙が3階に充満し、30秒で2階から上の空間のほとんどが煙で満たされ、可燃物に火が付いた疑いを指摘している[74][75]。消防庁が12月23日に公表したシミュレーションでも、60秒で2階から上の空間が煙で包まれたという検証結果が出ている[76][77]。
京都アニメーション社長の八田英明は7月19日午後の記者会見において、近隣住民への配慮から建物を撤去したいと述べた上で「思いとしては、できれば公園にして碑を作りたい」と述べた[78]。一方、近隣住民の町内会は、不特定多数が訪れるような慰霊碑や公園を整備しないよう求める要望書を12月23日に京都アニメーションに提出している[79]。

11月25日から解体に向けた準備が始まり、2020年1月7日に着工、4月28日に完了した[80][81]。現地では、毎年の事件発生日に追悼集会が催されている(#当事者・関係者)。
京都アニメーションは、2021年12月より慰霊碑の建立を検討するため、遺族との意見交換会を始めた[82]。2022年6月、遺族会の代表者4人、会社の代表5人、従業員8人の合計17人から成る、慰霊碑建立に向けた検討委員会が設置され、建立する場所・形状・碑文の内容などを協議すると報じられた[83][84]。2024年時点の報道では、京都アニメーションは跡地が会社の事業用地としての利用も想定される状況になったとして、慰霊碑を建立しても非公開となる見込みとされている[85]。これとは別に宇治市内に事件の記憶を伝える碑が2024年に建立されている(詳細後述)。
資料・データ
7月19日の会見で、京都アニメーション社長は第1スタジオに保管されていた過去の作画や資料などはすべて焼失したと説明していた[86][87]。しかしその後、社外のイベント向けに貸し出されていた一部の資料が被害を免れていたほか、建物1階のコンクリートで覆われたサーバールームは、付箋がそのまま残っているほど無傷だったことが判明し[88][89]、デジタル化された原画などのデータについては欠損なく回収に成功したと発表された[90]。
この経験を踏まえ、マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟による「メディア芸術ナショナルセンターの整備及び運営に関する法律案」(別称・MANGA法案)が発案された際、京都アニメーションも作品資料の保管と活用およびアーカイブは切実な課題であるとし、法案の早期成立を呼びかけた[91]。
2021年7月、テレビアニメ『小林さんちのメイドラゴンS』が放送開始された。同作のエンドロールには犠牲者の1人である武本康弘がシリーズ監督・シリーズ構成・シナリオなどとして記載されている。京都アニメーション社長は記者の質問に対し、「この期間で2期放送出来るのは武本康弘としてほぼシナリオなどが完成していたおかげなので当然の事。別の所に紙媒体などが残っていたので記載している」とコメントしている[92]。
犯人・死刑囚A
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A・S
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|---|---|
| 生誕 | 1978年5月16日(47歳) |
| 国籍 | |
| 出身校 | 埼玉県立浦和高等学校定時制課程(1998年3月卒業) |
| 職業 | 事件当時は無職 |
| 罪名 | 殺人罪・現住建造物等放火罪など |
| 刑罰 | 死刑 |
| 犯罪者現況 | 死刑囚として収監中 |
| 動機 | 「京都アニメーションが自分の作品を盗作している」という被害妄想 |
| 有罪判決 | 京都地方裁判所・2024年1月25日(2025年1月27日確定) |
| 死者 | 36人 |
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逮捕日
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2020年5月27日 |
| 収監場所 | 大阪拘置所[93]( |
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経歴
被疑者として逮捕・被告人として起訴された男A・Sは1978年(昭和53年)[94][95][96]、当時の埼玉県浦和市で生まれ[96]、3人兄妹の次男(第2子)として浦和市(現:さいたま市緑区)で育つ[97]。1985年(昭和60年)に市内の小学校に入学したが、1987年(昭和62年)[96]、9歳の時に両親が離婚したため、以降は父と兄、妹の4人家族で暮らす[98][注 10]。小学生時代には、不良仲間を誘って日常的に万引きを繰り返し、1991年(平成3年)に公立中学校に入学してからは[96]、柔道部に所属し、部長が兄で威張っていたために、かなりの嫌われようだった[100]。父親はトラック運転手をしていたが、糖尿病を患い無職となり[101]、生活保護を受け家賃が支払えなくなり[102]、Aが中学2年生の時に転居[103]。Aは1992年(平成4年)に市内の別の公立中学校に転校後には「友達がおらずなじめない」と不登校になった[96][102]。父親は離婚後、冬にパンツ1枚で兄弟2人を外に立たせて水をかけたり、眠らせなかったりといった虐待も行ったが[102]、兄弟の体が大きくなると虐待はなくなる[104]。
中学卒業後は、1994年(平成6年)に浦和市(現:さいたま市浦和区)の定時制高校に夜間は通いつつ、日中は埼玉県文書課の非常勤職員として3年間勤務した[105]。高校2年の時に、職を失っていた父親の体調が良くなり、タクシー運転手として再び働き始め[106][107]、高校の先輩から紹介されたゲームによって、後に京都アニメーション作品を知るようになった[108]。高校の4年目には、県庁での仕事に加え、ガソリンスタンドのアルバイトも始めた[106]。
1998年(平成10年)に皆勤で高校を卒業後は[96]、ゲームの音楽を作る人になりたかったとの理由で音楽の専門学校に進学し[107]、学費を払うために新聞販売店に住み込んだが、学ぶものは何もないと学校を約半年で辞め、新聞配達のアルバイトも辞めてアパートで1人暮らしを始めた。兄がアパートを訪ねても「帰れ」「俺に関わるな」と追い返すようになった[103][109]。その後はコンビニエンスストアのアルバイト店員など非正規の仕事を転々とする[103]。父親は個人タクシーの業務中に死亡事故を起こして失業し、1999年(平成11年)12月に死去[105][110][111]。この際駆け付けた母親とは十数年ぶりに再会したが、会話はほとんどせず、Aは母親を睨みつけた[103]。
2006年(平成18年)8月[112]、埼玉県越谷市のアパートのベランダで住人女性の下着を盗み[113]、部屋に侵入して女性の口を塞ぎ[114]、暴行と窃盗事件を起こし逮捕される[115][116]。動機については「性欲に困っていた」「金欠でヤケになった」と語り[112][99][117]、2007年(平成19年)3月[112]、懲役2年・執行猶予4年の有罪判決を受けている[99][117]。留置場に収容中の家賃は母親が負担しており、その後母親とその再婚相手の住む茨城県に移り3人で同居した。しかし、再婚相手に「夢はないのか」と問われ口論になるなど険悪となり、半年間引きこもり生活を続けた後、仕事が見つかったとして母親宅を出て、茨城県や栃木県内で職に就いたが、いずれも長続きしなかった[118][119]。2008年(平成20年)12月、世界金融危機による派遣切りにより、常総市内の雇用促進住宅に移り住みつつも、家賃滞納などの問題を頻繁に起こした[97]。
2009年(平成21年)、京都アニメーション制作のアニメの原作小説に感化され、31歳で小説を書き始め、SFや学園系ライトノベルの小説家を志した[120]。ライトノベル業界や京都アニメーションのある女性監督に憧れ、インターネットの匿名掲示板2ちゃんねるのスレッドを見ていた際、その女性監督がそこに書き込んでいると思い込み[121]、そこでその女性監督とやり取りを交わし、恋愛関係にあるとの妄想を抱いた[122][123]。しかし、自身の作品に満足できず何度も書き直し[124]、掲示板でも嘲笑されて将来を悲観した[123]。また、掲示板に「変態」と書き込まれたことから、コンピューターをハッキングされ女性監督の写真で自慰をしたことが発覚したという被害妄想や、2012年放送の京アニ制作アニメ作品中の「なんで顔出さないの」という台詞が女性監督から自分に向けられたメッセージであるという妄想を抱いた[121]。それらのことから自殺を試みるも死にきれず、コンビニ強盗事件の直前には自暴自棄になって部屋のものを破壊していた[124]。
2012年(平成24年)6月19日には住居の壁に穴を開け、ガラスを割るなどして暴れ[97]、20日未明(0時20分ごろ)に坂東市のコンビニエンスストアで現金21,000円を奪う強盗事件を起こした後、11時ごろになって茨城県境警察署に出頭[125]、強盗と銃刀法違反の容疑で逮捕され懲役3年6か月の実刑判決を受けた。[126]。その際に「遊ぶ金が欲しかった。オウム真理教の信者も次々逮捕されており逃げ切れないと思った」「仕事上で理不尽な扱いを受けるなどして、社会で暮らしていくことに嫌気が差した」と供述した[注 11][127][97]。取り調べの際には「秋葉原無差別殺人犯と同じ心境だ」と述べ[124]、動機のきっかけを「母親があまりよい顔をしてない」「小説を書いていたけど、それを(出版社に)送らなかったこと」と述べたほか「(仕事を)クビになったときは、母を、兄も含めて、ガソリン撒いて燃やしてやろうか、と」など、小説へのこだわりや家族への恨み、放火などを示唆する供述をした[128]。
コンビニ強盗事件以降は、母親とは断絶状態となり[129]、兄や妹とも連絡を取ることはなくなり[109]、強盗および銃砲刀剣類所持等取締法違反に問われ[124]、同年9月には水戸地裁下妻支部で懲役3年6月の実刑判決(自首認定により減軽)を言い渡される[130]。当時は30歳代半ばで[124]、同年10月もしくは11月以降は水戸刑務所に服役したが[96]、この時に自身が事件前に牛久大仏を見に行ったことを刑務所の同房者に知られていたことから「闇の人物」につけられているという妄想を抱くようになり[131]、同年12月には喜連川社会復帰促進センターに移送された[132]。服役中の2013年(平成25年)1月から2015年3月にかけ、粗暴な言動を理由に相次いで懲罰を受け[注 12]、2014年(平成26年)11月には窓枠を動かしたことを注意されて逆上し保護室に収容され[96]、2015年10月、担当医から統合失調症と診断された[96]。
2013年7月以降の刑務所での記録により、Aは幻聴、幻覚、不眠などによるイライラに悩まされ、自殺のリスクが高い「要注意者」に指定[133]。服役中は騒音などで10回以上の懲罰を受け、2015年10月には37歳で精神障害と診断され、障害者手帳の交付や薬物療法も受けた[99][134]。刑務所の中で京都アニメーションの作品を鑑賞していて[133]、受刑中も小説のアイデアを書きため[123]、出所前のアンケートには「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後は大御所」と記した[133]。
2016年(平成28年)1月に出所し、浦和区にある更生保護施設清心寮で過ごした後、同年7月から見沼区のアパートに入居した。生活保護を受けながら暮らしていたが、そこでも騒音などの問題をたびたび起こした[97][105]。出所後、京都アニメーションが作品を公募する「京都アニメーション大賞」に短編と長編、「ナカノトモミの事件簿」「リアリスティックウエポン」とタイトルをつけた小説2作を応募するも[135] [136]、翌2017年(平成29年)に落選通知が届く[122]。その後、応募作品の一部を改変した上で小説投稿サイト「小説家になろう」に同じ作品を分割して投稿するも[137]、その読者はいなかったことからサイトを退会[120][138]。
2018年(平成30年)1月には、小説のネタ帳を自ら焼却した[139]。同年5月、訪問看護のスタッフはAの自宅を訪れた際、 玄関先で男から胸ぐらをつかまれ、包丁を振り上げられ「しつこいんだよ、いいかげんにつきまとうのをやめろ。やめないなら殺すぞ」「今のままでは人を殺してしまう。人間は足を引っ張る人間ばかり信用できない」と脅され[133]、男性看護師は包丁を渡すよう説得し、けがはなかった[140][141]。同年11月、偶然テレビで京都アニメーションのアニメを見た際、自身のアイデアが使われていると考えたと訴えた[142]。
2019年2月には、他人との関わりを絶とうと通院をやめ、翌3月には訪問看護にも居留守を使うようになりスマートフォンも解約した。同年6月、事件現場に持ち込まれた刃渡り20 cm以上の包丁6本をさいたま市内の量販店で購入し[143][144]、大宮駅前で無差別殺人を計画したが、未遂に終わった[145]。Aは被告人質問で、自分を監視している人物や京アニから離れるためには、それらに対するメッセージ性(作品を盗まれた人物が事件を起こした、すなわち「パクったことが害を生む結末になった」と伝えること)を込めた無差別殺人をしなければならないと考え、秋葉原通り魔事件を参考に鋭い刃物6本を用意して大宮で無差別殺人をしようとしたが、駅前に向かったところ人の密集度が低かったため、自分が想定する犯罪にはならないと判断して断念したと述べた[146]。その後「京都アニメーションに応募した小説からアイデアを盗まれた」「人生がうまくいかないのは京都アニメーションのせい」「社員も連帯責任で同罪」と思い込み復讐を決意し、2019年7月15日に自宅を出発。包丁6本を持って新幹線で京都に向かい[123]、3日後の18日に犯行に及んだ。
事件前後の動向
- 7月14日
- 7月15日
- 7月16日
- 7月17日
- 7月18日
- 10時0分ごろ – 事件現場から西へ500メートルのガソリンスタンドで「発電機に使う」と店員に告げてガソリン40リットルを購入[26]。京都到着から確保まで、常に赤いTシャツに青いジーンズを着用していた[154]。
- 10時31分ごろ – 路地でガソリン約10リットルを2つのバケツに移し替えて携行缶を遺棄した後に北へ30メートル移動し、6本のむき出しの包丁(内5本は鞄の中)とハンマーを付近に置いた状態で、第1スタジオ正面玄関から侵入してガソリンをまき放火[158][159][160]。
- その直後、自身の衣服にも引火した状態で逃走し、現場から南へ100メートルの京阪電鉄六地蔵駅付近の路上で追いかけてきた2人の京都アニメーションの男性社員に取り押さえられ、京都府伏見警察署員に身柄を確保された[48][161]。この時、男Aの両腕はやけどで皮膚がめくれ、右足からは小さな炎と煙が出ており、火事の被害者だと思った近隣住民がホースで水道水をかけた[162]。
- 逮捕時に「ガソリンをまいてチャッカマン(多目的ライター)で火をつけた」と供述している[163]。他にも「(声をかけた警官に対して)触るな。おれの作品をパクりやがったんだ。社長を呼べ。社長に話がある」「ここで倒れているわけにはいかない。これから宇治の本社に行かないといけない」などと叫んでいた[148][164][165][注 15]。Aは公判で、ガソリンによる放火殺人という手段を選んだ動機について、武富士放火事件や雀荘にガソリンがまかれて爆発し、8人ほどが死亡した事件を参考にしたと供述し[167]、また事件前に想定した死者数については、1999年に神奈川県横浜市の麻雀店で8人が死傷した放火殺人事件[注 16]を挙げ、8人程度が死亡すると思ったと供述している[173]。
身柄確保後
前述の通り、被疑者の男Aも身柄確保の時点で全身に火傷を負っており、確保直後に京都市東山区の京都第一赤十字病院に搬送された[26][174]。命の危険もある重篤な状態が続いており、より高度な治療を受けさせる必要があると判断され、7月20日にドクターヘリで大阪府大阪狭山市の近畿大学医学部附属病院に転院[26][157][174]。男の主治医となった上田敬博は、搬送されてきたAの姿を初めて見た際に「もうすぐ絶命するだろう」と思ったことや、Aの予測死亡率は「97.45%」であったことを手記で述べている[175]。室温を摂氏28度に保った蒸し風呂のような手術室で深夜まで緊急手術が行われ、何とかその日は延命することができた[176]。
全身の93%が最も重いIII度熱傷に分類される状態だったが、他者からの提供皮膚が不足して被害者へ供給できなくなる事態を避けるため、初期の治療には人工真皮(皮膚)を、その後は自分の残った皮膚から細胞を培養し、培養表皮シートを作って移植するという治療法が選択された[177]。広範囲の重いやけどに対して提供皮膚を使うことなく治療するのは、世界でも前例のないケースだった[176][注 17]。当初は全身麻酔で終日眠っている状態がしばらく続いたが[152]、移植などの治療によって反応を示し始め、麻酔を緩めると意識を回復して「痛い」などと言葉を発するようになった[180]。その後は集中治療室に入ったものの、命の危険がある重篤な状態を脱して快方に向かった[181]。
9月9日、気管切開した部分に取り付ける管を発声できるものに交換し、再び声が出せるようになると「声が出る」「もう二度と出せないと思っていた」「世の中には自分に優しくしてくれる人もいるんだ」と言って涙を流した[182]。リハビリテーション中「意味がない」「どうせ死刑だから」「自分は意味のない命」などと投げやりな態度を見せたり、食べ物の好き嫌いによる病院食を拒むことも多かったAであったが、主治医から「私たちは懸命に治療した。君も罪に向き合いなさい」と繰り返し諭されると、被疑者は「他人の私を、全力で治そうとする人がいるとは思わなかった」との発言や「道に外れることをしてしまった」「病院のスタッフに感謝している」とも語った[183][184]。主治医は、被疑者は常に敬語で話すなど礼儀正しく、リハビリテーションを嫌がったために厳しくたしなめられると、素直に従ったと証言している[185][186]。
11月14日、高度な治療が終了したため、最初に入院した京都第一赤十字病院へ搬送されて転院した[187]。国内外の過激なファンからの報復を受ける危険性が高いため、被疑者の身柄は捜査関係者曰く「一般人は自由に出入りできない場所」に収容された[188]。その後は「かゆい、痛い」などとたびたび不満を訴え、リハビリテーションにも積極的には取り組もうとしなかったという[189]。
2020年(令和2年)5月27日、京都府警察によって逮捕された[190][191]。
行政の動き
原因の調査
京都市は緊急検証対策チームを設置し、建物内の螺旋階段が火の回りを早くした疑いもあるとして、市内の防火対象物(防火・準防火地域以外の建物も含む)の螺旋階段の実態把握と防火指導に取り組むことを決定した[192]。なお、毎日新聞が事件1周忌を機に行った調査では、全国の多くの消防機関が吹き抜け構造がある建物について対策が必要と考えつつ、法的根拠がないために指導できない実態が明らかになっている[193][194]。
再発防止への対策
消防庁および警察庁は、ガソリンを容器で販売する際の販売記録を残す方針となり、7月25日に消防庁から各都道府県の防災部署、消防機関のほか、石油の精製や元売りの業界団体である石油連盟や、ガソリンスタンドの業界団体である全国石油商業組合連合会宛てに通達が、警察庁生活安全局から各都道府県警察等宛に事務連絡が行われた[195]。
しかし、販売の際に身分証の提示を求めても拒否される事例があるとして、事業者側が「確認が義務であること」を法令で明確することを求めた結果、改正された消防法の関係省令が2020年2月1日に施行された[196]。また、京都市消防局は2019年度中に、放火やテロによる火災時の避難指針を策定し、避難梯子の設置などを促す方針を固めた[197]。また、2020年3月に京都市消防局は大規模火災を想定した「火災から命を守る避難の指針」を発表した[198][199]。
被害者支援
京都府警は、約100人体制の捜査本部とは別に、約100人による被害者支援班を立ち上げ、遺族らの支援に当たった。一時期は被害の拡大などに対応し、捜査本部の7 – 8割の人員も被害者支援に回ることもあった[200]。内容は心理的ケア・病院への付添・宿泊先への送迎・事情聴取の同席・被害者支援制度の給付金の説明など多岐にわたった。2021年2月に支援班は解散したが、支援活動は京都府警犯罪被害者支援室や京都犯罪被害者支援センターに引き継がれた[67][201]。他県在住の遺族からも、地元の警察による支援に感謝する声が挙がっている[202][203]。一方で、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い、遺族や負傷者との対面がままならず、孤立が懸念されている[204]。
この事件の遺族のため、新たに犯罪被害者等支援条例を制定した自治体もあった[205][206]。一方で、居住自治体に条例がないため、金銭補償などの支援を受けられない遺族もおり、自治体による被害者支援の格差が課題となっている[207][208]。
捜査
逮捕前
京都府警察本部刑事部捜査第一課と京都府伏見警察署は現住建造物等放火・殺人事件として本事件の捜査を開始し、事件翌日の19日には京都府警察学校(伏見区)に100人体勢の捜査本部を設置した[10]。また、7月19日に死亡した犠牲者を含む34人の遺体は同学校(捜査本部)に安置され、7月23日まで司法解剖が行われた[10][209][210]。
同時に、京都府警本部は身柄を確保した男Aについて、まだ逮捕していないものの、事案の重大性から氏名を公表した[18]。20日、京都府警捜査本部は殺人・現住建造物等放火の罪状でAの逮捕状を取った[211]。25日には、死因が判明しなかった1人を除く33人の殺人などの容疑で逮捕状を取り直した[212]。8月8日、35人への殺人容疑、負傷者34人および無傷の1人への殺人未遂容疑でAの逮捕状を取り直した[213]。その後、10月4日に新たに1人が死亡したため、逮捕状を取り直している[214]。
事件直後の7月20日、同社社長の八田英明は、Aとは過去に直接のトラブルはなく、同社主催の「京都アニメーション大賞」への応募もなかったため、一切の関わりがないと話していた[215]。しかし、7月30日に同社の代理人弁護士の桶田大介は、改めて確認したところ、同姓同名で同住所の人物から小説が応募されていたことが分かったと発表し、応募の内容は明らかにしないとしたうえで「1次審査を通過していない」「これまで制作された弊社作品との間に、同一または類似の点はないと確信している」と語った[216][217]。その後、Aが「学園もの」の長編と短編の小説2点を応募していたと報じられた[218]。8月26日、Aによる京都アニメーション大賞への複数の小説の応募を警察が断定したと報じられた[219][220]。
11月8日に初めて事情聴取が行われた際、被疑者は容疑を大筋で認め「どうせ死刑になる」「(犯行動機は)自分の小説を盗まれたから」「(犯行時に所持していた包丁は)犯行を邪魔する人がいたら襲うつもりだった」「(ハンマーは)ドアが閉まっていたらガラスを割って中に入ろうとした」などと供述した[184]。
当初、京都府警は年明け2020年1月ごろに逮捕する方針だったものの、発熱が起きるなど被疑者の容態が不安定であり、更に新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって着手時期が遅れた[221]。
不祥事
2019年7月下旬に、京都府警が犠牲者の遺体を遺族に返還する際に犠牲者が身に着けていた腕時計を紛失したことが判明し遺族に謝罪していたことが8月16日に判明している[222]。
逮捕後
上記コロナウイルスの感染症による緊急事態宣言の対象から京都府が外れた後[110]、京都府警は2020年5月27日7時18分[223]、殺人・殺人未遂・現住建造物等放火・建造物侵入・銃刀法違反の各容疑で、被疑者の男Aを通常逮捕した[224]。被疑者は容疑を認めると共に、初めて被害者の数を知り「(犠牲者は)2人ぐらいと思っていた。36人も死ぬと思わなかった」と語った[66]。この時点で、指先は黒っぽく変色し、やけどの痕がうかがわれたが[225]、調書には自ら署名した[223]。伏見警察署に京都地方検察庁の検察官が自ら赴いて送検手続きを行い[226]、被疑者を京都地方裁判所に搬送して、裁判官による勾留質問を受けさせ、勾留決定後は大阪拘置所に搬送した[227]。
通常、日本の警察は逮捕から1 – 2日後に被疑者の身柄を検察庁へ送り、検察官は24時間以内に勾留請求を行うが、この事件では逮捕から勾留決定までの手続きがわずか約8時間半だった。捜査関係者は取材に対し、被疑者への負担を考え、日程を圧縮して移動を減らしたと証言した[226][228][229]。また、通常の勾留先は最寄りの刑事施設(京都拘置所)になるが、この事件では医療設備が充実しているということで大阪拘置所が選ばれ[226]、逮捕前から居室や面会室を改修の上で介護ベッドを搬入、エア・コンディショナーの設置、医療スタッフの増員といった準備がなされるなど、異例づくしの対応が取られた[230]。
逮捕当日に伏見警察署で開かれた記者会見において、捜査第一課長の川瀬敏之は逮捕に踏み切った理由を「逃亡や罪証隠滅の恐れがあると判断した。現時点で容体は安定している。記憶の減退などを懸念した」と述べた[231]。一方で、歩行できない被疑者を逮捕する必要性についての質問が相次いだが「捜査上の必要があり、詳細は明らかにできない」とした[223]。一部の報道機関は、京都アニメーションの狂信的なファンによる襲撃や、事件への思い込みや刷り込みによる「供述が汚染されるリスク」の懸念を捜査関係者が証言したと報じた[188]。
被疑者の国選弁護人2人は「勾留の理由や必要性がない」として勾留の取り消しを求めたが[232]、京都地裁は5月29日に準抗告を棄却し、最高裁も特別抗告を6月5日に棄却した。9日に開かれた勾留理由開示の手続きにて、京都地裁は出廷した被疑者本人に「事案の性質や犯行の様態、精神状態などを考慮すると、逃亡や罪証隠滅の恐れがある」と説明した。同日、京都地方検察庁は事件当時の被疑者の精神状態を調べるため、9月10日までの鑑定留置を京都地裁が認めたと発表した[233]。そして12月10日までの鑑定留置を経て、京都地検は「刑事責任能力に問題はない」と判断し[11]、12月16日に5つの罪状(逮捕容疑と同一)で起訴した[234][235]。なお、起訴段階で負傷者の数を33人から32人に変更した[2]。
動機
犯行の動機は、Aの小説を京アニ側が盗用したとの思い込みが募り、筋違いの恨みであることが判明した[236]。
| Free! | ツルネ | けいおん! | |
|---|---|---|---|
| 京アニ作品 | 「水泳部地方大会進出」と書かれた学校の垂れ幕が風に吹かれ、下に柔道部の垂れ幕が見える | 登場人物が肉を買い物かごに入れる際、別の登場人物が2割引きの肉を見つける | 登場人物が後輩に「私、留年したよ」と言う |
| Aの小説 | 垂れ幕が登場する場面がある | ヒロインが5割引きの総菜を買いあさる場面がある | 男子高校生が担任に「このままだと留年だよ」と言われる場面がある |
京都地裁は第一審判決の判決理由で、Aが自身の小説を京アニに落選・盗用されたと思い込み、その落選に関与していると信じていた「闇の組織のナンバー2」に対し「つけ狙うのをやめるよう伝えるため、犯行を決意した」と認定している[237]。
刑事裁判
第一審

被告人Aの刑事裁判の第一審は裁判員裁判の公判により[238]、京都地裁第1刑事部(増田啓祐裁判長)で審理された[注 18][240]。裁判長は増田啓祐、陪席裁判官は棚村治邦・尾﨑晴菜の2人[240]。京都地裁における事件番号は令和2年(わ)第1282号(建造物侵入、現住建造物等放火、殺人、殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反事件)[241]。
公判では起訴事実については争われず、Aの事件当時の刑事責任能力の有無・程度が最大の争点となった[242]。起訴後には弁護側の申請を受けてAに対する2度目の精神鑑定が実施され、2022年(令和4年)3月中旬にその鑑定結果が出た[243]。
公判前整理手続
第1回公判前整理手続は2023年(令和5年)5月8日に京都地裁(増田啓祐裁判長)で行われ[244]、同月12日の同手続で、同地裁は全32回の公判期日を指定した[245]。その後、公判期日数は予備日を除いて計25回[246]、予備日を含めて計32回と報じられている[247]。
京都地裁は複数の被害者遺族の意向を踏まえ、複数の犠牲者の氏名などを法廷で非公開にする決定を出したが、性犯罪などを除くとこのような決定が出ることは異例とされている[248]。初公判では死亡した36人のうち、遺族が実名での呼称を希望した17人を除く19人と、負傷者全32人、怪我がなかった2人については実名を伏せ、死亡者については「別表1の2」、負傷者については「別表2の30」などと数字で読み上げた[249]。これは「被害者特定事項」(氏名や住所など、被害者の特定に繋がる情報)を被害者の名誉・社会生活の平穏が著しく害される恐れがある場合などに限って公開の法廷で秘匿することが認められるとする刑事訴訟法の規定に基づく[249]。
2023年8月9日、本裁判における裁判員の選任手続が京都地裁で行われ、裁判員6人と補充裁判員6人が選任された。京都地裁は2017年に裁判が行われた関西青酸連続死事件(920人)に次ぐ500人の候補者を選出したが、長期審理になることから辞退者が相次ぎ、当日の選任手続に出席したのは全体の12.6%となる63人だった[250][251]。
公判
初公判
2023年9月5日に初公判が開かれ、罪状認否で被告人Aは起訴事実を認めたが、自身の犯行によってこれほど多数の死者が出るとは思わなかったという旨を述べた[249][238][252]。
Aの弁護人は起訴内容については争わなかったが「闇の人物」が京アニと一体となって自分に嫌がらせをしているという妄想を抱いた末に犯行に至ったと主張[242][253]。事件当時のAは精神障害の影響により、責任能力が欠如した心神喪失の状態だったとして無罪を主張した上で、仮にこの主張が認められなかった場合でも心神耗弱として量刑を減軽すべきだと主張した[252]。
一方で検察官は、犯行動機は筋違いの恨みであり[252]、現場スタジオを犯行前に下見した上で犯行に用いる道具やガソリンを購入し、犯行当日にも計画通り実行するか否かを迷った末に実行することを選んだと主張[95]。犯行時には「小説を盗作された」「公安に監視されている」といった妄想はあったが、それに支配されていたわけではなく、完全責任能力が認められると主張した[247]。また検察官は冒頭陳述で、Aが事件の約1か月前(2019年6月18日)、思い通りにならないことが続いたことから自暴自棄になり、包丁6本を持って自宅近くの大宮駅(埼玉県さいたま市大宮区)に行き、無差別殺人事件を起こそうとしたが断念していたと指摘した[254]。
被告人質問
Aに対する被告人質問は2023年9月7日に初めて行われた。証言台に立ったAはまず、自身の名を述べマイクテストをした[255]。終始、淡々とした様子で答えた[256]。
「昨日、事件直後の音声を聞きましたよね」と弁護人が質問すると、Aが「はい」と答え、続けてAが事件直後、警察に犯行理由を訊かれ複数回発した「お前ら全部知ってるんだろ」という発言に対し「お前ら」とは誰のことかと弁護人に訊かれ、少し考え込んでから「警察の公安部になります」と答えた。Aは以前から「公安部に監視されている」と妄想していたためか[257]、理由を「火災で消防よりも警察が早く来るのに疑問を感じた」としている[258][259][257]。
弁護人の質問に対し、Aは「(放火で負ったやけどで)立って歩くことができず、(植皮治療で)汗腺を失ったため、頭と胸以外で汗をかかない」「箸やフォークは使えるが、重いものを持つのは難しい」などと自身の身体について述べ[258][260][259]、両腕を交互に上げた[261]。
弁護人は「A被告が生まれてから事件を起こすまでの経緯を時系列に沿って質問していく」と述べた[258][260]。
2023年9月20日に被害者参加制度を利用した、遺族によるAに対する直接の質問がこの日、この事件で初めて行われた。遺族だけではなく、遺族側代理人弁護士も参加した[256]。
最初に、事件に巻き込まれて死亡した、当時京都アニメーション取締役で作画監督であった池田晶子の夫が深呼吸をし、質問に臨んだ。夫はAに対して「Aさん」と呼びかけ「自分の妻はターゲットでしたか。池田晶子は知っていますか」と質問[262]。Aは「作画監督として勤めているという認識は少しはありましたが、厳密に誰かを狙うというより、『京都アニメーション全体』を狙うという認識でした。誰か個人をという考えは、申し訳ないが、なかったです」と考えを述べるとともに否定した。次に「放火殺人の対象者に家族、特に子どもがいることは知っていましたか」との質問に対しても「申し訳ございません。そこまで考えなかったというのが自分の考えであると思います」と初の謝罪の意を表明しつつ否定[262]。この返答の際、Aは質問されてから少しため込んでいた。夫は、質問に際し時折声を震わせていたが、Aは夫の方を向くことはなく、変わらず淡々とした様子で答えた。そして、被害者と遺族、傍聴者の中には、涙を流す者もいることがうかがえた[256][263][264]。
犠牲者の一人、事件当時22歳だった女性アニメーターの母親からの「娘は、被告が盗作されたと主張するアニメの制作後に入社した。そうした社員がたくさんいたが、すべて焼け死んでもよいと思っていたのですか」との主張と質問に対しても、Aは「そこまでは考えが及ばなかったです」と否定した[256]。また、生存者の証言でAが放火直前に発した「死ね」との発言について問われると「本心で間違いないです」と認めた[265][264]。
一方で、別の遺族の代理人弁護士からは「事件の直前に被害者のことを考えなかったのですか」との再三の問いに対し、Aは「京都アニメーションは自分の作品を盗んだのですから」などの一点張りで回答になっていない返答があり[256]、代理人の質問に対し「逆に聞くが、(小説を)パクった京アニは良心の呵責(かしゃく)はなかったのか」と怒り心頭で逆質問し[266]、裁判長から注意を受けた[265][264]。この発言について別の代理人が問うと「自分はどんな罰も受けなければならないが、京アニが自分にしてきたことは全部不問になるのですか」と反論した[264]。これに対し、池田の夫からは「たとえ盗作されたとしても、人を殺していいのか」と反論したあと、マスメディアの取材を受け「自分の責任を分かっていない上、相手に転嫁する。幼稚すぎる」「そんな幼稚な理由で晶子は殺され、子どもが苦しい思いをしているのか。被告に訊いたことで、余計に気持ちがしんどくなった」と嘆いた[266][264]。
被告人Aは「第1スタジオにいた人はすべて死んでもいいという認識でした」と述べ「自分が死ぬ気持ちがありましたか」という代理人の問いに対し「そこまでの思いはなかったです」と犯行当時の自身の気持ちについて述べた[265]。
また論告求刑前最後の公判となった12月6日の第21回公判で、Aは被害者や遺族に対する謝罪の意思を初めて明確に示した一方、小説のアイデアを盗用されたとする点については従来の主張通り「やはり京アニの方も(盗用を)やってきたという思いは正直ある」と述べた[267]。
責任能力について
10月23日から11月6日まで、Aの責任能力に絞った審理が行われた[268]。まず、同日には検察側の要請を受け起訴前に行った精神鑑定の医師が証言し「被告は妄想性パーソナリティー障害で犯行の対象に京アニを選んだ点は被害妄想が影響を及ぼしたが、それ以外の犯行時の行動には影響はほとんどみられない」とする鑑定結果を明らかにし「犯行にいたった主な要因は小説にまつわる現実と被告の性格傾向によるものだ。小説が落選し、小説家の夢を断念したことで妄想が大きくなり、犯行に影響を与えているが、あくまで補助的なものだ」と述べた[268]。
一方で26日には、弁護側の要請を受け起訴後に精神鑑定した医師が「被告は犯行時から現在にかけて重度の妄想性障害にかかっていて、妄想は犯行の動機を形成している」とする鑑定結果を明らかにし、妄想が影響して人を信用できず孤立し困窮したことが犯行につながり、妄想の世界で被害を受けていることが影響し怒りやすく、攻撃的な行動に出やすくなっていたなどと説明した[269]。
30日に二人の医師が同時出廷し、検察の依頼で鑑定した医師は「京アニに小説を盗作されたと考えたあと犯行にいたるまで、直接抗議するなど現実的な行動は起こしていない。妄想は被告の言動に著しい影響を及ぼしていない」と述べた一方、弁護側の請求で鑑定した医師は「京アニに対しては『盗作され続ける』と妄想し、関係を絶つために犯行に及んだ」と述べ、妄想が犯行に影響したとした[270]。6日の中間論告、弁論で責任能力についての審理は終了した[271]。
| 鑑定医師 | 責任能力の有無 | 理由 | 犯行動機 |
|---|---|---|---|
| 検察側 | 犯行はAのパーソナリティーによるもので責任能力が著しく減退していたとは到底言えない。 | 放火殺人は重大犯罪とわかっており、引き返すという選択肢もあったにも関わらず、みずからの意思で実行することを決断した。思いとどまることが期待できる状態だった。 | 幼少期の不遇な環境や仕事が続かなかったことなどから『真面目にやっているのに他人が足を引っ張るせいでうまくいかない』という思考を持ち、他者に攻撃を向けるという行動パターンが現れたものである。盗作されたといった妄想は、被告の怒りや焦燥感を強化した程度で、本質は筋違いの恨みである。 |
| 弁護側 | Aは重度の妄想性障害だった。検察が依頼した医師の精神鑑定は、信頼することはできない。 | Aが小説を落選させたと話す『闇の組織のナンバー2』に対する情報が欠けている。この妄想は被告の精神世界や現実を大きく支配しているが、その妄想が抜け落ちている。 | 被告の妄想が現実の行動に影響しているのは明らかで、検察が依頼した医師の鑑定はこれを除外しており、信頼することはできない。事件を起こすことをためらったことと、善悪の区別ができることは同じではないことや、妄想の内容が直接事件を起こすことを命じるものでなくても、その影響で事件を起こすことはありえること、「今はやりすぎた」と思っていることと事件当時に責任能力があったことは同じではないことを踏まえて判断するべきである。10年以上、あらがえない妄想の世界で翻弄され、苦しみ続けてきた。Aは、自分がやろうとしていることがやってはいけないことと認識し、思いとどまる力がなかった。 |
被害者遺族の意見陳述
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この節の加筆が望まれています。
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11月27日の第17回公判より量刑判断についての審理が開始された。3つに分けられた一連の裁判の最後の工程で、12月の結審までこの審理が行われた。
最初の審理となったこの日では、検察側が事件はAの「筋違いの恨みによる復讐」であると強調し、重視すべき事柄として「被害者の肉体的苦痛、恐怖や絶望感、負傷者の後遺症や自責の念、遺族の絶望感や喪失感」、ガソリンを用いた計画的犯行の危険性や残虐性を挙げた。弁護側は憲法で残虐な刑罰を禁じる規定があることを紹介し「死刑を科すことが残虐な刑罰かどうかを念頭に置いてほしい」「被害者や遺族の意見陳述は裁判の証拠ではない」と強調して「たくさんの悲しみ、怒り、やるせなさに触れると、裁判員がその立場になってしまい、証拠の認識を曲げてしまう」と心配していると述べた[273]。
この事件の裁判では、被害者参加制度を用いて約80人の遺族が参加し、意見陳述を行った[274]。後述の最終論告が行われた12月7日の公判では、この事件で亡くなった池田晶子の夫が裁判員に一人一人に語りかけるように意見陳述を行い、Aへの厳刑を求めた[275][276]。