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戦争をしないように世界をまとめた「吉岡一門頭領の教え」と「大隈重信の問題」

「日本の漢字」を作ったのも「苗字」をつけたのも「吉岡一門頭領」だからこそ、「苗字の意味」や「言葉や文字の意味」を私は12歳から「吉岡一門頭領引き継書」でたくさん学んで知っています。

「四字熟語」も「ことわざ」も全て「吉岡一門頭領の習慣」で身につけたものをまとめたものだからこそ、「武士の知恵」が今の教科書にたくさん盛り込まれています。

 

天皇家よりも古くから日本国を健全に導く知恵となり、「吉岡一門頭領の生きる知恵」として江戸時代まで寺子屋で武士は学んでいました。

 

1、「娘ニ八か二九からず」

AI:「娘ニ八か二九からず」は、夏目漱石の『吾輩は猫である』に出てくる登場人物の年齢に関する有名なセリフで、「娘は8歳か9歳くらいで(結婚などから)外れる(大人になる)」という意味です。これは、作中で猫の飼い主である苦沙弥先生が、自身の娘の年齢について語る文脈(wikipedia)

 

このwikipediaの「夏目漱石の理解」は間違いなのです。

 

本当の意味は、「女は17歳までに家を出なさい」という意味なのです。

「17歳までに家を出ない女」は、いろんな男とセックスするか、ご飯を食べるしか脳がないので、結婚もできずそのまま年寄りになり、「行かず後家」と呼ばれていたものです。

 

『行かず後家』の解説

後家とは夫に死なれ、再婚をせずに独身でいる女性のことである。

つまり、「行かず後家」とは何歳になっても後家さんのように嫁に行かない女性のことで、そういった女性を嘲う言葉である。

行かずだけでも適齢期を過ぎても嫁に行かない女性を意味するが、後家をつけることで更に嫌みが込められている。

なお、関西の一部では婚約中に死別・生別し、後家のようにしている女性を行かず後家、単に何歳になっても結婚しない女性を嘲うときは行かずと使い分ける地域もある(ただし、年を追うごとにこうした使い分けはなくなってきている)。

結婚もしていないのに、夫の死後、再婚しないでいる女。

やもめ。未亡人の呼称の「後家」と呼ばれる理由は、ただセックスだけして歳を重ねた「バカな女を呼ぶ呼称」です。

 

昔は「女の結婚適齢期」が、「ニ八=16歳から、二九=18歳までという決まり」がありました。

この決まりは「男尊女卑」ではなく、女は男と同じ金額を稼ぐのは無理だからこそ、女のために作った「女性擁護の決まり」でした。

16歳にもなれば生理もあるし、子供を産める体になっているうえに、「男の性欲」をそそる体になるからこそ、知らない男に犯されるよりも「親が決めた家柄の男」の子供を産べば生きては行けるので「自分が生まれた家より身分が高い家柄の男の子種」をもらい大事に子供を育てれば、住む家も、食べ物も、衣類も与えてもらえるぞ」という「女の生き方の知恵」を教えた言葉なのです。

 

18歳までに結婚できない女」は、頭が悪いか、ブスか、性格が悪いか、「家に問題」があるので、早くその家から出て、自分で外の男を見つけて子供を産んで育てなさいという教えの意味もあります。

 

「専業主婦」になれば、子供の成長と共に自由な時間が増えるので、いろんな遊びを覚えて金を使うようになるので、「女は結局、金と食い物が目的さ。」と父は教えてくれました。

あとは「昼寝をする場所」さえあれば、女はどこでも寝るので、「太って豚になる女が多い」と、父に教わりました。

 

どんなブスでもバカな女でも、若いうちに股をひらけば、セックスくらいしてくれる男はいるぞ!

 

でも、絶対に交わって子供を残してはいけない「男の苗字」が、「鈴木と山本の女」だ!

「鈴木と山本」は、大三国人以下の「エタ非人」に与えた苗字なので、数は多いがバカばかりで人を騙すので、「北海道の南朝にはいない苗字」だが、「北朝のバカども」が北海道の開拓時に「エタ非人」を連れてきたので、人を騙す政治家や市町村議員に多いので気を付けろよ!と父に教わりました。

 

特に、「鈴木」はな、木に鈴を付けて「ここの田んぼを守っていろ!」と仕事を与えたのに、勝手に家に帰ったり、寝ているほど「サボり魔で嘘つき」なので、男の子が生まれないように「呪詛」をかけてやったと俺は先祖から学んだぞ!

 

「山本」という苗字はな、「山で人を騙して殺すための本」を読んでいた奴らなので、人は騙すわ、女を犯すわ、最後にその女を殺す奴が多いので、山本の苗字にも男が生まれないように呪詛をかけたのさ。

 

「鈴木と山本の苗字の男」がいたら、絶対に男の子は生まれないようにしたので、他人からの「もらいっ子」だから両親と血のつながりがないので「愛情はない奴」だから気をつけろよ!

 

どんなにいい苗字の家柄の女でも、鈴木・山本の家に嫁いだ女は財産を受け継ぐ男子が生まれないので「離縁される」と決まっているのさ。

 

「体を売る商売女」にもなって自分が産んだ娘に刺青をして体を売る仕事をさせるヤクザと同じなので、「鈴木と山本は気をつけろ!」の意味の「鈴木・山本 馬のクソ」という言葉が生まれたさ!

 

   

◯山本の苗字が多い町

  • 愛知県豊橋市: 約8,900人
  • 静岡県浜松市中央区: 約5,580人
  • 愛知県岡崎市: 約7,200人
  • 大阪府東大阪市: 約7,000人(大阪府内では最多)
 
 
◯鈴木姓が非常に多い町として有名なのは、

静岡県浜松市西区の篠原町(しのはらちょう)で、住民の約4人に1人が鈴木さんという「鈴木さんの総本山」です

 
 
鈴木姓が多い町・地域
  • 浜松市西区篠原町(静岡県):
    • 人口の約25%が鈴木さんで、圧倒的に多いことで知られています。
    • 江戸時代後期に多くの鈴木氏が移住した歴史があり、苗字の義務化の際に由緒ある鈴木姓を選ぶ人が多かったことが要因とされます。
 
 
また、静岡県全体が鈴木姓の割合が高く、和歌山県海南市は鈴木姓発祥の地として移住を呼びかけています。
 
全国的には、人口ベースでは東京・愛知・神奈川が多いですが、割合で言えば静岡がトップクラスです。
 
 
 
  • 静岡県全体:
    • 鈴木姓の割合が全国で最も高い都道府県の一つです(約20人に1人)。
  • 浜松市中央区原町(静岡県):
    • こちらも住民の約3人に1人が鈴木さんという地域です。
  • 和歌山県海南市:
    • 鈴木姓発祥の地の一つとされ、鈴木姓の移住を積極的に支援しています。
全国的な傾向
  • 鈴木姓は全国2位の多さで、特に東海地方(静岡含む)、関東、東北地方に多く分布しています。
理由
  • 平安時代、熊野信仰の伝道者として鈴木一族が全国に広まったこと。
  • 源義経の家臣・鈴木重家の子孫が、源平合戦後に東北、関東、東海地方に流れたこと。
  • 江戸時代後期の「苗字義務化」の際に、鈴木姓を選ぶ人が多かったこと(特に浜松)。
 
 
 
 
 
それと、「日本を悪いほうに導いた張本人は”大隈重信”なので重罪だ!」と12歳の時に父に教わりました。
 

まずは、”大隈重信”がどういう人物であったのかを知るためには、wikipediaをお読み下さい。

▶️大隈重信 wiki

 

<問題の写真1>

この写真のどこが問題かというと、「武士のちょんまげの花銀杏」をバッサリ切られた写真」が残っているほど、親の言うことを聞かず、自分勝手なことをした人間だという証で、「武士のちょんまげの花銀杏」を切られたまま「元服(12歳)の写真」を撮ることになった「ウツケ者」です。

 

<問題の写真2>

写真は、長崎時代の大隈重信(前列中央)。左端は伊藤博文、右端は井上馨。後列左より久世治作、中井弘。撮影・内田九一

 

長崎時代の「大隈重信」は、前列の中央に座り、斜めに写真に写るほどまわりの人間から「要注意人物」だと思われていた理由は、「一人だけオールバックの髪型」で写真に写り、武士としての品格もなくただ偉そうに前に座っていますが、この写真で一番格が高い人が立つ位置は「後列左端」と「正しい所作」を学んでいる「武士の家」なら当然のことなので、大隈重信は武士ではありません。

 

左端の「伊藤博文」は「南朝の裏切り者の長州藩」だし、「元服」してちょんまげを結っていないので、「武士」ではありません。

右端の「井上馨」は裏切り者の長州藩で、ちょんまげも結っていないので、「武士」ではありません。

後列左の「久世治作」もちょんまげがないので、「武士」ではありません。

後列右の「中井弘」は「商人のちょんまげ」をしているので、「武士」はありません。

 

5名全員が、頭が悪く育ちが悪い人間が集まり、悪いことをして「金儲け」をするために集まった「バカ集団の写真」でだと理解して下さい。

wikipediaは、自分で勝手に書けるので好きなように書いていますが、写真は嘘をつかないし、「身分は苗字の意味」を知っていればすぐにわかります。

 

1、長崎時代の大隈重信(前列中央)

「大隈という名字は、大隅半島(おおすみはんとう)に住んでいた人間につけた苗字で、地名と名字が同じ人間は、第三国人です

2、左端は伊藤博文

「伊藤」という名字は、「藤職人」にイタリアから来た人間につけた「伊」を乗せた苗字で、沖縄の島の名前に「伊」が付く島の名前があるように、「ひとつ覚え」のバカで、イタリアの宣教師が先祖ルーツの渡来人です。

3、右端は井上馨

「井上」の名字は、「井戸」の上に住んでいた第三国人です。普通なら自然界の水が湧き出る「井戸」は、村人全員が大切にするものなのに、「井戸の上」に誰かを座らせて他の村人に水を飲ませず「金を取って売っていた第三国人」に付けた苗字です。

4、後列左より久世治作

「久世」という名字は、「世が終わるまで永久に苦しむぞ」という悪いことばかりした問題児の親につけた苗字で、第三国人以下の人間です。

 

5、後列右の中井弘

「中井」という名字は、井戸の中でスイカや果物を冷やしていた食べ物をかっぱらった泥棒につけた名字なので、嘘つきだし、女を騙す男という意味なので、中井貴一・中居正広の問題を考えると納得できます。

 

試しに芸能人の中井貴一と中居正広にも本人に会っていろんな話を聞きましたが、「中井貴一」は自分でwikipediaに正直に書き直しましたが、「中居正広」は嘘ばっかりつくので社会問題になったほど、三国人以下の人間です。

TOKYO, JAPAN – OCTOBER 27: Actor Kiichi Nakai attends the 33rd ‘Japan Best Dressed Eyes Awards’ Photocall at Tokyo Big Sight on October 27, 2020 in Tokyo, Japan. (Photo by Jun Sato/WireImage)

BEIJING, CHINA – SEPTEMBER 15: (CHINA OUT) Nakai Masahiro of Japanese boy band SMAP attends a press conference ahead of Beijing concert at the Great Hall of the People on September 15, 2011 in Beijing, China. (Photo by Visual China Group via Getty Images)

 

 

 

<大隈重信の問題点を列記します>

1、大隈重信は「早稲田大学」を創設したのちに早稲田大学高等学院、早稲田実業学校などもできたとされていますが、「早稲田だけは金持ちのバカが集まる大学で裏口入学ばかりだから絶対に行くなよ!」と父に言われました。

 

2、幕末佐賀藩の「上士」の家に生まれて「志士」として活躍し、明治維新期に外交などで手腕をふるったことで中央政府の首脳となり、参議兼大蔵卿を勤めるなど明治政府の最高首脳の一人にのぼり、明治初期の外交・財政・経済に大きな影響を及ぼした。

 

注)上士(じょうし)とは、日本の江戸時代における武士の身分のひとつ。大名(征夷大将軍の直臣、かつ表高1万石以上)の直臣たる藩士のうち、上士、平士、郷士」などと分けたときの最上位の家格のことである。各藩により異なるが、概ね知行高100石あたりが、上士(騎乗を許される)と平士(騎乗を許されない)の境目であった。

 

つまり、「上士」は悪いことをしてお金を貯めた家の「ボンボン」だという意味です。

 

「明治十四年の政変」で失脚後も立憲改進党や憲政党などの政党に関与しつつも、たびたび大臣の要職を勤めた。明治31年(1898年)には内閣総理大臣として内閣を組織したが短期間で崩壊し、その後は演説活動やマスメディアに意見を発表することで国民への影響力を保った。

 

つまり、マスコミを使って「自分のミス」をゴマしたという意味です。

 

3、大正3年(1914年)には再び内閣総理大臣となり、第一次世界大戦への参戦、勝利し、対華21カ条要求などに関与した。

第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国と中央同盟国の間で戦われた世界規模の戦争であるが、日本は他の国から頼まれて参戦した戦争なので、勝つのは当然の戦争なので、ここぞとばかりに名を売るために首相になった男です。

 

4、1781年(天明元年)、佐賀藩第8代藩主鍋島治茂が儒学者の古賀精里に命じ、佐賀城に近い松原小路に藩校「弘道館」を設立した。

 

どうして「佐賀藩が儒学」を学ばせるのか意味がわかりません。「儒学」は吉岡一門頭領が「外国の教え」からも学べと広めた学問なので、この頃から「中国と密約」していたのは確実です。

日本中で神事をした私が、「日本で唯一足を踏み入れなかった県が佐賀県」だとあとで気づきました。「日本酒の鍋島」は美味しいですが、ご先祖様の導きは素晴らしいとつくづく思いました。

 

5、文久2年(1862年)より、副島種臣、前島密らと共に米国聖公会のアメリカ人宣教師チャニング・ウィリアムズ(立教大学創設者)の私塾で英学を学ぶ。ウィリアムズの私塾で儒学者の谷口藍田と知り合い、その後深く交遊していく。

 

この頃からアメリカに影響を受けた「長州藩」と手を組んで悪いことを企んだ「うつけ者」です。

長州藩には吉田松陰が広いた「松下村塾(しょうかそんじゅく)」があり、吉田家は「小作」なので正しい武士の教えを学んでいない人間が江戸幕府をひっくり返す計画を坂本龍馬の口車に乗り、「江戸討幕」を企てたのです。

 

6、明治2年(1869年)1月10日、再び参与に任じられ、1月12日からは「会計官御用掛」に任ぜられた。これは当時、「ニセ小判の贋金(がんきん)問題が外交懸案の一つ」となっていたためであり、大隈は財政や会計に知識はなかったが、パークスと対等に交渉できるものは大隈の他にはなかった。

2月には旧旗本三枝七四郎の娘、三枝綾子と結婚した。美登との離婚は明治4年(1874年)に成立している。3月30日には「会計官副知事」を兼務し、高輪談判の処理や新貨条例の制定、「版籍奉還」への実務にも携わった。

4月17日には外国官副知事を免ぜられたが、それ以降もパークスとの交渉には大隈があたっている。7月8日の二官六省制度の設立以降は「大蔵大輔」となった。

このころから木戸孝允に重用され、木戸派の事実上のナンバー2と見られるようになった。またこのころから「八太郎」ではなく「重信」の名が使用されるようになる。7月22日には民部大輔に転じ、8月11日の大蔵・民部両省の合併に基づき双方の大輔を兼ねた。

このころ大隈邸には伊藤博文や井上馨、前島密や渋沢栄一といった若手官僚が集まり、寝起きするようになった。

このため大隈邸は「築地梁山泊」と称された。強大な権限を持つ大蔵省の実力者として、地租改正などの改革にあたるとともに、殖産興業政策を推進した。

官営の模範製糸場、富岡製糸場の設立、鉄道・電信の建設などに尽くした。

 

しかし、これは急進的な改革を嫌う副島種臣や佐々木高行・広沢真臣といった保守派や、民力休養を考える大久保利通らの嫌うところとなった。

 

 

 

こういう「武士の裏切りの事実がある日本」は、1894年から1945年までの「51年間で4度も戦争」をした国なのに、なぜ、日本の教育は「戦争」から学ぼうとしないのでしょうか?

 

日清戦争は、1894年7月25日から1895年4月17日にかけて日本と清国の間で行われた戦争である。なお、正式に宣戦布告されたのは1894年8月1日で、完全な終戦は台湾の平定を終えた1895年11月30日とする見方もある。

日露戦争は、1904年2月から1905年9月にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争である。 三国干渉後、満洲と朝鮮半島の支配権を巡る争いが原因となって引き起こされた。陸戦では満洲南部の遼東半島や奉天が主な戦場となり、海戦では日本近海にて大規模な艦隊戦が繰り広げられた。

第一次世界大戦は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国と中央同盟国の間で戦われた世界規模の戦争である。この戦争は全世界の経済大国を巻き込み、連合国と中央同盟国の二つの陣営に分かれて戦われた。イタリア王国は、当初ドイツおよびオーストリア=ハンガリー帝国と三国同盟を締結していた。

◯大東亜戦争 1937年7月7日から1945年にかけて行われた、日本と中華民国・アメリカ合衆国・イギリス・フランス・オランダなどの連合国との全ての戦線の戦争を指す日本側の呼称である。

 

「戦争は良くないもの、戦争をしてはいけない」と誰が考えてもわかることを、「左翼思想の日本の文部省教育」は「否定しか教えない」ので、子供達は「戦争から学ぶチャンス」がありません。

 

日本の歴史事実を「良い悪い・好き嫌い」でしか考えられない大人になると、現実に起きることも「良い悪い・好き嫌い」でしか考えない人間になってしまいます。

これは「一般常識を学んでいない子供と同じ」なので、大人になって恥をかくか、「大事な人に恥をかかせる人間」になっても気づかない人なので、「育ちが悪い人間」に関わると無駄な時間を過ごすことになるし、大事な人の前には出せない人間なので「遊び相手」くらいでいいでしょう。

 

親からきちんと「常識」を学んでいない大人は、恥ずかしいことを人前でやるのですぐに見つけられます。

 

1、食べ物を食べている時に、音を立てても平気。

2、「箸の持ち方」が幾つになってできない。

3、「人前の所作」や「立ち位置」、「発言の順番」を学んでいないので、会話の途中で「でも、だって」と繰り返す大人になり「小学生レベルの脳みそ」しかありません。

 

こういうバカな家の人間は「自分の先祖がたくさん死んだ戦争から学ばない」ので、先祖を敬う心を失い、心の拠り所を宗教に求めた結果、「訳のわからない宗教の神」に依存し、「神の世界」を正しく知らない宗教の人間に言われたまま「寄付」をして、「自分の先祖の罪を詫びなさい」と戦争に行かされたので、日本ほどいろんな「宗教の神を認める国」は世界にありません。

現在は「スピ系」にハマり、言い訳だけは上手になった「ややこしい大人」が増えているので困ります。

 

もし、日本で戦争が始まると、「強制的な徴兵制」になるし、「国同士の人殺し合い」なので国民には戦う自由も戦わない自由もありません。

つまり、「個人の自由」などまるでない世界に突入することを「戦争」と呼ぶのです。

 

それまでどんなに平和で仲良く暮らしていても、兄弟親族親子が次々に死んでいく戦争をたった51年間で4度も経験した日本なのに、誰も戦争から学ぼうとしていません。

 

戦争の始まりは国を納める人間のトップの「揉め事の結果」なので一般人の意思など全く関係ないし、「八百万の神」の意味を間違って教えているので、どんどん日本にいろんな新興宗教が増えてしまい、自分で稼いだ金を注ぎ込んで「宗教家のトップ」だけが大儲けして贅沢な暮らしをしています。

 

頭が悪い庶民の心の拠り所は必要なので、本来の日本人の心の拠り所は「ご先祖様と自然神」だと私は教えてきました。

 

「日本の古神道」はご先祖と自然神のみ祈り、一円もない人間でもご先祖と自然に手を合わせて日々の生活の苦しさを耐え抜く強さを自然界から学べる学問です。

 

現在の日本神道よりも古い「古神道」を正しく学ぶ機会も場所もない日本なので、「私が自分で教えるしかない」と思って2001年の解脱後に「スピリチュアルな世界」に入り、「学問としての思想教育」と「祈りという体験行動」を通して、後世に残せる記録を動画で残しました。

▶️天無神人のスピリチュアル大学校

 

世界でもっと多く戦争をした日本人が学ぶべきことは、以下のとおりです。

1、戦争にならないように日々どうするべきか?

喧嘩しそうな相手とどう和合するのか?もし戦った時は、どうやって勝つのか?勝った人間が負けた人間に手を差し伸べることで「和合」を学びます。

「和合」という言葉を知っていても喧嘩をして殴られて悔しい思いをしたことがない人は、ただ相手を恨むことしかできません。

和合という言葉は喧嘩や戦いをした愚かなご先祖たちが学んだ武士の教育だからこそ、「善悪だけで物事を反しない教育」をしていました。

 

日本人が弁護士を雇って個人を訴訟し合うようになったのは、アメリカ文化が入った「戦後」です。

それまでは話し合いで揉めた場合は、「土地の長老」が問題の判断をして収めましたが、人のつながりが薄くなった今の日本には、そういう長老も出てきません。

 

年上を尊敬せず、敬語も所作も学んでいないバカな人たちは、「自分の主張」ばかりするので兄弟喧嘩の延長のように上司や男に食ってかかる女が増えていますが、女を産んだ母は誰かの「男の種」で子供を産んだはずなのに、男に対して尊敬して感謝する心を娘たちに教えていません。

もし今後、男が生まれなくなった時は「子種がある男」が重要なのに、「体に悪い子種を殺すもの」ばかり食べる男たちの母親が原因で「高額な不妊治療」が増えています。

 

「食品添加物」をはじめ、農薬、化学肥料、そして外食、さらに「水蒸気で吸う毒入りタバコ」にも「子種を殺す成分」が入っていることを厚生労働省は隠していますし、「JT」も知りながら販売しています。

つまり、「国民一人一人の選択の結果責任」になるので誰もガンになる食べ物を止めようとしないし、一度覚えた美味しい味の記憶を消すことはできず、どんどん「味覚音痴」が増えています。

 

味覚音痴、臭覚音痴の母親が作る料理の結果、子供達は子供を産めない体になるのは当然です。

 

これが「世界の支配者マーゴ」の食品添加物による「ガンの増殖計画」なのです。

そして、医療品を扱う医者に多額の賄賂を渡して高価なアメリカの薬を売り、副作用でまた他の苦痛を与えることを繰り返しているので、誰もこの「賄賂の悪の循環」を止めようとはしません。

 

つまり、バカな庶民には選ぶ権利もないし、「選択の自由」などないのです。

 

牢獄に入れられた囚人と同じだと気づく人がいないように上手に子供達を左翼思想に洗脳しているので、子供を産む親も自己主張しかできず、無責任な発言をする親が増えたせいで「学校の先生の鬱」も増えています。

「お塾」はお金がある人しか行けないし、ただ有名大学に合格して高い給料の会社に入れることが目的なので、人間性も学べないし、敵を許しながら生きる「協調共和」を学ぶ心が育ちません。

 

「ただ暗記して試験に受かればいい学校ばかり」になったので、人間性が成長する場は親も学校も与えてくれていないと、「親が家庭教育で教育を変えようとしない」ので、自分勝手な子供達ばかりが増えて「お金儲け」しか考えない親と同じになっているので、バカがさらにバカな子供を育てるので日本に未来はないと思います。

 

世界で最も古い歴史を持つ日本が学びべきことはまず「過去の日本の歴史」なのに、その日本史を全て書き換えた「文部省」も「神道の関係者」も自分たちの責任を取ろうとはしませんし、日本史は全て真実を消して書き換えられているので誤った歴史を信じていると思って下さい。

 

いづれ「日本の正しい歴史の教科書」を作り、「正しい学校教育」に変更します。

 

 

子供を育てるには、「豊かな自然がある環境」と「人と人の繋がりがある社会」が必要だと、「大きな木の夢」を見ました。

何重にも重なった「キノコのような大きな木」に住んでいる人間は、キノコの傘の下で雨宿りをして、キノコの菌で育つ食べ物を食べて生きていましたが、「一人ぽっち」でした。

「自分のことだけ」を考えている独り者の人間は、永遠に自分が見える世界の「平らなキノコ」の上で一人で生活していますが、ずっと下にある幾重にも重なったキノコの傘の下にはいろんな人が住んでいるのに、自分で今の生きている世界から降りて「下の世界」の人たちを見れば「助け合って生きることができる」というメッセージの夢でした。

この夢を見たのは、2025年12月22日午前3時です。

 

今の世界を表現したように「大きなキノコ全体」を見ることができれば、「上の世界に行く」ことばかり考えるのではなく、

今の自分の世界を支えている「下の世界」を考えて生きることができれば、世界の人間は助け合って生きることができるぞ!というメッセージです。

「同じ夢」を最も生きることに苦しんでいた子供の頃にも見ましたが、私はその時、一番下まで降りていって地面に生えている「大キノコを切り倒した」ので、もう一度、「新しいキノコを作ればいいさ」と思っていましたが、60年間、世界を見ても同じことを考えている人間ばかりなので、

今回は一番上にまで登りきって「大きなキノコの木」が生み出す恵みを平等に分け与えて生きることを決めました。

 

「平等に物を分ける」には、揉め事が起きないように「身分制度と法律が大事」なので、もう一度、世界を「大きな身分制度」で括り直して「新しい世界の秩序」を作ることを決めました。

 

「金儲けのチャンス」があってお金だけ豊かになっても心が伴っていない人が多いし、「同種族の動物同士」なのにお互いを殺し合って生きることしかできない「愚かな人間の最終判断を任された魂の私」なので、地球に人類が生き残るための「最後のチャンス」として「新しい世界」を実現します。

 

▶️絵本 「新しい世界」 天無神人(著) 

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