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  3. ◯1989年(30歳〜)札幌の社長会・銀座の先生・特許・経団連・世界の経営アドバイザー・国連永久事務総長・超量子物理学学会特別教授・国際純粋応用物理学連合ボルツマン賞
  4. 1993年に麻薬取締法違反で角川春樹を逮捕させたのは私です。

1993年に麻薬取締法違反で角川春樹を逮捕させたのは私です。

 

角川春樹の弟の「角川 歴彦」から電話あり、相談に乗ることになりました

 

いろんな噂は聞いていますが、実際はどうなのかを教えて下さい。

ほとんどの噂は本当だし、それがあまりに酷いので一度、警察に捕まったほうがいいと思うのですが、私が密告したことがバレると私を殺すような兄なので、どうか上手に警察に捕まるようにお願いします。

 

長男・太郎の入社と弟・歴彦との対立

角川源義の死後、角川書店では社長の角川春樹が編集と映画、実弟で副社長の角川歴彦が管理と営業を分担し、二人三脚で経営を担ってきた。

1982年、歴彦はテレビ黄金時代の到来を見据え、『週刊カドカワ』の別冊として雑誌『ザテレビジョン』を創刊し、あわせて「株式会社ザテレビジョン」を設立した。当初は毎週4,000万円の赤字を出すなど苦戦していたが、5年後には日本一の週刊誌へと急成長する。

さらに派生する形で『コンプティーク』などのゲーム・アニメ・コンピュータ分野の新媒体を生み出した。角川書店本体においても、1990年にタウン情報誌『週刊トウキョー・ウォーカー・ジパング』(のちに『東京ウォーカー』に改題)を創刊する。歴彦の主導した雑誌事業はいずれも成功を収め、利益面で大きく貢献した。

片や1980年代の春樹は、自ら監督を務めるなど、さらに映画への傾倒を深めていった。前述の通り興行面での不振が続いたが、その一方製作費は肥大化を続けた。

1990年代には『ルビー・カイロ』で念願のハリウッド進出を果たすも、20世紀フォックスが配給契約を破棄し、33億円の製作費に対して、わずか5億円前後の回収に留まった。

こうした春樹の道楽と化した映画事業に係る角川書店の借入金は180億円に達し、好調な歴彦の雑誌事業が下支えする状況となっていた。歴彦は社内での存在感を強めていった[9]

 

1992年2月頃、春樹は歴彦に、以前から検討していた角川書店の株式公開の話を持ち出した[9]

歴彦はこれに対し、株式公開には賛成するものの、映画事業で悪化した財務状況の改善が先であると主張する。

株式会社角川書店で50億、歴彦が社長を務める好調な2社(株式会社ザテレビジョン、株式会社角川メディア・オフィス)で30億を支出し、これらを原資とする借入金の一部返済を申し出た[9]

前後して春樹の長男・角川太郎が角川書店に入社する。数か月後、歴彦の追放を画策する春樹・太郎親子は、一連の財務改善スキームを歴彦による会社乗っ取り策であると断罪する。

同年9月14日付で歴彦は取締役副社長を事実上解任され、角川書店を退社した。入れ違いとなる形で太郎が取締役国際部部長兼社長室長に就任した。

佐藤辰男ら角川メディア・ハウスのほぼ全役職員は後を追って退社し、歴彦とともに「株式会社メディアワークス」を立ち上げた[9]

ほどなくして『週刊文春』に「ホモ・セクハラ事件」を報じられた太郎は、1993年4月1日付けで取締役国際部長兼社長室長から雑誌編集局第二編集部課長[25]に降格(『毎日新聞』は元部下の男性からセクハラで民事訴訟を起こされたのが直接の原因らしいと報じた[25])された[26]

 

逮捕と失脚

1993年8月29日、春樹は千葉県警察本部(千葉南警察署)により、(麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領被疑事件)で逮捕(千葉地検に起訴[27])された[28](いわゆる「コカイン密輸事件」)。

千葉刑務所に勾留された[29]。歴彦は獄中の春樹に対し「海に行ったとき、砕け散る波を見ながら、人間の営みなんてのは小さいことだ。出たら、すぐにでも会いたい」などとたびたび手紙を送った[30]

 

「出所したら角川書店に復帰できるよう取り計らう」と歴彦は春樹に手紙を送り、それを読んだ春樹が社長を退任した上で、歴彦が新社長に就任することに承諾すると返信した[31]

そして1993年9月2日午前、取締役会で春樹の辞表承認および平取締役への降格、専務の大洞國光が社長就任(社長は30%、常務は20%、取締役と監査役は10%の給与カット)が決定した[32]

同月「春樹容疑者の母親ら」から「角川家の意向」(当時株式のほぼ半分を所有、40%余りとも[33])として次期社長に歴彦を就かせるよう要請し役員はほぼ全員が了承、歴彦は「真剣に検討する」とコメントした[34]

同月24日に森村誠一が発起人となり「『角川書店の将来』を考える会」が結成された、呼びかけ人には笹沢佐保夏樹静子高橋三千綱中原誠ら合わせて13人[35]。同月28日の役員会で歴彦を次期社長就任を前提として顧問にすることを決定し来月中に臨時株主総会を開き歴彦を新社長として選任する予定とした[27]

10月19日に開かれた角川書店の臨時株主総会および取締役会[33]にて、代表取締役社長に角川歴彦、代表取締役専務に佐野正利、新任監査役に紀伊國屋書店の松原治社長が就任する[36]新体制が発足した。

 

1994年12月13日、東京高裁は千葉地検の抗告を棄却し1億円の保釈金で午後6時前に保釈[37]。春樹は歴彦の手紙を読み歴彦の情愛を感じたとした、ところが歴彦は出所後電話や面会を拒否[31]、春樹の持つ角川書店の株式の売却を提案した。

この株式売却(妻と1995年3月に実行[38])について、春樹はのちに「すべてを失ったという虚脱感」と語っている[31]

2000年、最高裁で懲役4年の実刑確定。2001年東京拘置所に拘置。八王子医療刑務所で服役。2002年静岡刑務所に移監され、2004年に仮出所した。刑務所では周囲からかなりいじめられていたという[39]。以降、春樹と歴彦は絶縁状態にある。

・・・・・・・

 

私)出所してから弟の紹介で角川春樹に会いましたが、私のことを知っていたようで「自分を舎弟にして下さい」と言われましたが、警察に捕まるようなバカは無理なので、まともな仕事で頑張るようにアドバイスしました。

事務所の壁には拳銃やマシンガンや手榴弾を隠しているし、長野県にある「角川神社」の中には日本刀や高価な財宝も隠してありますが、別にそんなもの興味はないので見に行くことも断りました。

 

同時に、「裏の世界と繋がりをもつスタッフを切るよう」にアドバイスしましたが、数年前に「私をスパイする関東の主婦」が角川春樹の元スタッフ二人を私に紹介しましたが、1年間やり取りした結果、ご縁は切りましたが誰がスパイなのかはハッキリしたので処分命令は出しています。

 

夫の稼ぎが悪いと文句を言い、離婚したいろ相談された女の子を三人産んだ50代の主婦ですが、今の自分を養ってくれるような男がいるなら離婚しなさいとだけアドバイスしました。

人は見かけによらないものだし、普通の主婦をしながら悪いことをしている女は山ほどいるので、どうぞ、男たちは注意して下さい。

 

ちなみに私のことをどこかのヤクザの組長に「問い合わせ」をした人間は、「1億円の罰金」を払うか、家族もろとも海の底に沈めて良いと通達が出ているので「問い合わせ」はしないようお願いします。

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