長いものには巻かれろ
「長いものには巻かれろ(ながいものにはまかれろ)」とは、自分より強い権力や大きな力を持つ相手には、逆らわず、おとなしく従っておいた方が賢明で得策であるという意味のことわざです。
蛇や龍のように手に負えない相手に、無理に抗うより身を委ねる方が安全という処世術を表し、「目上の人」や「大勢の意見」に従うべき状況で使われますが、状況によっては「曲がりすぎに注意」というニュアンスも含まれます。
- 「長いもの」: 権力者、強大な勢力、上司など、自分より上位の存在を指します。
- 「巻かれろ」: 相手の言いなりになる、従う、身を委ねる、という意味です。
ビジネスシーンで、目上の人に意見を言うべきか迷う時
勝ち目のない相手と争うよりも、妥協して身を守りたい時。
大勢の意見や流行に逆らわず、合わせるのが無難な時(大勢順応主義)。
- 寄らば大樹の陰(よらばたいじゅのかげ)
- 泣く子と地頭には勝てぬ(なくことじとうにはかてぬ)
- ただ従うだけでなく、時には「巻かれるふりをして利用する」といった駆け引きのニュアンスや、行き過ぎた妥協は良くないという戒めとして使われることもあります。
私が体験で学んだこと
「子供の頃から年上の経験には敵わない」と分かったので、どんなに頭の悪い人でも「はい、そうですね」と話しを聞く習慣を身につけていたおかげ、普通の人とトラブルにはなることはありません。
しかし、他人に話している話をよく聞けば、「大昔の手柄を自慢するバカだ」と分かった相手にはこう言うことにしています。
あのう、すいません、大先輩には申し訳ないのですが、今の話を聞いていると「昔話」が多いので今の時代に役に立ちません。
もし今後、「私の時間」を勝手に使って好き放題に話すなら、あなたを飛ばして「上官に問題点」を報告しますが、それでもいいんですか?
私がこう言うと大概は「喧嘩」になるので、早めに蹴りを入れて骨を折るか、私の体を絡んだ手を取り腕を捻じ曲げて筋違いにするので「筋が切れる上官」もいたので誰も私と喧嘩する人はいなくなりましたし、「労災」で終わらせます。
「1体5でも全員をボロボロにするまで戦う訓練」は子供の頃から鍛えていたし、「たかが喧嘩」で相手を殺すことまではいたしません。
「私は日本で最後の武士だから子供の頃にたくさん人を斬り殺したので喧嘩はやめなさい」と言ったのに、ナイフや鋏を私に向けた人は体のどこかの部位が体から離れることになると思って下さい。
「私は警察庁の警視正で永久資格」なので、何度も警察庁に呼び出されて「東海道新幹線で私を殺しにきたヤクザを殺したビデオ」を見せられて「これは正当防衛ですよね?」と言われましたが、「当然だろ!」で終わる人間です。
大学時代に「防衛省幹部と喧嘩」したこともよくありましたが、ダイエー時代はヤクザよりももっとやばい人たちがたくさんいました。
「ダイエーの社員は喧嘩上等が合言葉!」だったので、毎日、バックルームで喧嘩の声が聞こえても誰も止めないし、「決着がつくまで最後までやらせてやれ!」という会社だったので、喧嘩が始まるとすぐに助けに行く自分でした。
だって、「弱い者イジメを許せる性格ではない」ので、喧嘩を見たら「どっちが先に手を出した?」と聞いてから相手を蹴り倒すので、翌日の負傷者を見た全員が誰にやられたかを聞くので、誰も私に手は出しません。
そういえば、ダイエーの最初のお店で起きた「耳削ぎ事件」もあったので、暇な時にブログをお読み下さい。
今日のタイトル「長いものには巻かれろ!」を私はこう理解して生きてきました。
自分一人の判断では敵わない「会社のルール」や「お客様は神様」に逆らうと、自分が生活するお金を稼げなくなるので、逆風の時でも身を任せて「長いものには巻かれろ!」と自分にも部下にも教えました。
しかし、泳げない自分が「川で溺れた時」は最後は海まで出てしまい溺れて死ぬと分かるので、どんな手を使っても岸まで泳いで草を掴み、「自力で必死に生き残りなさい」と部下たちには教えましした。
自分が怪我をするかもしれない場面で「他人を助ける人は」少ない時代になったので、「都会では通用」しないと学んだのですが、困った人を助けないとじっとしてられない性格なのでとても損をしたこともたくさんあります。
でもその結果、知らない人に自分が殺されそうになった時や弱いものイジメをする奴を見て「見て見ぬふりをできる大人ではない」ので、「自分の魂に恥ずかしい生きかだけはするなよ!」と部下たちには教えてきました。
ダイエー時代に新入社員やアルバイト君たちでも同じだし、「女子には痴漢撃退法」を教えたので、「黙ってやられているような生き方はするな!」と教えたおかげで助かった奴もいたので、自然に「新入社員を私が教える役目」になりました。
親にもビンタされたことがない「生意気な女」には、まずビンタしてから「自分が人にされたらどれくらい頭に来るか?」を教えるので、左の頬をビンタされたら右の頬を差し出せ!と教えてきました。
注)私はクリスチャンではありません
自分の感情だけで人と戦えば、相手を傷つけるかもしれない「社会人」なので、「自分だけの問題で終わらない社会人」だからこそ、最低の一般常識として「毎日30分」を新入社員に教えたし、1ヶ月間頑張って成長した奴らには自腹でビールを奢ってやる先輩でした。
「俺へのお礼」はいらないが、自分もいつかお礼できる人間になれたら、今、感じている感謝の気持ちを自分の周りの人に返しなさいと教えてきたので、彼氏ができたり、結婚したり、子供ができた女子からはいつもお礼の連絡が親からも来ていました。
男は女と違って働くことは「嫌でも死ぬまで働かないといけない」ので、「どんなに辛くても腹が立っても3回は我慢しろ!」と教えてきました。
「それでもやっぱり相手を許せない時は、会社をクビになる覚悟で相手をぶちのめせ!」
と教えたし、「毎日、寝る前に訓練する方法」も教えたほど親以上に親身に接した先輩なので尊敬される時もありますが、大概は違う意味で噂になるので男ばかりの場面では思いっきりビンタしあう訓練もしました。
「長いものに巻かれろ」の本当の意味は、田んぼを作る「小作農家」は必ず蛇もいるので、ボーとあぜ道で寝ている時は長い蛇に巻かれることもよくあるので、力を入れるな!」というのが本当の意味です。
「蛇は目が悪いので、自分の体で巻き付いた時に相手が締めてきかどうかを判断するので、力を抜いていれば敵ではないとわかるのでいずれいなくなるぞ!」という頭領の教えなのです。
「吉岡一門頭領」が自分の体験を書き留めた学びが「ことわざ」になったと教えたはずです。
12歳で吉岡一門頭領になった翌日に、最初に覚えたのが「ことわざ辞典」でした。
「変な先輩の話」を聞くより実践的ですぐに使える教えなので、中学生なったら親は子供に「ことわざ辞典」をプレゼントしてあげて下さい。
親が教えることよりも「ことわざは賢いことばを覚える」ので、まともに勉強していない親にとっては必須なので、私も「自分の母親」に買ってあげて「読んで勉強しなさい」とプレゼントしました。
「子供は親の言うことは聞いても上の空」なので覚えませんが、自分にメリットがあると思ったことだけはすぐに覚えます。
「教育の基本は、教えるより教われだ!」と名誉傷痍軍人の祖父から学んだので、年下でも自分が知らないことは「素直に教えてもらえる人間」になれました。
これが人間関係で最も大事なことなので、親になった人たちは「教えるより教われ!」と自分に言い聞かせて、今すぐ、好きなテレビやネットを見る時間を減らして、自分を高める学びのために時間を使って下さい。
「教えるより教われ!」、わからないことは「素直に教えて下さい」と言える人間になることは、「社会人として最低限の学び」なので、親からきちんと学んでいない人は今日教えたことをすぐに実践して下さい。
「1日5分」でも自分の成長のために投資した人は、「1ヶ月で150分=2時間半」、「1年で1825分=76日」にもなるので、変な趣味やサークルにかけるお金と時間を使わなくても人間成長できるのですぐに実践して下さい。
5分あればトレイに行けるので、「トイレの時間は自分の成長のために使う」と決めた人は、トイレに「学びの言葉」を書いて貼っておき、自分が普通にできるまで繰り返す訓練もさせました。
例:朝は誰にでも目を見て「おはようございます」と軽い会釈をして通りすぎることを「自分の決まり」にすれば、他人が自分を襲う人はいなくなります。
「悪いことをする人間」ほど相手に自分の顔を覚えられることを恐れるので、昔から「言葉を話す時は相手の目を見て話しなさい」と親から教わったはずです。
これは男でも女でも同じなので、「コンビニでお釣りをもらう時」に相手が自分の目を見ているかどうかで「その人のレベル」がわかるし、「親のレベルもわかる」ので「嫁や夫にする相手を選ぶ条件にしなさい」と教えてきました。
今の時代は「人との縁がない」ので付き合った人の数が少ない人が多いですが、コンビニに行かない人はいないので、「いつでも結婚相手を見つけられる場所がコンビニ」だと教えて下さい。
注)日本中のコンビニを統廃合した人間は私です
実際に、コンビニで出会った人と結婚して子供を産んだ人にもたくさん会いましたので、「タダで相手見つけられる場所がコンビニ」だと周りに人に教えれば、暇で無駄な顔に高い化粧をするよりも大事なことだと子供たちにも教えて下さい。
吉岡名言:「人生は失敗した経験が多い人ほど許せることの数が増える」
- 他者への共感と理解: 自身が失敗の痛みや難しさを経験することで、同じように苦しんでいる他人の状況や感情に対して、より深く共感できるようになります。「完璧な人間はいない」ということを、実体験として理解できるため、他人の欠点や過ちを、自身の鏡として受け止めることができます。
- 視点の多様化: 失敗は、物事が常に思い通りに進むわけではないという現実を教えてくれます。これにより、様々な状況や可能性を考慮に入れる柔軟な視点が育まれ、一つの基準だけで物事を判断しなくなります。
- 自己受容と謙虚さ: 失敗を受け入れるプロセスは、自己受容につながります。自分自身の弱さや未熟さを認めることができれば、他人に対しても寛大になれます。また、常に自分も間違える可能性があるという謙虚な姿勢が、他人を許す土台となります。
- 回復力(レジリエンス)の向上: 失敗から立ち直る経験は、人生には困難がつきものであることを教えてくれます。これにより、些細な過ちや期待外れな出来事に対しても、動揺することなく受け流せる精神的な強さが養われます。
- 断(だん)(断行): 入ってくる不要なものを断つ、不要な物を手に入れない。
- 捨(しゃ)(捨行): 家にある不要なガラクタを捨てる。
- 離(り)(離行): モノへの執着から離れる、いつか使うかもという考えを手放す。
- 「煩悩を断つ」「喜捨(布施)する」「執着を離れる」といった仏教の教えとも関連が深く、心の整理や人生の目的を見つめ直す上で重要視されています。
- 「放下著(ほうげじゃく)」など、執着を手放すという禅の教えと通じる部分もありますが、「断捨離」はヨガの教えに着想を得た造語であり、本来は仏教用語ではありません。
- 物を捨てることで、心のガラクタも整理され、人生を前向きに生きるための習慣や志を見直すきっかけになります。
- 「いつか使うかも」という保留を手放し、本当に必要なもの、快適な状態を見極めることで、自分にとって本当に大切なものが見えてきます。
