石原慎太郎さんとの思い出
1991年に「防衛省の特別統合幕僚長」になったので、1991年に日本国として重要な「石原慎太郎東京都知事(1999-2011)」と「国家防衛」について話したくて、「石原慎太郎知事」に会いに行ったことがあります。
私が「防衛省の特別統合幕僚長」になった1991年当時の東京都知事は、エタ・人非人上がりの鈴木俊一知事(1979年-1995年)だったので、「いくら東京都が儲かるのか?俺への賄賂はいくらだ?」としか聞かない奴だったので無視して「防衛対策」の話はしませんでした。

次の「青島幸男知事」(1995年−1999年)に期待して会いに行くと、「実は歩ける」のに都民の同情を買いたくて車椅子にしていたほど「お金が大好きな人間」だったので、また話すのを諦めました。

1999年にやっとまともな「石原慎太郎さん」が都知事になったので会いに行くと、けげんな顔をしてこう言われました。
君は本当に「防衛省のトップ」なのか?今、確認するぞ!
(どうぞどうぞ!)
防衛省の寺島泰三統合幕僚長(陸将)に、君の名前は登録されていないと言われたぞ!
どうなっているんだ!すぐに答えろ!と怒られました。
私の名前はすぐにはわからないようにしてあるので、私が電話を代わり、「ある言葉」を伝えると寺島泰三統合幕僚長(陸将)が私の所在を証明したので、ゆっくり石原慎太郎さんと話ができました。
1977年に「私専用の電話回線」が統合幕僚長の部屋に引いてあるし、その電話回線は世界の国と防衛上の会議ができる電話なので今もつながりますが、統合幕僚長が不在の時は交換手に電話が戻るので、「ご用件は?」と聞かれますが、言えるわけはありません。
防衛省内部にはスパイがたくさんいるし、私の名前を言うと電話を切られるほど防衛省幹部は私を避けます。

寺島泰三統合幕僚長(陸将)
私が石原慎太郎知事に最初に頼んだことは、自分が作った防衛省を含む「東京都上空から羽田空港の「航空識別権(ADIZ)」と、有事の際に「羽田空港を防衛省が使う許可」と、敵国が羽田空港に着陸できないようにする「レーダー探知システムの設置許可」というより事後報告を石原慎太郎都知事にお伝えしました。
注)「航空識別権」という言葉が直接使われることは少ないですが、これは「防空識別圏(ADIZ)」における航空機の識別と、「領空侵犯への対応に関する権限」を指すと考えられます。
各国が防空上の目的で領空の外側に設定する防空識別圏内で航空機をレーダーなどで監視し、不審な航空機に対してはスクランブル(緊急発進)を行って確認や警告を行う権利です。
これは「国際法上認められた領空主権」を前提に、公海上空の飛行の自由の原則を妨げない範囲で、領空侵犯のおそれがある航空機を識別し、対領空侵犯措置を有効に実施するために設定されています

次に石原慎太郎都知事に頼んだことは、「国土交通省のトップ」も、「野田佳彦首相」も、「岩崎茂統合幕僚長」も動かなかった「沖縄県・尖閣諸島の所有者の問題」を定義しました。
防衛省幹部に電話しても、「大丈夫ですよ。中国とは仲良くやっていきましょうよ。」という防衛省幹部ばかりなので「中国から賄賂」をもらっていることは明白ですし、その裏事実も「中国の官僚」からすべて聞き出したので、部下の責任を取らせるために「罪を犯した統合幕僚長は顔出し禁止」にしたし、国家反逆罪のスパイの部下は「島送り(潜水艦送り)」と決めました。


- 尖閣諸島は、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖ノ北岩、沖ノ南岩、飛瀬などからなる島々の総称です。最も大きな島である魚釣島は、石垣島の北西約170kmに位置しています。
- 領土編入と開拓:1895年1月14日、日本政府は、領有状況を慎重に確認した上で尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定しました。その後、日本人が入植し、鰹節工場や羽毛採取の事業を営み、最盛期には200人以上の日本人が暮らしていました。
- 第二次世界大戦後:戦後、尖閣諸島は「米国の施政権下」に置かれました。
- 沖縄返還:1972年の沖縄返還協定が発効した際、尖閣諸島も施政権が日本に返還される対象地域に含まれました。

2012年4月17日 、訪米中の石原慎太郎東京都知事は16日午後(日本時間17日未明)、ワシントン市内で講演し、「沖縄県・尖閣諸島」を都の予算で買い取るため、個人所有する地権者と交渉に入っていると明らかにした。都議会の承認を経て年内の購入を目指すとも言明した。
理由については「中国は『日本の実効支配を崩す』と言い始めたが、とんでもない話だ。このままでは危ない」と力説、領有権を主張して付近の海域で巡視活動を進める中国の存在を挙げた。
「国が買い上げればいいが買い上げない。東京が尖閣を守る」とも語った。
講演後の記者会見では「地権者とは基本的に合意し、代理人が交渉している」と説明。購入金額は「言えない。それほど高くない」と述べるにとどめた。
この後で石原氏はコメントを出し、交渉に入っている島は「魚釣島、北小島、南小島」だと公表。「尖閣諸島周辺は豊穣(ほうじょう)な漁場で、自然エネルギー開発でも大きな可能性をもっている」と狙いを語った。
尖閣諸島国有化(せんかくしょとうこくゆうか)とは、2012年9月11日に日本人の私有地であった尖閣諸島を日本国政府が20億5000万円で購入し、「国有化」した事に関する一連の出来事である。
さすがに頭が良い石原慎太郎知事なので、わざわざアメリカに行っている時に発言したので、アメリカ政府にもすぐに情報確認がされたし、当然、中国からもクレームの電話が鳴りますが、
「そんなことは俺に関係ない話だ。俺は日本を守るためにやっただけなので、あとは関係部署が自分の責任で行動せよ!」
と言い放ったかっこいい日本男児でした。
アメリカから戻った時にはゆっくり二人で銀座で飲みながらお礼を伝えましたが、「私が給料をもらっていない」と話すと「俺が奢る」と言い出し、銀座のクラブのママさんは「そんなことはさせられません。私がお二人の飲み代くらい払います。いつもここを使ってくれたお礼です。」と言うカッコいいママさんでした。
石原慎太郎知事は、1932年(昭和7年)生まれだったので、昭和4年生まれの私の父より年下で、「もっとも苦労した昭和一桁生まれ」だからこそ話しやすかったですが、私が「吉岡一門頭領」で18歳まで人を切りまくった話をすると、「俺はこういう話は苦手なので帰る!」と言ったほど繊細な作家でした。
好きなだあ、こういう頑固な面を持ちながら素直に若い人の話を聞ける人間は・・・、なかなかいませんものね。
小池百合子みたいに「森喜朗首相の女」になって、金とバックの力を使って東京都知事になってからの「東京は最悪」です。
「日本のスラム」と言えるほどひどい街だし、大阪も同じなので、「東京と大阪だけは戦争で攻撃にあってもいいかも?」と本気で思ったくらい、嫌な体験をたくさんしたので、私は「日本の地方」を救って日本再生をします。
「ローカルがあってこその都会」だし、東京にいるほとんどの人は「田舎生まれ」なのに、偉そうにしている奴が多いし、人を大事にしない人間が多いのが大嫌いだし、もし、「東京が東南海トラフにあっても絶対に自衛隊は助けない」と決めていますし、実際に救助は無理だと思います。
「東京の人間が日本悪くしている」と言ってもいいくらいだし、「第三国人が集まった大阪」も問題がたくさんありすぎです。
やはり、「東京と大阪の攻撃だけは止めない」ように設定しておこうっと!!
「アイツ、俺を刺すんじゃ…」石原慎太郎が婚外子の「五男坊」に会いに行った日 2024.12.31週刊現代