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1979年に黒澤明監督に会い、「影武者」と「乱」の撮影に協力しました。

私が20歳の岡山理科大学時代に、有名な黒澤明監督から電話が来た理由は、「本物の武士がいるし、それが日本中の武士をまとめた吉岡一門統領が吉岡学だ」と誰かに聞いたからでした。

昔から一番隠しておきたいことだったのに、きっと誰かが話したのだと思いますが、黒澤明監督は有名な人だし、黒澤明監督の映画はほとんどテレビで見たので、「株式会社黒澤フィルムスタジオ」にまで北海道の美味しいスイーツを祖母のあや婆ちゃんに送ってもらってお土産を持って出向きました。

 

黒澤明監督の映画『影武者』の撮影期間は、1979年(昭和54年)3月10日から1980年(昭和55年)2月15日まででした。

黒澤明監督は69歳、私は20歳の岡山理科大学の大学時代です。

私を気に入った黒澤明監督は、1979年6月26日、姫路城で撮影が開始されたが、その翌月には撮影担当の宮川一夫が病気で降板した。

合戦場面は10月から11月まで北海道で行われ11月12日にはルーカスとコッポラがその撮影を視察している[15]

武田屋形のオープンセットは、御殿場市の小山町のゴルフ場用地に1億2000万円をかけて作られた[16]。ほかにも熊本城、伊賀上野、琵琶湖などでもロケが行われた[15][17]。撮影は1980年3月23日に終了した[15]

 

「株式会社黒澤フィルムスタジオ」

 〒226-0016 神奈川県横浜市緑区霧が丘3丁目2番1号

 

「株式会社黒澤フィルムスタジオ」 でお茶を飲みながらいろんな質問をされましたが、20歳の私に「今度、影武者の撮影があるのでぜひ来てほしい」と言われて台本を渡されましたが、「防衛省の仕事」も忙しいので時間を作って「見るだけ」だと思って「東宝の撮影現場の姫路」に行くと大変でした。

 

影武者』(1980年)

 

撮影現場に行くと「異常な緊張の場」だし、黒澤明監督の横にいるだけで出演者が全員、「こいつは誰ですか?」と聞く役者が多いので、自己紹介を自分で何度もすることになりました。

 

映画全体の1/3まで撮影が済んでいたので後ろで黙って見ていましたが、黒澤監督は怒鳴りまくるし怒ると撮影をやめてしまう人なので、撮影スタッフも役者も全員、緊張の連続でした。

 

黒澤明監督は怒って後ろのディレクター椅子に座りながら、

「おい!吉岡!あの役者の殺陣をどう思う?

あの切り方で本当に人を斬り殺せるのか?

お前が実際に鎧兜を付けて殺陣をやってみろ!」

と怒鳴るのでやるしかありません。

 

「1体1、1体3、1体5の殺陣」を全て撮影していたようでそれを映画に使うと言ってました。

 

さらに、途中まで撮ったフィルムを見せられて、

「ここまで流れで今のシーンはおかしいと思わんか?

お前だったらどういうシーンの流れになるか思ったことを言ってみろ!」

と怒鳴るので、

「武士の争いが起きる理由は「噂」なので、そのシーンが重要だと思います」

と言うと、主演の仲内達也さんの代役として化粧をして髭を付けて馬に乗り、一番最初に元気な姿を見せるシーンに出演しました。

子供の頃から「馬の世話」をしていたので、一番感情がおとなしい馬を選んで乗ったので綺麗に馬に乗れました。

 

最初のシーンの撮影で主演の仲内達也さんが馬から落ちたので、結局、足が治るまで何度も主演の仲内達也さんの代わりの「代役」をすることになり、そこまでの撮影を全て取り直して無事に撮影が終わりました。

 

 

 

』(1985年) 黒澤明監督74歳・私25歳

『乱』の撮影期間は、1984年7月中旬から約3か月間にわたって、大分県の飯田高原と由布市庄内町で行われました。
 

1984年は黒澤明監督は「75歳」で、私は25歳の北海道のダイエーのサラリーマンなので、また黒澤明監督から撮影現場に呼ばれて行くことになりました。

25歳は、ヤクザの組長たちを長ドスで滅多切りにした事件がありましたが、誰も口にすることはできないように私の名前を出した人間は全員殺す」と通達が回っているので誰も言うはずがありません。

 

黒澤明監督が、「俺は最近、目が霞んでボケるので、お前がカメラを覗いておかしいところがあれば言ってみろ!!」

と怒鳴るので仕方なく自分が思ったことを伝えると、

「おい、このまま全ての撮影をお前に任せるので俺は家に帰って寝る!」

と居なくなってしまいました。

仕方なく行ける時に行って撮影スタッフにアドバイスして「ほぼ私が作った映画」と言える内容になったので黒澤明監督作品の一覧にはでませんが、「私の名前は絶対に出すな!」とスタッフに伝えてあるので無事に撮影が終わって良かったです。

 

当然、二つの映画の出演者とは仲良くなったので、一緒に酒を飲む機会も何度もありましたし、出演者の女性たちとも仲良くなったのですが、私のことは「極秘扱い」でお願いしました。

 

黒澤明監督からは、

「お前、俺のあとを継いで映画監督になれ!!」

と言われましたが、防衛省の仕事もあるし、裏家業の仕事もあるし、ダイエーの仕事も忙しいので丁寧にお断りしましたし、借金ばかり多い黒澤明監督なのでお礼のお金は一切もらっていません。

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