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本田宗一郎さんとの思い出

20代の時に本田宗一郎さんに会いたくて、松下幸之助さんにお願いして連絡先を教えてもらい、「東京のホンダの本社」行ったことがあります。

 

北海道の美味しいスイーツをたくさん買って持参し、本社へ行くと、「今日は多分、レース場にいると思います・・・いつもですが・・・」と秘書の女性に言われました。

「松下幸之助さんの紹介です」と言うと、「吉岡さんのお名前は、伺っております。多分、今は「筑波サーキット」にいると思うので、私の自家用車で送りますので一緒に来て下さい」と連れて行ってくれたのでいろんな話をして携帯電話番号も交換しました。

 

ダイエーに勤めていた時に、「防衛省の緊急の仕事」を終えたあとの空いた時間で突然、ホンダの本社に伺ったのにすぐに受付の女性が対応してくれたので、さすが優秀な秘書だと思いました。

 

「筑波サーキット」に行くと、「HONDAのF1チーム」がいたので、本田宗一郎さんを探して挨拶するとこう言われました。

 

「お前、車の運転は好きか?そうか、一人暴走族か、じゃあ、俺のマシンと勝負しよう!」

 

本田宗一郎さんは、「古いF1車が好きだ」と言い準備を始めたので、私も「新しいF1」の車にスタッフがグローブとヘルメットを準備してくれました。靴は合うものがないので「裸足でF1」を運転しました。

私が運転して本田宗一郎さんに勝ったF1

 

一般車のように回転数の音に合わせてクラッチを繋ぐと「エンスト」したので、思いっきり6000回転まで上げて被せたまま一気にクラッチを外すと、「ドン!」と言う感じで一気に車が走り出し、そのまま一気にアクセルを踏まないと被ってエンストするので、すぐに100kmを突破して加速するので最高に興奮しました。

 

北海道では一般道でも100kmオーバーで走るのは普通だし、スカイラインの時はカーブはいつもドリフト気味に綺麗に音を鳴らして走るのが好きだし、60kmや40kmで蛇行運転して急ブレーキを踏み、いかに早く安全に止まるかをトレーニングをしていた人間なので、「高速道路は130kmが普通」で、直線ならNISSANスカイラインでも180kmくらいは出たし、ベンツになってからは230kmまで踏み込む体験もしたし、ドイツのメルセデスベンツの特殊工場で作った「GLC-35034MATIC Asports Edition Star 」の防弾ベンツで「アウトバーン」で思いっきり踏み込んでフェラーリを抜いてやった時は最高だったほど、「一人暴走族の私」です。

 

「F1のフルバケットシート」はどんなにハンドルを急に切ってもピッタリ路面にくっついているので、タイヤさえスピンさせなければ、快適、快適!

思いっきりカーブに160kmで突っ込みながら、そのままブレーキとアクセル同時に踏む「トウ&ヒル」もスカイラインで訓練していたので、最高です!

 

全く「遊び」が無いF1のハンドルは、地面の感覚がそのまま伝わるし、エンジンの振動は全身に響くのでたまりません!

 

「回転数が低いとエンジンが焼けるから被せ気味に!」とスタッフに言われたので、ガンガン、カーブに突っ込み1周すると、「そのまま走れ!!」と合図が出たので、宗一郎さんと真剣勝負になりました。

 

宗一郎さんは一瞬カーブでブレーキを踏みすぎて膨らんだので、私が「イン」をついて一気に抜き去り、「コースタイムレコード」を出して勝ちました。

 

本気で怒る宗一郎さんは、「もう1回、もう1回」と言うので、3回連続で勝った結果、呆れて銀座で飲むことになりました。

 

着替えている時にスタッフから、「本気で宗一郎さんと勝負した人はいないし、気持ち良い勝ちっぷりだったので私たちもスッキリしました。」と褒めてくれました。

 

指定された銀座の高級クラブで待っていると、宗一郎さんは一人で来て、すぐに質問攻めでした。

 

なぜ、お前が松下幸之助を知っているのか?

どうして俺に会いたいと思ったのか?

お前はどこのどいつなんだ?

 

せっかちなのは同じなので、的確に答えると、しばらく黙り、

「お前、ホンダに来い!面白いから俺の話し相手になれ!!」

と言われましたが、一応ダイエーの社員だし、幸之助さんからは何度も「俺の会社に来い」と言われているので、「幸之助さんを裏切ることはできません」、と答えました。

 

「お前、義理堅いやつだなあ。

だから欲しいのに・・・、年俸1億円じゃあ、ダメか?」

 

あのう、私が引き継いだ「吉岡一門資産」を動かせば、ホンダの会社を簡単い買い取れますので結構ですよ、と答えると、また質問攻めです。

 

自分の興味が湧いたことに集中する性格は私と同じなので「好きなタイプ」ですが、あまりにしつこいので、防衛省の仕事をタダでしているので、これ以上仕事は増やせません、と答えるとしばらくボカンとした顔をして、最後は「自分は酔っ払ったので帰る!」と言っていなくなりました。

 

外から電話がきて、ホンダを実際に経営していた「藤沢武夫さん」が代わりに来たのでいろんな経営のコツを教えてもらいしましたが、目つきが厳しい人なので、この人も「ヤクザルートを持っている」とわかったので詳しく確認したほどです。

 

最初の挨拶した時に「企業の乗っ取り屋」と間違われましたが、いろんな話をしていると仲良くなったし、「やっぱり、ホンダにきませんか?」としつこく電話が来ていたし、札幌まで会いに来たくらい本気で私をスカウトしていた理由は、体調が悪かったからだと最後に話してくれました。

 

本田宗一郎さん(1991月5日没)と藤澤武雄さん(1988年12月30日没)の葬儀には行かせてもらいましたが、ホンダの役員たちにも「ホンダに来て下さい」と頼まれましたが、「防衛省」と「ダイエー」と「官僚」と「ヤクザ」と「マフィア」の仕事があるので無理です、とお断りしました。

 

1996年に会った世界の支配者マーゴに「ドバイのF1王様レースに出て!」と言われたので、何度かF1に乗りましたが、鈴木亜久里をカーブで追い抜いたのでどこの選手か追及したらしく、「F1の免許を持っていない」ことがバレたので、仕方なく大好きなオートバイレースの「MOTO GP」に覆面を被りたくさん出て年間優勝しましたが、賞金は一切もらいませんでした。(オートバイも無免許です)

 

「鈴木亜久里」とは、あとでいろんな話をして日本に戻った時にも一緒に食事をしましたが、「内緒にしてね!」と伝えておいたのでたぶん大丈夫でしょう。

 

 

 

ホンダは2回、F1から撤退しています。

2008年12月(リーマンショックによる業績悪化が理由)と、2020年10月(カーボンニュートラルの実現と電動化への集中が理由)の2回が代表的です。

 

でもやっぱりホンダのF1エンジンは好きなので、「マーゴ」に頼んでスポンサーになってもらい、「Red Bull」のマークの車体になり、2026年から「アストンマーティンへのエンジン供給」という形で再びF1に復帰します。

 

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